35.世界一のクッキー(ウィリアム目線)
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「ウィル、今日から剣の訓練をしようか。」
兄上がそう僕に言ったのは、僕がこの家に来てから3ヶ月が過ぎた頃だった。
その日から兄上は僕に稽古をつけてくれるようになった。もちろん最初は初めて握る剣の重さに慣れなくてバランスを崩すことなんて当たり前だったし、柔らかかった手は剣の柄を握りすぎたせいでズルズルに皮が向けた。
でも、その痛みが少しずつ成長している証のように思えて嬉しかった。
2ヶ月もすれば掌の指の付け根の部分の皮が厚く硬くなって以前よりも男らしい手になったと思う。
もちろん勉強も毎日続けた。マナーや礼儀作法などの貴族として必要なレッスンも。少しずつだけど兄上や姉上に近づけているかと思うとより一層気合いが入った。
姉上は相変わらず優しくて、いつも楽しそうに話をしてくれる。時々無理をしてるんじゃないかと心配させてしまうこともあるが、大丈夫と笑顔を見せると姉上も優しい笑顔を返してくれる。
そんな平和な毎日。
こんな日がずっと続けばいいのに、なんて思っていたら気づけば季節は夏へと差し掛かっていた。僕がこの家に来て8ヶ月の事だ。
「お兄様!ウィル!ちょっとだけ休憩しませんか?」
兄上に剣の稽古を付けてもらっていた僕らの元に、お菓子が入っているのであろうバスケットを持った姉上が少し遠くから声を掛けて手を振っていた。
そんな姉上に気づき僕と兄上は音を立てて重なり合っていた剣をゆっくりと下ろした。
「そうだね、少し休憩にしようか。」
そう言って兄上が剣を鞘に仕舞うのを見て、僕も握っていた剣を腰に提げた鞘へとしまい並んで姉上の元へと足を向ける。
この数ヶ月で僕はかなり変わったと思う。それも自分でそう言える程には。
見た目の話からすると身長が少し伸びて姉上と同じ目線になった。目を隠すように覆われていた髪は目が見えるくらいの長さまで切り揃えられ、全体的に前よりも軽くなった。(と言っても後ろの長さはほとんど変えずに量を減らしスッキリとさせただけだが。)
態度の面では下を向くことをやめた。以前の僕は自信がなく、常に様々な物や人に怯えていた。
でも、そんな僕でも好きだと言ってくれた人たちがいた。だからもう後ろで護られるだけの自分は捨てたんだ。僕はそんな人達に恥じない自分になりたいと思った。陰口を叩かれようが、聞こえる声で悪口を言われようが気にせず堂々と前を向く事にした。
それに、父様に誘われお茶会に姉上と一緒に参加した事が何度かあったが、姉上の美しさに心を寄せる者が沢山いることを知った。しかしそういった事にかなり疎い姉上は、全くと言っていいほど周りからの熱い視線に気づかない。
ずっと僕の手を握っていて、その綺麗で優しい瞳はずっと僕だけに向けられているのだ。これからもずっとその瞳が僕だけを映せばいい。強くなれば姉上はずっと僕だけを見ててくれるかもしれない。
誰にも姉上を取られたくなくて、この中の誰よりも強くなれば姉上は僕以外の人に目移りなんてしないのではないか、そんな風に思ったのも僕の変化の理由のひとつだと思う。
それから、家族の呼び方も変わった。姉上はそのままだが、兄様は兄上へ、お義父さまは父様へ、お義母さまは母様へ。
この家に来た頃は心の距離どころか物理的に距離があったが、彼らの優しさに触れ、本当の家族の様に接してくれる態度に少しずつ僕も歩み寄っていき、今では本当の家族のような関係を築けたと思う。
それもこれも全部、僕が初めてこの家に来た日僕に手を差し伸べてくれた姉上のおかげだ。あの日、姉上が手を差し伸べてくれなかったら僕は今、強くなろうとは思わなかっただろう。
それに兄上や父様、母様とこんな良好な関係を築けることは無かっただろう。
もしかしたら部屋に閉じこもっていたかもしれない。
そんな風に思えるほど、あの頃の僕は人を信じれなかったし、全ての人が敵に見えていた。
「今日はクッキーを焼いたの!はやく一緒に食べましょ!」
そう言いながら姉上は侍女と一緒に庭にあるテーブルにテーブルクロスを敷いてお菓子とお茶を用意していた。
兄上に続いて空いた席に座ると姉上は早速お茶を淹れてくれて僕達はいつも通りゆっくりとした時間を過ごしたのだった。
姉上は僕と兄上が稽古していると必ず稽古を見に来てくれるようになった。
僕がお菓子を好きだと言ってからはいつも甘い匂いを引き連れて姉上はやってくる。
そんな姉上が可愛くて、愛おしくて。
僕の記憶にあるお菓子の記憶は母が作ってくれたクッキーだけだった。香ばしい匂いと口いっぱいに広がるバターの香り、サクッとした食感が大好きで、いつもねだっては作ってもらっていた。僕の幸せな記憶だ。
だけど多分姉上はそんな僕の数少ない記憶にある母の作ったクッキーを今でも気にしているのだろう。
姉上がたくさんの高級なお菓子を持って部屋にやってきたあの日、僕はクッキーが好きだと言った。母の作ってくれたクッキーが美味しかったと言った。
今、目の前にある様々な形をした甘く美味しいクッキーは今では僕の好物のひとつで世界一美味しいと思っている。だけど姉上はきっと母のクッキーには敵わないなんて思っているのだと姉上の表情から見て取れる。
僕の中でクッキーの記憶は、母と父と3人で食べた記憶だけだった。でも今は姉上と兄上と一緒に話をしながら食べる幸せな記憶が増えた。とても幸せな記憶。それは姉上がくれた幸せなんだ。
「姉上のクッキーは世界一美味しいです」
その幸せな気持ちを言葉にしても姉上は「ありがとう」と言うだけできっと社交辞令だとでも思っているのだろう。
そんな姉上に僕は少し拗ねたくなるが、それでも今目の前で嬉しそうに、楽しそうに笑っている姉上が見れただけで僕も幸せだから今はそれでいいと思う。
……でもやっぱり――
「以前学園で行ったと言う模擬戦、ユリウスお兄様が優勝したのですよね!」
「うん、ティアとウィルが応援してくれていたからね。そのおかげだよ。」
「いいえ!お兄様の実力ですわ!ユリウスお兄様は私の自慢のお兄様ですもの!かっこいいです!」
「ありがとう。ティアもウィルも僕の自慢のきょうだいだよ。」
――なんて、姉上に褒められてかっこいいと言われる兄上にヤキモチを妬いてしまう。
僕から見た兄上は完璧な人だ。勉学も剣術も優秀で、さらに魔術を使えるだけでなくその力を完璧に使いこなしている。
姉上に見せる顔はいつも優しいものだが、兄上はその表情を家族以外には絶対に見せない。外に出る時は感情の読めない笑顔を貼り付け、敵対するものは容赦なく切り捨てる。家族に、とくに姉上に何かしようものなら容赦はしない。
そんな兄上の一面を知った時は驚いたが、今では僕も似たようなものだ。
ただ、兄上には力があって、僕にはまだ力がない。それでもそんな兄上の強さに近づきたくて……、でもずっと知られるのが怖くて、誰にも言えなかった事が僕にはある。
――……この力を僕の両親は隠そうとした。忌み嫌われた力だと言って最初から無かったことにしようとした。
あるのに、ないものとして扱われた。だからずっと怖かった。僕じゃない誰かのその力を目の当たりにしても、それは本当は忌み嫌われた力なのではないかと。この力を僕が見せたら大好きな姉上に嫌われてしまうのではないかと。
でももしその力が誰にも負けない強さだったら……
もし僕に使いこなせたら……
その力で姉上を護れるなら……
「姉上、兄上……」
「ん?どうした?」
そしたら僕はもっと強くなれるかもしれない。
そしたら姉上はもっと僕を見てくれるかもしれない。
姉上だけでいい。姉上だけに認められたい。弟ではなく男として……
「実は僕には――――」
ゆっくりと、これまで誰にも言わなかった秘密を、僕はこの時初めて口にした。
20210608.
次回更新予定日は6月25日です。




