キアラとアリオス
目が開くようになるとそこは草原だった。
あたりを見回すと空に現実世界の街並みが見えて、すぐそばにログハウスがある。どうやらTENKYUの箱庭に戻ってしまったようだ。
柔らかな風が頬を撫でて、白くてふわふわなおさげ髪が揺れる。
先ほどまで見ていた視界よりも下がっている。いつも見ている景色だった。
私は『キョウ』ではなくなっていた。
……ゲームオーバーになってしまったのでしょうか。
胸の中に何かが去来する。
それが期待に応えられなかった悲しさから来るものなのか、気に入っていたキャラクターが消えてしまった寂しさから来るのか、どちらか私には分からない。
涙が押し出されて喉元までせりあがってきてツンとした感覚が襲ってくる。
もっとうまく行動すればクリアできただろうか。
期待に応えられないどころか大会までゲームキャラを残すことすらできずに終えることになってしまうなんて父も想定していなかっただろう。
……いや、まだ終わってない。
一回ダメだったのならば再度キャラクターを作り直してやり直せばいい。
確かに優勝の可能性は遠のくかもしれないが決してゼロではない。少しずつ学んでキャラを成長させていって私の持つ戦いの技術で巻き返せばいい。要はどれだけキャラの手札を増やして、いかに性能を把握するかが重要になってくるのだから。
それにもう左手が使うことが出来ない状態だった。
あの状態から戻る術が存在しているのか否か分からないがそう簡単に戻ることもないと思う。
今回の経験を通してこのゲームは死んでしまう可能性が高そうだと学びを得ることもできた。
再生できないというリスクはかなり大きいと実感させられる結果だ。次のキャラクターを作るときは再生できなくなる性質は取得しないようにしよう。
たくさんの教訓が得られただけでも良かったと前向きに考える方が良い。何か胸に引っかかるものがあるのはきっと気のせいだと自分に嘘をついた。
気持ちを切り替えて立て直すとさっそくログハウスの中に入る。
キャラメイクをやり直すために地下室へ行き、扉を開けてゲームの選択を表示する。
そして「The Cornerstone of Life」を選択した。
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~キャラクター選択~
【①キョウ・レイオブライト】
このキャラクターは瀕死状態にあります。
状態:救出待機 待機時間:あと720秒
『ログ確認』 『意識の覗き窓』
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「瀕死状態?」
表示された言葉に虚を突かれた。何やら作ったキャラクターは消滅しておらず瀕死状態にあるらしい。文字通り死にかかってはいるがまだ死んでいない状態ということだろうか。
……まだゲームオーバーじゃないのでしょうか。
『ログ確認』に触れてみる。すると私が行っていた行動が箇条書きされていた。なかなか事細かに記載されるのだと感心しながら、結構無茶をしていたのだと気づいて苦笑した。
文字を追っていくと一番下にイベントが完了している旨が記されていた。
クリアできていたことだけが不幸中の幸いだったと安堵してイベントの結果を見ていると何かを入手していることが分かった。
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性質【陰廻龍の権能】
陰廻龍の試練を乗り越えたものの証。陰廻龍の力の一部を扱える。
〇触手を生やすことが出来るようになる。
〇魔石や輝石を食べることが出来るようになる。食べることによって上昇した満腹度に比例してルミエールを得る。
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『星喰みの鞘』
〇この鞘が納められる武器は刀にとどまらない。
〇この鞘に納めた武器を抜いてから一秒間の間、ダメージを与える代わりに魔石化判定を与え光輝力ダメージを与えるようになる。
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明らかにゼーゲンカルナと関連したような性質だ。
キャラクターを作り直してもこのイベントが発生するかと言われたら限りなく可能性は低いだろう。
イベントのおかげで入手できたのだろうと分かるけれど初期位置はランダムだった。もう一度狙って同じイベントは発生させられるのか疑問が残る。
性質やアイテムは強力ではあるように見えるけれど実際に使ってみなければ分からないというのが本音だ。性質の方は光輝開放の媒介にもできるようだし定着度が上昇しないという記載がないことから他の特異性質とは異なり通常の性質と同じ振る舞いをしそうだ。
英雄体質で減りやすい満腹度も補えるうえにルミエールも得られる良い性質だと思う。触手は分からないけれど。鞘の方も抜刀術とかなり相性がよさそうだ。
正直かなり心を惹かれる。
けれど性質やアイテムのことは考えてもしょうがない。
キャラクターを作り直すことも頭の隅で考えているから、もし作り直したとしたらイベント報酬の二つは消えて考える意味がなくなる。
次によく分からない『意識の覗き窓』というものを選択してみることにした。
字面と状況的に意識がない内に起きている状況を確認できるということだろうか。
ウィンドウに映像が表示された。
〇
二人の男女が顔をそろえてこちらを覗き込んでいる。
本来人間の耳があるべき場所に猫の耳が生えている黒髪ショートボブの女性と、翼のような耳が生えたベージュで長髪の男性だ。
二人の表情はとても悲痛だった。ネコミミの女性はこぼれんばかりの大きな青い瞳を涙で潤ませていて長髪の男性は険しい表情で眉間に皺を寄せている。
『意識をしっかり持って、魔石化だけはしちゃだめだよ! ちゃんと戻ってきて! 死んじゃったらその場から離れちゃだめだよ。絶対助けに行くからね!』
『右肩を見ろ。この子は印持ちのようだ。死んだら再生できない』
『ええ!? じゃあ死んじゃだめだよ、ちゃんと生きて! アリオス回復はやくぅ!』
『やかましい。やっているだろうが』
『ちゃんと生きなきゃだめなんだからね、絶対の絶対だよ! お話できるの楽しみにしてるからね』
『絶望など不幸ではなくありふれたもので生きることを諦めなければ必ず道は開ける。だから生き延びるんだ』
『そうだよ! 今がどんなに暗くてもあがいて生き続ければ人生を明るく照らしてくれる何かに出会えるはずだから、だから戻ってきて』
〇
その映像は意識のないキョウの視点で、キョウに向かって語られているのだと分かった。
もちろんこの二人と面識なんてない。
ゲームの中のお話で目の前の方々はAIなんだって分かっている。
けれど生を願われることが少なかった私にとって嬉しいことだった。胸に何か暖かいものが込み上げてくる。
苦しい。
胸が締め付けられるようだ。込み上げる感情に喉を焼かれてしまいそう。
「……生きていていい? 私が?」
虚空に放たれた私の独り言に答えるように表示に記されている状態が救出待機から救出済みに変化した。
待機時間の表示が意識回復可能時間に変わり、秒数が600秒に変わる。どうやら治療をしてくれたようだった。
ここまで生を願われて、救われておきながら私の都合で勝手に投げ出して良いものだろうか。ここまでしてもらったキャラクターを消して作り直してしまおうなんて考えるのはあまりにも薄情者で、非人道的なのではないだろうか。
このキャラクターが生きているのなら、本当はまだこのキャラクターで目標を達成したい。
どうせ死んでも復活できるからなんて考えながら目標に挑みたくなんてない。生ぬるい考えの中で達成した目標の先に私の示したい一条家に足る才能なんてないから。
このリスクをとったままで大会に挑み、特殊なイベントをこなさなければ入手できないと推測できる性質とアイテムを駆使して戦えば話題性だって上がるはずだ。メリットも大きい。
「人は困難を乗り越えてこそ輝く。そうですよね? お母様」
リスクをとる覚悟を決めて意識回復可能時間の秒数がゼロになるのを待った。
〇
ふわふわとした羽毛に包まれる感覚、大きく暖かな体、膝の裏にひと肌の感覚。なんだか大樹のような匂いがして心が安らぐ。幼い赤ん坊をあやすような上下の振動が心地よく眠りを誘うようだ。
誰かに背負われるなんていつ以来だろう。
最後に背負ってもらったのは幼稚園の時お父様に――
……うん?
一瞬心地よさに身を任せてしまったがゲームの中での最後の記憶は地面に倒れた状態だった。ならば背負われている感覚がするなんておかしい。
私はハッとして急に我に返った。
「いやぁ! おろしてくださいませ!」
「うおッ! うごごごごご!」
「わぁ! すとっぷすとーっぷ!」
動転して暴れだした私を女性が優しくなだめてくれる。よく見てみると箱庭から見たネコミミの女性だった。
現状を理解して青ざめる。暴れてしまった相手にその場で勢いよく膝をついて謝罪した。
「命の恩人に対して申し訳ありませんでした! 伏してお詫び申し上げます!」
「ちょちょいちょい! 落ち着いて、落ち着いて」
「私は別に怒っていない」
男性の意外にも柔らかい声が落ちてきた。
ネコミミの女性の腕が私の脇の下に入り込んできて無理やり立たせられる。私は母猫に咥えられた子猫のようになすがままになってしょぼくれた。
「誠に申し訳ありませんでした……」
「いいと言っている。そんなことより体の具合はどうだろうか。左手以外は何とかなったと思うが」
むっつりとした顔をしているがこれが彼のもともとの表情らしい。別段怒っているわけでは無いようだった。
ほっとしながら体を一通り動かしてみるが結晶化している左手以外に違和感はない。問題のない旨を伝えると彼は少し頬を綻ばせて「なによりだ」と言ってくれた。
「……遅ればせながら。初に御目文字つかまつります。……キョウ・れ、レイオブライトと申します。命を助けていただきましたこと心より御礼申し上げます」
「わぁ、めちゃ固い」
「私はアリオス。そんなに肩肘張る必要はない」
ベージュ色の長髪男性はアリオスさんというらしい。大きな翼を背中に持ち、人間の耳があるはずの位置に小さな翼のような形の耳が生えている。あまり表情は変わらず、彼のこげ茶色の切れ長な瞳は怜悧な印象が強い。
「あたしはキアラっ! よろしくね、キョウちゃん!」
黒髪ショートボブの彼女はキアラさん。
人間の耳が生えているはずの位置に猫のような耳が生えている。先に向けてグレーになっている耳がピコピコと空気を弾くように動いているのが現実の猫と同じで愛らしい。
真ん丸なアイスブルーの瞳を嬉しそうに細めて、同じく黒色の尻尾をぴんと立たせているのが見えた。
私の命の恩人の二人だ。
「あたしたちはキョウちゃんを探しに来たの。会えてよかった! ちゃんと都市まで送るからね!」
キアラさんはそう言ってこちらに手を差し出した。
戦える状態にはしてもらえたので平気だとは思うが先人がいるというのはなんとも心強い。
私は彼女の手を取った。
「ありがとうございます。お願い致します」