一緒なら怖くない
「やめた方が良いよ」
私がアカネに配信に表示してほしいと頼むことを伝えるとリリエは表情を険しくした。
否定の感情を湛えた瞳は私の姿を配信に表示することに断固として反対の立場であると雄弁と語っていた。
「見てる分なら面白いけど軽率に飛び込んでいい世界じゃないって」
それは私にも分かる。
正直なところ楽しそうに配信をするアカネを羨ましく思った側面は完全に無いとは言えないけれど、幼子の夢のように現実を考慮せず憧れ交じりに告げたわけではない。
人には向き不向きがあるし私の性格的にエンターテイナー足りえないと流石に自覚している。
奔放で楽しそうに配信をしているアカネだってストリーマーの活動すべてが楽しい事ばかりではないはずだ。
配信中に限ってもただ楽しくやっていれば見ている人に楽しんで貰えるなんて本当に一握りの、それこそ才能のある人だけ。
結局のところ言い方は違ってもストリーマーとはショーの演者だ。
傍から見ていたらストリーマーはただ楽しんでいるだけに見えるけれどそれは表から見ているからそう思うだけで、界隈に疎い私でもそんなに甘い世界ではないと分かる。
黙りこくった私が余り納得のいっていない様子に見えたのか、まるで子を諭すような優しい口調で配信の実情を交えて説得してきた。
「ひとたび弱みを見せれば炎上として取り上げられて過剰に攻撃される。それで精神的な病にかかる人も少なくない」
「……それは問題ないよ」
そんなこと慣れきって今更何かを感じることなんてない。
周囲が敵になる感覚なんて日常茶飯事だし最初から期待していないから。
「数は多くないけどストリーマーの中にはわざと人を不快な気持ちにさせて名を上げたり、詐欺を働いたり、出会いを求めて女の子を手籠めにしようとする人もいる」
「うん。知ってる」
隙を見せたら食い物にしてくる人間がいるのはストリーマー界隈に限った話ではない。どこの界隈でも人間が集まっている以上、弱者を食い物にするという人間の性質は変わらない。
人間の集まるところには悪意が集まることを私は良く知っている。
「ストリーマー側にとって視聴者は数字やコメントとして目に入る。よくストリーマーには視聴者が数字や文字としてしか見てないから視聴者なんてすぐに切り捨てられる程度のものでしかないなんて批判されたりもするけど実際には立場が逆。視聴者の方がよっぽどシビアに配信を見てる。特にストリーマーの数が多い現代は気に食わなかったら視聴を止めればいいだけだからね」
リリエは頬杖をつきながら私よりも深い知識でストリーマー界隈を滔々と語る。
一見あまり強い感情を抱いていないような抑揚のない幼い声。しかしその中に芯の通った強い意志を感じた。
リリエは手を机の下におろして、透徹とした印象を抱かせるアメジストの瞳を向けてじっとこちらを見つめてくる。
「キョウが表示されることで好意的に取られてくれる人もいるだろうけど逆に否定的な感情を抱く人も絶対いる。それが原因でアカネの登録者や視聴者が減ってキョウは責任を感じないで済むの?」
私の性格を踏まえて起こりうる問題を想定してきて、私が配信に表示してもらえるように頼まないよう真摯に説得しているのが分かった。
「だから止めた方が良いと思うな。私は」
……なんでそんなに。
指摘された状況を思い浮かべると責任を感じる情景が容易に思い浮かぶ。痛いところを突かれた私は口を引き結んで押し黙った。
確かに私が表示されることでアカネの配信の登録者数や再生数に悪い影響が出たら私は責任を感じるだろう。
出会ったばかりにも関わらず心の底から案じてくれるのが分かった。
強引に私の意見を変えさせようとするのではない。私の足りない知識を補って考え直させようとしていて、まるで教え導くかのようだった。
リリエは私が配信に表示されることに関して否定的だ。
配信自体に何かか思うところがあるのか分からないけれど断固として反対する様子のリリエを見ていると私が配信に表示してもらうと主張したら自分自身が配信に表示されるのを嫌って離れて行ってしまうかもしれない。
心配してくれて好意的に接してくれるけれど私たちの関係はさっき出会ったゲームの中の友達でしかないから。
リリエと関係が無くなってしまうのは嫌だ。
不器用な私に折角結びつけられた数少ない縁。下心も無く、悪意も無さそうな人と仲良くなれるチャンスが次にいつ巡ってくるのか分からない。
過剰に期待することも求めることも無かったのに私はいつからこんなにも強欲になったのだろう。
私が求める理想の結果はアカネやリリエとゲームのイベントをやっていけるような関係を築くことだ。
アカネの足は引っ張りたくないから配信に表示してもらいたい。そして距離を取る方法はとりたくない。
配信に否定的な様子のリリエに私を配信に表示することを認めてもらいたい。そしてこれからも仲良くしていきたい。
この贅沢な二つの願望を満たすためにはどうしたら。
……正直にすべての事情と本音を吐露して協力をお願いしたほうが良いかもなぁ。
真摯にお願いすればもしかしたら融通を利かせて協力してくれる気持ちになるかもしれないし、そうでなくとも仲良くし続けてくれるかもしれない。
どうにも他人の善意に縋って甘えているようで好きじゃない方法だ。でも私の気持ちを通すならこうするしかないと思った。
自分の気持ちと折り合いをつけながらリリエの対面の席の椅子を引き出して、スカートを抑えながら浅く腰かけた。まっすぐリリエのアメジストのような瞳を見つめる。
私は拳を握り、唇を引き結ぶ。
正直に話したところでどちらに転ぶか分からない。
本当に怖い。
怖いけれど気持ちはどんなに恥ずかしくてもしっかり伝えなくては届かない。察して私の都合のいいように行動してなんておこがましい。
私は心の内を伝える決心をした。
「リリエ」
「なに? 遠慮せずに言っていいよ」
乾燥した口をおもむろに開くと、少しかすれた声が出た。
「わたくし、遊ぶことが目的でゲームをしている訳じゃ……ないんです。別の目的があってゲームをしています」
勇気を振り絞って打ち明ける。
リリエは私の言葉を優しく受け止めて先を促すように何も言葉を発さなかった。
癖のあるロングヘア、小柄な体躯。
色こそ違うけれどリリエの容姿を見ているとどこか現実の自分に雰囲気が似ていて、まるで自分自身と相対しているような不可思議な気持ちになる。
私は目を伏せて乾いた唇を舐めた。
「目的を達成するには強くなる必要があって、イベントを達成していくことが必要不可欠だったんです。でも一人じゃイベントをこなしたり発生させたりするのに限界があると思って遊ぶ目的じゃなくて自分の目的を達成するためにアカネやリリエと仲良くなろうと思いました」
みんなが遊ぶためにゲームをやっている中で一人だけ楽しまずに全く別のことを目的としてゲームをやっているなんて周囲から不快に思われても文句は言えないし、ましてや自分から関わり半ば巻き込もうとしていたなんてもっての他。
例えるなら大して力を入れていない運動部の中に一人本気で全国大会優勝を目指しているような人がいて、練習しよう試合しようなんてしつこく誘ってくるようなものだ。そんなの絶対嫌に決まっている。
私はおもむろに頭を下げて、テーブルの木目を見つめた。
いつもと違うクセのない滑らかな髪がはらりと視界に落ちてくる。
「利用するような真似をしてしまって申し訳ありませんでした。でもアカネとリリエと仲良くしたいのは紛れもなく本音です! お願いするのは憚られるのですけれど、もしイベントが発生したら一緒に行ったり……このまま仲良くしていただけたら嬉しいです。どうかお願いします」
「もちろんいいよ」
「……へ?」
あっけなく、思っていた数段軽い声に意図しない声が漏れる。
リリエは息をつきながら、「身構えてるから何を言われるかと思ったら」と言って眠たげな瞳をいつもより細めて呆れたような表情をした。
「そもそもそれって利用っていうの? 謝らなきゃいけない程悪い事?」
「……えっと、人を利用するのは悪い事ではないのでしょうか」
「利用するだけ利用して、そのくせ他の人が協力を求めた時だけ自分勝手に断ったり嫌な思いをさせたら悪いことだと思うけど……」
なんだか気が抜けたように頬杖をついて視線を彷徨わせる。
先ほどまでと違ってなんだか完全にリラックスしたような様子で、私が過剰なまでに気を張っていたからリリエまで落ち着かない気持ちにさせていたのだと気が付いた。
リリエは頬をふんにゃりと潰しながら小さな口を開いて「あのね」と言葉を続けた。
「みんな同じようなもんだよ。別に手伝うことを強要したり振り回したりする訳じゃないでしょ。もちろん気が合うことも重要だけど、こういうゲームって持ちつ持たれつでみんな何かしら一緒に手伝ってほしくて関わってるし」
私が気にしていたことがいかに大したことないかを一通り語り、「そもそもゲームだけじゃなくて現実だって同じようなものでしょ。気にしすぎだって絶対」と諭すように言った。
……私がゲームのことや世の中のことを知らな過ぎたってことかな。
知らない環境だから自分の想像だけで考えすぎていたかもしれない。そして張り詰めて気負いすぎていた。
それに私自身あまり人に頼ったりして生きてこなかったから人の世界が相互扶助的に成り立っていると頭では分かっていても理解はできていなかったのだろう。
多角的に考えることをせず、知らず知らずのうちに底なし沼のような思考の渦にハマって抜け出せなくなっていた。
謝ることじゃないと言って貰えたことで罪悪感が溶けるように消えていく。力んで上がっていた肩の力が自然と抜けた。
「キョウはもっと人に頼ることを覚えた方がいいよ。あと、もっと人と話した方が良いね。自分の世界だけに閉じこもってずっと考えてると同じ思考に拘泥しちゃうから」
「はい……」
まったくもってその通りだと思って、体を縮こまらせて猛省する。
先ほどまでの私は大してゲームのことを知らないクセに自分の妄想の中で作り出した『ゲームは遊ぶためにやるもので楽しまない人間は遊びたい人と一緒になってやってはいけない』なんて思考に拘泥して他の人と一緒にゲームをすることに妙な罪の意識を抱いていた。
「責任感じすぎちゃうのも考えすぎだからなんじゃないの?」
そんなことない。
いつもだったら適当に同意して反感を買ったりしないように誤魔化すけれど、もしかしたらリリエなら受け止めてくれるんじゃないかなんて淡い希望を抱いてしまって蚊の鳴くような声で心情を吐露した。
「……考えすぎではありません。もうこれ以上、足を引っ張るのは嫌なんです。私のせいで優しい人たちが余計な苦労をするのは嫌」
私たちの間に少しだけ沈黙がやってくる。
言葉がリリエに届いたかどうかなんて考える余裕すらなくて、ただひたすら俯いて口に出してしまったことへの後悔だけが頭の中を巡っていた。
どうしてこんなことを言ってしまったのだろうか。
胸が苦しくなって喉元に込み上げてきたものを押さえつけるように右手を胸元を当てた。
正面の席から微かに鼻を鳴らしたような音がして、リリエが少し震えた声で語気強く話し出す。
「私もやるよ。配信に表示してもいらえないかアカネに頼んでみる。同じ条件の誰かが一緒なら怖くないでしょ」
「え……? よろしいのですか?」
「私だって二人と一緒にゲームしたいし私だけ表示されてないのも変だよ」
「ありがとうございます!」
リリエが歯を見せて諦めたようにハニカミながら「それにいくら説得しても絶対意見曲げないのが目に見えてるし」と揶揄うように言った。
そして私の顔をジトっとした目で見つめた後、頬杖をついて視線を逸らす。
「注意しても頑固で絶対に曲げないとこが……ハァ」
意味ありげな視線を向けてため息をついた。
視線の正体が分からずに首を傾げて「なんですか?」と問いかける。
リリエは言葉を探すように視線を彷徨わせて赤く小さな舌をチロリと出して唇を舐めて、視線を彷徨わせた。
「えっと……ただ妹に似てるなって思っただけ」
「妹さんがいらっしゃ……いるんだ」
「休めって言っても一切聞かないところとかホントさぁ。私は少し休んで欲しいんだけど」
「あはは……」
自分のことを言われたみたいで少し耳が痛い。
叱られた子供のように体を小さくして意気消沈した様子の私を見て、長い耳をぴくぴくと動かしながら言葉を探す。
リリエは少し頬を赤らめながらそっぽを向いて「まぁ一生懸命な人は好きだけど。頑張ってる人を見ると綺麗だなって思うし」と呟いて流し目で見た。
私は照れた様子のリリエに気が付いて思わず自然と笑い声が漏れた。
「昔はリリエみたいな人の事『ツンデレ』っていったらしいよ」
「意味は分からないけどなんかムカつく」