第54話 私は、生かす役……
翌日、ランディスの街に帰ってくると、デニスがサビーナ目を向けた。
「サビーナ……ちょっと話してぇ事があんだけど、いいか?」
そう言われて、サビーナはデニスを部屋へと招く。
サビーナが次の言葉を紡ぐ前に、デニスが言った。
その言葉に、サビーナはただフルフルと首を横に振った。
違う。彼のそれは、好きという感情ではない。
セヴェリはサビーナに母性を感じているだけだろう。サビーナがセヴェリに対しての感情が恋ではないのと同じで、彼もまた、サビーナには恋愛感情を抱いてはいまい。彼の愛する人は、レイスリーフェただ一人のはずなのだから。
「もう隠すこたぁねーよ。セヴェリ様のあんな顔、初めて見た。俺、あんなにセヴェリ様に敵視されてたんだな。気分良くなかったんだろうぜ。俺があんたに手を出しそうなのを感じてよ」
敵視に類するものを、確かにサビーナも感じ取ってしまっていて、黙するしかなかった。
「だから、もう忘れてくれ。俺があんたを好きだって言った事はよ」
「俺は、セヴェリ様と争うつもりはねぇんだ。セヴェリ様がサビーナの事を好きなら、俺は身を引く」
「好きとかじゃないですよ! だって、セヴェリ様にはレイスリーフェ様がいらっしゃるし……」
「でもサビーナは、セヴェリ様と一緒にクラメルの屋敷に行く事になってんだろ? 昨日あんたが寝てる間に、セヴェリ様から聞いたぜ」
否定しようもない事実に、サビーナはコクリと頷く。
「レイスリーフェ様とセヴェリ様がどうなってんのかなんて、俺には分かんねぇ。けどセヴェリ様がサビーナを必要としてんのは分かる。そして俺は、何よりセヴェリ様の意志を尊重してぇんだ」
「でもセヴェリ様はレイスリーフェ様とご結婚なさるんですよ? 私はそんな対象には見られてないはずだから……」
「じゃあ、ユーリス行きを断れっか? 断って、俺と付き合うってセヴェリ様に宣言できっか?」
サビーナはハッとして口を閉ざす。
「謝んなよ。前に言ったろ? あんたはセヴェリ様を生かす役。俺は守る役だって」
デニスはサビーナの口元を押さえていた手首を取ると、優しい赤土色の目を向けてくれた。
「俺はセヴェリ様という人格を守るために身を引く。サビーナはセヴェリ様らしく生かすためについてく。それでいいんだ」
ポロリと涙が溢れた。
そう、約束したはずだ。セヴェリの願う通りに努めを果たすと。
デニスはサビーナの髪に手を伸ばすと、髪留めを奪っていく。
サビーナが何かを言う間もなく、デニスの手の中の物はパキンと音を立てて壊れされた。
その言葉にサビーナはブンブンと首を横に振る。
手離したくない。あれだけは、何があっても。
「嫌です! あれは、あの懐中時計は、デニスさんに貰った大切な宝物だから……絶対に、一生大事にするって決めたから……!」
そう言い終えた瞬間、腕をグンッと引き寄せられた。
ガクンと揺れるように顔が上向きになり、そのまま腰を抱きかかえられ……
気が付けば、デニスとキスをしていた。
強く当てられた唇はとろけそうなほど熱く、そしてどこか悲しい。
一瞬のキスが終わると、そのまま強く抱き締められた。
何となく分かる。きっと、これが最後だ。
互いにセヴェリを裏切るわけにはいかない。
デニスとキスが出来て嬉しいと……声には、出せなかった。
やがて拘束を解いたデニスが、発した言葉。
その言葉に、サビーナは顔を上げる。
これだけは、この約束だけは違えてはいけない。
己の生きる意味でもあるのだから。
サビーナの誓いの言葉に、デニスはようやく笑みを見せ。
そしてあとは何も言わずに部屋を去って行った。
パタンと悲しい音を立てて扉が閉まった後。
サビーナは胸の懐中時計を握り締めて泣き崩れた。
苦しかった。
デニスと共にいられない事が。
悲しかった。
己の胸の内に湧き始めた感情を、伝えられなかった事が。
でも、それでも。
サビーナは、セヴェリを見捨てるわけにはいかなかった。
誰よりも孤独で、傷ついている人を。
誰よりもサビーナに依存しているあの人を。
サビーナはセヴェリを思い、しかしデニスを想って、その日は泣き暮らした。




