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幸せ

作者: 戸田 猫丸

 

 小鳥の歌声が、徐々にボリュームを上げる。

 瞼の裏に、少しずつ増していく明るさ。


 目を開ければ、窓の外には青々とした朝の空。雲が二本だけ、たなびいている。

 体を起こし窓を開ける。緑の風がそっと顔を撫でてくる。森の木々の匂いが鼻をくすぐる。


 目をこすりながらバルコニーに出て、息を思いっきり吸い込む。風でドアが閉まる音が、新緑の森の中に響いていく。朝日に照らされる山々を、しばし眺める。

 ——車のエンジン音が耳に入った瞬間、僕は現実へと引き戻された。朝ごはんの準備をしなくちゃ。風でふわりと膨らんだカーテンをまくり、再び部屋に入る。


 せっせと服を着替えていると、ドタドタと部屋の外から足音が聞こえる。子供たちも目を覚ましたようだ。

 足早に台所へと移動し、炊飯器のスイッチを入れる。気温は13℃。


「おはよう! 優志(まさし)兄ちゃん!」

「おはよー! お腹すいたあ!」


 子供たち——勇生(ゆうき)澄麗(すみれ)が挨拶してくる。勇生は小学5年生、澄麗は小学2年生。2人は実の子ではない。年に数回、この森の中に佇むログハウスに、泊まりがけで遊びに来る子供たちだ。




 勇生はキャベツを千切りにし、澄麗はそれにドレッシングをかける。僕は3つの茶碗にごはんを盛る。あとは即席の味噌汁を作れば、朝ごはんの完成だ。


 庭にあるパラソル付きのテーブルを僕は布巾でサッと拭き、台所に向かう。笑みを見せつつ鼻歌を歌いながら、お盆に乗せた朝のメニューを運んでくる勇生とすれ違う。澄麗は、僕が閉め忘れた炊飯器のフタを閉めてから、お盆を手に取る。味噌汁をこぼさないように、僕はそっとお盆に乗せてやると、澄麗は庭のテーブルに一直線に向かっていった。


「いただきまぁーす!」


 鳥の歌声を聴きながら、庭のテーブルで食べる朝食。今日はどんなことがあるだろうか。キャベツを噛みつぶす僕の周りを、ワクワクと不安がグルグルと回り続ける。そんな僕に構わず、ひたすらにお箸を動かす勇生、澄麗。

 ウグイスが歌を1つ響かせると、雲の隙間から再び洩れた光が、僕ら3人を照らしつけた。


 そんな、1日の始まり。




 初夏の青空の下。勇生、澄麗と一緒にボール遊び。


「優志兄ちゃん、それー!」

「よしきた。はい、澄麗ちゃん!」

「あー! ボールどっかいっちゃう!」


 照りつける陽射しが、肌を焼け焦がす。勇生と澄麗は、頬に汗を光らせながらもボールを追いかけては、僕に投げつける。時折水で喉を潤しながら、1時間半も3人で土の薫る庭を走り回っていたが、ヘトヘトになったのは僕だけ。


 午後からは友達が2人遊びに来て、お誕生日パーティーの予定。待ち遠しさに胸を躍らせながら、僕はボールを追いかけ子供たちと走り回る。これも、幸せのカタチのひとつ。


 ウグイスは日が高くなった今も、山の向こうへと自慢の歌声を響かせる。




「澄麗ちゃん、あわてずにゆっくりね。よく噛んで」

「んぐんぐ……。おたまじゃくし早く捕りに行きたいの!」

「自転車用意しといてね、優志兄ちゃん!」


 少し雲が出てきたが、雨は降りそうにもない。朝に炊いたご飯の残りで作ったおにぎりを庭のテーブルで食べたら、勇生と澄麗は自転車に乗って、近くの田んぼへと遊びに行ってしまった。


 僕1人で、パラソルの日陰に入っているテーブルの椅子に腰掛け、冷えたコーラを飲む。時折、道路を走る軽トラックのエンジン音が、鳥たちの歌を遮る。時計をチラ見しながら、友達の到着を待つ。放置系スマホゲームを開いては閉じ、開いては閉じ。


 やがて、聞き慣れたエンジン音が近づいてくる。


「うぃーっす!」

「やあ、待ってたよ」


 友達の(さとし)希望のぞみが到着。黒のワゴンを運転する智の顔は、すでにほころんでいる。

 今日は智の、25回目の誕生日パーティーだ。



「ハッピーバースデー♪ディアー智♪ハッピーバースデートゥーユー!」

「うふふ、お誕生日おめでとう!」


 ひと切れのいちごショートケーキに、1本の蝋燭。ふっと火が吹き消される。細い煙が上がると同時に、ニンマリと笑みを見せる智。


「わあー、ありがとう!」


 少しわざとらしさが混ざるお礼の言葉だったが、顔は完全にほころんでいる。隣にいる希望、そして僕へと、笑顔が伝染する。

 飾り付けも何も無い部屋での、こぢんまりとしたパーティー。そこには確かに、喜びを分かち合う友の姿がある。


 ケーキを頬張る2人を見届けてから、僕は宅配ピザチェーン店のサイトを開き、あらかじめ決めておいたスペシャルミックスピザLサイズを2枚と入力し、確定ボタンをタップする。ワインの栓を開ける音が、家の中に響いた。

 トイレに行き、ひと息をつく。10代の頃はすぐに友の元へと戻り、少しでも楽しまなきゃと気持ちをまくし立てていたが、今はこのトイレに立つ時間が束の間の自分時間と化してしまっている。歳を取ったなあというこの実感を、智もきっと感じているんじゃないか。


 体をほてらせながら、電鉄系双六ゲームで白熱している間に、時計の針は進んでいく。



 ピザソースのこびりついたケースを畳み、テラスに出ると、冷んやりとした空気が体を包んだ。酔いが赤橙色の空へと逃げて行く。灯り始めたLEDの街灯が、夜の訪れを告げている。


 暗くなる前に、智と希望を裏の畑に案内し、一緒にアスパラガスを収穫。引き締まったその若茎(じゃくけい)には、天地の恵みを受けて生み出した養分をたっぷりと含んでいるのだろう。


 勇生、澄麗の声と足音が近づいてくる。

 門の前に現れた2人の子供の姿を確かめた希望は、口角を上げながら僕を見て言う。


「優志くんてば、いつの間に子供出来たの?」

「あはは、違うよ」


 からかってくる希望から顔を逸らし、駆け寄る勇生と澄麗に僕は笑いかけた。


「優志兄ちゃん、ただいまー!」

「あのね、優志兄ちゃん。あたし膝擦りむいちゃったら、おばちゃんが手当てしてくれたのー!」

「勇生くん、澄麗ちゃん、おかえり。あらら、ケガ大丈夫? あ、今ね、僕の友達が来てるんだ。大学の時に一緒だった、智と希望だよ」


 智はスーパーの袋に先程採取したアスパラガスを入れてから、体をかがませて勇生と澄麗に話しかける。


「こんにちは。初めまして」

「さとしお兄ちゃん、初めましてー!」

「はじめましてー! おねーちゃんもはじめましてー!」


 澄麗に手を振られ、希望も微笑みながら応える。


「ふふ、初めまして。優志くんの子、いい子ね」

「だから違うってば!」


 日も暮れ、吹き付ける風の温度が下がっている。智の黒いワゴンの、エンジンのかかる音が響く。


「え、もうばいばいなの? また来てね、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」

「ばいばーい!」


 勇生、澄麗に見送られながら、希望は助手席へと乗り込む。手を振る希望。ぐるりと方向転換した黒いワゴンの運転席から、智の声。


「またLINEするわ! 今日はありがとうな、優志。それじゃあまた!」


 聞き慣れたエンジンの音が遠のいて行くと、代わって蛙の合唱が耳に入ってくる。




「今日はみんな大好きカレーにしよう」

「やったあー!」

「お腹すいたぁー!」


 ジャガ芋と玉ねぎと人参の皮をむく。皮をむいた野菜と牛肉を切る。お米を研いでご飯を炊く。

 切ったジャガ芋、玉ねぎ、人参、牛肉を炒める。鍋に水を入れて煮込み、カレー粉を入れる。

 すっかり手順を覚えた勇生と澄麗は、2人して鼻歌を歌いながら工程を進めて行く。


 僕は散らばった野菜の皮をまとめ、三角コーナーに捨てながら、台所に満ちたカレーの香りを味わう。ピザの食べ過ぎで、まださほどお腹は空いてはいない。それでも口の中には、よだれが溢れ出てきてしまう。


「いい匂い。ねえ、優志兄ちゃん! 早く食べようよ!」

「お腹すいたよぅ……。まだ出来ないの?」

「あはは、そんなに慌てなくてもカレーは逃げたりしないさ。僕は煮えるまでここで見てるから、勇生くんと澄麗ちゃんは広間のテーブルを準備してしてくれる?」

「「はぁーい!」」




 広間の真ん中にあるテーブルにかかった、グリーンのチェック模様のテーブルクロスの上には、とろーりと煮込まれたカレーライスを盛りつけたお皿と、スプーンが3つ。


「いただきまーす」


 出来立ての手作りカレーライスを口に含む。スパイスの辛味に混じって、野菜の甘味、特に玉ねぎのものが際立って口の中にとろけだす。10分待たずに出来上がるレトルトカレーとは全く違った食べ応えを、改めて実感する。


「勇生くん、澄麗ちゃん。自分たちで作ったごはんって、おいしいだろ」

「そっかな」

「それともお母さんのがおいしい?」

「「うん」」

「あはは、素直だね。じゃあお母さんのより美味しく作れるようにならなきゃね」

「じゃあ僕がんばるー!」

「あたしも!」


 今日あったことを子供たちと語り合いながら、僕は過ぎ去ろうとする1日に思いを馳せる。

 秒針の音が、耳に入ってくる。

 皿洗い、お風呂、掃除——まだ残っている1日のタスクを思うと、溜息が出る。




「肩まで浸かって20数えてー」

「「いーち、にーい……」」


 1.5坪の浴室。水鉄砲を食らいながら泡に包まれた体を洗った後、湯船に身を委ね、1日の疲労を湯に溶かし出す。20を数えた勇生と澄麗はキャッキャと声を上げながらさっさと出て行ってしまう。

 広くなった湯船に足を伸ばし、10秒ほど息を吐く。また10秒ほど息を吸う。窓から入る冷えた夜風と体を温めるお湯のギャップが段々と調和し、僕の心身に癒しをもたらしてくれる。

 後は子供を寝かせるだけ。他に何もすべきことは無い。


 お風呂を出てから飲む1杯のカルピスも、1日の楽しみ事のひとつ。

 パジャマに着替えて走り回る勇生と澄麗のバッテリーは、まだまだグリーンのようだ。




 午後9時37分。勇生と澄麗のベッドメイクを済ませ、ノーマットのスイッチを入れる。


「早く寝るんだぞー」

「優志兄ちゃん、クエスト参加してよ」

「あたしもやるー!」


 勇生たちの言葉に流され、ベッドルームで3人、スマホゲームに熱中すること小一時間。スマホよりも先に、澄麗のバッテリーがレッドゾーンに入ったようだ。程なくして、勇生も目を細めコクコクと首を動かすようになる。


「ふぁー……」

「さあもう11時だ。電気消すよ。また明日ね、おやすみ」


 子供というのは、徐々に疲れを増していく僕らとは違い、ひと昔前のスマホのバッテリー表示の如く、80%ほどあった残量が突如0%になり、撃沈する。

 撃沈した勇生、澄麗が寝息を立てているのを確認してから、僕はベッドルームを出てそっと扉を閉めた。



 自分の部屋に行き、癖のように電灯を点け、癖のようにパソコンの電源を入れる。

 SNSのタイムラインを適当にスライドさせつつ、スマホでは智とLINEしながら、夜を更かす。

 ケラの声と蛙の合唱のハーモニーを聴きながら、とりとめもない話で盛り上がる、そんな初夏の夜。


 午前0時をまわるのを確認したら、SNSを閉じ、パソコンをシャットダウン。モーター音が止み、外から聴こえるケラと蛙のハーモニーがボリュームアップする。



 愛するログハウスにて、寝る前に行う歯磨きのルーティーンも、いつかは終わってしまう日が来るのかなと少しばかりの寂しさを噛み締めながら、蛇口を捻る。


 明日はゴールデンウィーク最後の日。半分ほど開けた窓から網戸を通して、土の匂いを含んだ風が、ベッドの中で天井を見つめる僕を撫でる。



 みんな自分の人生に一生懸命なんだ。今この瞬間、僕を思ってくれている人は誰か居るのだろうかと、現在関わりを持っている人たちに思いを馳せながら、今日1日に僕は別れを告げた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんは。 のんびりほのぼのとした日常を切り取ったところがいいですね。 癒されます(^^) それでも、いつかは終わってしまうかもしれない物悲しさと、だからこそ今を大切にしようという気持ち…
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