アカネはTENKYUストリーマー
近づいていくと集団の会話がより鮮明に聞こえるようになってくると、どうやら中心はアカネさんのようだった。
アカネさんの明るく飄々とした声と蓮っ葉な口調の女性の声が響いてくる。
私は会話に耳をそばだてながら近づいた。
「うわぁ、TENKYUストリーマーのアカネさん!?」
「おおっ! ずっと前からファンなんですよ俺!」
「えー? 特殊イベントでバズる前からのファン? ありがとね!」
「ははっバズるって、死語ですよその言葉! やっぱり結構おばさんなんですか?」
「あはは……何言ってんのー!? まだぴちぴちの15歳だけど?」
「15歳はぴちぴちなんて言わないんだよなぁ……」
……アカネさんはTENKYUストリーマーだったんだ。
TENKYUストリーマーはTENKYUのアバターを使って主に生配信をしたり動画を作成してアップロードしたりするエンターテイナーだ。
ゲームをプレイするところを配信したり、企画して面白いことをやってみたり、特技を披露してみたり。内容は様々だがTENKYUストリーマーという言葉はあまり動画を見ることがない私でさえ知るほどに社会に浸透していた。
しかしながら今の時代TENKYUストリーマーはかなり飽和していて群雄割拠を極めていると聞いたことがある。動画を視聴する人口と時間に対して数が多すぎることで競合する上に、世の中には娯楽が溢れているからだ。
そんな環境の中でここまで熱心なファンがいるほどに驚いた。アカネさんはそこそこ名を馳せているらしい。
「良かったら一緒にイベントやりませんか!? 俺、今の段階で【基礎剣術】の習得度10超えてるんですよ!」
「うーん、ごめんねー。これから友達と先約があるからさー!」
「大丈夫ですって、その人と一緒で構いませんから。ちょうどこっちも二人ですし2対2って感じで」
「その子人見知りなんだよ。それにほら、そろそろ夕飯時だし現実に戻ってご飯食べないと」
「俺全然待ちますんで! 折角なんで友好結びましょうよ、いいでしょう!?」
アカネさんがやんわりと断っているにも関わらずあまりにもしつこい。
繰り広げられる光景に辟易としたのか周囲の人々が制止する声が聞こえ始めた。しかしながら暖簾に腕押し、馬の耳に念仏と言うべきか周囲の声の一切合切を無視して自分の主張をオウムのように繰り返している。
絡まれてしまったのは私が遅かったせいだ。早く声をかけた方が良いだろう。
人だかりをかき分けてアカネさんのもとへ向かう。膝まで届く朱色の髪を目印にして進んでいくと突如として空間が出来た。
勢い余ってたたらを踏む。
どうやら周囲の人々はアカネさん達から距離を取っていたようでぽっかりと空間が空いていた。
しつこく誘っていた人たちは二人組の女性だった。
背が低めのピンク髪ツインテールの女性と黒髪ロングヘアの楚々とした印象を抱かせる背が高めの女性だ。
急な私の登場にアカネさんは表情を明るくし、二人は目を瞬かせて困惑している様子が窺える。
私は友達であることを強調するためにあえて敬語を止めて話しかけた。
「ごめん時間かかっちゃった。待たせてごめんねー?」
アカネさんは急に始めた馴れ馴れしい話し方に一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐに意図を汲み取ってくれた。
「キョウ、大丈夫だよ! それよりちゃんと定着効果とれたー?」
「うん、しっかりとってきたよ。イベントやる前に一回クランに帰らない? 私めっちゃお腹減ってて」
大げさに戯けた演技をするとアカネさんは思わずと言った感じで噴き出して「キョウは相変わらずマイペースだなぁ」とまるで十年来の友を思わせるようなことを言いながらくつくつと笑った。
「この子お腹減ってるみたいだからごめんね? 配信準備できたらまた配信するねー」
周囲の人々は和やかな雰囲気で「次の配信も楽しみにしてるね」「アカネちゃん可愛かったなー」などと言いながら三々五々に散っていく。
しかしやはりというべきか、解散する雰囲気を打ち破るようにツインテールの女性が食って掛かった。
「いやいや、待ってください。せめて友好だけでも!」
「えー? 視聴者の方と友好結んじゃうのは私ダメだと思うけどなー。君も私が君じゃない視聴者の方と友好結んでたら嫌なんじゃない? ね?」
「それは……そいつはいいんですか!?」
「いやいや、キョウはもともと友達だし」
アカネさんは相手がリスナーであることに配慮してやんわりと断ると、今度は何故か矛先が私に向いて来た。
腹が立って仕方がなかった。私はこういう手合いが本当に好きじゃない。
他人を支配できる力がないからしがらみ故に下手に出るしかない相手の状況を利用して支配しようとする輩。
彼らの中では彼らの中でしか理解できない正義の持論が展開されていて、それ以外はすべて悪になる。そして良く分からない正義を善意をもって押し付けてくるのだ。
まるで叔父の腰巾着どもを見ているようだった。
自分の考えだけに拘泥しているこの手合いが世の中には多すぎる。自分の立場から見たことだけがすべて正しくて、他の立場から見えることを想像すらしない。
彼らの精神は幼く、世界が別の角度から見ると色が変わるようにできていることを知らないのだ。
現にアカネさんの事情なんて知ったことではないとでも言う様な行動をしている。本当に自分のことしか考えていないのだろう。
心に激情湧き出てくる。けれどその全てをピンク髪の彼女に対して抱いたわけではないし怒りをぶつけてしまったら八つ当たりでしかない。
いつものように心を切り分ける。理不尽に憤っている私を客観視して冷静さを保った。
「お前男だろ。アカネの彼氏か? キャラメイクなしにケラスでそんな可愛くなるわけねェもんな!」
蓮っ葉な言葉遣い、TENKYUのアバターから女性であると分かるアカネさんへ見せる執着心、アカネさんの恋人と妄想した相手への敵対心。私はむしろ彼女が女性だとは思えない。
穏便にやり過ごすために何も言うつもりはなかったが、彼女の発言はあまりにも自分自身を棚に上げているようで滑稽に思えた。
湧いてくる怒りとちょっとした嗜虐心を抑えながら頬に手を当てる。
「わたくしはあなた様に自己紹介を求めた覚えはありませんよ」
「ッ! テメェ!」
つい漏らした言葉が図星を突くものだったせいかピンク色のツインテールの女性が激昂した表情を見せ、私に掴みかかろうとしてきた。
……えぇ。暴力振るおうとするほど怒るんだ。言いすぎちゃったかな。
怒りに我を忘れ、衆人環視の中で暴行を振るおうとする様に虚を突かれる。少しだけ素直さが眩しくて羨ましい。
けれど掴もうとする動きはあまりにも緩慢で直線的だった。この程度ならどうとでもできる。
胸倉を掴んできた右腕の手首を右手で掴み取り、左手を肘のあたりに添えて引きはがして地面に打ち倒す。
思った以上に抵抗が無く拍子抜けだ。
受け身を取ることを想定していたがどうやらなんの心得も持ち合わせていないようで受け身も取れずに顔面から地面に倒れ伏した。ちょうどいいのでこのまま手首の関節を思い切り極める。
「続けますか?」
「くっ、離せ! ぶっ〇してやる!」
現実ほどの痛みは感じていないらしい。関節を極めているのに彼女の表情には幾分か余裕を感じる。
この状況でも威勢のいいことを言えるあたり生殺与奪が私に握られていることに気が付いていないのか、とどめを刺されるとは思っていないのか、それでもいいと思っているのか。私には判別することができなかった。
……ここからどうしましょう。
敵が一人ではない以上早々にとどめを刺してしまうべきだが過剰な気がして気が進まなかった。
黒髪の女性はこちらの様子を伺っているだけで襲い掛かってくる素振りを見せていない。怖気づいているようで私が視線を向けると震えあがった。
警戒を怠らず彼女が襲い掛かってきても二対一にならないように腕を極めながら肩に足をかけていつでも踏み抜けるようにする。
急な出来事に驚愕して惚けていたアカネさんが我に返って「ストップ、ストーップ! 喧嘩はダメだよ!」と言いながら制止をかけてきた。私と黒髪ロングの女性との間に割って入る。
アカネさんが一人抑えてくれるのであれば開放するのもやぶさかではない。
「そこで何をしているんだ!」
力を緩めようとすると雷のような声が響き渡った。
視線を向けると高価そうな重鎧を着こんだ男性がこちらに近づいてきているのが見える。重厚な金属を打ち合わせるような音があたりに響いた。後ろに同じような意匠の鎧を着た三人の騎士を引き連れている。
風体といいタイミングといい警邏隊のような感じがしてすぐに極めていた手を離す。
「都市内での暴力は正当防衛以外禁止されている。」
「どうか釈明させていただけませんでしょうか」
リーダーと思しき男性の猛禽類を思わせる鋭いブラウンの瞳に視線を合わせて発言する。厳めしい顔が私に向けられた。
いかにも武人と言った風体でかなり体格がいい。おそらく身長は180センチではきかない巨躯に鎧の大きさから鍛え上げられていることが分かる重厚な筋肉。
そして私の身の丈ほどの大剣を背負っていた。
……結構強そうだな。
強さを図るまでもなく自然と強者の風格を感じさせた。おそらく存在格もキアラさんに迫るのではないだろうか。
戦ったらかなりの苦戦を強いられそうだ。
警戒して身構えながら戦力を図っていると、「いいや、必要ない」と言って釈明の機会を絶たれた。
まずい状況かもしれないと周囲を窺っていると大柄な男性は鋭い目を柔らかく細めて苦笑した。
「そんなに怖がることはない。これでどちらが問題を起こしたか分かるからだ」
そう言ってメニューから天秤を取り出した。
「これは『正義の天秤』という直近で得た悪業がどちらの方が多いかを図る魔術具だ。この道具を使うことでどちらに非があったか分かるようになっている」
「正義の天秤……?」
一瞬かつてチュートリアルでエステルが持っていたものを想起させて身構えてしまう。しかしながらあの時に感じさせた神秘的な装飾もなくおどろおどろしさも感じない。
別物だと思い直して彼の指示に従うことにした。
「どのように使えばよろしいですか?」
「まずこれに力を込めて光輝力を注ぎなさい。君もだ」
小さな透明なビー玉のようなものを渡される指示に従って少しだけ力を込めると少しだけ視界が緑色に染まり、ビー玉が淡い光を放ち始めた。
ビー玉を渡すと「はかりに乗せるように」と指示されたので零れ落ちないように慎重に乗せる。
「はかりが偏った方が直近でより多くの悪属性を得た方だ」
ピンク髪の彼女が私を睨みながら淡く光るビー玉をはかりの上に乗せた。
すると明白にこちらの方が重いですと言わんばかりにピンク髪の彼女の方のはかりがすとんと下がった。
本当に自分が悪くないと思っていたのか彼女は顔面を蒼白にして震えあがった。そして騎士の方々に媚びるような表情を見せる。
「連れて行きなさい」
「違う、違うんです! 俺、私は悪くないんですよ。あの人が一方的に暴力を振ってきたんです!」
「その話はギルドで聞こうか。ついてきなさい」
「ま、待って、そんな、楽しくゲームやってただけじゃないか!」
ピンク髪の彼女は騎士の人たちに両脇を固められながら「おい、そいつ男だろ!」「彼氏だろ!」「あーあ、やっちゃったな! コレ炎上だからな!」と最後まで喚き散らしながら連れていかれた。
「あの……ホントすいませんでした」
黒髪ロングの彼女はこちらに目を合わせず身を縮こまらせてへこへこと平謝りしてそそくさと去っていく。
あの人達はどんな結末を妄想して何を求めていたのだろうか。
リーダーの人はやり切った顔をしながら汗をぬぐう様な素振りをすると、先ほどまでの四角四面な印象とは打って変わって爽やかで人好きしそうな笑みを浮かべた。
「挨拶が遅れたね。私はジャスティン。普段はエストワールギルドのギルド長をしている」
「エストワールですか?」
「あぁ、主にボルボロスを狩ることを目的にしている集団をまとめるギルドなのだが……。君は流星でスタンプラリーの最中だろう?」
ボルボロスの名前が出てきてやはり存在しているのだと憂鬱になっていると、ジャスティンさんはメニューを漁りだしてカードのようなものを差し出した。
何故かジャスティンさんが上半身裸で過去に流行した戦隊物の映像作品を思わせるポーズを決めている写真だった。白い歯をきらりと輝かせてさわやかな笑みを浮かべているが全然中和できていない。
突発的に見せられたむくつけき男の肉体にむさくるしさを覚えて思わず顔をしかめる。
裏面はどうなっているのだろうと捲ってみると身長や体重など、公表できる限りのパーソナルデータがびっしりと書かれていた。
……いや、いらない。捨てるにも困るよ。
「それは私のプロフィールカードだ。もし君がエストワールギルドに来るときはそれを見せなさい。その時にいろいろ話そう」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
見せると何か得なことがあるのだろうか。半信半疑で「収納」と唱えてアイテム欄にしまった。
「では、また会う日を楽しみにしているよ」
それだけ言い残すと歯をきらりと輝かせて笑いながら去っていった。
いつの間にかばらけ始めていた周囲の人だかりが完全になくなっている。何も悪いことをしていなくても警察官が来ると落ち着かなくなる心理が働いたのだろうか。巻き込まれたくないと感じる事なかれ感のせいかもしれない。
「なんだか嵐のようでしたね」
「うん……とりあえず一度クランに戻ろうか? 夕飯食べて戻ってくるくらいがちょうどゲーム時間の昼食ほどの時間になるだろうし」
「そうですね。実はお腹が空いているのは本当なんです」
茶目っ気たっぷりにおどけて言うと「マイペースだなぁ」と仕方なさそうに、それでいて楽しそうに笑った。