5-2
選んだ髪飾りは、化粧箱に納めリボンをかけてもらった。フィルは「渡すのは誕生日になってから」と言って、リボン付きの小さな箱を大事そうに持ってくれた。
セレストとフィルは、店を出て屋敷へ帰るために歩き出す。
大通りでは人や馬車の往来がはげしい。とくに宝飾品店のある付近は、富裕層向けの店が軒を連ねているため、貴族と思われる紳士淑女の姿がよく見られる。
「あれは……っ!」
豪華な馬車がセレストたちを追い越していった。重厚そうな黒塗りの車体に金の装飾が眩しい馬車は、貴族が多く集まる地域でも目を引いた。そして、側面にはセレストのよく知っている紋が描かれていた。
「ゴールディング侯爵家の馬車だな」
フィルも気づいたようだ。一時期暮らしていた侯爵家の人々とは、結婚してから一度も会っていない。きっともう、彼らはセレストのことなど思い出しもしないだろう。
忘れて、関わらないでほしいとセレストも思っていた。
けれど馬車は二人の進行方向で歩道側に寄り、停車した。
その付近の店に用があったから止まっただけだとセレストは信じたかった。二人はそのまま馬車を追い越そうとしたのだが、直前で窓が開く。
艶やかな黒の巻髪の少女と目が合った。
「セレストお姉様じゃない。ごきげんよう」
久しぶりに会うミュリエルは、少しだけ大人っぽくなっていた。それは、一度目の世界でセレストを陥れたときの彼女に近づきつつあるということだ。
けれどやはり幼い。
セレストの心の中には誰にも明かしたくないドロドロとした憎しみがあるのに、どうしても一度目の世界でのミュリエルと目の前の少女を同一視できない。
フィルやドウェインには一度目の世界から親愛を積み重ねている気がするし、王太子ジョザイアのことは考えるだけで震えてしまうほど恐ろしい。
黒髪のいとこだけが特別に違って見える理由は、彼女があまりにも心が幼く、言動が浅はかなせいだ。
「ミュリエル、久しぶりね」
「ええ、お久しぶりですわ。……それから」
ミュリエルはセレストの隣にいるフィルに視線を向けた。
「……エインズワース将軍閣下、はじめまして。このような高い場所からの挨拶となってしまい申し訳なく思いますわ」
けれど、馬車から降りて挨拶する気はないのだろう。彼女は侯爵令嬢で、たとえ年上であっても伯爵家の人間などに敬意を払う必要はないのだ。
「ところでお姉様はなにをしていたのかしら?」
「買い物を。……もうすぐ私の誕生日だから」
「へぇ……そうでしたの? 夏生まれだなんて知らなかったわ。教えてくれればよかったのに。そうしたら、料理人に言って食事を豪華にしてあげたでしょう。お父様だってそれくらい許してくださったわ!」
ミュリエルはきっと「いとこ」と「使用人」が同義語だと思っているのだろう。
誕生日すら知らなかったと平気で口にする。悪気がなく、本当にそれで感謝されるはずと心から思っているのが恐ろしい。
「そう」
セレストはついそっけない返事をしてしまった。
「ということは、もしかして……。星の間での儀式をするつもりなのかしら?」
「ええ」
「……フッ、フフ。ごめんなさい……。フッ、あはははっ!」
セレストが正直に頷くと、ミュリエルは口元を押さえて噴き出しそうになるのをこらえ、最後は我慢できずに大声で笑い出した。
「なにがおかしいの?」
「あのね、お姉様。星獣使いになるには、国内でも指折りの星神力を持っていないとだめだって、家庭教師から教わらなかったの? ……あ、忘れていたわ。お姉様は落ちこぼれだから勉強はしなくていいと言われていたんだった」
ミュリエルという人は、もしかしたら哀れな少女なのかもしれない。
家族から言われた「ミュリエルは最高だ」、「きっと星獣使いに選ばれる」という言葉を真に受けて、本当に信じているのだ。
けれど実際は、同世代の貴族に限定しても突出した才能はない。
馬鹿にされて腹立たしい気持ちと、彼女のほうこそ家族に恵まれていないのかもしれないという同情で、セレストの心は複雑だった。
「……侯爵令嬢はものすごい勘違いをしているみたいだ」
セレストがなんと答えていいのか悩んでいるあいだに、フィルが口を開いた。
「まあ、いったいどのような……。教えてくださらない?」
本物の星獣使いの前で、星獣使いについて語るという部分がすでに滑稽だというのに、十歳の少女はまだそれに気づいていない。
「セレストは君とは桁違いの星神力の持ち主で、二人の星獣使いが直接術を教えたくなるほどの才能があるんだ」
「……は? わたくしより、上……? 聞き間違いかしら……」
「俺だけじゃない。シュリンガム公爵子息もセレストを高く評価している。今度聞いてみるといい」
正確にはドウェインが教えてくれるのは座学だが、それは些細なことだった。
騎士の家系のフィルの言葉は、身分至上主義のミュリエルには響きにくい。だから彼はあえてドウェインの名を出したのだ。
今度聞いてみるといい――その言葉には「まぁ所詮、侯爵令嬢は星獣使いといつでも会って世間話ができるような関係ではないだろうが」という嫌みがたっぷり込められていた。
(フィル様、とっても大人げない……それなのに、なんだか嬉しい……)
セレストとミュリエルは、もう別の家の人間だ。もちろん爵位に差はあるが、一方的に蔑んでいい関係ではない。セレストは無礼にならなければ、言い返せる立場なのだ。
どうせ嫌われているのだから、事態が悪化することもない。
(そうか、私はもうあの家に従わなくていいんだ。ミュリエルの言葉を否定してもちゃんと夕食を食べられるんだ……)
それは自らが動いたことがきっかけとなり、フィルが与えてくれた自由だ。
「だからなんだというの! 星獣使いに教わって少し術が使えるようになっただけでしょう? 高名な術者に教わったら誰だって……」
ミュリエルは顔を真っ赤にして声を荒らげた。