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父と娘のプロローグ

 目を覚ますといつものふわふわベッドの感覚は無くて、ごつごつとした感覚が頬に伝わった。

 なんだか体全体がこわばっている気がする。


 脳が覚醒してくるのをボケっとしながら待っていると次第に自分の今おかれている状況が分かってきた。


 自室の机の上に突っ伏していた。どうやら勉強中に寝落ちしてしまったらしい。


 外から間の抜けた鳩の鳴き声を聞こえてきた。なんとなくこの鳴き声を聞くと朝だなぁと感じて清々しい気分になる。


 私は花も恥じらうオトメらしからぬ声を上げながらぐっとがちがちに固まった背筋を伸ばす。ゴリゴリという音に不思議な心地よさを感じながら遮光カーテンの隙間から漏れ出す日本の夏の強い日差しへ視線を向けると、漏れ出した一条の光に呼応するように塵がふわふわと浮いていた。私はなんだか嫌な気持ちになって手で払いのける。


 いつまでも惚けていても仕方がない。

 腰掛けていた椅子から立ち上がり腰を伸ばした。寝ぼけ眼をこすり、ほつれた癖のある長い髪を手ですきながら活動を始める。


「今、何時だろう」


 徹夜のせいで重い頭を擡げて独り言ちる。手首につけっぱなしにしていたIRデバイスに触れて起動させようとした。


「あれ? ……あぁ、寝てたから起動してないのか」


 どうやら寝ている間に「Brain-Machine-Interface」通称BMIのセーフティロックがかかっていたらしい。

 チョーカーになっているBMIに触れて再起動する。


 ……そういえばBMIが出たての頃にひいおばあさまが怖がっていたっけ。


 BMIを操作しながらかつての曾祖母の拒絶具合を想起した。

 BMIは脳に直接影響を与えて存在しないものを認識させる技術だ。いくら厳正なる審査と安全基準があるとしても古い価値観を持つ曾祖母にとっては受け入れがたいものだったのか、その拒否反応たるや我が一条家総出で手を焼いたものだった。


 いつもはむっつりしている父も、いつも自信に満ち溢れる上の兄も、いつもあからさまに見下してくる下の兄も、いつも優美で微笑を浮かべている姉も、口うるさい親戚連中もすべてを十把一絡げにして天下無双の限りを尽くし曾祖母は自分の脳を侵略者から守った。

 何の意味があったのか分からないけれど、結局亡くなるまでBMIを活用するデバイスは使わなかった。


 現在ではBMI技術は珍しいものではないし、むしろ世界中に存在している。いま最も多く使用されている携帯端末であるIRもBMIによって視覚や聴覚に刺激を与えて存在しない映像や音声を伝達する技術だ。

 町を歩けば看板の代わりにIRが表示され、町を歩けばそこらで見かけるデジタルサイネージに使われ、目的地をナビゲートされ、IRで自動運転タクシーを呼ぶ。

 今の世の中IRがなければ生活は成り立たない。曾祖母が亡くなったときはとても悲しかったが、移り変わった世間のありようを見ていると曾祖母にとっては逃げ切り勝ちだったのかもしれない。


「これでよし」


 BMIを再起動してIRを起動すると目の前に半透明の画面が出現して時間が表示される。

 

「8時かぁ」

 

 一般の社会人や学生が意気揚々と、あるいは意気消沈して出社出校している時間であることも厭わず、とりあえず顔でも洗うために洗面所にむかおうとする。


 空中に浮かんだ半透明の画面を閉じようとすると、メールアプリである『グラビテーション』の通知音が鳴った。

 表示された画面に触れると「私の書斎に来なさい」と単純明快かつ淡白な言葉が表示される。


 父が陽の出ている時間から家にいるのは珍しい。その上、基本的には私に不干渉な父が私を呼びだすときた。

 こんな天気がよろしいのに今日はこれから雨でも降るのではなかろうかと思いながらカーテンの隙間から空を見上げた。嫌になるほどの快晴だ。


 父の書斎は一夜を明かした自室を出てすぐ右隣にあるので、寝不足の身であれども別段苦になるほどの距離ではない。

 私は「支度をしたのち、すぐに参ります」とだけ返信をする。

 ほぅっとついついこぼしてしまったため息に知らないふりをしながら、重い足取りで父の書斎へ訪ねる準備をした。





「お父様。ミヤコです」

「入りなさい」


 ゆっくり4度扉をノックして入室の許可を得る。

 

 父からの了承を得てドアを開けると部屋いっぱいに太陽の光が溢れていた。眩さに目をくらませて、少し躊躇いつつも父の書斎に足を踏み入る。


 立派に磨かれた書斎机に座っている壮年の男性がいる。白髪交じりのグレーの頭髪はオールバックにきっちりと整えられていて、彼の威風堂々たる雰囲気はできる男という印象をありとあらゆる人に抱かせるだろう。

 若い頃はさぞ貴公子然としていただろうと思わせる彫りが深い顔には年相応に皺が刻まれていて彼の人生の苦節を物語っているようだった。

 まごうことなき私の父である。


 少し緊張してしまう。私は父と会話をするのが少し怖かった。


 父との関係はあまり良好ではないと思っている。別段悪くもないのだけれど、年頃の娘と父と考えても少し遠い気がしていた。

 何か事件があったとかそういうわけではないし、父はガラス細工にでも触れるような繊細さで不器用ながら私に歩み寄ってくれているのがすごく分かる。


 問題は私にあるのだ。

 私が父に感じる負い目と自分よりも格が上の存在に感じる本能的な恐怖が問題なんだと思う。


 自分と父の関係を冷静に分析して気を紛らわせながら努めて自分の感情が表に出ないように振る舞い、これまた一切の感情を感じさせないいつも通りの表情の父の目の前――ではなく、陽の当たらない少し右へそれた場所で立ち止まる。


 父に目を向けると父の背後の窓から見るともなしに日本一高い建造物であるリンクタワーが見えた。

 見る場所によっては天を衝くように高いと分かるのだがこの部屋の窓から全容は見えない。


「早かったな」

「はい。急いで準備して参りました」

「体調はどうだ。少し顔色が悪いのではないか」

「え、ええ。まぁ、睡眠不足ですが、概ね良好です」


 驚いて挙動不審になりつつも父の方こそ体に不調があるのではないかと疑いながら返事をする。

 普段の父なら様子を窺うことはあるがいちいち私の体調の確認を口に出したりしない。ただの世間話だろう。つまり世間話を挟まなければ躊躇われるような本題があるのだ。

 ちょっとばかり嫌な予感がしながら身構えてしまう。


 後ずさりする私の様子を見ながら父は「そうか」とひとつ呟きながら、おもむろに椅子から立ち上がり私の目をじっと見た。

 なにくそ負けるかと私も目を細めて父を見る。

 父娘によるにらみ合いによって発生した緊張感で無限とも感じる時間が過ぎ去ったころ父が少し言いよどみ、探るようにしながら口を開いた。


「TENKYUは知っているな」


 無論知っている。

 日本中でTENKYUを活用していない人間など生まれたばかりで喃語を喋るばかりの赤子か今際の際の老人だけだろう。それでなくても私も一条家の一員なのだから知らないはずがない。


「お父様の会社が運営しているメタバース、仮想空間ですよね」

「あぁ、そうだ。……アカウントはもっているか?」

「はい。勿論です」


 いくら私が比較的機械に疎いと言っても流石にTENKYUのアカウントくらいは持っている。   TENKYUはアバターを活用した仮想空間だ。

 仮想通貨を利用したショッピングや文化的活動、友人とのコミュニケーションまでできることは多岐にわたり人間社会において欠かせないツールになっている。

 私もつい先日にIRを使ってTENKYUで買い物をした。中にはTENKYUの仮想空間を通して仕事をする会社も存在しているらしい。


「先日、TENKYUが完全没入型のVRに対応した」

「完全没入型……ですか? 普通のVRとは違うのでしょうか」

「あぁ。従来のVRは視覚情報だけで嗅覚や味覚、触覚などは感じ取れなかっただろう? 完全没入型のVRでは最新のBMI技術を利用することで五感を感じることもできる。無論、操作に集中力も必要ない」


 なんだかすごいことを聞いているような気がする。

 五感を感じ取れるということはTENKYUの中で食事を疑似体験したり、実際に商品を手に取って手触りなんかを感じ取ってから購入したりすることができるということだろうか。

 あまりのスケールの大きさに身震いする。


「それは、素晴らしいですね」


 父はわずかにだが得意げに口角を釣り上げた。


「あぁ、我が社の集大成だ。TENKYU自体の実績もあるおかげか仮想空間内で出店する店舗の数もかなり多い。このプロジェクトは失敗できない」

「そうですね。わたくしもそう思います」

「TENKYU内でVRゲームの配信サービスも予定している。そのサービスの先駆けとしてローンチタイトルも制作済みだ」

「……」


 なんだか少し話の流れが嫌な方向に向かっている気がするのは私だけなのだろうか。藪をつついてしまうのが怖くてむっつりと黙りこくる。

 父は一度瞑目した後、雰囲気ががらりと変わる。何事にも揺さぶられない凪いだ水面のような雰囲気から抜き身の刀のような雰囲気に。

 海千山千の剛のもの特有の重苦しさに気圧されながらも服の袖をばれないように握りこみ、父から瞳を逸らさないように見つめ返す。


……目が涙で潤んでいないか祈ろうか。


「本題に入ろう」

「はい」

「ミヤコにはこのゲームをプレイしてもらいたい」

 

 やはりと思った。普段あまり言い淀むことのない父が躊躇う様に口にしているのを見るとゲーム関連のお願いだと察しはついていたから。

 父は私がゲーム嫌いであることを知っている。知った上でゲームをするという頼みを私にしているということは何か理由があるのだろう。父は無駄なことをしない。


 けれど何故ゲームをすることを頼むのだろうか。一体全体何のために。


「わたくしがですか」

「あぁ、そうだ。これは仕事だ」

「仕事……ですか? わたくしがゲームをプレイすることが一体何の仕事になるのでしょうか」


 父のなにやら意思の固そうな様子を見ていると多分これは逃れようもない事なのだろう。

 私はいかにもやりたくないですよという雰囲気を意図的にかもしだしつつ消極的協力を示唆して仕事内容を尋ねた。


「一月後に行われる『武星祭』というトーナメント方式の大会。その決勝戦をゲームの宣伝として使う計画がある」

「つまりその『武星祭』に参加して決勝戦まで出場することでしょうか?」

「そうだ。ミヤコにはゲームを行い武星祭で優勝して貰いたい」

「わたくしでなくともいいと思いますが……」

「無論、ゲームが得意な俳優やプロゲーマーに依頼するという計画もある」

「でしたら、そちらの案の方がよろしいかと存じます。わたくしがキャストになっても知名度がありませんから宣伝効果を期待できないでしょう」

「別で雇っているが決勝戦まで出場できるかと言われると疑問が残る。その点ミヤコなら問題ない」


 どこか釈然としない。

 父の言葉に違和感がある。なぜわざわざ素人の私にお願いするのだろうか。ゲームのプロの方に依頼するだけでもいいのではないかと思う。

 何より私がそんな歴戦の猛者たちが集うゲームの大会で優勝するということが難しいように感じた。


「なぜ、そんなにも自信がおありなのでしょうか……わたくしは、わたくしは一条家にあるまじき凡才で、社会で活躍する一廉の人物になれる才能を持つ人間ではありません。ですからゲームを行っている余裕などないのです。研鑽を続けなければ、わたくしは、お母様は……」


 そこまで言いかけて父の表情の変化にハッとして私の言葉が止まる。父は辛酸を味わったように一瞬表情を歪ませたと思うと次に口角を釣り上げて言った。


「『武星祭』は噛み砕いていえば戦闘の大会だ。お前の才が示せるぞ」


 全く考えていなかった意識の埒外からの言葉に私は一瞬頭が真っ白になった。意味を理解すると同時に全身にビリビリと衝撃が走る。


 才能を示す。それは一条家のはみ出し者としての地位を確立している私にとって何よりも欲している機会だった。現代社会において私の才能を示すことのできる場などかなり限られる。とてもいい機会を与えられているのだと直感した。


 ほうっと息をつき、冷静さを取り戻す。

 戦闘と言ってもあくまでゲームの世界での戦いだ。きっとゲームのシステムやセオリーなんかがいっぱいあって、ゲームを一度もやったことのない私になんか勤まるはずがない。


「いえ、ですがわたくしはそもそもゲームをやった経験自体がありませんからゲームの大会で優勝など難しいはずです」

「完全没入型だといっただろう。ゲームの感覚は現実のそれと変わりなく作られている。ならばお前の才能が生きない道理などないだろう」

「……」

「ゲーム的なシステム面も要領の良いミヤコならすぐに適応できるはずだ。どうだ? やってくれないか」


 瞑目して必死に自分に問いかける。

 私の才能は太平の世である現代社会において全く無用の長物だ。活かせる場面がだいぶ限定され、そのせいで私と母は一条の家の中に居場所がない。

 父も親戚連中と母の間で板挟みだ。


……やっぱりゲームなんかやって役にも立たない才能を示すのではなく、せめて役に立つことに研鑚を重ねて才能のある人間に並ぶ方がいいんじゃないだろうか。


「折れて社会の型にはまって生きるのではなくて自分の才能を、自分のやりたいことを信じてやってみないか」


 ハッとして思考に落ちていた意識を浮上させて父を見る。


 いつの間にか父は椅子から立ち上がっていて目の前に立っていた。そしてゆっくりと片膝をついて頭に手をのせて撫でてくる。


 いまだかつて見ないほど真剣な表情だ。眉を八の字にして、大きく切れ長の瞳の目じりを下げてじっと見つめてくる。父の瞳がよく見ると少しだけ青みがかっていることを今初めて知った。


 私は父の表情を見て十五年越しにようやく悟った。


……口に出さないだけで父は私のことを心配してくれていたんだ。


「……わかりました。やります」

「ありがとう」


 父は莞爾と笑った。

 こんな私のことを心配してくれているのが伝わって胸の奥がきゅっとして涙になる。

 恥ずかしい姿を見せたくなくて涙を頑張ってこらえながら頭に乗っていた父の手を取って頭から降ろす。


 そういえば父のことをあまり知らない。

 今まで父のこんな顔を見たことがあっただろうか。勝手に必要以上に怖がって、他の親戚の人たちと同じように拒絶されると勘違いして対話を拒否していたんじゃないだろうか。

 父は私を愛してくれていたのに、私は勝手に拒絶して。


……お父様の期待に応えなくちゃ。


 心の中で決意を新たにした。

 くるりと回って父に背を向ける。決して泣きださないように強がって、声を震わせながらも口を開いた。


「本当によろしいのですか? 優勝できる保証なんてどこにもありませんからね」

「勝てなかったら代案があるから構わない。だがどうせなら容姿の美しい者が広告塔の方がいい。いくら技術が発展しても自然の美しさに勝るものはないからな。その点ミヤコなら問題ない」


……あはは。娘に美しいとか、お父様きも。

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[良い点] いいお父さんだね。
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