黎明の語らい人
ゆっくりと夜が明ける。
寝ずの番には、この時間帯が一番睡魔に襲われる時間帯だった。
そんなタイミングで、まさかの……。
夜が明け、3日目の朝が来る。見るからに青空が広がっていて、今日も良い天気になりそうだ。
「……ふぁあ。……おはよう、アレク」
寝ぼけ眼で寝床から起き上がったのは、意外と言っては失礼なんだろうがグローイヤだった。彼女は以前の世界においても早起きだったな。
「おはよう、グローイヤ。まだ早いぞ?」
実際、まだ日が地平より顔を出して間もない。動き出すにしてもオレリアやナリスの身支度が整った後だろうし、それにはまだ二刻は掛かるに違いない。
「まぁね。でも、ダラダラ寝るのも性に合わないからねぇ。……顔でも洗って来るよ」
そう言ってグローイヤは、近くに流れている小川へと歩いて行った。
こう言っては何だけど、色眼鏡無く彼女を見ればかなりカッコいいな。言葉遣いから粗野粗暴なイメージを受けるけど、実際は男前だし面倒見は良いし細かい処には気が付くんだよなぁ。
川の方よりこっちへ戻って来たグローイヤは、俺の視線に気付いて少し目を逸らせ気味にして。
「……なんだよ? あんまりジッと見るんじゃないよ」
悪態をつくみたいにポツリと吐き捨てたんだ。とは言え、それほどキツイと言う印象は受けない。
時折こう言った照れた風な台詞を口にすると、グローイヤも女の子なんだなぁって実感させられる。
「なんて顔してんのよ、あんた。見張りで睡魔にでもやられちゃったんじゃないの? あんたも顔でも洗って来れば?」
この一行の全体はアルドル率いる護衛部隊が見ている。夜も二人一組で寝ずの番をしていて、不測の事態に備えてくれている。
それとは別に、俺たちの方でも見張りを立てていた。別にあいつ等を信じていない訳じゃあ無いけど、言うなればこれは習慣みたいなもんだな。
シラヌス、グローイヤ、ヨウ、そして俺と、昨夜はこの順番で夜の番をしていたんだ。その中でも、明け方が一番眠くきついのは人間の性みたいなもんか?
「ああ、そうするかな」
確かに、俺も僅かながら睡魔を感じている。眠気は集中力を欠き、肝心なところで失敗を引き起こしかねない。
俺はグローイヤの忠告通り、冷たい水で目を覚まさせようと小川に向かったんだ。
戻って来ても、起きているのはまだグローイヤだけだ。彼女は残火を利用して、昨夜作った珈琲の残りを温めていた。
「あんたも飲む?」
「ああ。貰おうかな」
鍋の中の黒い液体が茹って来るのを見ながら問い掛けて来るグローイヤに、俺は彼女の対面に腰を下ろしつつ答えた。
それに彼女は何も答えなかったけど、暫くして木製の湯飲みにそれを注ぐと俺に手渡してくれた。俺も、特に何も口にはせずにそれを受け取った。
何とも無言の時が流れてゆくが、俺は別に苦でも無かった。
それは多分、俺が以前にこいつ等と15年も旅を続けた経験があるからだろうな。今更相手の事を探らなくても、ある程度はもう知っているからなぁ。
「あ……あのさ」
でも、考えてみればグローイヤの方はそうでもなかったようだ。これは、俺も迂闊だったかもな。
俺には15年の付き合いがあると思われるグローイヤも、彼女にとって俺は付き合いの浅い人物でしかない。如何に気さくで能天気なグローイヤでも、流石に気まずいってのはあるかも知れないからな。
「……なんだ?」
どうにも話し難そうにしているグローイヤを見るのは随分と珍しい。大体こいつは、明朗快活……って言うよりも図々しいのが代名詞だからなぁ。
「こ……この依頼が終わったら、あんた達はどうするんだ?」
意を決した風に切り出した彼女の顔は何故か真っ赤だ。そんなに緊張するような質問だったろうか?
「また元の冒険に戻るだけさ。当面はジャスティアより西へ向かう事になるだろうなぁ」
「西……か。と言う事は『フィーアトの街』を目指すのかい?」
「まぁ……普通に考えればそうだよなぁ」
グローイヤの問いに、俺は一般的な回答で応じた。
駆け出し冒険者がそれなりに力を付けて、次に目指す場所と言えば隣の領地に当たる「フィーアトの街」になる。
フィーアト領は武を重んじる傾向が強く、多くの騎士や戦士を輩出している事でも有名だ。だから力を付けた冒険者が、貴族や王族に徴用される機会も少なくない。
立身出世を計る者にとって、「フィーアトの街」や「フィーアト城」を目指す事は一つの目標でもあるんだ。
「なんだい? 他にも先に行っておきたい処でもあるのかい?」
ただ俺が少し言い淀んだ事で、グローイヤはそこに疑問を抱いたみたいだ。
確かに目的はあるし、その為にはのんびりと寄り道をしている場合じゃあ無い。でも、慌てた所ですぐに強くなり何でも出来る様になる訳でも無いからな。
そういう意味では、別に急ぐ旅でもない。だからあくまでも目的として「フィーアトの街」を口にしたが、特に目指しているというでも無かったんだ。
「いや、行きたい場所なんて無いけどな。色々な経験をするという意味では、南回りに移動して『マールの町』に寄っても良いとは思っているかな?」
「ぷはっ! 選りにも選って『マールの町』かよ!? あんたも案外、遊び好きなんだねぇ」
俺が行先を答えると、それを聞いたグローイヤは失笑を堪えられずに噴き出していた。まぁ、彼女がそう言うのも分からなくはないか。
マールの町は、この地方でも有数の〝リゾート地〟でもある。
テルンシア地方の最南端に位置していて、年中夏の暑さが続いている「常夏の地」でもあるんだ。だから海水浴を楽しみたい人々が、時期を問わずに殺到している。
とは言え、ここは何もジャスティアの町から大きく南に移動した場所と言う訳でもない。そして、ジャスティアの街近辺も常夏はおろか、温暖な気候と言う訳でもなかった。
ただ「マールの町」のある「プシャーシ海岸」は、どうにも精霊達に好かれている土地みたいで、多くの精霊が居座っているんだそうだ。
特に火の精霊や陽光の精、風の精なんかが多く、だからこの地を夏の気候が続く地へ変質させちまったらしい。
ただし、ここに女神の像の加護を受けた像は設置されていない。だから町とは言え、魔物が出現すれば容赦なく襲われちまうんだ。
だから、常時ここには多くの冒険者が用心棒として駐留している。更に精霊のお陰なのか、ここを魔物が襲う事は殆ど無いようだった。沖合には、巨大な海洋性魔獣も生息しているのにな。
だから人々は、ここに挙って集まって来るって寸法だ。もっとも流石に貴族や王族、豪商たちはやって来ないけどな。
「まぁ、ただ只管依頼や戦いだけってのも面白くないし疲れるだけだろ? 何よりもあいつらには、色んな経験を積んで欲しいんだよ。それが例え無駄と思う様な事でもな」
「……ふぅん。あいつら……ねぇ」
考えてみれば、前世の俺たち……俺やグローイヤ、シラヌスにスークァヌは、こう言った〝寄り道〟なんてしなかったよなぁ……。いつも何時でも効率重視で、とにかく先に進む事だけを考えていたっけ。
もしかして、以前の俺たちに足りなかったのはそう言った「遊び心」なのかも知れないな。
「あんた……。なんか、オッサンみたいな話し方をするんだねぇ」
……っと、うっかり気を許してしまった。本心でマリーシェ達には多くの経験を積んで貰い色んな選択肢を持って欲しいとは考えていたけど、その思考自体が年寄り臭かったな。
このままじゃあ、彼女に余計な不信感を与えちまうか。俺は何とか、シレッと話を逸らす方向で切り出した。
「お前たちも、たまには息抜きしても良いんじゃないか? まぁ、余計なお世話かも知れないけどな」
こいつ等は、この世界でも多分一心不乱に前へと進んでいるのかも知れない。だから、俺の助言は不要で神経を逆なでするものだったかも知れない……と思ったんだけどな。
「……息抜き。……息抜きねぇ。そんな事、考えた事も無かったよ。面白い事考えるんだねぇ……あんた」
そう言ったグローイヤの瞳は、何やら興味津々と言ったように爛々と輝いている。そんなに面白い事言った覚えも無いんだけどなぁ。
「おう、アレク。なんだ、グローイヤもいつもながら早いな」
そんな話にも一区切りついた頃合いを見計らったように、起き出してきたヨウが声を掛けて来た。そちらの方を見れば、シラヌスにスークァヌも体を起こしている。
「みんな、起きたみたいだね。それじゃあ、今日は特別だ! あたいが朝飯を作ってやるよ!」
「な……なんだとっ!」「ま……まて、グローイヤ! それは……」「朝から……刺激的よねぇ」
グローイヤが元気よく宣言すると、それを聞いたシラヌスとヨウが蒼い顔をして絶句し、スークァヌはどこか諦観気味に目を眇めて遠くを見つめていた。……なんだ、この雰囲気は!?
「あっははははははっ!」
他のメンバーの声など聞く耳も持たず、グローイヤは実に楽しそうな声を上げていた。
そして俺は、シラヌス達の上げた声の意味を直に知る事と……なった。
こうして、この依頼の最終日が幕を開けた。
問題が無ければ、昼過ぎには目的地に到着するだろう。
勿論…‥問題が無ければな。




