技の石碑での用事を終えて
声は聞こえずとも大笑いしている様子のルカ。
むっと頬を膨らませながら「しょうがないでしょう!? 驚いたんだから!」と火照った顔の熱を誤魔化すために抗議する。
意図せず反射的に稚拙な行動をとってしまった。
理不尽に声を荒げてしまったのが自分でも分かる。
冗談で済む範囲なのは薄々分かっているけれど自身が持てなくて自責の念に駆られながら思わず視線を逸らした。
普段の私だったら周囲の反応に怯え顔色を窺いながらも、決してそれらを顔には出さずに素知らぬふりをして人と関わり合ったりしない。
どこからが冗談と捉えて貰えて、どこからが冗談で済まされないのか知らなくてうまく距離感が図れないからだ。
それが何故かゲームの中だとほんの少しだけ気にならなくなる。
ゲームの中のキャラクターと現実世界の人であるプレイヤーの区別がつき辛いからか、体が大きくなったことによって気が大きくなっているからか。はたまた、現実の環境のように張り詰めている必要が無いからか。
私には何が理由か明確に答えを出すことが出来ない。
……そういえば私、アカネに失礼なことしてないかな。
アカネに対して失礼な行動をしていた気がして憂鬱な気分になった。
本人の希望とはいえ年上の出会ったばかりの人に対して失礼な行動だったんじゃないかと思い返しては後悔の念が湧きあがってくる。
しかし同時に前後のアカネの振る舞いも思い出した。
終始笑顔で、むしろ堅苦しくない砕けた対応をした時の方が喜んでいた気さえする。
……うん。アカネはまぁ、いいか。
もしかしたらお父様はこういったコミュニケーションの部分で私の足りないところを補わせるためにゲームをするお願いをしたのかもしれないと少し思ったりもする。
私は当たりさわりのない上辺だけのコミュニケーションはむしろ得意だけれど自分や他人の内側に踏み込むような深いコミュニケーションはとてつもなく経験不足だから。
皮肉気に口角を上げて自嘲していると、ルカが諧謔的な微笑みを湛えながら「まぁまぁ」と声をかけるかのように私の肩を叩いた。
別段気にした様子のないルカの表情を見て内心安心する。
幼いころに連れまわしていたぬいぐるみのようにルカを抱きすくめて、小さく謝罪を伝えた。
ゲームの世界の、それも生き物かも分からない存在なのにひいおばあ様のお部屋に敷かれていた干したてのお布団のようにポカポカと温かくて陽だまりのような匂いがする。
「……ルカ、ここからまた設定し直すのってどうすればいい?」
私が問いかけるとルカはにっこりと笑って『もう一度設定する場合は再び「設定開始」と発声することで登録できます』と書かれたウィンドウを見せてくれた。
「分かった。ありがとう」
感謝を告げるとルカはふわりとすり抜けるように私の胸から飛び出して空中に浮いた。抱きすくめたままだと起動モーションが決められないから抜け出してくれたんだと思う。
「設定開始」
ルカの気づかいに甘えてすぐさま設定を進めた。
さっきと同じように赤いランプが点滅し始め、赤いランプが完全に点灯したところで起動モーションとしたい行動をとる。
レンズの前に立ち完全に点灯したタイミングで右手を軽く握りこんだ。
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起動モーションを作成しました。
――右手を軽くにぎる。
技術【注視】の起動モーションを上記の通りに設定しますか?
≪はい/いいえ≫
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今度こそウィンドウに狙った通りの画面が表示された。
ちょっとした達成感に包まれながら「はい」を選択して正式に技術【注視】の起動モーションに設定する。
そのままの勢いで別の技術も確認して設定していった。
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単一技術【植物観察】
起動モーション:固定(対象に視線を合わせている状態で)
――目を眇める。
説明:
指定された特徴を観察することで対象の植物の知識欄を埋めることが出来る。
この技術で得た知識は知力に依存せずに保持され続ける。
――この技術の起動モーションを設定しますか?――
≪はい/いいえ≫
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単一技術【人物観察】
起動モーション:固定(対象に視線を合わせている状態で)
――右手の親指と人差し指を二回連続で打ち合わせる。
説明:
人物知識に保持されている対象の情報を確認できるようになる。
噂や人物知識欄に対象の知識がある場合は表示することができ、技術【注視】によって一度でも起動モーションを看破した場合は発動された際に分かるようになる。
――この技術の起動モーションを設定しますか?――
≪はい/いいえ≫
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単一技術【モンスター観察】
起動モーション:固定(対象に視線を合わせている状態で)
――目を眇める。
説明:
指定された特徴を観察することで対象のモンスターの知識欄を埋めることが出来る。
この技術で得た知識は知力に依存せずに保持され続ける。
――この技術の起動モーションを設定しますか?――
≪はい/いいえ≫
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単一技術【都市観察】
起動モーション:固定(対象に視線を合わせている状態で)
――目を眇める。
説明:
都市を観察することで地理知識の知識欄を埋めることが出来る。
この技術で得た知識は知力に依存せずに保持され続ける。
――この技術の起動モーションを設定しますか?――
≪はい/いいえ≫
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単一技術【魔力循環】
起動モーション:《未設定:固定(魔力を込めている状態)》
――右足のつま先で地面を二回叩く。
説明:
傷を受けた時の魔力流出が増え、技術や魔術の魔力消費が多くなる代わりに発動が速くなる。
解除する場合はもう一度技術名を発声するか、起動モーションに登録した行動をもう一度とることで解除できる。
――この技術の起動モーションを設定しますか?――
≪はい/いいえ≫
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単一技術【魔力圧縮】
起動モーション:《未設定:固定(魔力を込めている状態)》
――左足のつま先で地面を二回叩く。
説明:
傷を受けた時の魔力流出が減り、技術や魔術の魔力消費が少なくなる代わりに発動が遅くなる。
解除する場合はもう一度技術名を発声するか、起動モーションに登録した行動をもう一度とることで解除できる。
――この技術の起動モーションを設定しますか?――
≪はい/いいえ≫
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隠す必要の無さそうな技術【植物観察】、技術【モンスター観察】、技術【都市観察】は直感的に分かりやすい起動モーションに。なんとなく隠す必要がありそうな技術【人物観察】は第三者から分かりづらい起動モーションにした。
そして技術【魔力循環】と技術【魔力圧縮】は一応起動モーションを設定したが効果の有用性をあまり理解できていないのもあってほとんど形だけだ。
「これでいいかな」
満足げにうなずいているとルカがぱちぱちと小さな手を打ち鳴らして自分のことのように喜んでいた。ルカは心から生まれると言っていたし本当に自分のことと同じように感じるのかもしれない。
なにはともあれ、これでこの空間で行うべきことは済んだ。
達成感を感じながらもメニューで時間を確認するとこの部屋に入ってからそろそろ40分になろうとしていた。
アカネとリリエからの連絡は相変わらずないけれど必ずしも終わっていないという確証は無く、ただ私に気を使って連絡していないだけかもしれない。
「終わるときはこのまま部屋から出ていいの?」
ルカに尋ねると『技の石碑に再び触れてください』と表示されたウィンドウを見せてくれる。
言葉に従って石碑に触れると石板が出て来たときと同じようなゴリゴリという音がし始めて今度は石碑の中に石板が戻っていった。
「これでいい?」
ルカは満足げにこくこくと頷くと別れを告げるように手を左右に振って、ひらりと舞いながら私の胸の中に飛び込んで吸い込まれるように消えて行った。
私は胸に手を当て心の中でルカに感謝を伝える。
技の石碑に背を向けて静かにその場を後にした。
〇
階段を上がるとすぐ目につく場所のソファにアカネがいた。どうやら技術編成を早々に終えていたらしい。
早速配信をしているようで一人で心底楽しそうに話をしながら子供のような形をした青い粘性体をまるで犬か猫を可愛がっているかのように撫でまわしている。
……確かクオーキィだっけ。
得体の知れないほとんど不定形の生物を何故あんなにも愛おし気に愛でられるのか理解できずに恐る恐る近づいた。
「よーしよしよし!」
≪ヴィータ:犬の顔とか普通に舐めてそう≫
≪ベルウッド:最早古いとかそういう次元じゃねえ≫
≪モス:誰に伝わるんだこのネタ≫
≪ゼクス:いつまでやってんねんもう10分くらい経つぞ≫
……えぇ。
「……おまたせアカネ! 待たせてごめんね」
「あら、おかえり。配信してたから全然気にしなくていいよ」
アカネは穏やかに笑いかけてくる。
素直に気にする必要が無いと言葉通りに受け取れるような自然な笑みで、私はホッと胸を撫でおろした。
「思ったより早かったね」
「そうかな? 結構時間使っちゃったと思ったけど……」
「時間使おうと思えばいくらでも使えそうだったからさ。楽しみにしてそうだったし、実際編成してるとき結構楽しかったし」
≪クロケア:技術編成楽しい≫
≪ロボルナ:このゲーム選ぶ技能によってゲーム性変わるから長くやれそう≫
≪バロン:そんなに変わるの?≫
≪十五夜:技術系統の一個一個に昔ならゲーム一本作れるくらいのシステムある≫
≪コークスキー:合成術面白かったぞ≫
≪ヴァイス:このゲーム色々出来て面白いよな≫
……技能系統ごとにそんなシステムあるんだ。
コメント欄を読んでいると普通にやっているだけでは知り得ないような深い情報が無造作に落ちていて結構面白い。
所詮ネットの中の情報なので鵜呑みにしない方が良いのは分かっているけれど興味の惹かれることが多々ある。
≪アッキ:チュートリアル出た時光輝力周りのシステムで炎上してたけどな≫
≪アルファルファ:炎上って言う程か?少数が騒いでただけやん≫
≪いちみる:それ今関係ある?≫
≪アッキ:遺族の気持ち考えたことあるか?人でなしども≫
≪カルマ:はいはい≫
≪十五夜:昔と違ってアカウント一人に付き一個だから人為的に引き起こそうとしたのバレバレだぞ。時代に取り残された老人には分かんないだろうが。≫
≪アイオーン:てか死んでねーから勝手に殺すな。これだけで荒らし目的なの分かる≫
≪ブルーハワイ:アカネさーん! 流石にこいつブロックして!≫
「わぁ、コメ欄荒れてるねぇ」
コメント欄の人たちが言い争いを始めていた。
……光輝力周りのシステム? 何かあったかな。
「色んな人がいるからね。気持ちは分かるけど……どうしても少数派だからあなたの主張は通ることは無いと思うよ。世間の流れは激流でいちいちあなたに合わせてくれない。だから嫌なものは自分が避けて通るしかないの」
「この配信で言っても意味もないと思うけど……それでも良ければ好きなだけ書いていっていいよ。みんなも嫌なコメントだったら言い争わずにNGユーザーにしておいてね」
アカネが荒れるユーザーたちに対処を促し、これ以上話すことは無いと言わんばかりにクオーキィを撫で始めた。
あまり積極的に動くつもりは無く、一人一人の意見を尊重し言論統制をするつもりはないらしい。
嫌な人は個人で見えなくすればいいというスタンスのようだ。
確かにどうせ人間同士の意見なんて対立するものだから手を取り合うことを期待すること程無駄なことは無い。こういう時は話を逸らして別のことに意識を移させるのが一番有効的だと思う。
私はアカネに乗ることにしてずっと気になっていたことを尋ねた。
「……なんでアカネずっと触ってるの? 確かにルミエール使ったけど」
「え? クオーキィのこと? 別にルミエールが足りない訳じゃないけど……かわいいでしょ?」
アカネはぽよぽよとクオーキィを弄繰り回しながら私に見せつけるようにしてきた。
「か、かわいい? ……うーん」
私はクオーキィを見つめた。
クオーキィはぷるぷると無感情に震え、「ぷぃ?」と鳴きながら顔をこてんと傾けた。
完全な不定形ではなく上半身はどろどろとしたものを人間の形の型にはめて固めましたといった感じで腕や髪、頭などが形作られている。
幼児のようなサイズ感で仕草までもが幼児っぽいので確かに庇護欲はそそられる。
ただ全体的にデフォルメはされているが顔のパーツ全てが同じ粘性体で構成されているせいか非生物感が際立っていて、価値観なんて人それぞれだから何とも言えないけれど少なくとも私には可愛いよりも不気味と言った思いの方が勝っていた。
「よくあるスライム枠だよねぇ」
「スライム? スライムって洗濯のりとホウ砂水溶液を混ぜて作るあの? 確かに質感はそう言われればそう見えてくるけど……」
アカネはなんだか釈然としない表情をした思索に耽るように視線を彷徨わせた後、「あ、そっか! ゲームやったことないんだっけ」と言った。
≪ヴィータ:ゲームやったことないとかマ?≫
≪いちみる:アカネより年上説≫
≪ロボルナ:スライム知らない人って現代にいるんだ≫
「ゲームでは良くいるモンスターなんだよスライムって」
「へぇ……」
どうやらゲームをすることが無かったから違和感を感じているのであって私以外の人にとってはゲームの中にスライムという生物がいるのは不思議な事ではないらしい。
私はまるで異世界に一人取り残されたような、狐につままれたような気分になった。
価値観のズレによって少し寂寥感を感じているとコツコツと走る音が背後から響いて来た。
「本当にごめん! 遅くなっ……え、なにそのブヨブヨしたの」
リリエが息を切らすように慌ててやってきたかと思うと、きょとんとした顔でクオーキィを見つめた。
クオーキィを見たことが無かったのかもしれない。
クオーキィがリリエの方を向く。
一見虚のようにも見える瞳で視界に捉えられたのかリリエがギョッとするように身震いすると「え、こわ」と言いながら後ずさった。
「えぇ!? 可愛くない?」
「いや、なんか生理的嫌悪感が……」
「そこまで!?」
リリエは華奢な自分の身を抱くようにしながら腕をさすった。
どうやらリリエはクオーキィに対して私とおなじような感性を持っているらしい。
孤立無援だったところに少なくとも私だけでは無い事が分かって嬉しくなった。
アカネは一人「……まぁ中にはそういう人もいるか」と納得するように呟くと、クオーキィを撫でていた手を止めてソファから立ち上がって大きく伸びをした。
「よし! 次は魔術ギルド。隣の建物だよ! 隣って言っても技能センターも魔術ギルドも大きいから隣って感じしなさそうだけどね」
「調べたんだ」
「うん! 楽しみで一通りね!」
アカネは胸を張って「大船に乗ったつもりで頼りにしていいよ!」とお姉さんぶると、扉の方を指さした。
「早くいこ!」
そう言ってお決まりのように先導していく。
待ちきれないと言った思いが一挙手一投足に滲み出ていて
私はリリエと顔を見合わせ、互いに肩を竦めてアカネを追った。
アカネに追いつくと「早いよ」とか「どんだけ楽しみなの」と軽口を言い合ったあと、各々の技術編成の苦労話を語る。
ふと視界にコメント欄が映った。
読むつもりで見たわけでもなかった。
コメントを読み取る技術が無くて四苦八苦しているような有様にも関わらず一部のコメントが読み取れてしまって、
≪レック:また合流か≫
≪ロロア:友人との会話ばかりで話が分かんなくてトークがつまんなくなる。何喋ってるか分かれば面白いかもしれないけど。≫
目に焼き付いたように離れなくなった。