呉越同舟2 ―地の利を活かせ―
汎用魔法「拡声」によって呼び戻されたマリーシェとグローイヤ。
彼女達は戦う気勢を削がれて大いに不満だった。
しかし、サリシュはそんな彼女達へ冷静に状況を説明する。
押し寄せてくる魔物の大群は、数こそ多いが強さはそれほどでもない。今ここに集う冒険者達が力を結集させれば、退ける事も決して無理では無いだろう。
だが、そんな力の均衡を崩す存在が集団にはいるものだ。例えばこの戦場においては、グローイヤは群を抜いて戦闘力が高い。
レベルならば彼女と同等かそれ以上の者もいるのだが、潜在能力や戦闘技術と言った部分でグローイヤは相当に秀でていたのだ。
それもその筈で、彼女は戦闘民族「アマゾネス族」の出身だ。生まれた時から戦闘技術を叩きこまれて来た者など、この場にはいないのだからこれは当然かも知れない。
そしてこちらの陣営にその様な人物がいるならば、相手側にもそんな存在がいてもおかしい話では無い。
それが、周囲に魔物を引き連れつつ悠然と上陸を試みようとしている2体の蟹烏賊だった。
サリシュの言葉で動きを止めたマリーシェとグローイヤは、カブリカラマルと絶妙の間合いを取りつつゆっくりと後退していた。勢いに任せて攻撃を仕掛けたかった2人だが、サリシュにそれを引き留められてはそうも行かない。
「ど……どうすれば良いのよ!?」
「おい、とっとと次の指示を言えってぇの!」
彼女達がそれぞれに疑問や不満を口にしたのは、浜辺にいるサリシュと随分と離れた場所だ。それでもそんな事を口走っているのは、それがサリシュに届いていると2人とも理解していたからだった。
汎用魔法「拡声」の効果により、サリシュの声はマリーシェとグローイヤへ届けられるし、2人の声もサリシュには確りと聞こえるのだ。
「……ええから。2人とも、周りの魔物を倒しながらここまで戻って来ぃ」
そして当然、サリシュの声はハッキリと2人に聞き取れる。しかもそれだけではなく、有無を言わせぬ圧まで掛けられているのだ。普段は不敵なグローイヤでも、魔法で圧力を加えられた声には減らず口も叩けない。
2人はサリシュに言われた通り、程なくして浜辺まで戻ってきたのだった。
「おい、サリシュッ! お前、どういう事だよっ!」
そして早々に、グローイヤはサリシュに食って掛かっていた。気持ちよく戦えば戦う程に調子を上げていく彼女にしてみれば、正しく出鼻を挫かれたと言った風情なのだろう。
「ちょっとっ! サリシュに絡まないでよねぇっ!」
そしてそこへと割って入ったのは、誰あろうマリーシェだった。本質的には彼女もグローイヤと同じく気分で戦闘力が上がるタイプなのだが、ここではサリシュの判断に異を唱えるような事はしなかった。
ただ、彼女もサリシュの指示に完全な納得を示した訳ではない。この辺りは、短くない付き合いから心得ているのだ。……サリシュには考えがあると。
「……ちょお、止めぇや。……今はそんなんしてる時やないやろ」
ただ、目の前で一触即発な光景を見せつけられても、当のサリシュにはどこ吹く風だ。もっとも、サリシュだけではなくスークァヌも、グローイヤとマリーシェのやり取りが本気でない事は十分に理解していたのだが。
「……あんた等が戦ってる場所を考えて見ぃ? 格上を相手すんのに、地の利まで取られてどないするん?」
だから淡々と語るサリシュの声音も平時の物と変わりなく、ぐうの音も出ないほどの正論だった。実際、彼女の説明にグローイヤもマリーシェさえ僅かな反論も出来ないでいる。
ただの血気に逸る若い冒険者ならば、恐らくはここで持論を展開して噛みついていただろう。例えばセリルなどは、核心を突かれて逆上し騒ぎ立てていたかも知れない。
この辺りが、グローイヤとマリーシェが年齢に見合わず修羅場を潜り抜けて来た証左だろうか。
「……それにな。水棲魔物に効果がある魔法は〝火〟と〝雷〟やけど、あんた等が水中に居ったらどっちも使われへんやろ?」
続けて語られた2つ目の理由にも、2人は何も言い返せなかったのだった。
水棲魔物に特効のある「雷系魔法」は、水棲系魔物を攻撃するうえで非常に相性が良い。水が雷を通し減衰を抑えて攻撃できる点と、水棲魔物の多くが耐水性の表皮や皮膜を得ているのだが、これが雷系魔法にたいして惰弱だからだ。
ただし、水中で使用する「雷系魔法」にも難点がある。それは、水に触れた雷は拡散し、制御が非常に困難となる点だった。
つまり水中に向けて雷魔法を使用した場合、周囲の者も巻き込んでしまう可能性が非常に高いのだ。辺り一面が魔物だけならば絶大の効力だが、そこに仲間がいればとてもではないが使用は難しいだろう。
もう一つ効果がある「火」の魔法だが、これは「水」との相性が悪い。敵が水棲系の魔物で水辺や水中で戦う場合は、火系魔法の効果を打ち消すか減衰されてしまうのだ。使うならば、せめて水棲系魔物を陸へ誘き出さねば魔法使用の無駄と言うものだった。
「でもよぉ。あたい等たちだけ浜辺に居ても意味無いんじゃないのか?」
サリシュの説明は正道でマリーシェとグローイヤに反論の余地を与えなかったのは確かだ。しかしそれも、仲間内での話となる。
ユックリと侵攻する2体の蟹烏賊へ向けて、他の冒険者達が徐々に取りつき攻撃を開始しだしたのだ。これではグローイヤの言う通り、彼女達だけが誘き寄せるために退いても意味のない話だった。
「ねぇ……。このままだと、あの人達やられちゃうんじゃない?」
そしてその戦いぶりを遠目に見て、マリーシェは不安と呆れがない交ぜとなった疑問を口にしていた。それもまた、この場の全員が見てもその通りだった。
無数に攻寄る魔物を排しカブリカラマルに辿り着いたのは少数だ。それも一斉に……ではなく、徐々にである。これでは、敵にしてみれば各個撃破するのに何の問題もない。
事実、詰め寄る冒険者を8本からなる巨大な腕の1本で軽く一蹴していた。幸いと言えるのだろう、やられた冒険者は大きく吹き飛ばされるだけで命に別状はないようだが。
当の蟹烏賊は悠々と、まるで無人の野を行くが如く進んでいた。
「なぁ……。魔法で援護出来ないのかよ?」
その様子を見て、思わずグローイヤが毒づく。余りにも呆気なくやられて行く冒険者達を見て歯痒く感じたのかも知れない。
ただし台詞を聞けば格上の様に感じられるグローイヤだが、もしも彼女が1人で立ち向かったとしても、善戦は出来ても勝つ事は難しいだろう。それほどに、この場でのカブリカラマルの強さは群を抜いていたのだ。
「……無理やなぁ。……火、水、風、地のどれも、水の中におる敵やと効果が減衰してまう。雷は巻き込んでまうしなぁ」
「グローイヤ、あんた何言ってるのよ? それが難しいのは、あんたも分かってるでしょ? だから私たちも、わざわざここまで下がったんじゃない」
そんなグローイヤの言葉にサリシュが否を示し、マリーシェが嘆息交じりに反論した。
「わ……わぁってるよ! 言ってみただけだろ!」
2人に半ば呆れ顔で言い返され、グローイヤは顔を赤くし慌てて言い訳を口にしたのだった。
サリシュの言った通り、水の中にいる魔物相手ではどの魔法も効果は期待出来ない。火の系統は言うに及ばず、風と地は水に親和性が高く、水は水棲系の魔物ならば耐性がある。
これは水と言う地形だけではなく、それぞれに地の利のある場所と言うものは存在するのだ。
ただ今回は、雷は使用不可、火は水中を行く敵には期待出来ず、水棲系魔物により水に高い耐性を持ち、地と風も効果を発揮しきれないと言う条件が重なっているのだ。
「なぁなぁ。それじゃあ、あの辺り一帯の敵を眠らせるってのはどうだ? その隙に、俺らがあのでか物に止めを刺すって方法で……」
「……馬鹿か。……それでは、周囲で戦っている者も巻き込むだろう。……麻痺や拘束も不可だな」
話を聞いていたセリルがしたり顔で意見を言うも、それはバーバラによってアッサリと否定されてしまった。確かに、既に周囲は混戦模様であり、人だけを避けて広範囲魔法を使う様な真似は中級冒険者であっても恐らく不可能だろう。
「……それじゃあ、海水を凍らせてぇ……足場にするってのはどうぁしらぁ?」
「……ウチの技量やと、水面は凍らせられても海中全体は無理や。……あんた、分かっててゆぅてるやろ?」
代わってスークァヌが不敵な笑みで提案を出すも、それはじろりと睨め上げるような視線を彼女へと送ったサリシュによって否定されたのだった。
足元の水を凍らせて敵の足止めを図り、足場を作って攻撃に活かすと言う戦法は良く知られている。しかしそれも、場所に依る処が大きかった。
池や沼、湿地などでは効果のある戦術だが、大きな波が寄せて帰る湖や大海などでは、余程の魔法力を持つ上級冒険者でも無ければ凍らせるなど難しかった。それでは、足止めとしての効果は無に等しい。
「それよりも、さっきの魔法……『拡声』だっけ? あれでみんなに呼びかければ?」
ここでマリーシェが、明確な考えを持ってかどうか定かではないものの、最も現実的な提案を口にした。恐らくそれが、この場では一番効果的なのだろうが。
「……ただデカい声で指示したって、必死に戦ってる奴らにウチの声なんか聞こえへんよ。1人ずつ話しかけるなんて、現実的やあらへんしなぁ」
しかし実効性が高いからこそサリシュもその事は既に勘案していたようで、マリーシェへの答えは間を置かず淀みのないものだった。
戦いに没頭している者は、周囲の声が耳に入りにくい。ここでサリシュが「拡声」を使って周囲に呼び掛けても、全員が実行してくれる可能性は確かに低いだろう。
結局のところ、今のマリーシェ達には蟹烏賊が上陸するのを待つしかない……そう思われた矢先だった。
『みなさぁんっ! 聞いて下さぁいっ!』
周辺に、良く通る綺麗な声が響き渡ったのだった。
カブリカラマルの上陸を待つ間、多くの冒険者が無謀にも立ち向かっていくだろう。
そして、少なくない損害を受ける事が考えられた。
打つ手のないサリシュ達の耳に、聞いた事のある声が大音声で入って来たのだった。




