どんなゲームなんですか?
一条家は普通の家ではない。
お父様は類まれな先見の明を持ち若くしてメタバース空間TENKYUを普及させ、いまでもその勢いはとどまることを知らない。
上のお兄様はその圧倒的なカリスマ性で議員をしている。若手のイケメン議員として有名だ。
下のお兄様は類まれな思考力と考察力を生かして脳科学の研究をしている。お兄様の研究がBMI技術の発展に貢献したとか。
お姉様は信用できる人間を見抜く才能があって、その才能を生かしてお父様の秘書をしている。お父様は大変重宝しているらしい。
他の親戚一同も一条家の血を引いているのであれば知る限り何かしらの分野で活躍している。
一条家の血を引くものは何らかの分野で一廉ともいえる人物になる才能を持つ。
才能を生かして社会に貢献してきた家柄。
昔は「日ノ本に一条の光あり」なんて言われて巷間に名を知らしめていたらしいが時代の変遷とともに個人が尊ばれる時代になり家柄という認識が薄れて今ではあまり呼ばれなくなった。
今では古い人だけが使っている知る人ぞ知るという言葉だ。一般世間の認識は「なんか一条って人多くね?」くらいが関の山だろう。
……でもそんな栄えある一条家にも例外はある。
昔の私は自分のために、母のために色々な習い事をした。どれかの才能があることを願いながら気が狂ったように。
私を生んだ、生んでしまった母親の一条家における立ち位置が不安定だったから。一条家のものである証拠として一廉の人物になれるだけの才能が欲しかった。
勉強もスポーツも例外なく一通りやった。楽器の演奏も絵画も茶道や華道もやった。しかしながらその全てがそこそこという評価止まりで一条家にふさわしい才能はなかった。
何度も挫けそうになる中で見出した、些か問題のある一つの才能を除いて。
〇
決意を新たにした私はふんすと鼻息荒く意気揚々と自室に向かおうとしたところ父に止められた。どうやらVR機器を導入する時間が欲しいらしい。
父の書斎にある応接セットのふかふかな椅子に腰かけてその時を待つ。少し落ち着かないけれど腰掛けることが出来る機会なんてそうそう無くて密かに憧れていたから新鮮でうれしい。
父曰く、完全没入型のVR機器はどこの家庭にもある電脳ベッドに接続する形で使用するらしい。
……そういえば電脳ベッドが発表された時もひいおばあさまが騒いでいたってお父様が言っていたな。
曾祖母曰く、昔のベッドは組み立てた木枠にマットレスをのせて布団をかぶせただけだったと聞いた。
私は物心ついたころからすでに電脳ベッドが存在していたからあまり違和感なんてものはないけれど、昔の人からしたらかなり違和感があったんじゃないだろうか。
木枠ということは脳波を測定して睡眠の質をサポートしてくれる機能はなかっただろう。脈拍を感知して寝ている間に健康状態を把握してくれることもなかったははずだし、尿意を感知する機能もなかったはずだ。寝ている体勢の快不快を判断して体に沿わせてマットレスを変形させる機能も存在しないことになる。
過去に存在したといわれる『木枠のベッド』を想像して血の気が引いた。もしもタイムマシンが開発されて過去の世界に時間旅行できるとしても、昔のベッドで眠れないことを理由に辞退するだろう。
……いや、そういえば昨日普通に机で寝てた。
自分自身の知りえなかった図太い一面に戦慄しつつも「いざとなればどこででも寝られるわ、私」と意味のない自信を抱きつつ得意げになった。
くだらないことを考えている間にも父と私の間に会話はなく、なんとなく気まずくなった私はもじもじと身をよじって父に話題を振ろうと考えた。何か共通の話題はあるだろうか。
うんうんと呻吟して話題を絞り出し、父にゲームの話を振った。
「そういえば、そのコーナーストーンオブライフ? はどんなゲームなのでしょうか」
「The Cornerstone of Lifeだ。TCoLと略される」
「そう、それです」
うろ覚えのタイトルを呆れた目をしながら訂正した。父はいつの間にか用意されていたティーカップを手に取ってコーヒーを飲むと一瞬視線を上に逸らしたのちに口を開く。
「いわゆるMMORPGというタイプのゲームだ」
「えむえむおー……?」
あまりにも字面が想定できずに一団結の掛け声のようなイントネーションで父の言葉を復唱する。
なんの略だろう。GがGameだということは何となくわかるのだがそれ以外が皆目見当もつかない。
小首をかしげ、頭上に大量のはてなマークをうかべて困惑する。
「Massively Multiplayer Online Role-Playing Gameの略でMMORPGだ」
「えーっと、大人数のプレイヤーが役を演じながらゲームをするって感じでしょうか。演劇みたいな」
「まぁ……その認識であながち間違いでもない」
なんだか返事がおざなりな気がした。自分の発言はズレていたんだろうと直感する。
父は私の顔を見つめて何やら思索に耽った。
おそらく無知蒙昧な私相手にどのような形でゲームのことを啓蒙しようかと試行錯誤している顔だ。
父にそこまでさせている無知を恥じて顔を赤くした。私の肌は赤くなるとすぐにばれてしまうから父にもきっとばれているだろう。さらにいたたまれなくなって身を縮こませる。
考えがまとまったのか私の状態に気が付かないふりをしてくれて会話を続けた。
「TCoLの特色はイベントに重きを置いている点だ。モンスターを狩ったりするよりもイベントの方がより多くの経験値が得られるように設計されている。プレイヤーはイベントをどれだけうまくこなしていけるかがカギになるだろう」
「……はぁ、イベント」
「まぁ、やって行くうちに覚えていくだろう。とにかくイベントが大事だということを覚えてさえすればいい」
父はIRを操作する素振りを見せて椅子から立ち上がると「そろそろ準備ができたようだ」と告げて、ついてくるように促した。
生後間もないカルガモのひなのように父の大きな背中の後を追う。ずっと気になっていた頼まれごとの開始日時について尋ねた。
「ちなみにいつからサービス開始なのでしょうか」
「TENKYUはすでに一か月前にサービスを開始している。TCoLは先ほどサービスを開始した」
「え? もう始まっているのですか?」
驚愕の事実に身が硬直した。意気揚々と進めていた足を止める。
「正確に言うとチュートリアルだけはサービス開始前から行えた。多くのプレイヤーは一月前からチュートリアルを行って自分のキャラクターを制作し終えていただろう」
「えぇ!? 盛大に出遅れているではありませんか!」
自分の置かれている状況が想像以上に良くない。
私よりもゲームに造詣が深い人たちがすでにゲームを始めていて大会の優勝を目指していると考えるとかなり絶望的な気がする。自分が考えていたよりもはるかに高い壁のようだった。
自分が大会で優勝できる可能性について考えていると、ひとつ考慮していなかった視点に気が付いた。いや、気づかないよう無意識に考えることを避けていたのかもしれない。
スポーツで考えると優勝の難易度は競技人口に依存する。
あくまでも例え話だが、サッカーで全国一位になるのとカバディで全国一位になるのはどちらの方が優勝しやすいだろうと聞かれたら多くの人がカバディの方と答えるだろう。分母が違うというのはライバルの数が違うのだから当たり前だ。
「……」
なんだか嫌な予感がした。
顔面を蒼白にし、寂れたロボットめいた動きで父の顔を見る。なんだか父は憐れんでいるような仕方のない子を見るような目でこちらを見ていた。
強い意志を持って現実から目を背けずに戦うことに決め、戦々恐々としながら尋ねる。
「ちなみに、ゲームをやっている人はどの程度いらっしゃるのでしょうか?」
どこか遠い目をしながら私を見て、
「……日本だけで数百万だ」
かなり濁した言い方をした。
私は現実と戦うための意志をポイと投げ出して現実から逃亡することに決めた。