第一話
するどい魔物の爪が頬を掠める。
――さすがに死ぬかもしんねぇな……
青年が組んでいたパーティーは魔物の群れに襲われていた。すでに半数である三人は殺されてしまっているだろう。残るは一緒に冒険者になって依頼ずっと組んできた女格闘士のエーレと今回初めてパーティーを組んだ魔術師だ。目深にフードを被っており、クエスト中も顔を見ることはなかった、ややとっつきづらいイメージのある男だ。
対する敵は爪が短剣に近い長さと鋭さを誇るダガーウルフが八匹。森の浅い所で出会うはずのない魔物だ。寄せ集めのパーティーで、死んだ三人は酒を飲んでおり、警戒すらしていなかったのだろう。用を足しにいった冒険者が最初に襲われ、他の二人も連携も取れずに迎撃もむなしくやられてしまったようだ。酒を飲まずに焚火から少し離れていた三人は無事だったが、襲撃に気付くのが遅れ、半数となった彼らは緊張を強いられていた。
ただでさえ数的不利な状況で、魔物のボスともう一匹は冒険者を殺したことで成長しているのか、最初に見た時よりも明らかに大きく成長していた。ただ、死んだだろうパーティーメンバーもただではやられていなかった。二匹を相打ちで倒しており、他の二匹にも浅くない怪我を負わせている。
「絶望的な状況、一歩手前ってとこだな……」
「ウィズ、この状況でもあなたならなんとかしてくれるって信じてるから」
金髪の髪をお団子にし、動きやすさを重視した服装の女格闘士、エーレが周囲を警戒しながらも青年に囁く。
「男をやる気にさせるのが、うめぇなぁ!」
ウィズと呼ばれた青年――片手用の剣を持ち、こちらは動きやすさを重視しつつも要所要所を革製の防具を装備している――が、飛び掛かってきたダガーウルフの爪を剣で弾き飛ばし、時間差で飛び掛かってきた二匹目の下を潜り抜けるようにして剣を薙ぐ。ダガーウルフがたたらを踏んだ所へエーレが回し蹴りで吹き飛ばし、すかさず魔術士が魔術を放った。
「おっさんやるな!」
「ふっ、我にかかれば造作もないこと。これら全て、倒してしまって構わんのだろう?」
「おっさん一人でやったわけじゃねーし、それ死亡フラグだかんな!?」
正式に冒険者になって当初からずっと一緒にパーティーを組んできたエーレは即座に合わせることを想定していたが、そこに魔術士が見事に連携したことにウィズ感嘆の声を上げた。
「これで敵さんは七匹。ただ、ボスっぽい奴が厄介だな……。上位種に成長しちまってる……。魔術師のおっさん!あんたの魔術でボスなんとかできないか!?」
「ふむ。我が秘奥であれば奴を消し炭にするのは簡単であろう。だが、我が命と引き換えの大魔術となるだろう」
「いやそれ絶対使えない奴じゃん!?」
ウィズは改めて状況を分析する。パーティーは長年一緒に冒険をしているエーレ。通常のダガーウルフなら二、三匹なら十分耐えられるだろう。魔術師とは初めてパーティー組んだが、エーレとの連携にとっさに合わせて、最適な魔術を選んだだろう状況判断能力からして、経験と実力は申し分なさそうだ。それに、彼が噂の魔術士なら……。ウィズ自身も基本的にはエーレと同様通常のダガーウルフなら二、三匹は問題ない。ボスの魔物も切り札を使えばあるいはなんとかなるかもしれないが、確実に倒せる保障はないし、準備の時間を与えてくれるかどうかも問題となるだろう。
対して敵は大型のボスが一体。上位種に成長しており、通常のダガーウルフの三倍はあろうかという巨体。爪は伸縮が可能なため、攻撃してくる時には短剣サイズどころかショートソード程の長さまで伸びる可能性があり、間合いに気を付けねばならない。
次いで中型の個体。パーティーメンバーを倒したことで、これも成長をしていた。通常の二倍くらいの大きさだろうか。当初襲ってきた際のボスと同じくらいのサイズのため、こちらも脅威だ。
そして、通常の小型個体が三匹と手負いとなっている二匹。連携に気を付ければ通常の個体はなんとかなるだろう。
「大型と中型、二匹いるのがやっかいだな……。おっさん、中型なら魔術でなんとかなりそうか?」
「うむ。三詠唱句の火魔術で奴を消し炭にしてやろう」
「時間はどのくらいかかる?」
「四十秒といった所だ」
「小型を全部倒して、中型、大型と順番にやれればベストだけど、大型と中型も黙ってちゃくれないだろうな。実際大型と中型が同時に来たら二人で捌くのはきついぜ……」
「だけど、ダガーウルフも仲間をやられて慎重になってるみたい。見て、ゆっくりとこっちを囲むように動いてる」
「みたいだな。すんなりこっちの思う通りにはさせてくれないか。次点は朝まで凌ぎきることだ。ダガーウルフは夜に集団で安全に狩りをするのが習性だ。すでに群れの仲間は数匹倒しているし、このまま何匹か倒して、朝まで防ぎ切れば撤退する可能性は高い。けど、一人でもやられたら一気に崩される!連携して朝まで耐えるぞ!」
「ふむ。我に依存はないが、我々は朝からクエストで動き回っていた身。疲労とこの緊張、周囲を魔物に囲まれていてはいずれ崩れるのも時間の問題ではないか?」
「おっさんお前、こんな時にそんなこと言うな!二刻だ!二刻耐えれば空が明けてくる!それまでに少しでも状況を変えたい。焚火を壁にする!なんとか後退するぞ!」
「わかったわ。あたし、魔術師さん、ウィズの隊列でいいわね?」
「オーケーだ。おっさんは魔術をいつでも撃てる準備しといてくれよ!」
「あいわかった。近づくものは焼き尽くしてくれよう」
焚火程度の火で壁になるか不安はあるが、ダガーウルフは火が弱点属性だ。牽制程度にはなるだろうとウィズは考える。一行は焚火の位置までじりじりと後退し、一方でダガーウルフ達はゆっくりと三人の周囲へと展開していた。そして、焚火の位置まで無事に後退した後、両者に動きはなく、膠着状態が優に一時間は続いていた。その間、気を張り詰めたままの三人の額には汗が伝っている。
「ちっ……、消耗戦はこっちに不利だな……」
「焚火も火が弱くなってきたわ……」
「残りの枯れ木を火にくべる。エーレ、敵が動いたらフォロー頼む」
そういって、ゆっくりとウィズは周囲を見回した。目的の枯れ木はすぐに見つかったが、あと一、二度火にくべる量しか残っていなかった。
「わりぃ、二人とも。服脱いでくれ」
「ちょ!ウィズ!?」
「ぶふぅ!!」
「枯れ木がもう少ないんだ。服がすぐにしっかりと燃えるかわからないから、枯れ木があるうちに火にくべてしまいたい」
「そう、わかったわ」
「おぉふっ!?は、はれん……ち、な……」
そう言い、エーレは勢いよく袖を引っ張り破いて火にくべた。勢いよく破られた袖は白い肌を露出させ、それを見た魔術師は顔を赤くする。
「おっさんも頼むぜ?」
意を決した魔術師もローブのフードを引きちぎらんとしたが、力が足りないのか、ふん!ぬぐぉ!と力を入れては首に引っかかり苦しむ姿を晒していた。見かねたエーレがローブの胴体部とフードを掴み、フードを引きちぎった。そして露わになった魔術師の顔は無精髭を生やしており、クマが強く青白い。髪は長く、端正な顔立ちをしているが不健康さが増して見える。今は引きちぎられた勢いで青白い顔を苦し気に歪めて呻いていた。
「うご、げっ……かたじけな……、感謝する」
フードは火にくべてもすぐには燃えださなかったが、やがて燃えだして行き、三人が安堵した所で中型を先頭に三匹の小型が襲い掛かってきた。一時間以上の緊張状態と一旦気が緩んでしまったこともあり、対応が後手となる。
ウィズはなんとか中型の攻撃に合わせる。中型の爪は小型とそれほど変わらない長さであったが、何より動きが素早く力強かった。片腕の攻撃を受けるもはじくことができず、剣と爪のつばぜり合いに近い状態となった。中型はすぐに逆の腕を振り下ろす。ウィズの頬に爪が触れた所で、エーレがカバーに入り、中型に強烈な突きを放ち退けた。拳は淡く光っており、スキル使用したようだった。その隙に小型三匹は魔術師に襲い掛かる。魔術師は一匹目を体を捩って躱し、一回転し、二匹目を回転の勢いと杖で逸らしたが、三匹目の爪を腕に受ける。が、
「大樹を照らす火の精霊サラマンドラ 汝が力、紅蓮纏いて敵を穿つ槍先たれ ファイアランス!!」
小型が動きだしたタイミングから詠唱開始していたのか、攻撃を受けながらもカウンターで三匹目を魔術で打ち抜く。
「エーレ、助かった!おっさん、大丈夫か!?」
「何、これしきかすり傷にすぎぬ。残り奴らも全て消し炭にしてやろう」
魔術師とは思えない程の身のこなしを見せ、しかもしかも小型が動きだすと同時に魔術で魔物を倒す判断力と胆力はすさまじい。が、言葉とは裏腹に明らかに辛そうな表情と出血量だった。
「いや本当にすげーな!いろんな意味で!!」
ウィズは頬を切られているが、表皮のみで傷は浅い。魔術師は多少深手だが、戦えないほどではない。ダガーウルフの群れはまた一匹倒されたため慎重になり、硬直状態が続くと思われた。その時、ボスの後方の木陰が音を立てて揺れ出した。まだ距離はあるようだが、確実にこちらに近づいていた。
「ちっ!これ以上敵が増えんのはさすがに無理だぞ!?」
「ウィズ、切り札は?」
「さっきの中型と接触した感じ、大型が動きだしたら発動前にやられちまう可能性が高い。木陰の新手次第で状況が読めねぇ。新手がダガーウルフと敵対してくれりゃラッキーだけど、追加でダガーウルフが来たらやべぇな。一か八か切り札を切るしかなさそうだ。おっさんは小型の殲滅を頼む。エーレ、悪ぃけど一番しんどいとこ、頼むぜ」
「ふふっ。いつかとは逆ね。いいわ、あたしがあなたを守ってみせる」
「ふっ。承知した」
次の行動方針を三人が決めると同時に木陰を分けて出てきたのは、白のシャツ、グレーのカーディガン、短めのチェックのスカートと場にそぐわない、見たこと無い恰好をした少女だった。
場が静寂に包まれる。三人はもちろん、ダガーウルフすら状況を呑み込めていないようだった。一番最初に動きだしたのは、当の少女だった。
「あぁ!!ウィズ!!ウィズなのね!?怪我してるじゃない!!」
「は!?あ、ちょ、誰!?つか、そのダガーウルフは上位種に成長してるぞ!?逃げろ!!」
位置関係は三人、ボス、少女が一直線上になっている。そんな中少女が三人に近寄れば、必然ボスと鉢合わせる。近づく少女にボスがうなり声を上げ襲い掛かる。数メートルはあるだろう距離を一瞬で詰めるボス。そこに少女は声を上げ、剣を持った右手ではなく、左手を動かす。
「どけぇぇええ!!ソードスラスト・トリプル!!」
瞬間、目に見えぬ剣線が三つ、ボスを突き刺す。ドサリと落ちる音も気にせずにそのまま三人、いやウィズへと向かって走る少女。それは明らかに素人然とした動きで、目の前のダガーウルフが倒されたと認識することができないほど場違いな動きだった。誰も、他のダガーウルフさえも自体を呑み込めない中、動きだしたのは魔術師だ。すでに怪我をしていたダガーウルフ二匹にそれぞれ火の魔術を放ち、絶命させる。
ボスがやられ、小型までも大半を倒されたダガーウルフの群れは中型を中心に撤退していった。そして、少し遅れて少女がウィズの元まで来て、そして飛びついた。
「ウィズ、大丈夫だった?今、怪我を治してあげるからね?」
「し、ししょう……?うわっ」
いつの間にかウィズの前から姿を消してしまった師匠の記憶が思い出していた。いるはずのない人の懐かしい感覚をなぜか味わいながら、勢いを殺しきれずに後ろに倒れこむウィズだった。