賑やかな昼餐
喧騒があたりを支配している。
たくさんの人の話し声が重なり合って一纏まりのザワザワとした音に聞こえた。時折仲良く笑い合う声が混ざって騒めきを打ち破っている。
普段なら煩わしいと思う様な喧騒も今日は何故だか心地いい。
すでに昼食を取り終わっている人もいて、それでもなお席について会話を楽しんでいるようだった。お話が盛り上がって楽しくなっているのかもしれない。
私まで明るい気分になって視線を巡らせていると一人の女の子が気になって視線を止めた。
賑やかな雰囲気の中でも端の方で一人黙々とパンを食べていて周囲から浮いているように見える。
黒髪のふわふわとしたくせ毛が特徴で釣り目だが眠たげな紫色の瞳がうつろに虚空を見つめている。ボリュームのある髪から長い耳が飛び出していた。シルヴァかスピリアだろう。
私はどうしてもその子が気になって、一人にしないためにも話しかけに行こうか逡巡しているとクランメンバーと思わしき茶髪の女性が女の子に話しかけに行った。
……良かった。
この雰囲気の中で一人ぼっちになるのはかわいそうだと思っていたので私はほっとして視線を外した。
どうやらアカネも気にしていたようで同じように息をついていた。
二人して顔を見合わせ、肩を竦めて苦笑する。
「何食べる?」
「えーっと……」
看板に視線を巡らせて確認する。
和食、洋食、中華と現実のように分かれているのではなく『体力モリモリ食堂』、『魔力ホクホク食堂』など良く分からない店名が書かれていて明確に何が振舞われるか皆目見当もつかない。せいぜい分かるものは『ガッツリ丼もの屋』だった。
「『ガッツリ丼もの屋』しか分からないんですが……」
「あはは、私もー」
「私、丼もの食べたことない……」
心底驚愕したとでも言うように目を見開いて「マっ?」奇声を発した。意味があまり分からないけれど、どこか疑問形のようなニュアンスを感じたので困惑しながら頷く。
「じゃあ丼ものにしよう! めっちゃおいしいから、食べなきゃ人生損してるよ!」
「えぇ? そ、そんなに?」
「そ ん な に!」
ガッツリ丼もの屋の前に引きずられるように強制連行される。
アカネは「絶対キョウに丼ものを食べさせるんだ! おいしいんだから!」と息巻いた。
別段、食に拘りが無く正直なところなんでもいいと思っていたので決めて貰えるならありがたいと自堕落に考えて、なすが儘にされている。
ガッツリ丼もの屋の看板は和風な感じが前面に押されていて店員の服装も和風っぽい。
フリンルルディは少しだけ和風な文化が根付いている側面があったのでその影響かと考えて納得していると、周囲の他のお店は大半が洋風な調理服のような服装だった。
別にフリンルルディの文化に即している訳では無いようだ。この世界でも丼ものは和風のイメージらしい。
「いらっしゃい!」
お店のカウンターには壮年の女性が溌溂として歓迎の言葉を口にする。
こういう食事を直接受け渡すようなお店に来たことが無くて戸惑いながらぺこりと会釈しておいた。
ここから対面で注文すればいいのだろうか。
お店のシステムが分からずに右往左往しているとアカネがさっそく声をかけた。
「すいません、どんなメニューがありますかー?」
「あぁ、ちょっと待ってねー」
アカネが一切物怖じせずに話しかけると女性はメニューを操作し始める。そして、それぞれにウィンドウを見せてくれた。
ウィンドウには看板に偽りなく丼ものメニューがズラリと記載されている。私の知識に一応存在するラインナップは一通り揃っていた。
アカネもその品ぞろえに満足いっているようで「メニュー豊富だなぁ」と感嘆の声を漏らしている。
ふとメニューではなく左上端に書いてある文字列が気になって視線を向ける。
『満腹度:6/100』 『潤度:58/100』
……いつの間にかギリギリなんですが。
自分が想像以上に空腹だったことに今更ながら気が付いて戦慄した。思っていたよりも結構極限状態だった。
確か設定の欄に満腹度や潤度の減少を知らせる機能が存在していたはずなので、あとで通知を許可しておこうと心に決める。こんなギリギリになってヒヤリとするよりも事前に分かっていた方が断然良いに違いない。
今まであまり実感していなかったがこれだけ満腹度の減少が速いのは間違いなく性質【英雄体質】のせいだろう。汎用性が高く効果の良い性質だがデメリットは実感してみると想像よりも厳しそうだ。
今度からは保存食を用意しておいた方が良いかもしれない。
満腹度がより多く回復しそうな食事に重点を置いて再びメニューを物色し始める。
ちょうど隣からは「私かつ丼にしよー! ひっさしぶりに食べるから楽しみ!」とこれ以上なくテンションの上がったアカネの声が聞こえた。
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『スペシャルガッツリ丼』
・満腹度回復量:90
・食事効果:腹持ち良好、筋力値補正(小)
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一番満腹度が回復する食事がこれだった。
満腹度回復量と現在の満腹度を比較してみても多少余裕をもって食べきれるし午前中行動しただけで結構満腹度が減っているので『腹持ち良し』の効果がとても魅力的に見える。
ただ一点不安な点はメニューに表示されている画像だ。
お米が隠れるほどに大量のお肉が乗っているどんぶり。そもそも器自体が他のメニューよりも巨大に見える。
比較的小食な私は勿論こんな量を食べた経験はないため尻込みしてしまう。
……まぁ、ゲームだから大丈夫でしょ。
私は甘く見ながら軽い気持ちで注文することに決めた。数値が絶対なゲーム的にも一切問題ないはずだ。
「私はスペシャルガッツリ丼を……」
「はいよー!」
アカネが何か言いたげな顔で私を見てきた。
「本当に食べられるの? 結構多そうだよ」
「満腹度あと6くらいしかいないので食べられるはず」
「え? 朝食べた?」
「もちろん腹八分まで食べたよ」
「減り早すぎじゃない?」
「うーん、多分性質の影響が……」
アカネは「あー……」とどこか納得するように声を上げる。
軽く雑談をしているとすぐに食事が出て来た。待ち時間の速さがとても魅力的でゲームならではだと思う。
確かにゲームの中で長く待ちたいとは思えない。
「かつ丼とスペシャルガッツリ丼だよ!」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます! えぇ……見てるだけでお腹いっぱいになりそ」
メニューの表示に寸分違わないどんぶりが出てきた。
現実ならばこれを平らげるだけでも一芸として生業と出来そうなほどの巨大さだ。
隣でアカネが得体の知れない物体を見るような目で私のスペシャルガッツリ丼を見ていた。そんな目で見なくても。
「なんかお盆曲がってない? 大丈夫?」
「た、多分」
左手は結晶化していて掴むことが出来ないので引っ掛けるような形で持ち上げると木製のお盆が歪んでいるような気がした。
お盆の端を持っていると真ん中からお盆が割れてしまうのではないかと不安になって、下から中心を掬うように持ちなおして腕の上にのせて運ぶことにする。
周囲の喧騒が止んでアカネだけでなく周囲の人たちからハラハラした視線を向けられる。
たとえゲームの中でもこんなに食べるのかと思われるのはなかなかに恥ずかしく感じて、居た堪れなくなって赤面しながらも辛うじて空席までたどり着く。
体力的にはまだしも精神的に疲弊した。
「私たちここに座ってもいいですか?」
「もちろんです! どうぞ」
「ありがとうございます!」「失礼致します」
アカネが周囲の人許可を得てくれたので便乗する。木製の机の上にお盆をのせてアカネの隣に並んで腰かけた。
正面に座っている金髪を豪華に巻いた人間の女性とオレンジ髪ポニーテールの翼種の女性に会釈する。
……なんか家具が全体的にキアラさんの趣味っぽいな。
キアラさんはクラン花風の共有スペースをかなり自由に使っている気がする。どれだけ家具を集めているんだろう。箱庭の中もアンティークであふれていそうな気がする。
「あなた華奢だけれどそんな量食べられるのかしら」
正面から鋭くも落ち着いた声が聞こえてきた。
顔を上げると正面に金髪を豪華に巻いた女性が優雅にカトラリーを操りながら険しい表情でこちらを見つめている。
「リックスくらいしか食べている所を見たことがないですわ」
「満腹度が6ですから完食することが出来るかと存じます」
「そう、差し出口だったようですわね。 ……食事を残さないのなら構いませんわ」
完食できる見込みがあることを理屈込みで示すと女性はエメラルドのような切れ長の瞳を細めて安堵したように表情を緩めた。
険しい表情とは打って変わって柔らかい表情で私たちに笑いかける。
「わたくしはラウレア」
「ヒノエっす! よろしく!」
隣のオレンジ髪の女性も深い青の瞳に快活さを湛えて自己紹介してくれた。
「アカネです!」
「キョウと申します。よろしくお願いします」
「えぇ、よろしく」
ラウレアさんは優美に笑った後、すぐに無表情に戻って「早く食事を食べなさいな」と嗜めるように言った。
……結構気難しい人なのかな。
対応が乱高下する様に少し戸惑いながらもわずかな時間だけ思索に耽る。多分地雷は食事に関することだ。
言葉の節々から察するに何か理由があって食事を粗末にすることが許せないのだと思う。そのことを念頭に置きながら対応していくことにした。
「お言葉に甘えさせていただきますね。いただきます」
「い、いただきます……!」
少し怯えた様子を見せていたアカネも後に続いた。
どうやら私の推測はあながち間違いでもなかったようでラウレアさんは表情をさらに和らげる。どうやら問題ないようだった。
私の処世術が役に立ったみたいで良かった。
どちらにせよ私は満腹度が危ういので早々に食事にありつく必要がある。
お箸を操ってお肉とご飯をともに口にした。
……おいしい。キアラさんのシチュー程ではないけれど。
お肉は豚肉の味に近かった。甘辛いソースが良くからんでいて良くご飯が進むような味だ。山椒のようなスパイシーさがアクセントになっていて飽きが来ないようになっている。
現実で食べる食事とは違ってしっかりと味がした。やっぱりゲームの世界だからだろうか。
「キョウの凄い味が濃そうだね……」
「色はそうだけど、味はちょうどいいよ」
「リックスは味が濃くて良いと言っていましたわ」
「キョウ、まさかの味音痴」
「……そんなことないし」
どうやら現実とかゲームとかそういう問題ではなく私の味覚に問題があったらしい。確かに家で食べる食事は大半が薄味だ。
流石に人から指摘されると自分でも少し自覚が芽生えるけれど、受け入れ難い事実でアカネに抗議の視線を向けた。
自分は悪くないと我関せずな顔をしておいしそうにかつ丼を頬張っている。その様子を見ていると責めるのが馬鹿らしくなった。
視線を向けなくても正面の二人が笑っている雰囲気がした。私は恥ずかしくなって正面を向けなくなり黙々と食べ進めることを余儀なくされる。
髪に食事が付かないように左手で押さえながら食事を頂いていると面からラウレアさんの声が響いた。
「それにしても……あなた達も大変なことが起きている時期にディオタールに来ましたわね。先輩としてフォローしますから頼ってもらえると嬉しいですわ」




