暗中模索
周囲の結晶が剥がれ落ちていきベッドに横たえられる。ひんやりとしていて柔らかなリネンの感触が肌から伝わった。
深い思考に沈みながら天井を見つめる。
時間を無為に過ごしている自覚があったがどうしてもベッドから起き上がる気になれなかった。
ぼうっとしていると次第に天井に使用されている木材の梁の一部が気になりだしてくる。刻まれている模様が化け物の顔に見えて、逃れるように左手を伸ばして向けられる視線を遮った。
肘の先から結晶化している腕が目に入る。持っている属性が木だからか濃い緑色をしていてきらきらと複雑に光っていた。
……私の生きる意味って何? 人生の礎って?
結晶化した部分を見つめながら先ほどの父の言葉を思い返した。
〇
食事の最中、どうしても心に残っていた言葉を父に質問した。
「お父様、人生の礎とはなんでしょうか」
「……何故そんなことを聞く」
私の中で『人生の礎』という言葉の印象が強かったせいでそのまま伝えてしまったが一般的な言葉でもない。
脈絡のない質問の仕方に反省し、自身がなぜそのような質問をしたのか理由を伝える。
「友達になった子に言われたんです。人生の礎を見つけられたらいいね、と」
「友達……そうか」
父は少し表情を和らげた。
遠くを見つめて「人生の礎……ね」と小声でつぶやいて自分の世界へ入り込むような様子を見せる。
質問をした身として水を差すのも申し訳ないので粛々と返事を待った。
父は虚空を見つめていたがふと何か思い立ったようにすべてを見通すような透徹した瞳を私に向けて口を開いた。
「そうだな……そもそも人間が生きる意味とは何だと思う?」
「……そうですね。子を作り次代に遺伝子をつないでいくことでしょうか」
「そのように全体主義的に考えるのもいいだろう。実際、私の祖父母などの昔の人間はそう考える人間も多かった」
父はコップに手を伸ばして注がれていた水を飲んで喉を潤した。
「生きる意味は多くの人々が探し求める永遠の命題だ」
「永遠の命題ですか?」
「そうだ。そして人は自分の生きる意味を世間に求めると自分が大した存在ではないと自認して人生に絶望する」
……お父様は世間に対しても生きる意味がありそうですが。
なんてことを思うのは野暮だ。
語っている様子を見ていると父はあまり意識していなさそうに見える。父の生きる意味は別のところにあるのだろう。
「だから生きる意味を他人や世の中に求めるのではなく、自分の中から見出す必要がある。そういう意味ではないだろうか」
「えっと……」
「確かに抽象的で分かりづらいな。具体的にはそうだな……生きるための自分なりの哲学、自分の譲れないこと、将来の夢や目標、志といったことだ」
「健やかに生きるための活力になるようなことでしょうか……なんとなくは理解できました」
父は語るべきことは済んだようで水差しで注いでもらった水を飲みほした。
……私には無い。哲学も、将来の夢も。強いて挙げるとするなら与えられた責務だけだ。
自分はなんて矮小で中身のない人間なのだろう。自己嫌悪に浸りながら思索に耽る。
父が私を観察するように見守っているのが分かった。
自分の答えを見出すための参考にしようと考えて父に質問した。
「つかぬことをお伺いしますがお父様の人生の礎は何でしょうか」
私が尋ねると父は少しだけ逡巡するように瞑目した。
しかし答えを考えているような様子ではない。質問されることは予想していて自分の中である程度答えが決まっているが何か別の可能性を考えて話すことを躊躇っているようだ。
父はおもむろに口を開く。乾燥した口元の動きがやけに遅く見えた。
「愛する者に幸せになってもらうこと」
目を開くと瞳に湛えられるのは明確な悔恨と決意。激情をひた隠しにしているように瞳の奥で光が揺らめいている。
少しだけ狂気的な色を覗かせているような気がした。
不安になって父の瞳を注視したが、すぐにいつもの凪いだ瞳に戻る。もしかしたら私の気のせいだったのかもしれない。
「人から決められるものでも強制されるものでもない。好きな事、譲れないことを探すんだ。死ぬのが嫌になるほどやりたいことを見つけなさい」
「わたくしは……」
私が人生で譲れないことは才能を示して母の居場所を作り、父の心労を無くすことだ。
それは確かに私が生きている理由ではある。けれどアカネや父が言っていることとズレている自覚があった。
あくまでも生まれてきて発生した負債を返済する責務であるだけで私の欲望じゃない。
じゃあ、私が好きな事は――
「私は……」
私は何が好きなんだろう。
〇
結晶化した腕を見つめて生きる意味を問い続けた。
いくら考えても堂々巡り、行く末が杳として知れなくて迷子になったような切なさと心細さを感じる。
いくら考えても何も導き出せない。
だんだんと人生の礎など私には必要ないのではないかとさえ思えてきた。
責任さえ果たせれば、それでいいのではないか。
……じゃあ、責任を果たした後は?
脱力するように腕をベッドに転がすとグラビの通知音が聞こえて視界の端にアカネの名前が書かれている。
引きずるようにして身を起こしてメニューを開いた。
「お夕飯食べ終わったよー。これからログインするね! 歓迎会もスタンプラリーも楽しみだね!」
文字列だけでも元気いっぱいなのが分かって思わず笑ってしまう。
アカネに「ログインしているので部屋前の椅子に座って待っています」と返信した。メニューを閉じようとした瞬間すぐに返信が返ってきて、笑っている顔に見える意味を持たない記号の羅列が書かれていた。
……こんな表現方法もあるんだ。
友人関係が希薄であまりグラビのやり取りをしないからこのような表現があることを知らなかった。
記号で顔を表現する技術に感心しながら部屋を出る。
暗い色合いの家具と観葉植物が飾られた一見落ち着いた雰囲気の部屋。大した間隔もなく無数に並んでいる扉のせいで異質に感じる空間の中で中央に並べられている椅子に腰かける。
メニューを開いて技能を確認しながら暇をつぶして待っているとそれほど時間を置かずにアカネさんが扉から出てきた。
「ごっめん! 遅くなった!」
「別に遅くなってないよ。それより食堂に行こう?」
「うん! ……うん?」
アカネが背を丸めて顔を覗き込んできた。
急に見つめられるのがなんだか居心地悪くて目を逸らす。
「大丈夫?」
「……え?」
「なんか暗い顔してたから」
そんなに分かりやすかっただろうか。
私はポーカーフェイスだと自負していたからまだ出会って間もないアカネに気が付かれるとは思ってもみなかった。
アカネが特別鋭いのかもしれない。
私は強がって「別に何もありませんよ?」と告げる。
するとアカネは疑わし気な瞳を私に向けながら「ふーん」と言いつつ無理に聞き出すことはしなかった。
アカネは私の手を取って先導するように軽く引っ張る。
「まぁ何はともあれ暗い気分の時は面白いことを見つけて精一杯楽しむのが一番だよ」
朱色の髪に覆われた背中がとても頼もしく見えたけれど甘えてはいけないと自分を律して自ら隣に並び立つ。
階段を下りてロビーに降りると想定していた喧騒は全く聞こえてこなかった。ログアウトする前までは椅子に座って談笑している人達が多くいたが、今は人っ子一人いなくなっている。
どうやらみんな既に食堂の中へと集まっているようだ。
「アイヴィーさんから聞いたんだけどタイミングが合えば他のプレイヤーもいるんだって! 新しい友達出来るかなぁ」
「うぅ……私はあまり自信ない」
過去に道場で調子に乗って暴れ散らして同年代の子供たちから排斥された記憶が脳にこびりついて離れない。今考えると完全に私に非があるのだが当時の私は気持ちよく才能を振るっていた嫌な奴だった。
気持ちよく行動しているときほど後になって思い返すと碌な事じゃない。
過去の失敗に胃の辺りがキリキリとしてきて落ち着かなくなった。
「えー? キョウってボッチ?」
「ボッチじゃないし!」
「いや、ボッチで伝わるんかい」
女二人で姦しくやいのやいの言い合った。今まで誰かにこんなに感情を向けることなんてほとんど無かったら知らなかったけれど不思議な心地よさを感じる。
尻込みする私の様子を見て待っているといつまでたってもキリがないと思ったのか、私の心の準備が終わることなく躊躇なく扉が開かれた。
扉の隙間から光が漏れ出す。
「わぁ……!」
「すごいね!」
中は思いのほか広い。百人ほどいるように見える人数に対して余裕があった。
採光用の窓が多いからか照明のようなものが存在していないにも関わらず暖かな光であふれている。
正面にステージのようなものがあってまるで学校の体育館みたいだ。
左右の壁には食べ物の系統ごとに厨房と受け渡し場所が分かれているようだ。各スペースごとに看板が掲げられていて曾祖母の写真で少しだけ見たことがあるフードコートの風景に似ていた。
木製の長机が列をなすように並べられていて各々が食事を取りながら会話を楽しんでいる。中にはプレイヤーも多くいるようだ。
「キョウちゃん! アカネちゃん!」
食堂内部に視線を巡らせていると右からキアラさんの声が聞こえてきた。
視線を向けると青が基調の着物のような服で着飾り、大きな花の髪飾りを付けたキアラさんが手招きしていた。
カウンターを挟んで向こう側にいる。
「いらっしゃい! 私が受付なの」
キアラさんは手招きすると「ここに名前書いてね」と言いながら紙を指さしながら羽ペンを渡してきた。
「書くときは魔力を込めてね」
「はい」
右手に力を込めて指示に従って名前を記載する。
自分の他に書かれている名前を見てみると、面白い名前から普通の名前まで多岐に渡り眺めているだけでも面白い。
変わっている名前を見るとここは本当にゲームの世界なんだと再認識する。
「ありがとう! はい、じゃあこれ。参加者全員サービス」
私とアカネは現代社会の教科書で見たことがあるような紙チケットとカードを手渡される。
あまりの物珍しさに二人揃ってかざすように見ているとキアラさんがくつくつと洗う声が聞こえた。
「えっと、こっちの赤いカードが『食事券』でこっちの青いチケットは『花風特製プレゼント引換券』ね」
「食事券、プレゼント引換券ですか?」
「うん、そう」
キアラさんは赤いカードを取り出して説明をしてくれた。
「食事券はそのまんま食事と交換できる券だよ。両側の壁に系統分けして色んなご飯があるから食べたいご飯の場所でチケットを見せてね。制限はないから好きなだけ食べていいよ」
私とアカネはともに頷いて理解を示すとキアラさんはにっこりと笑って、次に青い紙チケットをひらりと取り出す。
「このチケットはクランメンバーの誰かの装備を譲ってもらえるチケット。勿論今の基礎ステータスで扱える範囲の物だけだけど」
「えぇ? そんな太っ腹……いいんですか?」
アカネが驚いたような声を上げるとキアラさんは手をひらひらとさせて問題ないというポーズを見せた。
「もちろん。そのためにいろいろ準備してるから遠慮なくふんだくってちょーだいな。けどメンバーによってもらえる装備の種類が違うから注意ね」
「装備の種類ですか?」
「例えば私が得意なことは戦闘。爪術主体で火魔術と風魔術を合わせる近~中距離タイプ。キョウちゃんの木の属性は被っていないし使う技術も刀術主体だから合ってないね。こういう相手には使わない方が良いよ」
「そうですか……」
どうせ貰うならキアラさんから譲り受けたかった私はがっくりと肩を落とした。
あまりにも露骨な姿を見せたためか二人に笑われて「まぁ、こればっかりは仕方ないよ」とアカネさんから慰められる。
「だから花風のメンバーにいっぱい話しかけてどんどんコミュニケーションを取ってどんな技能が得意か聞いて回ってね。勿論イベントをこなすために同じ流星の子たちとの交流も忘れずに!」
私とアカネはこくりとうなずく。
「イベント一緒に回るときに顔なじみがいた方がやりやすいからね」
「はい、いろいろとありがとうございます」
「ありがとう、キアラさん!」
「どーいたしまして! ほら、楽しんできてね!」