一条京、半生の独白
私の瞳の色はアイスブルーで、髪は白い。
けれど両親は共に日本人だ。
私が生まれた時は一条家を揺るがすほどの大きな騒ぎになったと成長してから上の兄に聞いた。
母は不貞を疑われ、父は口さがない親戚連中を黙らせるために奔走する日々。
生まれながらにして両親にどれだけの迷惑をかけてきたのか計り知れない。
そこまでの対価を支払ったのに生まれてきたのがこんなみそっかすだったなんて、両親はどれだけ失望しただろう。
紆余曲折あり最終的に遺伝子鑑定を行うことで間違いなく両親の子供だということは証明されて、日本人らしからぬ見た目は外国の生まれだった父方の曽祖父からの隔世遺伝と軽度の色素欠乏が同時に起こったためだと結論付けられた。
ただでさえ少ない確率が同時に起こったなど納得できるわけがないと一部の親戚連中はいきり立ちその勢いは今に至っても止まることを知らない。
母が昔性交した人間の遺伝子が混ざっているからこんな子が生まれたのだとテレゴニーなんて風化しきった説を主張し始める始末だ。
一見愚かしく思ってしまうが、彼らは決して愚かではない。
愚かなだけでは曲者だらけの一条家の中で発言権なんて得られないからだ。
自分の利益のために牽強付会の説であることを自覚していながらあえて自分の考えに拘泥した話の通じない人を演じて主張し続けているのだから始末に負えない。
目的は父を一条家の当主の座から引きずり下ろすことか、あるいは父の持つ権利と財産が欲しいのか。何にしてもあるのは野心だろう。
TENKYUを運営する父の権力は強い。海千山千の剛のものである父を相手にするのは骨が折れると考えたのだろう。狙うのはあくまでも弱点で、弱者だ。
父にとって母と私は明確な弱点だった。
父は母を溺愛しているけれど母は後妻の上、一条に足る後ろ盾もない。結婚した当初からあまり歓迎されている感じはしなかったと語っていた。
そして母は決して口にはしなかったが私が生まれてからさらに歓迎されなくなっただろう。
「忌子」
「まざりもの」
「淫売の娘」
物心ついたときには父に隠れて思いつく限りの悪罵を浴びせられていた。
幼い私には全く意味は分からなかったけれど悪い意味だというのは分かって、悲しくなって、よく泣いていたのを覚えている。その度に母に泣きついて慰めてもらっていた。
今思うと母に言うことではなかったが、幼さ故につい聞いてしまったことがある。
「うぇ……ぐすっ。ねぇおかあさま。いんばいのむすめってなぁに」
「大丈夫よ。あなたは淫売の娘じゃないから」
「ぐす……そうなの……?」
「あなたが私の娘なのは間違いないし、私は淫売じゃないからね。だって私、お父さんとしかヤッたことないもの」
母は触れれば消えてしまいそうな儚い雰囲気の人なのに気質は正反対だった。私が訳も分からず傷ついた悪罵に母はまるで痛痒を感じていないようにからからと笑って言った。
当時の私はぴゅあぴゅあで何を「ヤッた」なのか分かっていなかったけれど、なんだか触れたら藪をつついてしまうような雰囲気を感じてさも分かったふりをしながら目を逸らしたのを何故か鮮明に覚えている。
今では私も意味の分かる年齢になったしこの出来事以来あけすけな言動を見せたことは無い。母なりに強がって振舞った結果、ついこんな言い方になってしまったのかななんて思ったりもする。
一条家の血を引くものは何らかの分野で一廉ともいえる人物になる才能を持つ。
それは巷間に伝わるほどの事実であって、同時に完全に事実とは言い難い。
時が経つにつれて私が成長しても才能を見せないことを周囲が知り、母はますます立場が悪くなっていった。
状況を肌で感じていた私は一条家のものである証拠として一廉の人物になれるだけの才能がどうしても欲しかった。
幼稚園に入園するころから勉強もスポーツも芸事も例外なく一通りやった。
しかしその全てに一条家にふさわしい才能を示すことなく、努力は身を結ぶことはなかった。
何度やっても努力が実を結ばなくて心が折れながらも努力を止めるわけにもいかなくて、がむしゃらにやり続けていた時。
無性に誰かに甘えたくなると決まって療養している母の部屋に遊びに行っていた。
母は決まって優しい顔をして私を受け入れてくれて、優しく抱きしめながら頭を撫でてくれた。
「苦しい時ほど笑いなさい。つらい時こそ奮起しなさい。どんなに高い障害も、試練も全部あなたが成長するために神様が用意してくれたものなのよ。人は困難を乗り越えて輝くの」
ふわりと包み込んでくれる甘い香りと、柔らかくて温かいぬくもりと、優しい声色。それらと一緒に覚えている言葉が今でも私の心の支えだ。
本当は友達と楽しく遊びたかった。
他の子供たちが集まってゲームをしているのを見てとても羨ましいと思った。本当は私も混ざってやりたかったけれど、やらなきゃいけないことがあるから遊んでいられないと自分の感情に蓋をしてゲームを嫌って見て見ぬふりをした。
そんながむしゃらな努力を続けていた頃神様が見ていてくれたのか、ついにある一つのことに才能を示した。あのときの体験は私唯一の成功体験で今でも忘れられない。
小学校低学年の時だったと思う。
幼くして完全に行き詰っていた私は何を思ったのか藁にも縋る想いでとある古武術の道場に入門した。
教えてくれる人を雇って家に呼べばよかったのにわざわざ車で1時間ほどかけた場所まで出向いて。家に招くと大抵の方が委縮して私への対応がことさら丁寧になってしまうから。
今思うと人恋しかったのかもしれない。
師範に挨拶をして、袴を着せてもらって、作法を習って。
一通りの型を習っていざ実践となったとき、生まれて初めての感覚が私を襲った。
筋肉の動き
目線の動き
師範と自分の呼吸の間隙
師範の力の向き
自分の体の効率のいい動かし方
師範から私がどう見えているか
どこに力を加えれば人は壊れるか
全て手に取るように流れ込んできた。
こうした方がうまく暴力を振るえるって、こういう向きにどのくらい力を入れたら生き物が壊れるかすぐに分かった。
師範が接近してきて掴もうとしてくるけれど私に技をかけさせるために掴む振りをしているだけだというのもすぐに察知して。
師範がかけている力の向きを正確に把握して、どのように体を動かしてどこに力を加えれば師範を投げ飛ばすことができるか理解して、その通りに体を動かして師範を投げ飛ばした。
最初は体術の才能があったんだと浮かれていたけれど、その道場は体術の他にも刀術や槍術、薙刀もやっていて私はその全てに才能を示した。
戦いの才能
人の壊し方が分かる、太平の世ではまったくもって使い物にならないような才能だった。
どんな才能でも私にとっては唯一無二だ。初めて触れる世界、初めて触れる感覚。
手にした才能で道場の子供たちと組み合っているときはとても楽しかった。友達と遊ぶってこんな感じなのかなって。
初めての経験だった。
とても楽しかった。
けれどそう思っていたのは私だけだった。
「お前と試合しても負けばっかでつまんないからやらない」
人間なんてそんなもんだ。
小さな私にやられてしまったことが恥ずかしくて自分が否定された気になってしまったのだろう。
私は彼らを決して否定しない。自分のアイデンティティというのは重要で他人が侵害していいものじゃないって、親戚連中を反面教師にして分かっていた。
「ミヤコはすごいね! すごい才能を持ったね」
母の胸を借りてさめざめと泣いていた時にかけてくれた言葉。
泣くことなんてない、誇りなさいと言うように喜色満面を浮かべて頭を優しく撫でてくれた。
周囲から拒絶されてすっかり消沈していた私を慰めてくれた。
それからも一人で黙々と鍛錬を続けていたけれど面白くなくて、格闘技の大会に出て何回か優勝したりもした。
しばらくの間は自分の才能に誇りをもって、勝つことが当たり前なんて思ってた。勝ち続けることで自分の才能を示せるって。
この時の私は天狗になっていたんだと思う。
けれど時が経つにつれて次第に周りの子たちが大きくなるのに私はあまり成長できなかった。
体格差故に私は見事に取り残されて、ルール無用の戦いならまだしもスポーツの世界で才能を示せなくなっていった。
ルール無用の戦いの才能なんてこの太平の世で求められていないし活かす場所なんてない。かといって危険を最小限にするためのルールがあるスポーツの世界では私の体が小さすぎて役に立たない。
畢竟、私の居場所なんて最初からなかったんだ。
私は道場を止めた。
自分の才能を見限って別の才能を見出すことを考えた。けれどそんな都合良く見つかることなんてない。すぐ見つかるのであれば最初からこんなに苦労しなかっただろう。
才能がないなら努力で掴み取ればいいとがむしゃらに机に向かって勉強した。いつかその努力が実を結んで一廉の人物になることを目指して。
でも無理だって薄々分かってた。分かっていたけど歩みを止めることはできなかった。もし諦めてしまったら母はどうなってしまうのかと考えたら怖かったから。
今回の父からの提案は渡りに船だった。
現実に影響を及ぼさないために相手を傷つけてもいいルール無用のゲームの世界で戦うことができるのは私にとって大変都合のいいステージだ。
これ以上にいい条件で才を示すチャンスなんて二度とないだろう。
だから私は父の期待に応えて信じてくれる母の立場を改善しなくてはならない。
父が関与している事業に多少であれ才能を示して貢献し、認めさせなくてはならない。
母を淫売なんて呼ばせない。
それが私の使命で、間違ってこの世に生れ落ちてしまった私なりの責任の取り方だ。