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セレストのは感情が昂った涙であり、フィルのは単なる生理現象。同じように瞳からこぼれ落ちても意味が異なる。
「俺のことはいい。……君も」
フィルはすぐにセレストのほうへ向き直った。それからハンカチで、セレストの涙を拭ってくれた。
けれどセレストの感情はずっと高ぶったまま、いくら拭っても意味がないくらい水滴がこぼれてしまう。
フィルが困った顔をするから、早くどうにかしなければならないのに。
「よかったな。スピカが来てくれて」
「はい……」
「思ったより小さいが、それについては神官や専門家の見解を聞いたほうがいい」
スピカの本来の大きさは、星学を学んでいれば知っているはず。星獣が手乗りハリネズミになってしまった理由について、なんと説明すればいいのかセレストは迷った。
以前、フィルに語った未来視では、こんな現象が起きるとは当然言わなかった。
時間が逆行した原因を、セレスト自身が深く考えていなかったのだ。
神様がくれた機会――どこかでそんなふうに考えていたのかもしれない。
「フィル様……あのっ!」
未来視について、セレストの予想を彼に話すべきかもしれない。セレストはそう考えて口を開きかけたが、急に外が騒がしくなった。
「鐘の音で集まってきたか」
「そうみたいですね」
「ピッ!」
星の間の鐘は新たな星獣使いの誕生を皆に知らせるものだ。きっと外には神官や、城勤めの者、たまたま訪れていた貴族たちが集まっているに違いない。
一度目の儀式のときは、外に出た瞬間、まず飛び込んできたのが引きつった顔の伯父の姿だった。
セレストは伯父を見て、すぐに歓迎されていないことを悟ったのだ。
二度目の今回は――。
「ちょっと抱き上げるぞ」
外から扉が開かれ、一筋の光が差し込む。それと同時にフィルがスピカごとセレストを抱き上げた。
「ど、どうして!?」
あまりの事態に驚いて自然と涙が止まった。
「幼女趣味認定はこの際仕方がない。……それよりも、離縁の話が出ないように仲のよさを見せつけておく必要がある」
「離え、ん……?」
聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。フィルは先日、セレストが有能だと知られたら、ゴールディング侯爵家がなんらかの権利を主張する可能性を気にしていた。
これはその対策の一環なのだろうか。
「シッ! ……ほら、自分を誇れ、笑っていろ」
扉が開くとフィルが長い足で颯爽と歩き出す。予想どおり、星の間の前には多くの者が集まっている。フィルとセレスト、そして小さなハリネズミが外に出ると、彼らはざわめきだした。
「エインズワース将軍? ならばあの少女は……彼の夫人か?」
「あり得ない! 一つの家が複数の星獣を従えるなど」
「なぜ星獣があのような大きさに? もっと大きいはずだろう」
そのほとんどが予想していた言葉だった。
新たな星獣使いの誕生を祝福するよりも、他家が星獣を所有することへのやっかみ、それからスピカに対する戸惑いが多い。
神官たちもあたふたとして小さな星獣を凝視した。
「これは……どういうことでしょうか?」
「こちらが聞きたいくらいだ」
フィルは平然とした態度を貫く。
セレストはこうなった原因に心当たりがあるが、時間の逆行などという現象を素直に教えることはできない。
話すとしたら、絶対に信頼できるフィルにだけだ。それでもまだ覚悟すらできていない。
未来視が起こるかどうか確定していないのに対し、時間の逆行というのは起きたことをなかったことにするものだ。似ているようでいて重みが違う。
今回スピカと再会したことにより、時間が逆行したという自分の感覚が間違っていなかったとセレストは再認識した。
二度目の世界で誰かの未来を変えたら、その相手に責任が生じる。
たとえば、ドウェインやヴェネッサ――いい方向に変えられるのならばまだいい。けれど、これから対立するであろう人物やその人と親しい人はどうだろうか。
「ピピッ!」
不安が伝わったのか、スピカが潤んだ瞳でセレストを見つめていた。
(私は、私の思うままに……生きていいのかしら?)
未来を変えたいと思って、セレストはフィルに会いに行った。けれど、あの頃は自分を守るのに精一杯で誰かの人生を変えてしまう責任についてわかっていなかった。
皆が幸せになるならばそれでいいが、そんな奇跡はない。セレストとは幸せを共有できない者は必ずいる。覚悟ができているか、いつできるのか、それはセレストにもわからない。
だとしても立ち止まることはできず、自分と、自分の周囲にいる優しい人々の幸福を願うことは決してやめられない。
「ありがとうスピカ」
大丈夫だと示すために、笑ってみせる。
スピカはセレストの手のひらに乗ったまま、鼻先をある方向へと向けた。そこには改造軍服のドウェインと、斜め後ろで控えるヴェネッサがいた。
「やあ! フィル、それからセレちゃんも」
ドウェインはゆっくりと近づいてきて、ミモザを実体化させた。
「少佐。このような場では態度を改めてください。エインズワース将軍閣下、でしょう?」
軍服を着ている以上、今日は軍人として振る舞えとヴェネッサは指摘している。
軍内部ではフィルは将軍でドウェインは少佐。けれど、貴族としてのドウェインは名門公爵家の子息だから、時と場合によってどちらが上か変わってしまう。
不動の関係はきっと「悪友」で、だからこそどんなときもくだけた態度なのかもしれない。
「まあまあ、お祝いの場で堅いことはなしにしましょう。それよりセレちゃん、その子はスピカなのよね?」
「ええ、そうですね……。小さいですけれど」
ミモザはさっそくスピカのそばに寄ってきて、結果的に彼までセレストの上に乗るかたちとなった。
「ピッピッ!」
「……」
「ピッ!」
なにを話しているかはよくわからないけれど、二体の星獣はどうやら再会を喜び合っているようである。
「ミモザは大歓迎みたいね。色々気になることはあるけれど、あとでゆっくり調べましょう。……それではセレスト・エインズワース様。星獣使いとして、私とミモザは、あなたとスピカを認め、歓迎するわ」
星獣使いにして、指折りの名家出身のドウェインが認めた。
集まっていた者たちはそれ以上の不満など口にできるはずはない。ヴェネッサが拍手をはじめたのに釣られて、一人、二人と手を叩く者が現れる。それはやがて押し寄せるような大きな喝采になった。




