ご立腹な彼女達
無事にトゥリトスの街を脱出した俺たちだったが……。
得られた情報は多くなく、それどころか恐怖だけを植え付けられた結果となっちまったけどな……。
トゥリトスの街から十分に離れた合流地点に到着して、俺は「不可視の粉」の効果を解除させた。
これを解除させるのは意外に簡単で、一定の時間が経過するか誰かに強く触れられるか、自ら少量の水を被ればいい。
そして俺は、最期の方法を使って効力を無効化したんだ。頭を冷やすには丁度良かったしな。
俺が姿を見せると殆ど同時に、ヨウ・ムージも同じ方法でその姿を現した。
その顔は俺と同じで青くなっていて、額からは玉の様な汗が滲み出ては流れている。
「……バレたと思うか?」
完全にとはいかないものの、周囲に人の気配は感じられない。
それでも俺は、声を潜めてヨウへ問い掛け。
「……分からん。もしかすると、見逃されたのかも知れないな……」
答えるヨウも、小さく聞き取りにくい声音だった。こいつも、もしかするとさっき感じた「手練れ」が追いかけてきている可能性を払拭出来ないんだろう。
さっき感じた気配は、それに触れただけで斬られたと錯覚するほどに強力なものだった。
そしてそれほど強い気を発する者ならば、自分の気勢が届く範囲に異質なものが入り込んだのならば気づく事も出来たはずだ。
それは姿を隠していても関係なく、だからこそ俺たちは気を抑えて行動していた訳だ。
たださっきの俺たちは、明らかに〝奴〟に近付き過ぎていた。
俺でもそう考えられるんだ。ヨウも同じように思っていてもおかしくはなく、だからこそ怯えているんだろう。
「さっきの〝気〟の持ち主……。あいつぁ、ヤバいな。レベルに関係なく強い。それに恐らくだが、レベルも相当高いぞ……」
俺の心を代弁するかのように、ヨウはその心情を吐露した。
現在はまだあの街には女神像の恩恵が与えられている。トゥリトスの街中では、レベルの効果は発現出来ていない筈なんだ。
それにも関わらずのあの気勢。単なる手練れだとは言い切れない程の強さを、俺とヨウは感じていた。
「……あの人物を察する事が出来ただけでも収穫かも知れないな。これを侯爵に報告すれば、被害は随分と抑えられるはずだ。……もっとも、俺たちの発言を真剣に汲み取ってくれれば……だけどな」
事はそう単純ではないにしろ、危険人物の存在を把握しているかどうかだけでも結果は随分と変わって来る。
実際作戦当日は、恐らく街中に魔獣が放たれて大混乱に陥るのは目に見えている。
そんな中を手強い相手に暗躍されては、やはり食い止めるのも被害を最小限に抑えるのも難しいかも知れない。
しかし、知っていると知らないのとでは随分と違う。
この事を念頭に置いて行動しているかどうかで、やっぱり結果は変わってくるはずだ。
「それは期待薄だろうな。……まぁ、俺たちだけでも注意するって事で対応するしかないだろうな」
俺の言葉を聞いて、漸く笑みを……苦笑を漏らしたヨウは、やっぱり俺が考えている通りの返答をよこしたんだ。
侯爵は、恐らくは俺たちの意見なんて聞き入れない。
直接あった訳ではないが、話を聞く限りではとても他者の弁を採用する寛大で臨機応変な人物には思えなかった。
下手をすれば、勝手に行動を起こした事へお咎めを受けるかも知れない。
「……この事は、一応男爵に話しておこう。……ヨウ、お前も」
「……ああ。グラウザーさんにはシラヌスから話をしておいて貰おう。……って言っても、事後承諾だろうけどな」
だから俺たちは、それぞれに上司や雇い主には話を通しておくことで合意したんだ。
オネット男爵やグラウザー商会長がどんな風にに動いてくれるかは分からないけど、事前に報告だけはしておかないとな。
「とにかく、まずはアルサーニの街へと戻るか」
「ああ……。まずは街道まで注意しなけりゃな」
もう陽は十分に上っている。街道に出る頃には、夕刻になっているだろうか。
それでもそれなりに人通りはあるし、深夜でなければ怪しまれる事は無いだろう。わざわざ姿を隠す必要はない。
俺たちは申し合わせて、静かにその場を後にしたんだ。
アルサーニの街に戻った俺とヨウは、ここでもまた問題に直面する羽目になった。
「……なぁんで、私たちに黙って行っちゃうかなぁ?」
「……ったく。あたいに一言の断りもなくアレクと出かけるなんて、あんたも偉くなったもんだねぇ……ヨウ?」
宿に帰り着いた俺たちを待っていたのは、至極不機嫌をまき散らしていたマリーシェとグローイヤだった。
こうなったマリーシェに、今は何を言っても意味がないだろう。
だから俺は、ただ小さくなって彼女の小言を聞き流していたんだ。
隣を見れば、ヨウも似たような態度を取っている。恐らくは、グローイヤも同じような性格なんだろうか。
そして俺たちの視線は、そのままシラヌスへと向かっていた。
奴には後の事を任せたんだ。ちゃんと説明が成功していれば、俺たちがここでクドクドと言われる事も無かったんだ。
ジトっと俺たちに目を向けられたシラヌスだが、スゥっと視線を逸らせて我関せずを決め込んでいる。
どうやら奴も、マリーシェとグローイヤへの説得に失敗して、全ての責任を俺たち2人に転嫁させたんだろう。
ったく、こういう狡賢さは記憶通り相変わらずだな……。
一通り2人の少女からの愚痴を聞かされ続けていたが、それもどうやら終わりを迎えた。
「……それで? 街の様子は如何だったのだ?」
ほとぼりが冷めるまで遠巻きに眺めていた他の面子も合流し、カミーラが口を開いた。
まぁあの時に俺たちのフォローに回れば更に火の手は拡大していただろうし賢明な判断なんだが、どうにも釈然としないなぁ……。
もっとも、彼女達も置いて行かれたと思っているクチだからなぁ……。本当は、文句の一つも言いたかったんだろう。
「……俺の考えていた通り、街中には複数の魔獣が檻に繋がれていた。間違いなくあれは、罠の類だろうな」
「……大型のペットとかとちゃうん?」
俺の話を聞いたサリシュが、もっともな指摘をしてきた。
街中に魔獣を繫ぎ止めておくなんて、普通に考えれば危険が高くてあり得ない話だからな。彼女が念を押して訪ねてくるのも当然の話だ。
「間違いなくあれは『黒犬』だったなぁ。強さまでは分からなかったけど、あんなのが街中に放たれれば混乱は間違いないだろう」
それに対しては、ヨウが俺の意見を補完するように答えた。そしてサリシュの方も、その言に異を唱えなかった。
「……もしかすると、他の魔獣もどこかに用意されているかもな。それに、どれだけの数が準備されているのか見当もつかなかった」
「……はん。大の男が2人も向かって、得られた情報ってのはそんなもんかい?」
俺が更に追加情報を口にするが、どうやらそれにグローイヤは不満だったようだ。
と言うか、さっきの事をまだ根に持っていたんだろうな。
「いや、それがよぅ……。街の中にはとんでもない……ウッ」
それにヨウが反論を試みたんだが、そのすべてを口にさせては貰えなかったみたいだ。
ジロリとにらみを利かせたグローイヤに、強制的に閉口させられちまっていた。
「ちょっと、グローイヤ! そんな言い方は無いじゃない!」
そんなグローイヤへ向けて言い返したのは、さっきまでは彼女側だったマリーシェだった。
彼女の良い処は、余り物事を引き摺らない事だろうか?
「……ふん」
そしてグローイヤの方も、さっきの台詞は単なる憂さ晴らし程度だったんだろう。
すぐにそっぽを向いて、それ以上文句を言うようなことは無かったんだ。
「……それでぇ? 街中に何がいたのぉ?」
グローイヤの代わりに話を促しにかかったのはスークァヌだった。
言葉はこれまで同様に妖艶な雰囲気を纏った間延びしたものだったが、その表情はどこか引き締まり真剣そのものだ。その眼が笑っていない。
「あ……ああ。街中には、とんでもない手練れ……だと思われる人物の気配も感じられたんだよ。うっかり先走ると、とんでもない目にあっちまうだろうなぁ」
それに救われた気分となったんだろうか。ヨウは彼女に向けて答えていたんだが。
「……手練れ。……本当なの、アレク?」
そして情報を補足するように、バーバラが俺の方へと確認して来た。
別にヨウの事を信用している訳ではなく、他にも加える情報があるかどうかの確認だろう。
「……ああ。あれは……ヤバかったな」
そうは言っても、俺たちだってその姿かたちを見た訳じゃあ無い。これ以上は他に言うべき事も無かったんだけどな。
それでもその台詞が深刻さを増したんだろう。全員が押し黙り考え込んでいた。
「……それでは、この事を?」
そしてその場が収まった事を確認して、シラヌスがまとめに掛かった。
俺たちはこの事を、それぞれの上司に話さなければならない。
時間はないけど、出来る限りの対応を取る必要があるからな。
「……ああ。そうだな」
だから俺は、シラヌスに頷いて応じたんだ。
とりあえず俺たちは、それぞれの上司に得た情報を報告する事にした。
出来れば侯爵も、この話を聞き入れてもらいたいもんだけどなぁ……。




