乗っ取られたら乗っ取り返せばいいのですよ、王妃さま。
王妃ハリエットは悔いていた。殺される前に王子を連れて城を出れば良かったと。
彼女を毒殺したのは、若き国王ジェイコブの愛人アニータだ。
よく言えば慎ましくて上品な、悪く言えば地味で華やかさのないハリエットとは対照的に、アニータは下品で派手な女だ。その毒々しいほどの美貌に、温室育ちのジェイコブは骨抜きにされてしまい、周囲の反対を物ともせず彼女を愛人にしてしまった。
貪欲なアニータは王の愛人として贅沢を享受するだけでは満足できず、王妃の座を奪いたくてたまらなかった。
そこで得意の色仕掛けや悪巧みを駆使して、特殊な毒を入手し、王妃に少しずつ飲ませることにした。
王妃ハリエットは少しずつ病んでいき、だんだんと体が不自由になり、寝たきりになった果てに死んでしまった。
原因不明の難病だと診断されていたため、誰かを疑うことなどなかった。
ただ己の不幸を嘆き、悲しみ、遺して逝かねばならない王子の身を案じた。
そう、何よりの心残りは一粒種の王子ウィリアムのことだった。
ハリエットが亡くなったとき、ウィリアムはまだ5歳だった。ハリエットは2年近く病にふせっていたため、元気な姿で息子と遊んでやれた期間は短い。物心がついたばかりの王子の記憶にある母との思い出はおぼろげで、やがて泡のように消えて失くなるだろう。
そして上書きされていくのは、継母の存在だ。
ハリエット亡き後、王妃の座を射止めたアニータはウィリアムの継母となった。
前王妃を暗殺したことを隠し通すため、アニータは生前の王妃に対してしおらしい態度を取っていたし、ウィリアム王子に対しても優しかった。
早くに母親を亡くした幼い王子に大いに同情を示し、新しい母として王子を我が子のように愛すると王に誓ってみせた。
馬鹿な国王はそれを疑いもせず信じ、愛人から王妃へ成り上がった犯罪者に感謝し、猫かわいがりしている。
本当に馬鹿だ。腹立たしいとハリエットは語った。一番腹が立つのは、全てに受け身だった自分自身だと彼女は言った。夫に愛人ができたのは自分が魅力不足だったせいで仕方ないと我慢し、医者の治療方針に疑問を感じながらも他の方法を探ることはしなかった。
周りを信じ、言うことに従っていればきっと良くなると信じていたかった。
しかし結果は最悪だった。
「では、今こそアクションを起こすべきときですね。王妃さま」
ハリエットの話にじっと耳を傾けてくれていた男は言った。凛とした優しい声だった。
男はマーシャルと名乗った。グレーの髪にアメジスト色の瞳、異国から来た霊媒師だそうだ。悪霊を祓う力があるという触れ込みで、この城へ招かれやって来た。
いかにも怪しく、どこの馬の骨とも分からないこのような者に頼るほど、夫と後妻が参っていることが分かり、少し愉快に思ったハリエットだったが、身の危険を察知した。
この祓い屋はインチキ詐欺師ではない。本物だ。
なぜなら悪霊と化したハリエットを視認し、話をすることができているのだから。このままでは祓われてしまう。
無念さから悪霊となり現世にとどまっているハリエットだが、大したことはできない。できることならアニータを呪い殺してやりたいが、今のハリエットにできることと言えば空気の破裂音を鳴らしたり、深夜に呻き声を出したり、小さな家具をカタカタ揺らしたりするぐらいだ。それもすぐに疲れてしまって長くは続けられない。
それでも毎日コツコツと警告を続けているのは、夫にアニータの危険性に気付いて欲しいからであり、アニータが気味悪がって手を引いてくれればいいと願うからだ。
アニータは今のところウィリアム王子を可愛がっているが、それは後妻としてのポイント稼ぎであり、ハリエットの死への関与を疑われないためのポーズである。
本来は子供嫌いで、人目のないところでウィリアムへの呪いを吐いているし、王子の物を勝手に捨てていたりする。大きくなって賢くなると困るから、早めにママのところへ送ってあげないとねと呟いているところを目撃したのは、つい先週のこと。
誰にも見られていない、聞かれていないと油断していたアニータだが、ハリエットはしかと目撃していた。ただし、死人に口なしだ。誰にも知らせることができない。
そう絶望していた矢先、ハリエットを祓うためこの男がやって来た。
天にすがるごとくハリエットは祓い屋にすがった。悪霊と化した自分のことは祓ってくれて構わない、しかし何としてでも息子――ウィリアム王子のことを守ってほしいと。
アニータの悪事を国王へ知らせてほしい、息子の命を守ってほしいとハリエットは切々と訴えた。
しかしマーシャルは穏やかな笑みをたたえたまま、きっぱりと断った。
「それは良案ではございませんね、王妃さま。国王陛下は胡散臭い私よりも愛らしい後妻さまの言葉を信じられるでしょうし、もし私の話を信じてくださって後妻さまが処罰されたとしても、王妃さまは悪霊のままです」
「アニータを排除できて、ウィリアムを守ることができたなら、無念はありません。そのときはどうぞお祓いください。喜んで地獄にでも参りましょう」
「いいえ、もっと良い案がございます。乗っ取られたら乗っ取り返せば良いのですよ、王妃さま」
マーシャルの話はこう続いた。自分には悪霊を祓う以外の能力もある。
生きている人間に霊の意識を下ろすことができるのだ、と。
「むしろ祓うよりもそちらが得意です。降霊術が。悪霊に体が乗っ取られないよう、媒体となるのは霊能力が強く、訓練を積んだ者でないといけません。素人に下ろすのは危険ですが、意識のない状態にしておけば下ろすことは可能です。その後どうなるかは知りませんが。生への執着が強い方が勝つでしょうね。言っている意味はお分かりになりますね? 私は王妃さまを応援いたしますよ」
ハリエットはまじまじとマーシャルを見つめた。ミステリアスな紫の瞳がじっと見つめ返してくる。
「本当に…‥そのようなことに協力してくださるのですか? なぜ…‥」
「王妃さまが大変不憫で、健気だからですよ。復讐したい気持ちも、愛する子供を守りたいお気持ちもよく分かります。ですから私で良ければ手をお貸ししたい。善意だけでは不安だと言うならば、成功報酬を頂きましょうか。もし王妃さまが勝てば、再び王子の母として生きることができるのですよ」
マーシャルの最後の言葉は、ハリエットの迷いを絶ち切るのに効果的だった。
もう一度、ウィリアムの母として生きることができる。ウィリアムに愛情を注ぎ、成長を助け支えることができる。この手で抱きしめて、温もりを感じることができるのなら。
殺したいほど憎い女にだってなろう。
「マーシャル殿。この度は誠に世話になった。貴殿のお陰で怪奇現象もピタリと収まった。これで愛する妻も息子も安心して城で暮らせる」
何も知らない国王ジェイコブがマーシャルに礼を述べ謝礼金を渡す光景を、後妻のアニータは目を細めて眺めた。
誘惑的な鮮やかなブルーの瞳で、マーシャルと意味深な視線を交わした。