風花鳥フィルフィーア
「こんな素晴らしい景色がこの世界にはあるのですね……」
キアラさんが涙ぐましく抗議活動を続けていることを尻目に、思わず眼の前の景色に圧倒されて声を漏らしてしまった。
一人で呆然と立ち尽くしていると二人が私を挟むように並び立って三人で同じ景色を共有する。
不思議としばらく誰も声を出さなかった。
「キレイだねぇ」
「はい」
しみじみというキアラさんの言葉に反応して無意識に同意する。
私はこんなに美しい光景をこの目で見たことがない。もちろんゲームのキャラクターを作っていた時の風景もまたそれはもう綺麗だったが私は今見ているこの景色の方に心奪われた。
何故ここまで込み上げてくる感情が違うのだろう。
落ち着いている性質な世界よりも色とりどりで華やかな明るい世界の方が私は好きなのかもしれない。
景色に浸って自分の世界に入り込んでいるとアリオスさんが優しい声色で私を諭した。
「綺麗だがここはここで厄介な場所だ」
「そうなのですか? あの虫型のモンスターが強いのでしょうか」
「虫型のモンスターではない。向こうの丘にある背の高い花が咲いている花畑が見えるか?」
アリオスさんの指さす方向に視線を向けると小高い丘があり、丘を覆うようにヒマワリのような背の高い花が咲き乱れていた。
ここから視認できる範囲だと全体を見ることが出来ず、どれだけの範囲があの花畑で覆いつくされているのか見当がつかない。
「あの花は『シャンジュ』と呼ばれる花だ。あの花畑の中に鳥型のモンスターが巣を作っている」
そこまで説明されると記憶の中に引っかかるものがあった。
何とか記憶を絞り出そうと頭を捻らせていると昨日の食卓の中での話を思い出した。
「あぁ! 風花鳥というモンスターですか? キアラさんが相性悪いと言っていた?」
「ただずっと空飛びまわるし風属性だからあたしの熱風が散らされるから面倒だなってだけ! 格下だし勝てるからね!」
キアラさんがむきになって反論する。
やはり苦手に思っているモンスターのようだ。
飛び回るということは遠距離攻撃が大事なんだと思う。キアラさんにはあまり攻撃手段がないのかもしれない。
……そういえばキアラさんとアリオスさんの存在格っていくつなんだろう。
何故だか意識の埒外に置かれていて考えたこともなかった。
特にキアラさんは都市でも三本の指に入るとアリオスさんが言っていたし高い部類に入るのだと思う。
それだけ強い人がいるのなら接敵しても少しは安心できる。少なくとも一人で洞窟の中で過ごしていた時よりもいい。
一度でも死んでしまったら元も子もないので慎重に警戒しなければならないことに変わりはないが一人でいた時よりも精神的に気が楽だった。
「フィルフィーアは羽毛が分厚いせいで暑さが苦手だ。涼しくなる夜にならないと活動しないからシャンジュの花畑にさえ入らなければ大丈夫だ」
モンスターのお話が出来て少しだけ満足げにすると、すぐに無表情に戻り「陣形は同じだキアラ、キョウ、私の順でいこう」と告げた。
アリオスさんは私の身の丈ほどもある大きな杖を掲げると魔術の幾何学模様が展開される。
魔術【風属性補助・空気選択遮断結界】
何やら魔術を唱え始めた。
記憶保持で使用したわけでもなく、私が使う魔術よりも複雑な幾何学模様のためか詠唱に少し時間を要する。
幾何学模様のすべてが光るとさらに光を放ち、黄緑色の光が三人を包んだ。
私の周囲を風が包んでいるような感覚がする。
体に飛び込んできた緑の光に動揺していると「花粉を吸い込みすぎると状態異常になる。予防のための魔術だ。花畑を抜けるまでは持つように術式を組んでいるから安心していい」と丁寧に説明してくれた。
「念のためもう少しルミエール溜めてから行きたかったなぁ。けどまぁ仕方ないか」
キアラさんが何やらぼやきながら花畑の中に躊躇なく足を踏み入れていく。綺麗な花々を堂々と踏みにじっていった。花を愛でているのが映える可憐な容姿とはかけ離れた光景だった。
思いがけない行動に驚愕しているとアリオスさんに背を押されて急かされる。
掻き分けて行こうにも足首ほどの高さで隙間なく群生しているため踏まずに進むことは難しい。可哀そうだが仕方がないので、ええいままよと踏み込んだ。
「……あれ?」
地面を踏みしめると意外と何かをつぶすような感覚が襲ってこない。不思議に思って足をどけてみるとおきあがりこぼしのように花が起き上がってくる。
「どうしたんだ?」
「いえ、お花を踏んでしまうとつぶれてしまうのではないかと思ったのですが……」
「『イリア』の花は人間が踏んだくらいでは潰れないぞ」
このゲームの世界はこんな可憐なお花も逞しい。
……それを先に言ってほしかったです。
〇
花畑の中を警戒しながら進んでいく。
順調ではあるのだが不可解だった。
道中の出会った最初の数匹だけは普通のモンスターと同じように襲ってきたが、進むにつれてこちらの存在を不自然に無視するようになっていった。
無視される分にはいちいち戦闘にならなくてありがたいのだが、こうも何もないと不気味に感じてしまって不安だ。
「ここのモンスターは攻撃してこないのですね」
「あぁ。イリアの花の蜜に鎮静作用があって吸ったモンスターは攻撃性が弱まるようだ」
「へぇ……そのような理由があったのですね。ありがとうございます」
どうやら襲ってこないことにも理由があったようだ。
けれど蜜が鎮静作用を持つのは何故だろう。気になってしまって思索に耽りながらもどんどん歩みを進めていく。
歩くだけで黄色い花粉が舞いあがる。量が尋常ではない。
イリアの花は花弁に模様があり、色も多種多様で虫媒花のような特徴なのに風媒花のように花粉の量が余りにも多い。
目を細めて観察するとめしべに該当する部分は無くすべてがおしべのように見えた。
視線を前に戻すと青色の大きな蝶が眼の前を踊るように横切る。
最初は50センチ程もある大きさ故に身構えてしまったがきらきらとした青白い粉を撒きながら羽ばたく姿は神秘的だ。
思わず手を差し出すと青白い粉は少し冷たくて、ひと肌に溶けるように消えた。まるで雪のようだ。
やはり植物もモンスターもファンタジーだった。
「……やけに冷雪蝶が多いな」
「やっぱアリオスもそう思う? 嫌な予感がするなぁあたし」
蝶と戯れる呑気な私と違って二人は何やら不穏な話をし始めた。フレーテというのはこの青白い蝶だろうか。
確かに周囲を見回すとあちらこちらに見境なく飛んでいて明らかに他のモンスターよりも比率が多いことが一目でわかる。
「……普段はこんなにいないのですか?」
「うん、いることにはいるけどこんなに飛んでないはずなんだよ」
周囲の気温が低下してきた気がする。
目の前の青白い群れの光景が青白い粉を撒きながら縦横無尽に飛び回る。
ゲームの仕様上、別段極端に肌寒さを感じているわけではないが私が感じている以上に周囲の気温が低下していることをありありと伝えてきた。
「数匹なら大したことないんだけどこれだけの数がいるってことは気温が下がるってことでさ。気温が低くなるってことは活動しだす奴がいるってことなんだよね」
魔術【召喚・アイテム『灰の手甲』】
キアラさんは魔術を使って武器を召喚した。
私も倣って
「陰廻龍の権能・左肩」
とつぶやき触手を生やす。そして星喰みの鞘に収まった刀に手をかけた。
風が鳴いている。
衝撃があれば破裂してしまいそうな張り詰めた空気の中で息遣いだけが聞こえてきて、次第に風が鳴く音が大きくなっていく。
「上だ!」
アリオスさんの声に一拍おいて小型の竜巻のようなものが吹き荒れた。フレーテの群れの一部が竜巻に巻き込まれて風の渦に閉じ込められる。
そして空から何かが不時着するように落ちてきた。
鳥のようなモンスターだった。体高だけでも3メートル程もありそうな鳥にあるまじき巨体だ。
全身が白色でまるで綿のようにもこもことしていて、なぜこんな生き物が飛行することが出来るのかと不思議に感じてしまう。あまりにも飛ぶことを考えていないようなフォルムで空気抵抗が凄そうだ。
嘴はまるでペリカンのように大きく袋の形状をしていて、綿のような羽毛に半ば隠れた脚部は恐竜のようだ。
このモンスターがフィルフィーアだろう。
「やっぱり来たね! 何体いる?」
「一体だけのようだ」
「ならやっちゃおうか! アリオスはいつものルミエール増加補助をお願い」
「分かった。キアラはいつも通り前衛を頼む。キョウは私の後ろに下がりなさい」
段取りを指示するとアリオスさんは私の身の丈ほどもある杖を掲げて幾何学模様を生み出した。模様が複雑ですべての模様に光るまで少しかかりそうだ。
フィルフィーアは標的を我々ではなく渦に閉じ込めたフレーテを丸呑みにしようとしていた。
アリオスさんはそれを確認して詠唱する時間があると踏んだようだった。
「わたくしにも手伝わせてください」
「いや、しかし……」
「決して足は引っ張りません!」
アリオスさんが心配そうな瞳を向けてくるがじっと見つめて一歩も引かない。
いたたまれなくなったのか眉を八の字にした。
「アリオス、大丈夫だよ」
「キアラ」
「キョウちゃんはこんな鳥に後れを取るような子じゃない。それに今はあたしだってアリオスだっているんだから」
「そうです! お二人がいます」
一歩も引かないことが分かったのかアリオスさんは呆れたように首を振り「好きにしなさい。万が一何かあっても完全に回復するから気楽にやるといい」とだけ言い残して魔術を発動した。
魔術【木属性補助・輝きの大樹】
地面から光り輝く芽が生えたと思うと立ちどころに成長し輝く葉を持つ大樹が生み出された。アリオスさんが太い木の枝に立っている。
あまりのファンタジーに脳の処理が追いつかなくなってぽかんと惚けて上を見上げてしまった。
「キョウ、油断するな。来るぞ!」
我に返って刀に手をかける。
ちょうどフィルフィーアが喉を鳴らして捕えたフレーテを飲み込んだのが見えた。
翼を大きく広げ、思わず耳を塞ぎたくなるほどの劈くような咆哮をあげる。まるで新しい餌がやってきたことを喜んでいるようだ。
その大きな口を全開にして私のことを丸呑みにしてやろうと襲い掛かってきた。