温かな目覚め
女神フィーナの世界から戻ってきた……んだろう俺は、周囲が騒がしい事に気付いた。
何やら揉めてるみたいだけど……この声は……?
深く暗い世界から、だんだんと意識が覚醒して行くのが分かった。
さっきまで俺はフィーナの居た空間にいたから、これは現実世界に戻ってきた事を指してるんだろうな。
「ちょっとっ! あんた、アレクに何飲ませようとしてるのよっ!?」
まずは聴覚がハッキリしてきて、真っ先に聞こえて来たのはマリーシェの怒声だった。
次に嗅覚が戻ってきた事で、無数の薬品の匂いからここが医療機関であると言う事は理解出来たんだが。
「い……いや、これはあれっす。……そう、栄養剤っす。アレクさんは気力や体力の消耗が激しいっすから、何とか回復して貰おうと新しく調合した……」
「……飲んでみぃ」「……へ?」「……それが栄養剤やっちゅぅんやったら、まずはあんたが飲んでみぃや」
「いやぁ……。あは……あはははぁ……」
何やら不穏なやり取りが聞こえて来て、俺はすぐに目を開ける事が出来なかったんだ。
このまま気を失ったフリをしていては、何を飲ませられるのか知れたもんじゃない。でも、今の空気では気付いた風は装えないなぁ。
しかしここにアルケミア=ハイレンがいるって事は、ここはクレーメンス伯がシャルルー嬢の侍従であるエリンの為に用意した療養所か。
「……アル。其方の錬金術師としての腕前は高く評価する処だが、アレクの身で人体実験をするような事は断じて控えて貰おう」
「……アレクは私たちにとって……大切な存在。……あなたの知的好奇心を満たす為に……利用しないで貰いたい」
「……ちぇ」
カミーラとバーバラがアルに追い打ちを掛けると、彼女は閉口して押し黙った……んだけど、小さく舌打ちしたのを俺の耳は捉えていた。おい、本当に何を飲ませるつもりだったんだよ。
「何だなんだぁ? その薬師が調合した物が問題なら、こいつに試し飲みさせりゃあ良いんじゃないのか?」
「確かに……。こやつなら問題無いだろう」
「体力だけはありそうだからな。検体にはもってこいだろ?」
「うふふふ……。確かに、色々と試すには申し分ない体力をしてそうだけどねぇ」
「お……おいおいグローイヤちゃんにスークァヌちゃん! そりゃ酷いだろ!? それに、検体ってなんだよ!」
次に聞こえて来たのはグローイヤとスークァヌにシラヌスとヨウ、そしてそれに抗議するセリルの声だった。なんだ、こいつ等もここに来ていたんだな。って事は、俺の持っていたアイテム「帰郷の呼石」を使ってジャスティアの街にまで戻ってきたのか。
クレーメンス伯の地下には特殊な魔法陣をマーキングしてあって、「帰郷の呼石」を使えばそこに転送されるって代物だ。連続使用は出来ないけど、数日もあれば魔力も溜まって使える筈だから今回はそれを使用したんだろうな。……って事は。
「ちょっとぉ。皆さん、少しお静かに願いますねぇ。ここにはアレクだけじゃなくぅ、他にも治療に専念している方もおられるのですからぁ」
「そ……そうですよ! アレクさんもディディさんもセルヴィさんも体を休めておられますし、何よりもエリンお姉ちゃんが眠ってるんですからお静かに願います!」
やっぱりと言おうか、この場にはシャルルーとエリンの妹のエリシャもいたみたいだ。それに、ディディとセルヴィも運び込まれてるんだな。となれば当然。
「そうです。隣の部屋では交渉管理人も療養しているんですから、どうか静かにして下さい」
「それから……変な色の薬も控えて貰いたいわね」
「ちゃ……ちゃんと効能をその……確認して……」
「ちゃんと効くって言うんなら問題ないけどさ。さっきの話だとそれも怪しいみたいだしねぇ。色も何だか毒々しかったし」
「あう……」
ミハル達四季娘の面々も同行していたみたいだった。
しかし元はエリンの為に作られた割に大きな造りをしているこの療養所も、流石にこれだけの人数が入り込めば手狭だな。何だか酸素が薄い気がする。
「と……とにかくっすねぇ。既に気が付いているディディさんとシルヴィさんはもう危険な状態を抜けたっすけど、未だ目を覚まさないアレクさんには滋養強壮が不可欠っす。そしてこれは、間違いなく栄養補給に最適な薬品なんすよ! ……理論上は」
「ちょっとっ! 最後の小さい一言は何なのよっ!」
「……だから、まずはあんたが飲めぇゆぅとるやろ」
「単なる栄養剤なら、其方が飲んでも問題あるまい?」
「……アレクに何かあってからでは……遅い」
どうやらアルケミアは何としても俺で実験したいみたいだ。そしてマリーシェ達は、それを何としてでも阻止するべく必死で抗議していた。
これ以上は押し問答だろうし、下手をするとアルの言い分が通ってアレを飲まされるかもしれない。狸寝入りもここまでとするか。
「こ……ここは……?」
少し下手な演技かも知れないが、つい今しがた目覚めた風を装って言葉を発した。
「ア……アレクッ!?」「……目ぇ覚めたんや」「……ふぅ」「……良かった」「あんまり心配させるなよな」
その途端にマリーシェ達は驚くべき反射速度でこちらへ向き直ると俺の横になっているベッドを取り囲んで口々に安堵の台詞を並べたんだ。いやぁ……仲間って感じのする瞬間だよなぁ。
「アレクゥ。目が覚めてぇ、本当に安堵しましたぁ」「顔色も悪くないみたいですね」
次いでシャルルーとエリシャが笑顔で話し掛けて来てくれた。彼女達とは冒険を共にしている訳じゃないけど、身分を超えて接してくれる間違いのない仲間だな。
「ようやくお目覚めぇ?」「ふむ……。気が付いてなによりだ」「まぁ、俺はこいつがくたばるなんて思っちゃいなかったけどな」「うふふ……。その割には、落ち着かなかったみたいだけどね」「……うるせぇ」
驚きなのは、前世じゃとても考えられなかったけど、グローイヤ達からも安心したって言葉が投げ掛けられた事だな。俺の知るこいつ等なら、口減らしが出来たって喜びそうなものなのに……。本当にここはあの世界とは別なんだなぁ。
「本当に……良かったです」
「一時はどうなるかと思ったわね」
「で……でも、目が覚めて……」
「でもまぁ、目が覚めて何よりよねぇ」「……あう」
そして、エスタシオンの面々も俺に気遣う言葉を掛けてくれたんだ。こう考えると、多くの人たちに気に掛けて貰えて、俺って幸せ者なんだなぁなんて思っちまう。
それだけに、女神フィーナとの会話は俺の心にズンっと圧し掛かって来ていた。俺はもしかすると、こいつ等をそうと知らずに死地へ誘導していたかも知れないんだからな。
そしてひょっとすれば、ここに横たわっていたのは俺じゃなくこの中の別の誰かかも知れなかったんだ。それを考えれば、とても非現実的な架空の想像……と言い捨てる気にはなれなかった。
「……みんな……すまん」
そんな事を考えていたら、真っ先に俺の口を吐いたのは謝意を表す言葉だった。心配かけたのも勿論、これまでの俺の迂闊な行動に対する謝罪も含まれてたんだけど、まだ頭がハッキリと働いていないからか「何に対しての謝罪」か分からないものになっちまった。
「もう、本当よ! あんまり心配させないでよね!」
「……今回のは……ヤバかった。ほんまに……死んでまうかと思たわ……」
「アレクのお陰であの場で命を落とした者は居なかった。しかし、其方が死んでしまっては意味が無いのだぞ」
「……言っても無駄でしょうけど……あまり、無茶をしないで」
「まぁカミーラちゃん達を救う為とはいえ、今回は限界を超えすぎたなぁ」
俺の台詞を聞いて、マリーシェ達は目に涙を浮かべて抗議の声を上げた。あのセリルでさえ、どこか目元が潤んでいるんだから驚きだよな。それだけで、今回の俺の状態がどれほどヤバかったのかが分かるってもんだ。
そして何よりも、仲間たちの俺を想う言葉に胸が熱くなっちまった。ほんっと、仲間って良いもんだよなぁ……。なんて考えていたら。
「ほんっと、あんたはしぶといねぇ。まぁ、それでこそあたいが認めた男って訳だけどね」
「……それに、お主には色々と聞きたい事が山積みだからな。……それを聞きだすまで死んでもらっては困る」
「おいおい、シラヌスゥ。もっと素直に、助けてくれてありがとうって言えないのかよ?」
「うふふ……。本当に興味深いわねぇ……あなたって」
更にグローイヤ達の軽口が俺に笑顔を齎してくれた。この世界でこいつ等は、間違いなく俺の……俺達の仲間であり好敵手なんだろうな。
「アレクさん、お加減は如何ですか?」
「……本当に、無事で何よりだわ」
「そ……それに、マネージャーを……」
「マネージャーを助けてくれたんだってね? ほんと、ありがとね」「……あう」
エスタシオンのみんなも、俺に労いの言葉を掛けてくれた。
色々とあり過ぎた一連の騒動だったけど、結果としてみんなが無事で何よりだったな。
それだけに、今後の俺の行動を考えさせられもしていたんだ。
そして何より。
この後にあるだろう俺への追及をどう躱そうかにも頭を悩ませていたんだ……。
俺が目覚めたって騒動には一段落ついた。
でも、本当に面倒なのはこの後なんだよなぁ。




