海からの襲来
海上の最後方では大騒ぎが起こっている。
賑やかなのではなく混乱と化しているその騒動は、異常事態が起こっている証左に他ならなかったんだ!
突然、会場の後方から叫声……いや、悲鳴が沸き起こった! 明らかにそれまでの歓声とは違い、驚きや恐怖ばかりが含まれている!
「何だ? 何が起こってる?」
ここからでは、客席の最後尾を具に確認する事は出来ない。だから俺は、誰に問うでもなく口走っていたんだ!
叫び声の発生源方向の客は、すでに混乱を起こして右往左往の状態だ! これじゃあ、原因をすぐに特定するなんて難しいだろう。
でもそれは、すぐに解消される事になった。
「出演者の皆さんんんんっ! たった今あああぁぁっ、情報が入って来ましたあああぁぁっ!」
未だに壇上に残っていた司会者が、出演者に……俺たちに向けて説明を開始したんだ。……でも、危急な場合でもあの喋り方ってのはプロ意識が高いと言うかなんと言うか……。
「今あああぁぁっ、この浜辺にいいいぃぃっ! 無数の魔物があああぁぁっ、現れたと言う事ですうううぅぅっ! 皆さんはあああぁぁっ、すぐに非難して下さいいいいぃぃっ!」
緊迫感を含んでいるんだけど、何故だかそれを感じさせないのはやっぱり……この喋り方のせいだろうなぁ……。
それは兎も角、彼の告げた内容は火急を要する案件だったのには間違いない。
……しかし。
「……おかしいわね。この浜辺には精霊の加護が強く働いているから、魔物はそう簡単に近づかない筈なのですが。それに、海の魔物は日中に陸上へ上がる事を嫌います。しかもこれ程の日差しの中では能力が低減し抑制されるばかりか、下手をすると身体が乾いて死んでしまうと言うのに」
つらつらと淀みなく、セルヴィが起こった事態の異常さを説明してくれた。これは俺たちに向けて話したというよりも、口にする事で状況を整理するって側面もあるんだろうな。
この町に女神像の加護がなくとも魔物の襲来を軽減出来ているのは、正に彼女の言った通りの理由からだった。
そして女神像の加護が得られないからこそ、この町には多くの冒険者が集って来る。如何に野生の魔物とは言え、幾度も駆逐されていれば本能的に近づく事はしなくなるってもんだ。
だからこそ、この町は観光地として成り立っていたんだ。
「この町の警護を請け負っている冒険者たちはどうしたんだ?」
その実情を知っている俺は、MCに向けて質問を向けた。
ここに集う冒険者たちは、金銭目的の者が多い。でもそれだけに、腕自慢の冒険者も多く集まって来るんだ。弱いと、すぐに用済みとされちまうからな。
ちょっとやそっとの数の魔物なら、アッサリと駆逐しちまうはずなんだが。
「すでにいいいぃぃ、総出でえええぇぇ、対処していますうううぅぅっ! しかしいいいぃぃっ、数が多すぎてえええぇぇっ、処理しきれていないとの事ですうううぅぅっ!」
俺の質問に対する司会者の回答は、俺が想像していた最悪を突いていた。如何に格下の魔物とは言え、数で攻め込まれれば余程の実力差でも無ければ一蹴出来る筈が無いからな。
「……人手がいるな。……おい、司会者。襲ってきた魔物の撃退に協力すれば報酬は出るのか?」
俺は少し考えて彼に尋ねた。
そこまで多くの魔物が攻め込んできているなら、恐らくは今いる冒険者たちだけでは手に余るだろう。戦力は多いに越したことは無い筈だ。
自分たちが立ち寄り居を構えている町の危機なのだから手を貸すのも間違いでは無いんだけど、出来ればそれに報酬が付いて来れば言う事はないってのが本音だな。
それに、戦うとなれば命を賭ける事になる。それに対価を求めるのもおかしな話じゃないだろう。
「撃退に協力しいいいぃぃっ、その活躍が認められればああぁぁっ! 『マールの町運営局』よりいいぃぃっ、賞金が約束されますううぅぅっ!」
「彼、その『マールの町運営局』の役員らしいわ。この話には信憑性が持てるわよ」
司会者が威勢よく返答し、それについてセルヴィが耳打ちして補足してくれた。役員を務める程の者の言葉なら信用しても良いだろう。……ってか、こんなハッチャケた奴が役員だなんて、土地柄だよなぁ。
「よし! マリーシェ、サリシュ、カミーラ、バーバラ、ディディ! 戦闘準備をしよう! 殆どの敵はレベル的に俺たちよりも下だから、装備は軽装でも問題ない!」
この辺りに出現する水棲魔獣と言えば以前にマリーシェ達も戦った「巨鋏蟹」、大きさと攻撃力はさほどでもないが動きと数が厄介な「突撃魚」、そして一番の強敵となるのは恐らく「甲羅蛸」。こいつは甲羅を背負った蛸ってところだろうか? 8本の柔軟な長い脚での攻撃と、強固な甲羅に依る防御力が厄介ってところだ。
でも、どいつも陸上では能力が著しく低下する。この中で1番レベルが高い「フェルナブルボ」でもギルド推定レベルがLv15~Lv18。それが更に低くなるんだから、今の俺たちには恐るるに足りない相手だな。
「分かった! 思いっきり暴れられるのね?」
「……こんな恥ずい思いするよりか、戦闘してる方がまだマシやわぁ」
「……とりあえず……上に何か羽織らせて」
「さ……先にご飯を食べてはダメですぅ!?」
喜ぶマリーシェ、安堵するサリシュ、何か着るものを探すバーバラを見る限りでは、この戦いに参加するのに異論はなさそうだ。まぁ、ディディはこの際無視と言う事で。
ただ少し疑問に思ったのは。
「……カミーラ、大丈夫か?」
騒動の方へ目を向けたまま返事のないカミーラの事だった。こう言った場合、彼女は全体を引き締める様な台詞を口にするのが常だったからな。
「あ……ああ。無論、問題ない」
俺が話し掛けると、カミーラはそこで我に返ったみたいな声を出したんだ。……やはり、どこか心此処に非ずと言った風情だな。
「何か心配事でもあるのか?」
彼女が心配する様な事など何も無かった筈だ。
確かにカミーラは義侠心の強い傾向にあるが、だからと言ってどんな危険な場所へでも見ず知らずの者を助けに行くと言った無鉄砲さは持ち合わせていない。自分の技量や置かれた立場、その場の状況を踏まえ、最善の行動を取れる思考を持っているんだからな。
だから彼女が、悲鳴を上げて逃げまどっている〝一般人〟を殊更に気に留めている……と言う事は無い筈だ。
「この状況は……。い……いや、そうではなく、これ程までに水棲魔物が大挙して押し寄せる事がここでは初めての話ではないのか?」
カミーラは何かを言いかけてそれを呑み込み別の……尤もらしい疑問を口にした。
彼女が先に言いかけた話の内容は分からない……いや、実は俺には想像が出来ていたんだけど、この場では言及しなかった。
カミーラの疑問は、さっきセルヴィが口にした内容とほとんど同じだ。ただ少し違うのは、ここではこの現象が何度か起こっているのか? ……と言う疑問だった。
実際、このような事態は規模こそ違えどこれが初めてじゃあ無い。過去にも、魔物にこの町を襲わせた事例は幾つかあった。
そりゃあそうだろう。この街程、要人暗殺に最適な場所もまぁ少ないだろうからな。
この町は常夏であると言う気候条件上、多くの者が好んで訪れる行楽地だ。その中には、それなりに地位のある商人や貴族も含まれていた。
そんな者たちには往々にして、商売敵やら政敵が存在する。
「いや……。これまでにも浜辺で遊んでいる者を狙って魔物が大挙押し寄せる事例はあったって聞いているな。でも、ここまでの数は記録に無かったと思う」
そう言った要職に就く者達を事故を装って暗殺するのに、この町の設定は非常に有効なんだ。
精霊の加護によりこの地域一帯に魔物が近付きにくい……とは言え、近づけない訳じゃあ無い。
そして魔物が出現しない事が日常化すると、人は知らずにそれが当たり前と感じてしまう。暗殺を意図するものは、その心の隙を狙って仕掛けてくるんだ。
権力を持つ者は、少なからず護衛を引き連れている。しかし安全と油断している町中では、その数も質さえ落とす場合が少なくない。
そこに群れを成した魔物が襲い来れば、不意を突かれると言う一点でも効果は絶大。かなり高い確率で命を落とすと言う結果に繋がって来た。
俺が改めて会場の外……浜辺の方へと目をやると、そこには海を埋め尽くさんとするほどの魔物が押し寄せてきているのが分かったんだ。
海より押し寄せる夥しい数の魔物の群れ。
それに対処するには、幾つかの方法があるのだが……。




