オレリアとナリス
以前には知れなかった……いや、知ろうとしなかったシラヌスの一面に、俺は驚きを覚えていた。
それはグローイヤ達にも同様で、前世の俺は何をしていたんだろうと考えさせられる一幕でもあったんだ。
そんな俺たちに、元侯爵夫人からの使いが現れた。
ワイワイと歓談を楽しんでいた俺たちの元へ、護衛騎士の1人がやって来た。
「アレックス殿。オレリア夫人がお呼びです」
口数少なく彼は、俺に向けて要件を口にした。元々不愛想ってのもあるんだろうけど、その言い方はどこか俺達を下に見ている様な風情がヒシヒシと感じられる。
当然と言えばそうなんだけど、元とは言え侯爵夫人直属の騎士ともなれば、俺たちみたいな冒険者とは格が違うと考えているんだろう。
「……分かりました」
もっとも、そんな事をイチイチ気にしていたら富裕層の相手なんて出来ないからな。その辺は、グローイヤ達も心得ているんだろう。
「何だい何だい? あたい等はお呼びで無いのかい?」
立ち上がった俺に向けて、グローイヤの冷やかしが飛んだ。でもその台詞には、棘のある気配なんて込められていない。本当に、ただの冗談だったみたいだな。
「多分俺に用があるのは、夫人じゃなくてその娘さんの方だな。ナリス様は、俺の雇い主であるクレーメンス伯爵令嬢シャルルー様と仲が良いって話だしな」
そんな彼女達に、俺は俺だけが呼ばれた理由を推察して答えてやった。でもこれは俺の憶測だったけど、多分真実だろう。
〝エラドール侯〟ナリスは、シャルルーと幼い頃より面識があるって聞いた。年が近い……と言ってもナリスの方が3つほど年上だそうだが、それでも随分と親しくしていたそうだ。
こんな事になって、シャルルーは本当にナリスの事を心配していた。そして、それが伯爵にこの依頼を受諾する決心をさせた訳だが。
そして当然、ナリスの方もシャルルーの事を気に掛けていた。
なんせ「トゥトリスの街殲滅作戦」の後から今に至るまで、本当に早急でバタバタしてたもんなぁ。ゆっくりと別れの挨拶をする間さえ無かっただろう。
「良くいらしてくれました。アレックス……レンブランドと申しましたか? 私は『エラドール=オレリア』と申します。宜しくね」
優しい笑みを湛えて、〝元〟エラドール侯爵夫人オレリアは俺に声を掛けた。本当だったら下民の俺に対して直接言葉を掛けるなんて事は稀だったんだろうけど、これは彼女元来の性格と爵位がなくなったって理由からだろうな。
「こちらこそ宜しくお願い致します、侯爵夫人。お話は兼がねクレーメンス伯爵様より伺っております」
「も・と・侯爵夫人よ。今はその爵位も取り上げられて、お情けで領地を残されたただの未亡人でしかないのですから。ですので、堅苦しい言葉遣いや態度など不要ですよ」
そんな俺の想通り、何とも夫人は気さくな台詞を口にした。それに俺は、ただ頭を下げて応じたんだ。
如何に彼女が無礼講を言った処で、相手は「元」とは言え侯爵夫人。そう簡単に馴れ馴れしい態度なんて取れる訳がない。
それにこの周囲から感じられる苛立ちやら嫌悪……敵意って奴に近いか? こんな気配を向けられれば、言葉通りの態度なんて取れようはずもない。
「この度の護衛、宜しくお願い致しますね。それから、用事があるのは私と言うよりも……」
「ねぇねぇ、アレックス。 あなた、シャルルーの護衛をしているのよね? あの娘は元気にしていたかしら?」
そしてどうやら、その娘であるナリスも侯爵令嬢と言う立場を気にしない性格みたいだ。
この辺りはシャルルーに通じるところがあるなぁ。仲が良いのも、この部分の馬が合ったって事かな?
夫人の言葉を遮って質問して来た娘に、夫人は眉根を寄せて不快感を露わとしていた。とは言えそれは心底嫌悪してって訳じゃあ無く、娘の無作法に呆れている母親のそれだったけどな。
「主とした任務は伯爵様のご依頼に応じる事ですが、シャルルー様の護衛を仰せつかった事もございます。シャルルー様は非常に元気であられますよ。今回の事には、お心を痛めておいででした」
俺はナリスに返事すると同時に、伯爵より託った事をシャルルーの言のようにして伝えた。
シャルルーもまた、今回俺がオレリア夫人達を護衛して隠遁地へと送る事を知らない。知っていたら、高確率でマリーシェ達に知れちまうからな。
でももし彼女がこの事を事前に知っていたなら、多分ナリスの安否を心配するだろう。だから俺の言葉は、決して虚言とは言えないよな。
「そう、あの娘が……。でも、安心して下さい。お父様が亡くなったのは本当に悲しいけれど、お父様も侯爵位を預かっていた武人ですもの。戦いの中で命を落とす覚悟は出来ていたでしょうし、それは家族である私たちも同じです」
そう述べたナリスは、キュッと口を引き結んで言葉を区切った。その表情には悲しみが湛えられているみたいに見えるけど、流石に俺の目は誤魔化せない。
夫人も目を伏せて悲哀の雰囲気を醸し出してはいるが、2人ともフリをしているだけだ。本当に悲しんでいるようにはとても見えなかった。
もっともこの姿を視れば、大抵の者は欺かれちまうだろうけどなぁ。この辺りは、強か乍らも侯爵家の人間……貴族って事か。
「それに、実は私は領地での生活を楽しみにしているの。どうも私には堅苦しい貴族の生活が合わなかったみたいで。以前から王都を離れたいって言っていたんだけど、お父様は聞き入れてくれなかったの。だから、私の事は心配しなくても大丈夫だと、シャルルーに伝えてくれるかしら? それから、落ち着いたら是非遊びに来てとも」
直後にはパァっと顔を明るくしたナリスは、それはもう嬉しそうに語ったんだ。この辺りは、確かに王宮での生活には適していないな。
貴族の社交界は、騙り欺く魑魅魍魎の跋扈した世界だと聞く。そんな中では、このナリスは生きていけないだろう。
そしてそう言った意味で、俺はこのナリスに好感が持てたんだ。貴族然として鼻持ちならない相手よりも、自然体で付き合える方が好意を抱けるのは当然だよな。
そう言った意味でこのお嬢様は、正にシャルルーと同類だと言えるんだが。
「畏まりました。戻りましたら、必ずお伝えいたします」
だから俺の返答が柔らかいものになったとしても、それは当然の事だったと言える。
「それでは、以降の道中もお願いいたします」
ナリス同様に気さくな物言いのオレリアがその言葉で締め括り、俺はその場を後にした。……んだが。
「侯爵夫人はあの様におっしゃったが、決して勘違いはするなよ?」
グローイヤ達の元へと戻る俺に並び、護衛隊長のアルドルが小声で話し掛けて来た。その声音には、たぁっぷりと険が含まれている。
アルドル=フスティは精悍な顔立ちをした、パッと見れば二枚目の優男と言った感じだ。
特別に屈強と言う訳じゃあ無く、爵位も持たない平民出と言う事を考えれば、彼のこの地位は異例の出世だと考えられる。
武芸に秀でているって話だけど、レベルで言えば10にも満たないだろう。……まぁこの辺は、他の貴族の親衛騎士と大差も無いんで問題ないけどな。
あの噂が本当だとすれば、彼が引き立てられたのは夫人の鶴の一声って事になるか。
「夫人はお優しいからお前如きにもあの様に気さくなお声掛けをなされるが、本来ならば直接話す事も許されない身分のお方なのだからな」
そしてこいつの異常なまでの忠誠心……と言うか服従心を考えれば、それも当然だと思えた。
でも、だからと言ってこいつの物言いを甘受してやる必要性を感じないけどな。
「勘違いしているのはあんたの方だろうから話しておくけどな。夫人もおっしゃっていた通り〝元〟侯爵夫人だ。クレーメンス伯爵より礼を尽くすように仰せつかっているから無礼な態度を取るつもりもないけど、必要以上に遜るつもりもない」
「な……なんだとぉ」
別に求めて争いを起こそうとは思わないけど、こんな選民意識を持った奴と今後も行動しなくちゃいけないんだ。ここは、互いの立場をハッキリとさせておかないとな。
「あんた達では完全に夫人を守り切る事は出来ないだろう? だから、俺たちが遣わされたんだ。でもそれは、そっちの部下になるって事じゃあない。報酬だって、俺たちは伯爵様から頂戴するんだからな」
俺の口にした正論の数に、アルドルは歯噛みするしかなかった。憎々しいと言った表情で、俺の方を睨みつけている。
とは言え、実際問題として彼の引き連れている護衛騎士十数名では夫人とナリスを守る事なんて不可能だ。その辺りに出没する魔物でも何とか、襲って来る暗殺者集団には歯が立たないだろうしな。
「……安心してくれ。俺たちで夫人たちに襲い来るものは可能な限り排除する。あんた達は、俺たちが打ち洩らした奴を駆逐してくれりゃあ良い」
奴の方へは視線を向けず、俺はそれだけを言い歩を速めた。
佇むアルドルは、暫くの間俺の方へ刺す様な視線を向けていたんだ。
気さくなオレリア夫人と天真爛漫なナリスは好感が持てるが、この護衛騎士のアルドルはどうにもその言動が鼻に付くな。
もっとも、こいつは俺の依頼主でも何で無いからな。
俺は、俺の仕事を全うするだけだ。




