3-2
日没の一時間ほど前には予定していた宿場町に到着し、宿を探した。
フィルが選んだのは庶民的だが、清潔そうな宿だった。宿泊施設が集まる通りで、「万が一襲撃されたときに……」とぶつぶつ言っていたため、彼の基準は宿代よりも建物の立地や構造にあるようだ。
馬を預け、一階で受付けをしたあとに、二階にある客室へ向かった。二人が今日泊まるのはベッドが二つ置かれた一室だった。
外套を脱いで、セレストは自分のベッドに腰を下ろす。フィルも同じように隣のベッドに座って、自然と向かい合わせになった。
「お部屋を分けてもよかったのではないでしょうか?」
フィルは将軍で伯爵なのだ。そもそも馬で旅をして庶民的な宿に泊まる必要もないくらいにはお金を持っている。セレストだって、年齢的には若いが星獣使いの特例で士官なのだからそれなりに高給取りである。
「だめに決まっているだろう! 十四歳の女の子が一人部屋なんて……。君は髪の色も容姿も目立つし、立ち居振る舞いですぐに良家の出身だとわかってしまう。もう少し危機意識を持つべきだ」
ノディスィア王国はそれなりに治安のいい国だ。それでも人さらいや窃盗、強盗事件は発生する。さらに都を離れるにつれて、ならず者が増えるから女性や子供の一人旅など絶対にありえない。普通の女の子が一人で宿に泊まれば、悪人に誘拐される危険性があるのはセレストも承知している。けれど、それはあくまで普通の女の子の話だ。
「私、フィル様には劣りますがそれなりに強いですよ。先日もクロフト大尉に勝ちましたし。スピカが本調子でなくたって、私を倒せる人なんてそんなにはいないはずです」
驕りではなく、セレストを倒せる者は少ない。
星獣使いを除けば、軍でも二十人くらいではないだろうか。セレストよりも強い者がならず者に身をやつすとは思えない。だから一人でも大丈夫だという自信があった。
するとフィルが立ち上がりセレストのほうへ一歩近づく。
どうしたのだろうかと思った次の瞬間、視界が真っ暗になり、ベッドの上に転ばされた。首になにかが押し当てられている。
そこは太い血管がある場所だった。
「片手で君の目を覆って、片手で頸動脈を押さえている。……これがどういう状況かわかるか?」
「ずるい……っ!」
星獣使いには弱点がある。
目を覆われるか、意識を奪われるかのどちらかで星獣を実体化できなくなるのだ。目を覆われただけならば、セレストはまだ自らの星神力を使い反撃ができる。
けれど術を使うにしても視覚を頼りにしている部分があるから、狙いを定めるのが困難になる。そして今、セレストの身体はフィルに押さえ込まれている。フィルは、術の発動よりも速くセレストを気絶させて無力化することが可能だ。
「ほら、状況を言ってみろ」
「視界を奪われ星獣を封じ込められたあげくに、フィル様が敵ならばとっくに意識を奪われている状況です。……うぅっ、意地悪です! 横暴です! だって周囲に知らない人がいたら私だって警戒くらいできるんですから!」
目元を塞がれる隙を与えたのは、近づいてきたのがフィルだからだ。
「セレストなんてリビングルームでのうたた寝と朝寝坊の常習犯だろう? 戦うことを生業とする者と君は根本的に違う。宿のこの部屋に強盗が入ったとしても、就寝中ならばきっと君は気づけない」
セレストには、今まで何度もリビングルームのソファで寝てしまい、気がつけば私室で目が覚めるという経験がある。ぐっすり眠ったセレストはフィルに運ばれてもまったく気づかない。
朝も、人の気配に敏感だったら、大人たちが起床して朝食の用意などをはじめたらそれを察知できるはずだ。けれどセレストはパンが焼けた頃、スーに起こされることが多い。
「それは……」
自覚のあるセレストは口ごもる。
どれだけ星神力を操るのが上手くなっても、どれだけ戦闘能力が高くても、真の戦士にはなれていないのだ。
たとえばフォルシー山での魔獣討伐のときのセレストは、敵がいるとわかっている場所に赴いて、闇狼と戦っただけだ。――本当にただ戦っただけだった。
フィルは違う。魔獣がいるという情報を持たずにセレストを助けに来て、即座に闇狼を倒した。そして、戦いのあとも事後処理を適切に行い、都へ帰還するまで自分だけではなく一般の兵の安全を確保していた。
野営のときもセレストは疲労でぐっすり眠っていたのに対し、フィルは仮眠だけで周囲を警戒し続けた。
二人のあいだには大きな差がある。
(でも、フィル様が闘う気なら、私だって……!)
この状況に陥ったのは、フィルに攻撃される可能性を想定していなかったからだ。
彼だって、セレストが危害を加えることは想定していないはずだから、一矢報いるチャンスはある。
「……フィル様! 放してっ!」
ジタバタと抵抗するふりをし、フィルの意識を身体的な反撃のほうへ誘導しながら、セレストは細かい制御のいらない術を考える。
目が見えない状況では、たしかに座標の設定ができないのだが……。
(氷塊を落とすか……)
大きな氷の塊を適当な位置に作って落とすのがこの状況で最適な術だとセレストは判断した。正確な位置がわからなければ複数作ればいいだけだ。
フィルはきっと星神力の流れを読み取るはずだから、彼が逃れるより速く、広範囲に――。
宿の一室という限られた空間での戦いだったら、その空間全体に氷塊を落とせばいい。
落とすタイミングはセレストが制御できるのだから、フィルが避けようとしたら即座にセレストだけを守る防御壁を築く――作戦は定まった。
「……え、えいっ!」
必死に物理攻撃をしている体を装いつつ、セレストはタイミングをうかがう。
「こら、暴れるな……」
(よし、今だ……っ!)
もちろん本気の戦いではないから氷塊といっても、小さなものだ。当たったら痛いが怪我をしない程度の氷の玉を三十個、セレストは一瞬で生成し、落とした。
「……えっ?」
急に身体が浮き上がった感覚がして自分がどの方向を向いているのかわからなくなる。
目隠しがはずれたのと同時に、頭と背中に氷塊が落ちていた。
「痛っ! い、痛い……! いたた……」
怪我はしない程度だとしても、地味に痛かった。パッと視界が明るくなり、ベッドに寝転ぶフィルの姿が見えた。
「術は基本的に相対位置で使うものだからな……詰めが甘い」
フィルは星神力の流れを読んで氷塊が落とされる瞬間に、二人の位置を入れ替えた。セレストは二人のあいだに防御壁を築くつもりでいたから、壁の位置を自分の背後に設定し直す必要がある。それに対応する前に氷塊が落ちてきた――という状況だった。
「フィル様に全部読まれていて……、しかも私……自爆じゃないですか!」
星神力で作った氷は、自然融解するまで効果が持続する。そして生成段階では浮かせるほうに星神力を使い、攻撃には「落下」という自然現象を利用した。
セレストは、氷属性の特徴と物理法則をうまく攻撃に利用したつもりだったが、完全な失敗だった。
実戦で、巨大な氷塊を落としていたら死んでいてもおかしくはなかった。
「発想は悪くなかった。次は複数の想定をするといい。俺に見破られていた場合、俺がどう動くかも予想しなければならない。そうしたら今の術は悪手だったと――」
「あ、あの!」
セレストは彼の説明を遮った。
「どうした?」
「え……ええっと……」
フィルは二度目の世界でもセレストに戦い方を教えてくれる。
けれど、寝転がった彼の上に跨がったままという状況で解説されても頭に入ってくるはずはない。手首が掴まれているから、セレストの力では逃れられないのだ。
「フィル様、手を……放して……」
フィルはハッとなり、すぐにセレストを解放してくれた。セレストの顔が真っ赤になっていることに、彼はおそらく気づいている。
ものすごく気まずい空気が二人のあいだに流れた。
「あ。……あぁ、そうだ。溶ける前に氷塊を拾わないとな」
「ええ、そうしましょう」
普段のフィルは、セレストが恥ずかしがっても大して気にしないのに、今日の彼は違った。
そのせいでセレストまでいつもの数倍、彼を意識してしまう。
(この件は、触れてはいけない)
そんな暗黙の了解のもと、それぞれ床やベッドの上に転がった氷を拾い、急にはじまった戦闘訓練の後処理を行う。
食事や入浴を済ませ、就寝の時間になると二人はそれぞれ星獣を呼び出した。
少しでも危険がある場所で眠る場合、星獣を実体化させておくのが星獣使いの基本だ。
目覚める前に敵に襲われたら、力を使う前に倒される可能性があるからだ。
「いいか? レグルス、スピカ……。敵は外からやってくるとは限らない。油断しないようにな。それからセレスト。夜中に目が覚めてもこの木目からこちらへは来るなよ」
フィルは、床に向けて指先で線を引くような動作を繰り返し、自分のベッドには近づくなと真剣に訴えてくる。
(どういうことかしら? 眠っているときに近づいた者はすべて敵と認識される、とか? そう言えば、前に一緒に眠ったときもレグルスをあいだに入れていたし……)
「返事は?」
「はい、必ず守ります」
「グルゥゥ」
「ピィ!」
セレストと星獣たちはそれぞれ元気よく返事をした。セレストはベッドにもぐり込み、スピカは枕元、レグルスは床の上でそれぞれ丸くなる。
死に戻ってからはじめての長旅でセレストは疲れていたらしい。この日は考えごとをする暇もなくぐっすり眠った。
二日目からも、時々フィルの過保護にドキドキしながらの旅は続く。
そして四日目――イクセタ領にたどり着いた。