トゥリトス侵攻
後数時間もすれば、俺たちは戦闘を始めないとならない。
だから今目の前で起こっている言い争いなんて、本当にどうでも良い事だとしか思えないんだが……。
そろそろ休む者と警戒する者とで別れ、それぞれ来るべき時に備える必要があるんだが。
「ちょっと、ちょっとぉ! アレクはあたいと警戒に出るんだよ! あんたはここで、のんびりと寝てな」
「なんですってぇ!」
マリーシェとグローイヤが、未だにどうするか揉めていた。
いやまぁ慕われるのは嬉しい限りなんだが、今はそんな時じゃあ無いだろうに。
「それじゃあ……。間を取って、私が彼と一緒に見回りに行くわぁ」
そんな2人に割って入ったのは、それまで静観に徹していたスークァヌだった。
普段から妖艶な雰囲気を纏う彼女は、夜の闇に溶け月に照らされて更に怪しい美しさを醸し出していた。
そんな彼女に見つめられながらそう言われると、流石の俺も何と答えて良いか言葉に詰まっちまった。
「だ……ダメよ! 絶対ダメなんだから!」
真っ先に動き出したマリーシェが、とにかく必死にスークァヌの提案を拒絶し。
「な……何言ってんだ、スークァヌ! あんたにゃ、アレクには手を出すなっていってあるだろ!」
「……それだけはあかん」
「み……認められん!」
「……却下」
そしてマリーシェだけではなく、女性陣が一斉に反対の声を上げたんだ。
それだけ、スークァヌの色香ってのは常軌を逸してるって事なんだろうけどなぁ。
「じゃ……じゃあ、俺がスークァヌちゃんと……」
「それは御免被るわぁ」
しかし、セリルの代案は今度はスークァヌの方から却下される始末。これじゃあ、いつまで経っても収拾が付かないな。
「……見回りは俺とヨウで行うから、みんなは少しでも身体を休めててくれ」
大きく溜息を吐いて、俺は最も妥当な案を出した。
最初は反論しようとしていたマリーシェたちだったけど、他に最善策はない。それが分かったんだろう、誰からも異論は出なかった。
そうして、日の出までの僅かな時間はあっという間に過ぎていったんだ……。
そして陽が昇る。
「全隊、侵攻せよっ! この闇の街に住む者たちを、全て薙ぎ払えっ!」
今度は、侯爵ではなく全軍指揮官が声高に号令を掛けた。
彼の台詞は、事実上の無差別殲滅攻撃だ。老若男女問わずに、目についた住人は全て殺せと言っているに等しい。
でも、この場合はそれも仕方がない。
実際、誰が住人で誰が「闇ギルド」に所属している者なのか、すぐに判別のしようがないからな。
こう言っちゃあ身も蓋もないけど、俺たちは雇われた身だ。命令に従うだけで、何が正義かは雇い主が決める事なんだ。
……まぁ拒否する権利もあるから、最終的には自分たちの判断となるんだけどな。
侯爵の率いる騎士団……と言っても侯爵の親衛隊なんだが、その部隊を先頭にして続々と武装した一団が出発して行く。
街までは半刻とない距離だから、戦闘はすぐにでも始まる筈だ。
「……では、男爵」
だから俺は、男爵にこちらも動く様に促した。
単純な人同士の戦闘ならばなんとかなるだろうけど、魔獣が……しかも多数の魔物が襲って来れば、間違いなく深刻な被害が予想されるからな。
先んじて、全員がレベルの恩恵を得られるようにしておかなければならない。これは……先日から取り決めていた基本方針だ……ったんだが。
今は、それが正しいのかどうかは分からない。
「……うむ。それではお前たちはマリーシェたちを引き連れ、女神像破壊に回ってくれ」
返事をした男爵は、傍に控えていた騎士に指示を与えた。
恐らくは副官だろうその騎士は、小さく頷くとすっと右手を上げて合図を送る。
それに合わせて、一部の騎士団員が動き出した。
「それではマリーシェ。くれぐれも、用心は怠らぬように」
俺と共に街中へと向かうカミーラが、帯同しようとしていたマリーシェに声を掛ける。
女神像破壊の方はレベルの恩恵が受けられるとはいえ、それは相手も同じ事だからな。
「任せてよ! カミーラこそ、十分に気を付けなさいよね!」
「……それじゃあアレク、カミーラ。そっちも、気ぃつけてな」
「んじゃあな、カミーラちゃん! こっちは俺に任せとけ!」
「……お互いに、気を付けましょう」
マリーシェの返事と共に、カミーラやサリシュ、セリルにバーバラが俺たちに声を掛けて出発していった。
「……そっちは頼むよ」
「……うむ。任せておけ」
そして俺は、シラヌスにそう話しかけ、奴もそれに応じた。
今回俺たちと共に街中へと向かうのは、グローイヤとヨウの2人。魔法を使えるシラヌスとスークァヌはマリーシェと共に女神像破壊に回ってくれた。
敵となると面倒な奴だけど、味方ならこれ程心強い者もいない。
2人もまた、そのままマリーシェたちの後へと続いて移動を開始したんだ。
「それじゃあ、男爵。我らもそろそろ……」
「……そうだな」
そして、いよいよ俺たちが出立する時が来た。
と言っても、俺たちは殆ど最後尾だ。補給や救護要員を守りつつ、退路を確保するのが主な任務な訳だが、男爵は侯爵に姿の見える位置まで移動しておかなければならない。
そうでないと、この戦いが終わって侯爵が生き延びていたら、何を言われるか分かったもんじゃないからな。
補給部隊の警護は残りの騎士たちに任せて男爵と俺、そして。
「さぁて……いよいよだね!」
「ああ! 腕がなるぜぇ!」
グローイヤとヨウも俺たちに同行するみたいだった。
まぁこの2人に関しては、行動にあれこれ注文は付ける真似は出来ないけどな。
「行こう!」
気合の籠った男爵の声に併せて、俺たちも街へと向かい歩き出したんだ。
すでにトゥリトスの街の中には、侯爵の率いる騎士団を始めとして多くの部隊が入り込んでいる。
「ど……どう言う事だぁっ!?」
入り口付近の広場で侯爵は、誰に問うでもなくそう叫んでいた。
それもそうだろう。何せ街中には、人っ子一人いないんだからな。
でも俺は、少しホッとしていた。どうやら「闇ギルド」の奴らは、とりあえず非戦闘員は逃がしていたみたいだったからだ。
ただ、事はそう簡単ではなく。
「……ちぃ! どこぞの配下が勝手をしたせいで、やはり作戦が知られていたのだ!」
侯爵は、声を顰めるどころかわざと聞こえる様に吐き捨てた。視線はこちらへと向いている事からも、明らかに俺や男爵の事を言っているんだろうなぁ。
「……侯爵?」
「……ふん、仕方がない。このまま奥まで進み、何も無いようならば街に火をつけて全てを灰に変えてやれ!」
側近の耳打ちに、侯爵は不機嫌を露わとして指示を返していた。
……このまま進軍は取りやめ、すぐに撤退するなり火を掛けるなりすりゃあ良いのに。
「……アレク。どういう事だ?」
もっとも、この状況に慌てているのは何も侯爵だけじゃあ無かった。男爵も、俺の方へと顔を寄せて意見を求めて来たんだ。
まぁ、こんな状態を目の当たりにすれば仕方が無いんだろうけどな。
「……男爵。これは罠です。恐らくは、街のそこかしこに伏兵が潜んでいるでしょうし、家屋には魔獣の繋がれた檻がある筈です。迂闊に歩を進める事はお勧め出来ないのですが……」
だから俺は、これから起こる事を想定して男爵へと返答したんだ。
「闇のギルド」の奴らはバカじゃあない。まともに戦っては多勢に無勢だし、街中じゃあ剣術の腕前と装備で結果が決まる。
騎士団相手に真正面から戦おうってのは、まともに考えれば愚策なんてすぐに分かる事だ。
しかも奴らは、暗殺や隠密の技術に優れている。なら、恐らくは伏兵を使って不意打ちをしてくるだろう。
「……わかった」
俺の真剣味を増した表情に、オネット男爵は喉を鳴らしてそれだけを口にして正面に向き直った。
そして俺の言った事は、時を置かずにして現実となったんだ。
トゥリトスの街へと侵攻を果たした俺たちだが、どうにも誘きこまれたとしか思えない。
ここから先は、俺だって何が起こるか分かったもんじゃないからな。




