陰廻龍ゼーゲンカルナ
立ち込める霧の中に浮かぶ蛇のように長いシルエットを持つ巨躯。全長数十メートル近くはありそうだ。
背中から数十本もの太い管と、数多に伸びている細い管で洞窟の天井から宙吊りにされ時折逃れるように体をよじらせている。
細長い体には玉虫色の模様が体全体にあるようで霧の向こうにうっすらと鈍く光っているのが見えた。
少し霧が晴れてくる。
その存在は蛇ではなかった。
鱗の類は一切なく触れればブヨブヨとしていそうな質感の体表を持ち、幻想的な青白い光に照らされているにもかかわらず光沢のある漆黒にぬらぬらと光り輝いている。
目のような部位はなく、蛇ではなくどちらかというとミミズのように見えた。裂けているような大きな口には口から白い煙を吐き散らしている。
頭部には王冠を思わせる玉虫色に輝く巨大な角があり、ただの生物に収まらない存在であることを強く誇示しているかのようだった。
玉虫色の粘液が体表から零れ落ちると洞窟のそこに溜まる青白い光を放つ液体に触れ、互いに反応しあうようにじゅうと音を立てて気化した。これだけ離れているのに腐敗臭がする。
この存在がウィンドウに書かれていたゼーゲンカルナだろうか。
あまりの巨大さに到底戦って勝とうなんて思えない。
ゲームの世界の作られたモンスターだということが分かっているのにも関わらず、人間が出会っていい存在ではないと思わず感じさせるような存在感を放っていた。
呆然と眺めて圧倒されていると、先ほどよりも濃い霧が立ち込め始める。
ゼーゲンカルナが霧に覆われてそのシルエットのみが浮き出るのみになり、辺りが霧に包まれる。
ゼーゲンカルナのシルエットが首を擡げてこちらに向いた。
《精神力消耗判定》
《――失敗》
《精神力の最大値が一時的に減少します》
認識された。
視界の右が青くなって瞬間的に元に戻る。
ゼーゲンカルナが背中から新たな細い管が生えてこちらに向かって伸ばし始めた。
鋭利でも何でもない、むしろ柔らかそうな触手。それなのに獰猛な獣に牙を、得体の知れない殺人犯にナイフを向けられているような怖気が走る。
「ルカ!? 戻って!」
出ていたルカに呼びかけて、弾かれたようにその場を走り去る。
《技能【走行】を取得しました》
後ろを振り返るような時間はないし、振り返る必要も感じない。
直感的に追ってきていることだけが分かる。今は距離を離すことが大事だ。
性質【ちからづく】
魔術【霊獣召喚(戦闘)】
苦し紛れに【ちからづく】を発動しながらマネキンさんを召喚する。普通に召喚するよりも耐えてくれるだろう。
魔力を確認するために左手首を確認すると色が少し薄くなっている。先ほど精神力の最大値が減少したと書かれていた影響からか回復速度も遅い。体力はまだ余裕がある。
門の部屋まであと少しのところで背後で何か強い圧力を感じた。
とても嫌な予感がして、私は圧力から逃れるように飛び込みながら部屋に入った。
すさまじい轟音。
先ほどまで私がいた場所を玉虫色の奔流が迸り洞窟の壁を破壊した。通過した場所にきらきらとした粒子が残る。着弾地点は大きくえぐれて結晶化していた。
何事かと立ち上がり距離をとりながら通ってきた道の方向へ眼を向ける。
道の奥から音もなく浮遊するミミズのような存在がぬるりと顔を出した。
漆黒の体、螺鈿色の模様。ゼーゲンカルナとの共通項が多くみられるが、大地を踏みしめるには不向きな手足のようなものが生えていて王冠に似た角はない。全長は3メートルほどだろうか。今まで見たモンスターの中でゼーゲンカルナに次いで大きい。
モンスターは玉虫色の粘液を垂れ流しながら結晶化した人型の何かを貪っている。おそらく召喚魔術で作り出したマネキンさんだろう。さっきの玉虫色の奔流に巻き込まれれば結晶化していたのは私だったに違いない。
体は硬くはなさそうに見えるが相手は浮遊していて魔術を放つ。その上、体の構造が分かりづらい。
ゲームシステム上でどのようになっているか分からないが私にとってかなりの強敵とみて間違いないだろう。
【二等光輝開放『英雄体質』】
温存していたルミエールを使って光輝開放を行う。媒介にする性質は英雄体質。筋力をあげれば足も早くなるのはライゼン団長がそうなっていたことからも分かる。
あくまでも目的は逃走。
戦って勝てるかではなく新手の心配をしていた。
このモンスターがゼーゲンカルナと関わりがあるのは明らかだ。こちらに伸びてきていた触手から生み出されたか、あるいは触手自体か。
いずれにしてもここではゼーゲンカルナと距離が近すぎる。
今は一体だけのようだが増えない確証もないだろうし、形勢不利とみて新たにモンスターを増やしてくる可能性もある。
魔術【霊獣召喚(戦闘)】
再度マネキンさんを召喚して囮にすることを選択した。モンスターはマネキンさんに気を取られて玉虫色の光を口元に纏っていた。
モンスターの動向に注意を払いながら選ばなかった方の道に入って先を急ぐ。
背後から破壊音が響いた。
〇
どうやらあのモンスターはあまり速くないらしい。しばらく走っていても追いついてくる気配がなかった。
少し気が抜けて体力を回復させながら先を急ぐ。
上に昇っていくにつれてだんだんと現れるモンスターが比較的弱くなっていっているようで、戦闘も深刻なほどは時間がかからない。
落ち着いてモンスターを狩りながらルミエールをためていく。
しかし姿が見えないのに逃げ切れている気がしない。単なる勘で外れるといいのだがこのままでは終わらない予感があった。
やがて結晶で覆われている開けた空間に出た。
上り坂になっていて結晶はまるで鏡のように光を反射して私の姿を写している。
登っていくにつれてあまりにも静かなことに気が付いた。なんだかだんだんと嫌な予感がしてきてこの先へと進みたくなくなってくる。
こんな時ほど勘は良く当たる。
嫌な予感は的中した。
坂を上り切るとゼーゲンカルナのようなモンスターが目に飛び込んできた。進むべき道を塞ぐように存在している。
どのようにしたかは分からないが先回りしていたらしい。ミミズのような見た目のわりに逃げるならこの道を通ると予測しているあたり頭が良いようだ。
この道の先に行くならば戦うしかないだろう。おかげで体力も魔力も回復しているし、ルミエールの量も悪くない。
精神力の最大値が削れているくらいで他の数値も大きく削れていない。
戦うのであれば絶好のタイミングだろう。覚悟を決めて刀に手をかけて構える。
「押し通らせてもらいますよ」
最初に動いたのはモンスターの方。大きく尾を鞭のようにしならせて薙ぎ払ってくる。少し大げさに躱した。
そしてカメレオンのようなあまりにも長い舌を鞭のようにして攻撃してくる。
何が飛んでくるか分からない。
少しでも攻撃方法を観察して戦いを有利に進めるべきだ。幸い周囲にモンスターの気配はない。多少この一体に時間をかけても大丈夫だろう。
口元に玉虫色の光が集まり始めた。
私は一瞬だけ鯉口を切ったが思い止まって様子を見る選択をする。
放たれる玉虫色の奔流に備えてモンスターの周囲を走り回る。
走り回る私めがけて玉虫色の奔流を放ってきた。
鏡のような結晶を破壊するのもお構いなしに放っているが周囲を走るだけで回避できる。それにモンスターの近くがかなり隙だらけだ。
モンスターの懐に入り込み鯉口を切って鞘を捌き刀身を抜く。
切っ先で体を捉えて切りつけた。それなりに硬いが切れないほどではない。
モンスターは奇声をあげながら虹色の煙を噴き出した。身をくねらせながら私から距離をとると尾を薙ぎ払って攻撃してくる。
その攻撃はさっき見た。もう行動の起こりの微細な体の動きさえ読み取れる。
最小限の動きで躱して体を切りつける。
私に姿が見えている状態でこのまま攻撃をしても埒が明かないと思ったのか口から白い煙を吐き出した。
周囲に霧が立ち込めて視界が悪くなる。
霧に紛れるようにその巨体が消えた。
感覚を研ぎ澄まして気配を探る。
音もない。かなり高度に気配が消されている。
何かが放たれる気配がしてその場から大きく飛び退くと私がいた地面が大きく弾けた。まるで未来の私の姿だと突きつけられているようだ。
ふと霧の中に視線を向けると玉虫色のオーラをまとっている存在が見える。
着地の瞬間を狙われて一瞬のうちに突進してきた。
左半身を脱力して力を逃がし右足で地面を思い切り蹴って躱そうとするが突進の衝撃を少し受けてしまった。
体が大きく弾かれて地面に叩きつけられる。とっさに受け身をとるがダメージは避けられない。
視界上部が赤く染まった。
正確無比な受け身を取っているにも関わらず一撃がかなり重い。まともに攻撃を受けていないのにあと二撃でももらえば生命力が完全に失われるだろうダメージだ。
警戒しながら打開策を考える。
今までの経験上モンスターには必ず柔らかい部分と硬い部分がある。硬い部分があると帳尻を合わせるように必ずどこかが柔らかい。
体は見た目に反して全体的に意外と硬かった。
舌や体の内部はどうだろうか。試してみる価値はあるだろう。
味を占めたのかモンスターが再び霧を吐いて姿を消す。しかしそれは位置関係的に問題ない。今の私の位置は壁際だ。
他の攻撃ならまだしも霧に紛れて行ってくる攻撃ならば位置が絞り込める分やりやすい。
案の定目の前に出現するしかなくなって次善策を講じるように尾を振り回して攻撃してきた。軌道が読みやすい上に力の流れも読み取れる。最低限の動きで躱して刀を振り、尾を切り裂く。
ひたすら受けに回ってモンスターが舌の攻撃をしてくるチャンスを待つが、舌を使った攻撃をなかなかしてこない。
ある可能性を見出して納刀してみた。
すると尾の攻撃やタックル、霧の攻撃、玉虫色の奔流の攻撃パターンのほかに舌を使った攻撃が混ざり始めた。
やはり斬撃系の武器を抜いていると警戒して行ってこないようだ。
舌の攻撃はかなり早い。納刀している状態から捉えるのはかなり至難の業だろう。
けれど私はこの状況に最適な、納刀している状態で放てる最速の抜刀術を知っている。あれだけ体の動かし方を体感して私が模倣できないはずなんてない。
そしてついに舌を使った攻撃をしてきた。
記憶の中にある通りに鞘を捌いて刀身を抜いた。
「神閃……なんちゃって」
刀はモンスターの舌を捉えて引き裂く。
やはり舌まで皮膚のように硬いということはないらしい。大きくひるんだ隙を狙って切り裂いた部分に畳みかけて切り飛ばした。
虹色の煙を口から絶えず吐きながらも絶命していない。今まで出会ったモンスターの中でも相当タフだ。しかし出血がひどくもう浮遊できないらしい。
物理法則を無視している挙動をしていたのでどのように浮いているのだろうと思っていたがどうやら魔力を利用しているようだった。
モンスターは小さな手足を使って地面を這っていたが先ほどまでの機動力はない。一撃一撃は重く油断はできないがこうなってしまえばどうとでもできる。
魔術【霊獣召喚(戦闘)】
念のためマネキンさんを召喚して突撃させる。
マネキンさんが持っていた棒を振りかぶるとモンスターは攻撃を受けてたまるかと言わんばかりに大口を開けて齧り付こうとした。
マネキンさんの背後から飛び出して口の中めがけて突きを入れると思いのほか簡単に突き刺さった。
ルミエールが弾けた。私に吸い込まれてくる。
体内を傷つけられたモンスターは断末魔をあげて今度こそ絶命した。
「ふぅ……」
意外とどうにかなった。
一時はどうなることかと思ったがほっと胸をなでおろしながら刀を引き抜いて、モンスターの亡骸へと向かう。
改めてみると不思議な生き物だ。一見ミミズのように見えるが大きく開いた口には牙がびっしりと生えている。
とりあえず輝石を持って帰ることに決めて胸と思われる部分を開いて手を突き込むと案の定輝石は存在した。
虹色に揺らめいている不思議な石だ。何に使えるのかは分からないが一応集めておこう。
虹色の輝石を『収納』していると、ふと何かの気配がして振り返り刀を構える。周囲を観察するが何かがいるわけでもない。
けれど私が気配を読み間違えるはずがない。慎重に視線を巡らせて周囲を観察する。
地面の結晶が水面のように揺らめいているのが見えた。なんだか嫌な予感がする。
性質【ちからづく】
魔術【霊獣召喚(戦闘)】
揺らめいている結晶には何者かが潜んでいると直感してあらかじめマネキンさんを召喚しておく。きっと囮くらいにはなるだろう。
やがて水面のように揺らめいていた箇所が1つから3つに増えた。その一つからミミズのような頭部が現れる。
「冗談キツイですよ」
先ほど倒したモンスターと同じ存在が三体も結晶から抜け出してきた。




