第105話 セヴェリ様ぁぁああっ
「ええ。 追手に見つかった際、私がサビーナを囮にしている間に逃げおおせるように、一緒に居た方が都合が良かっただけですよ」
もし追手が来たならその思惑通り、サビーナはセヴェリを守る盾となっただろう。
でも何故だろうか。
それを目的として傍に置いて欲しくはなかった。ただ共にいたいという純粋な気持ちで、傍に置いていて欲しかったと思うのは、我儘だったのだろうか。
「私にも良心がありますからね。あなたと離れて一人で生きる事も、真剣に考えました。でもあなたは色々と利用出来そうだったので、傍に置いておく事に決めたのですよ。そうしたら案の定、貴族との結婚を仄めかして来たでしょう? 正直、しめたと思いましたね」
「まぁ、そこからが大変でした。私の世話はもう嫌だと言い出さないように、私に依存させる必要がありましたからね。丁度よく高熱を出してくれたので、サビーナの体を開き、私から逃れられないようにしたんですよ。ああ、彼女を怒らないでくださいね、デニス。私が無理矢理にサビーナの純潔を奪ったのですから」
「薄っぺらいあなたの体を抱くのは苦痛でしたが、その苦労の甲斐もあって、サビーナは本当に良く働いてくれましたよ。私を男爵令嬢との結婚まで漕ぎ着けてくれました。欲を言えば、もっと高貴な貴族が良かったのですがね。まぁクリスタはあなたと違って美人で素直な女性ですし、良しとしましょう」
自分の体は、欲望の捌け口にすらなっていなかった。セヴェリの気持ちが収まるならという考えすら、傲慢だったのだ。
「実は、あなたをどう傷付けずに振ろうかと考えあぐねていましてね。タイミング良くデニスが来てくれたものです。これで私も猫をかぶる必要がなくなる。あなたにはデニスという、愛する人が傍にいるんですから」
そう言い終えると、セヴェリは荷物をまとめ始め、コートを手に取った。その顔は、どこか揚々としている。
「では……私は今日からブロッカで生活する事にしますよ。クリスタとの結婚の話も詰めなければいけませんしね。あなたたちは好きにここを使いなさい。デニスが傍にいれば、サビーナの命は保証されたようなものでしょう。私の心残りも無くなる」
セヴェリは今にも扉を開けようとし、こちらを見てにっこりと嬉しそうに笑った。
カチャリ、と開けられる扉の音。それと同時に隣にいたデニスがガタンと立ち上がる。
「何を確かめようとしているんですか? 私は貴族に戻れ、あなたたちも幸せになれる。何の不都合もないでしょう」
「そんな人? どんな人ですか? 私の腹が黒い事は、あなた方お二人が一番分かっている事でしょう。私はずっとこうなる事を望んでいたんですよ。全ては筋書き通りです」
「サビーナ、今まで苦労を掛けましたね。どうか……幸せになってください」
セヴェリの心からの言葉に、涙が溢れそうになる。
ずっと、ずっと望んでいた結末だ。
セヴェリがクリスタと結婚し、命を脅かされること無く幸せに生きられるよう、ずっと画策していたのだから。
サビーナは優しい目を向け続けるセヴェリに、深く深くお辞儀した。
「ありがとう、ございました……セヴェリ様も、どうかクリスタ様とお幸せに……っ」
そう言ってセヴェリは扉を大きく開け放ち。
その言葉を最後に、セヴェリは出て行った。
パタンと扉が閉じられた後、デニスは低く力強い声で「分かりました」と答えている。
その直後、馬の嘶く声が裏から響き、そしてゆっくりと馬の足音は去って行った。
終わった。全てが。
セヴェリは街でクリスタと結婚して貴族となり、幸せに暮らして行ける事だろう。
ようやく思い通りの着地点に来る事が出来た。
しかも、ずっと会いたいと思っていたデニスが目の前にいる。
きっと今日は、人生最良の日だ。
全てが上手く行った、最高の日……の、はずなのだ。
「う……う、うああ……あああああああーーーーーーーー〜〜〜〜ッ!!!!」
セヴェリが、この家からいなくなった。
それだけで気が狂いそうな程の悲しい波が、次から次へと押し寄せてくる。
全部、嘘だった。好きと言ってくれた言葉も、愛していますと言ってくれた言葉も。
泣き崩れるサビーナをデニスが受け止め、支えてくれる。それでも溢れ出る涙と声は止まらない。
これで良かったはずだった。セヴェリを無事に貴族に戻す事が出来たのなら、それで。
そうだ……
私、セヴェリ様の事が……っ
「私……私、セヴェリ様が好きだった……セヴェリ様を、愛してた……っ!!」
飛び出すように出てきてしまった、愛の告白。
愛の言葉を耳にしたデニスは、己に向けられたものではなくともサビーナを強く抱き締めてくれた。
「分かってる。俺がいっから。俺がセヴェリ様の分まで、あんたを愛してやっから」
セヴェリにこんな感情を抱いたのは、いつだったのだろうか。
最初に感じたのは、母性愛だった。それがいつの間にか、より深く複雑な愛情へと変化していたのだ。
私、デニスさんには恋してた……
でもセヴェリ様に感じてたのは、最初からずっと……愛だったんだ……
心の中でずっと蕾のまま、花開く事無く散っていった無言の愛。
泣きひしるサビーナを、デニスは抱き締め。
サビーナは救いを求めるようにデニスの名を呼び、彼は気が収まるまでサビーナを優しく抱き締めてくれた。