【短編版】レベル0(ゼロ)から始める成り上がり ~無能と呼ばれ、名を奪われて故郷を追放されたその男、禁断の『レベルドレイン』で無双する~
この世に生まれた人間は、誰もが『レベル』と呼ばれる魔法的な数字を持っている。
レベルは「肉体を鍛える」「知識を身につける」「激しい戦いを生き残る」といった経験を積むことで上昇し、一度上がったレベルが下ることはない。
そして一つレベルが上がるごとに、新しい魔法を一つ身につけたり、特定の身体能力を高めたりといった恩恵を得ることができる。
世界中が『レベル至上主義』とでも呼ぶべき価値観に染まってしまったのも、レベルアップで得られる恩恵の大きさを考えれば、当然の結果だと言えるだろう。
レベルが高いほど凄い人物で、レベルが低いほど大したことのない人物。
これだけ見ると実力主義の社会に思えるかもしれないが、実際にはそうではない。
高レベルになって地位と財産を得た者は、金と権力に物を言わせて自分の子供に英才教育を受けさせて、レベルアップと習得魔法の選択を効率的に行うことができる。
逆にレベルが低いままだった者は、金も権力もないので子供に訓練や教育を施すことが難しく、レベルアップはせいぜい数年に一度で魔法の習得も場当たり的だ。
ごく稀に平民から成り上がる人物も存在するが、基本的には貴族と平民の階層が固定された階級社会になっている。
しかし俺は、それとは正反対に――貴族の家に生まれながら、最底辺まで転がり落ちる運命を背負っていたのだった。
◆◆◆
「貴様のような無能は我が一族に相応しくない。理由は分かっているな。今このときをもって、貴様をファインズ家から除名し、領地からも追放する」
十五歳の誕生日、父は俺を書斎に呼び出してそう宣言した。
実の父親から見限られた原因は、自分でもよく分かっている。
だから俺は唇を噛んで耐えることしかできなかった。
「せめて十五歳までにはレベル20に、家を継ぐ頃には最低でもレベル40になっていてもらいたい……私はそう考えて子供達を育ててきた。貴族としては決して過大な期待ではなかったはずだ」
父は俺に手の平を突きつけ、そこに魔力の数字を浮かび上がらせた。
表れたのは『50』という数字。これが父の現在のレベルである。
理論上、レベルの最大値は『100』とされ、存命人物では『88』が最大であるとされている。
レベル50は貴族としては中堅で、大勢いる平民も含めれば、間違いなく上位に位置する数字だった。
「最終確認だ。貴様のレベルも見せてみろ」
「は……はい……」
言われるがままに、自分のレベルの数字を手の甲に出現させる。
その数字は『0』――紛れもないレベル0。
俺がこの世の最底辺である動かぬ証拠である。
「何かの間違いであってほしいと、これまでにどれだけ神に祈ったことか」
父は心底失望した様子で首を横に振り、深々と溜息を吐いた。
「レベル0など赤子の数字だ。平民ですら10程度はあるのだぞ。どんな愚図でも、幼児のうちに最初のレベルアップを迎えるものだろうに」
「申し訳……ありません……」
「僅かな可能性に賭けて、貴様にもできる限りの教育と訓練を施したが、全て無駄に終わってしまった。こんなことなら、もっと幼いうちに捨ててしまうべきだった。まさに一生の不覚、人生の汚点だ」
一方的な罵倒を淡々と重ね、父は俺の額に指先を突きつけた。
「貴様は一族の恥だ。追放先で素性を明かせぬよう、貴様の頭に魔法を掛ける。これで貴様は、自分の氏名と出自を他人に伝えることができなくなる」
頭の中に魔力の波動が染み渡り、何とも言えない吐き気がこみ上げてくる。
無詠唱で魔法をかけ終えると、父は俺に小さな革袋を投げ渡した。
中身は金貨が数枚、申し訳程度の手切れ金ということだろう。
「その金でどこへなりとも行くがいい。ただし街道は使わず山を越えていけ。遠く離れるまで人目につかぬようにな」
「……分かりました。これまで……ありがとうございました」
俺はとてつもない惨めさに押し潰されそうになりながら、足早に領主の館から駆け出していった。
許された荷物は肩に担げる程度の鞄と、何の変哲もない護身用の剣、そしてほんの僅かな金貨が入った革袋だけ。
館がある町を出るまでの間、領民達がひそひそと陰口を叩き、中には石を投げつけてくる奴までいた。
俺はそれでも必死に堪え、町を囲む木製の城壁を抜けるなり、振り返ることなく山に向かって走り出したのだった。
◆◆◆
――名前を奪われた少年と入れ替わりに、彼とよく似た別の少年が、父親の書斎に入ってきた。
「父上。名前を奪って追放するだけとは、兄上に……いえ、もう兄ではないですね。あのレベル0の無能に甘くはないですか?」
「フィリップか。立ち聞きとは関心せんな」
「申し訳ありません。あの程度で一族の名誉が守れるのか、次期領主として心配になりまして」
二人の少年の父である貴族の男は、新たに後継者となった次男に向き直り、冷徹な声で言い放った。
「心配はいらん。あれが生きて山を越えられぬよう、既に手配をしてある。名前を奪ったのはただの保険だ」
「はは……さすがは父上。レベル0の無能が哀れに思えてきますね。これまでも充分に哀れだったのですが」
フィリップと呼ばれた少年は、口にしている言葉とは裏腹に、無能な兄の末路を想像して笑みを浮かべていた――
◆◆◆
結局、俺は日が暮れるまでに山を越えることができなかった。
街道を使っていれば、隣の町までとっくに到着していたはずなのだが、こんな山道ではそうもいかない。
父の手下が街道を見張っている可能性を考えれば、約束を破ってこっそり街道を使うのは危険すぎる……そう思っていたのだが、夜の山を歩き回る方が危険だったかもしれない。
「はぁ、野宿するしかないのか」
覚悟を決めて眠る場所を探そうとした矢先、周囲の草むらがガサガサと音を立てた。
「……っ! 狼か!?」
もしもそうだったら一巻の終わりだ。
身構える俺の前に現れたのは、狼などではなく人間だった。
ただし、それは物騒な刃物を携えた盗賊の一団。
狼の方がまだマシだったと思えるような連中である。
「おっ、いたいた。やっと見つけたぞ」
「ゴミクズの癖に手間かけさせやがって」
下卑た笑い声を漏らしながら、盗賊の一団が少しずつ距離を詰めてくる。
奴らの目的は考えるまでもなく明らかだ。
俺は反射的に盗賊達のいない方へ走り出した。
ところが、逃げ出そうとしたその先には、ひときわ体格のいい盗賊が潜んでいた。
「残念だったな、坊主。あっちは囮だ」
「う、うわぁ!」
とっさに護身用の剣を抜き放って構えようとするが、レベルアップで強化されている盗賊の動きは、レベル0の俺では勝負にならないほどに速かった。
逃げる方向を誤ったミスを悔やむ暇もなく、俺の左肩から右脇にかけての部分が、盗賊の振るった鈍い刃にバッサリと斬り裂かれる。
「かはっ……」
「遅い遅い。そんなのじゃハエが止まっちまうぞ」
「ヒューッ! やったぜお頭!」
「さすがはお頭! 作戦大成功!」
後ろで盗賊達が騒ぐ声がする。
俺は力なくその場に倒れそうになったが、盗賊の頭領に首根っこを掴まれて、無理やり立った状態を維持させられる。
「さてと、金貨はどこに隠してるんだ?」
盗賊の頭領が首根っこを掴んだまま、俺の持ち物から金目の物を探り出そうとする。
意識が朦朧としてくる。
最低最悪の人生だったけれど、だからといって、こんなところで死にたくはない。
「嫌……だ……」
薄れゆく意識の中、無我夢中で盗賊の腕を掴む。
――その瞬間だった。
全身がドクンと脈打ったかと思うと、視界に映る光景が変化していく。
(なんだ、これは……盗賊の体に、光の粒が浮かんで見える……?)
光の粒は全部で十四個。
それらが盗賊の体を少しずつ移動していき、首根っこを掴んだ腕を通過して、一つまた一つと俺の右手に吸い込まれていく。
(……光の粒が、入ってくるたびに……体が脈打って……熱くなる……!)
異常に気付いたのは俺だけじゃない。
盗賊本人も、俺とは逆の意味で異常を感じ取っていた。
「な、なんだぁ!? 体から、き、急に力が抜けて……テメェ、何しやがった!」
光の粒が八割近くも吸い込まれたところで、盗賊の頭領は俺の首から手を離し、怯えた顔で大きく後ずさった。
「か……体が、重い……? 力が入らねぇ……! どうやってやがる……こいつは魔法なんか使えないって話じゃ……ち、ちくしょうがぁ!」
盗賊の頭領が俺を仕留めるべく刃を振り上げる。
俺もその一撃を迎え撃つために、護身用の剣を振るったのだが――
「げはっ!」
「――あれ?」
そう思って繰り出した斬撃は、俺自身が思っていたよりもずっと速くて鋭く、盗賊の頭領をあっさりと斬り伏せてしまった。
(な……何があったんだ? 俺の剣がこんなに速いはずは……それに、何だかあいつの動きも鈍かったような……)
戸惑う俺の目の前で、盗賊の頭領が血を吹き出して倒れる。
最初に斬られたときとは正反対の結末に、俺自身も全く理解が追いつかない。
「お、お頭がやられた!」
「クソ! 話が違うじゃねぇか!」
蜘蛛の子を散らすように逃げていく手下達。
俺は奴らを追いかけることすらせず、剣を握ったままの手に視線を落とした。
知らない間に、手の甲に浮かんでいた魔法文字――その表示はいつもの『0』ではなく、何故か『10』という数字を浮かび上がらせていたのだった。
◆◆◆
それから俺は、一体何が起こったのかを夜が明けるまで考え続け、一つの仮説を立てた。
原理はさっぱり予想できないが、恐らく俺は盗賊の頭領のレベルを吸い取ってしまったのだ。
常識から掛け離れた仮説だという自覚はある。
だが、そう考えると何もかも説明がつくのだ。
俺の剣技が普段よりも鋭さを増していて、逆に盗賊の頭領の動きが鈍くなっていたこと。
そして、最初にバッサリと胸を斬られたときの傷が、いつの間にか塞がって血も止まっていたことに。
(あんな大怪我、勝手に塞がるわけがない……信じられないことだけど、あいつが<自動回復>あたりの魔法を発動させていて、それをレベルと一緒に吸い取ってしまったんだとしたら……)
傷は完全に治癒したのではなく、ズキズキと痛みを訴え続けてはいるが、それすらも時間と共に収まりつつある。
(レベルを……吸収した……)
自分自身でも半信半疑のまま、右手に魔力の文字を表示させてレベルを確かめる。
浮かび上がる数字は何度試しても『10』のままだ。
魔力によるレベルの表示は、コツさえ掴めばレベル1になる前の赤子ですら実行可能であり、基本的には利き手の表と裏の両面に浮かび上がらせるものだ。
練習次第では利き手以外にも表示できるらしいが、腕を失った場合以外にはやる意味がないので、わざわざ練習する人はあまりいないと聞いている。
(やっぱりレベルが0から10に上がってる……盗賊の頭領から吸い取った『光の粒』の数と同じ……もしかしてあれは、レベルを可視化したものだったのか?)
どうしてそんなことができたのか、というのは考えないことにする。
考えたところで答えなんか出るはずがないからだ。
「それにしても……レベル10かぁ……ふ、ふふ……ははっ……!」
思わず気色の悪い笑みを溢してしまう。
一族の恥の落ちこぼれ。この世界の最底辺。レベル0の無能。
存在を全否定されてきた原因が、まさかこんな形であっさり覆されるだなんて。
レベル10というと『一般人としてはそれなりにある方』程度だが、レベル0と比べると全くの別物だ。
俺を殺そうとした盗賊を返り討ちにしただけとはいえ、人を殺して手に入れた力だということも、今はもう全く気にならない。
(待てよ? あの盗賊のレベルが14だったとしたら、あと4レベル分はいけるんじゃないか?)
そう思って、盗賊の頭領の死体に恐る恐る手を触れてみる。
しかし、ぞっとするような冷たさが伝わってくるだけで、レベルの吸収どころか光の粒すら見えてこなかった。
(死んだ奴からはドレインできないのか……それとも、まさかあの一回限りの奇跡だったりするのか……ん? 何だこれ)
俺は盗賊の懐から、大きな宝石をあしらわれた首飾りがはみ出ているのを見つけた。
何気なくそれを手にとって、まじまじ眺めてみる。
(ひょっとしたら、盗賊ならお宝の価値を見抜く魔法も習得してるんじゃ……ええと、確か一番代表的なのは……)
物は試しだ。父に教育を受けさせられたお陰で、どんな魔法が存在するのかという知識は多少身に付いている。
「<鑑定>」
最も基本的で汎用性のある鑑定系魔法を唱えてみたところ、首飾りがぼんやりと金色に輝いて見えた。
盗賊があまり魔法のランクを上げていなかったせいか、詳しい情報は得られなかったけれど、この首飾りが高価な品物であることだけは確かだった。
「……持ち主が分かれば返したらいいんだし、どうせ盗賊に売られてたんだろうし……むしろ回収しておかなきゃ、山の中で誰にも見つからないままなんだ。拾っておいた方がいいに決まってるよな……」
周りに誰もいないというのに、言い訳がましい言葉を並べ立てて、大きな宝石のついた首飾りをポケットにねじ込む。
「よし……とにかく、山を下りよう」
夜の間は仕方がなかったとはいえ、いつまでもこんな場所にいるわけにはいかない。
俺は少しでも早く父の領地から立ち去るため、山の外を目指して移動を再会したのだった。
◆◆◆
昼下がり頃になって、俺はようやく山の外の開けた土地に辿り着いた。
しかし、ホッと一安心したのも束の間。
そこには仰々しい鎧姿の騎士達が集まっていて、山から出てきた俺に鋭い視線を一斉に向けてきた。
「待ちたまえ、そこの少年」
「はっ、はい!?」
気付かれないようにこっそり離れようとしたものの、あっさり呼び止められてしまったので、大人しく呼びかけに応じることにする。
「君はあの山を通ってきたんだね。この男に見覚えはないか?」
リーダー格と思しき騎士が、ロープで縛り上げられた男を前に突き出す。
その男は、俺を襲った盗賊団の一員だった。
「あ! そいつは……!」
「知っているようだな。こいつは我々が探していた盗賊団の構成員だ。我らの主君から一族の宝を奪い取った不届き者でね」
もしかして――確信にも近い想像が脳裏を過る。
「ようやく手下の一人を捕まえたのだが、肝心の宝は頭領が持ち歩いたまま死んでしまい、山のどこかに転がっているというのだ。それらしい死体を見かけなかったか?」
「あー……えーっと……その頭領を殺したの、多分俺です。人違いじゃなかったらですけど。それっぽいお宝も、念の為に回収しておきました……これですか?」
例の首飾りをポケットから出してみせる。
すると、騎士達の表情が一気に明るくなって、口々に喜びと称賛の声を上げ始めた。
「素晴らしい! 見事な働きだ!」
「あ、ありがとう、ございます」
「よければ、これから主君の館に来てもらえないだろうか。きっと褒美をくださるはずだ」
そんなことを言われたら、断る理由なんてどこにもなかった。
故郷を追われ、寝泊まりする場所にも困る状況だったので、まさしく渡りに船である。
騎士達のリーダーが俺の背中に手を回し、大事な客人を案内するかのように、俺を馬の方へと連れて行く。
ちょうどそのとき、捕まっていた盗賊がどこかへ引っ張られていくのが目に映った。
「あいつは、これからどうなるんです?」
「もちろん速やかに処刑する。我らの領地に逃げ込んだのが運の尽きだな」
目を凝らしてみると、盗賊の頭領のときと同じように、捕まった男の体に光の粒が浮かんで見えた。
数は六個――頭領の半分以下で、レベル6というと平民ならだいたいこんなものだ。
そいつを左右から捕まえている二人の騎士は、それぞれ22個と26個。
これが本当にレベルを表しているなら、レベル22とレベル26の騎士がレベル6の盗賊を連行していることになるので、逃走も抵抗も絶望的だろう。
「……ちょっといいですか?」
俺は騎士達のリーダーに断りを入れてから、連行される盗賊に駆け寄って、背後から右手で触れてみた。
服越しでは何も起こらなかったが、素肌に触れて意識を集中させると、六個の光の粒のうち五個が俺の右手に吸い込まれていった。
(よかった、一回限りじゃないみたいだ。それと多分、素肌に直接触れないと駄目で、レベルを0にすることもできないのか……)
盗賊に触れただけで引き返してくる俺に、騎士達のリーダーが怪訝そうな顔をした。
「どうかしたかね?」
「いえ、すみません。勘違いでした」
馬の後ろに乗せてもらい、領主の館に向かって出発する。
俺は度重なる幸運に感謝しながら、右手の甲に浮かべた『15』の数字を、何度も繰り返し眺め続けた。
「そう言えば、まだ君の名前を聞いていなかったな。名は何というのだ」
「俺は……」
名前を口にしようとすると言葉が全く出なくなる。
父の魔法のせいで身元を明かせなくされているからだ。
だから、俺は即席で偽名を考えた。
無能と蔑まれた半生に対する、最大限の皮肉になるであろう偽名を。
「……ゼロ。俺のことはゼロと呼んでください」
「ゼロか、珍しい名前だな。ありがとう、ゼロ。君のお陰で助かったぞ!」
レベル36にも達する立派な騎士が、0という呼び名で最大限の賛辞を送ってくれる。
これからはゼロすら蔑称ではない。俺の中では称賛の言葉に上書きされた。
たとえ故郷の連中が俺をゼロと罵ったところで、もう痛くも痒くもない。
暗い過去をまた一つ塗り潰せた気がして、気持ちが昂ぶらずにはいられなかった。
◆◆◆
あの首飾りの持ち主だった人物は、俺の父の領地から程近い土地を領有する貴族であった。
父は俺を一族の恥晒しと考えていて、他の貴族に会わせようとしなかったので、本人と対面しても気付かれることはなかった。
そしてこの貴族――タルボット伯は俺を破格の待遇で歓待し、当分は好きなだけ屋敷で過ごしていいと言ってくれた。
もちろん衣食住も万全。
お言葉に甘えない選択肢なんて絶対にありえない。
こうして俺は、実家であるファインズ家を追放されて早々に、同格の貴族であるタルボット家の客人に収まることになったのだった。
――そして徹夜の山越えの疲労も抜けきった頃、俺はタルボット伯から許可を得て、屋敷の書庫で調べ物をすることにした。
「おはようございます、ゼロ様」
司書の女性が深々と頭を下げて挨拶をする。
「主からお話は伺っております。お探しの資料がございましたら、遠慮なくご用命くださいませ」
「え、えっと……それじゃあ、レベルと魔法についての専門書を何冊か……」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
俺はあまりに丁寧な対応に戸惑いながら、探してきてもらった資料を書庫のテーブルに広げ、突如として目覚めた謎の力――レベルドレインについて調べ始めた。
そもそも『レベル』とは、体内に発生する『魔核』という小さな魔力の粒の数を表している。
肉体を鍛える、知識を身につける、激しい戦いを生き残る、といった経験を積むことで、体内の魔力が少しずつ集まって魔核を形成する。
完成した魔核が十個あったらレベル10、二十個あったらレベル20というわけだ。
ただし同じことの繰り返しでは効果が薄く、常に新鮮な刺激でなければ、魔核の形成ペースは極端に落ちてしまう。
つまり自分よりも弱い相手や、抵抗できない相手を一方的に甚振り続けても、レベルアップには何の恩恵もないということである。
そうでなくとも、毎日同じような仕事を繰り返しているだけでは、すぐに経験の新鮮味が失われて、レベルアップが頭打ちになってしまう。
誰も彼もが高レベルになったりしない原因の一つが、この辺りの特性にあるといえるだろう。
(あのとき見えた『光の粒』は魔核だったんだな。魔核は目視できないっていうのが定説だったけど……きっとレベルドレインの正体は魔核の吸収なんだ)
生成された魔核は、無加工の状態だと身体能力を底上げする効果がある。
しかし神殿などに依頼をして、特別な儀式で加工を施してもらうことで、肉体強化の効果を失う代わりに魔法の力を宿すことができる。
宿せる魔法は魔核一個につき一つだが、同一の魔法を宿した魔核を二個、三個と増やしていけば、その魔法の効果をどんどん高めていくことも可能である。
もちろんその分、肉体強化の恩恵は目減りしていく。
このため、同じレベルでも戦士は身体能力が相対的に高く、魔法使いは身体能力が相対的に低くなるのだそうだ。
けれど、あらゆる魔法を好き勝手に習得できるわけではない。
神殿ごとに対応できる魔法は異なるし、特定の魔法を使えないと習得できない魔法もあり、限られた神殿じゃないと宿してもらえない魔法もある。
神殿の側から習得条件を提示されることも珍しくなく、それが多額の寄付金の要求だったということも実際にあった……らしい。
(経験を積むと魔核が生まれて、神殿で魔核に力を宿す。闇商人みたいな真似をしてる神官もいるそうだから、盗賊達はそこで儀式をしてもらったんだろうな)
――集めてもらった資料に片っ端から目を通してみたが、結局レベルドレインについて言及した記述は一つも見つからなかった。
(ふぅ……色々と調べてみたけど、実家で勉強した知識以上の情報は一切なし。レベルドレイン……思ったより手強そうだ)
だけど、時間の無駄だったとは思わない。
ファインズ家だけでなく、こちらのタルボット家の蔵書にも載っていなかったということは、レベルドレインは『俺の知識が足りなくて知らなかった』のではなく『誰も知らない未知の存在である』という可能性が高い。
それを確かめることができたというだけでも、充分に意味のある調べ物であった。
◆◆◆
「やぁ、ゼロ君。当家の蔵書はどうだったかね?」
ちょうど書庫を後にしたところで、この土地の領主であるタルボット伯が話しかけてきた。
俺の父はかなり神経質な男だったが、タルボット伯は逆に鷹揚としていて気さくな人物だ。
「ありがとうございます。お陰様で勉強がはかどりました」
「勉強熱心で実に素晴らしい。やはり若者はこうでなければな」
レベルドレインの存在はタルボット伯にも伝えていない。
素肌に触れるだけでレベルを吸い取れると知られたら、どう考えても真っ当な扱いは受けられなくなってしまう。
俺だって立場が逆なら全力で警戒し、間違っても近付かせたりはしないだろう。
「さて……ゼロ君。一つ相談したいことがあるのだが、少し話をさせてもらっても構わないかね」
「もちろんです。何でしょうか」
「近頃、私や近隣貴族の領地で、盗賊の活動が活発になってきているのだよ。君が討伐した盗賊団もその一つだ。放置しておけば領民達が苦しんでしまう」
タルボット伯は憂鬱そうに溜息を吐いた。
「なので、配下の騎士を動員して対応に回っているのだが、彼らも自分自身の領地を守らなければならない立場だ。一度に動員できる人数には限度があって、どうにも人手が不足しがちなのだよ」
「つまりお話というのは、俺にも盗賊退治に加わってもらいたいということですね」
「後方支援程度でも充分だ。実際に刃を交えるのは騎士達に任せればいい。どうだろう、お願いできないか」
申し訳な無さそうに頷くタルボット伯。
だが、こちらとしては願ってもない申し出だ。
「お任せください。ここ数日の恩を、どこかで返したいと思っていたところなんです。とはいえ、手持ちの装備品は安物の剣が一振りだけなので、少々心許ないのですが」
もちろん恩を返したいのは本当だ。
けれど最大の理由は、レベルドレインを使いこなす訓練をするいい機会だからである。
何度も試してコツを掴みたいところだが、まだ誰にもレベルドレインの存在を知られるわけにはいかない。
しかし領主が討伐に乗り出した盗賊団なら話は別だ。
この前の連中のように、討伐対象となった盗賊は当然のように殺される。
だったら、騎士達がトドメを刺す前にドレインを試してしまえば、誰にも気付かれることなく練習をすることができるはずだ。
「おお! ありがたい! もちろん、装備品はこちらが用意するとも!」
タルボット伯は心の底から嬉しそうに笑顔を浮かべている。
何だか、善人を騙して悪事を働いているような気がしてしまい、少しだけ申し訳なさを感じてしまうのだった。
◆◆◆
その日から、俺はタルボット伯の配下の騎士と一緒に、領地のあちらこちらを飛び回って盗賊退治に明け暮れた。
隙を見てレベルドレインを試すことも忘れないが、一度の討伐でドレインするレベルは1か2程度に留めておく。
いきなり大量レベルアップしたら逆の意味で注目を浴びてしまい、何か裏があるのではと疑われるのかもしれないからだ。
表向きには『立派な騎士と盗賊退治に従事した経験でレベルアップした』という体裁を保ち、少しずつ着実にレベルをドレインしていく。
相手が低レベルの盗賊ばかりなので、特別な魔法を宿した魔核を吸収することはできなかったが、その辺りは後でどうとでもなるだろう。
――そうしてレベルが25を越えたある日、俺は討伐した盗賊の持ち物から、一通の手紙を発見した。
(これは……盗賊同士の情報交換かな? いや……ちょっと待て、こいつはまさか……!)
手紙の内容は、この土地のどの辺りが狙い目で、どんなタイミングで金目の物が運ばれるかといった情報を記したものだった。
内容自体に違和感はない。盗賊だってこれくらいの情報共有はするだろう。
俺が見咎めたのは、特徴的な癖がある手紙の筆跡だった。
(間違いない! 父上の使用人の字だ!)
何故ファインズ家の使用人がこんな手紙を――とにかく頭を働かせようとした矢先、追放された夜の出来事を思い出した。
あの夜、俺を襲った盗賊達は妙なことを口走っていた。
魔法なんて使えないはずだの、話が違うだの。
まるで俺のことを事前に誰かから聞いていたかのような。
しかも当時は混乱していて気が付かなかったが、奴らは俺が金貨を持ち歩いていることすら把握しているようだった。
「ははっ……そういうことかよ。俺を生かしておくつもりなんて、最初からこれっぽっちもなかったんだな……」
乾いた笑いが浮かんでくる。
俺を襲った盗賊は父の差し金だ。
そして恐らくは、この辺りで活発に活動している盗賊達も。
この手紙を書いた使用人は下っ端の雑用係で、外部に送る手紙を書いたりはしない。
だから筆跡でバレることはないと思っていたんだろう。
まさか殺し損ねた出来損ないの目に触れるとは、夢にも思わずに。
「……あの野郎。大人しく泣き寝入りなんかしてやるものか。やられた分だけやり返してやる」
◆◆◆
それからタルボット伯の屋敷に帰還するなり、俺は例の手紙をタルボット伯に見せて、素性を明かさずに済む範囲で情報を提示した。
「俺はここに来る前、ファインズ家の領地に滞在していました。この手紙の筆跡は、そのときに知り合ったファインズ家の使用人の筆跡に酷似しています」
タルボット伯は苦虫を噛み潰したような顔で手紙を睨みながら、黙って俺の話に耳を傾けている。
「状況証拠はそれだけではありません。俺はファインズ伯から少々の金貨を餞別として与えられたのですが、あのときの盗賊達は、俺が金貨を持っていると分かった上で襲ってきたんです。偶然ではあり得ません」
「秘密を知る使用人と親しくなった旅人が、我々の領地に向かう予定だと知ったので、念のための口封じとして盗賊を動かした……餞別の金貨は盗賊に与える餌だったわけだな……」
説明には虚実を織り交ぜざるを得ないが、重要なところは全て真実だ。
あのクソ親父の企みを白日の下に晒すきっかけとしては、この程度でも十分すぎるだろう。
タルボット伯は額に手を当てて、沈痛な面持ちで首を横に振った。
「ゼロ君。我々貴族は常に小競り合いを続けている。細々とした領地の奪い合いは日常茶飯事だ。恐らくファインズ伯は盗賊の活動を誘導し、我々に絶えず負担を掛け続けることで、侵略しやすくしようと企んでいたのだろう」
「……実際に、あなたの配下の騎士は盗賊退治に駆り出され続けて、負担の大きさに悲鳴を上げていましたからね」
最近は俺も騎士達と一緒に行動していたので、その辺りの実情はよく分かっている。
タルボット伯から与えられた領地を運営しながら、タルボット伯の領地や同僚の騎士の領地を協力して守り、なおかつ自分の領地の自己防衛も手を抜けない。
どう考えても長くは続かないオーバーワークだと思っていたが、まさかその裏に、他でもない自分の父親の企みがあったとは。
「おかしいとは思っていたんです。あれはまるで、複数の盗賊団が巧みに連携して、計画的に波状攻撃を仕掛けてきているかのようでした。ですが、敵対貴族が計画的に情報を流して、盗賊の襲撃を誘導していたというなら納得です」
もしかしたら、魔法も交えて盗賊をコントロールしているのかもしれないが、さすがにそこまでは証拠がない。
タルボット伯はしばらくの間、深く考え込むように目を伏せていたが、やがて意を決したように執務用の椅子から立ち上がった。
「よし、ファインズ伯の領地への攻撃準備に取り掛かろう。まさか逆に仕掛けられるとは思っておるまい」
「えっ! もう攻撃を!? もっと証拠を集めてからの方がいいのでは……!」
「何もファインズ家を滅ぼすわけではない。お前の企みは見抜いているぞと揺さぶってやるに過ぎん。そういう小競り合いを起こす口実としては、この程度でも充分なのだよ」
俺も一応は貴族の息子で、最低限の教育を受けてきたので、その辺りの事情も多少は把握しているつもりだ。
単なる領地の境界線争いだけでなく、自分のレベルと比べて領地が狭いから広げたいだとか、逆にお前の領地はレベルの割に広すぎて生意気だとか、そんな理由でも小競り合いが勃発してしまう。
もちろんタルボット伯の言う通り、大抵は相手を適度に打ち負かし、無理のない程度で要求を通すものだ。
戦場で敵領主を捕らえ、解放する条件としてちょっとばかりの領地を割譲させるとか、まさに『小競り合い』と呼ぶべき規模の争いである。
だが、あの手紙と俺の証言だけで今すぐ戦いの準備を始めるのは、さすがに想定外と言わざるを得なかった。
部屋に閉じこもって勉強するだけでは分からないこともある、ということだろう。
「……タルボット伯。俺も同行させてください。ファインズ伯には因縁があります」
「分かった、ついてきたまえ。くれぐれも無理はするんじゃないぞ」
◆◆◆
俺が今世話になっているタルボット伯と、生まれ育った実家だが追放された上に命まで狙われたファインズ伯。
格としてはほぼ同等な二つの貴族の争いは、手紙の発見から十日余りという短期間で幕を開けることになった。
戦場は両者の領地の境界線がある平地。
両陣営の最前衛では十数人程度の騎士が睨み合い、更にその後ろでは数人ずつの魔法使いが待機して、攻撃命令を今か今かと待ち続けている。
その頃、俺はタルボット伯側の本陣で、指揮官であるタルボット伯本人に個人的な頼み事をしようとしていた。
「タルボット伯。折り入ってお願いがあります」
「何かね? 遠慮せず言ってみたまえ」
年季の入った甲冑を着込んだタルボット伯は、迷惑がる様子も見せずに耳を傾けてくれた。
「戦いが始まったら、俺を遊撃部隊として出撃させてください。最前線を迂回して、敵本陣に肉薄します」
「ファインズ伯との因縁を晴らすためか。単に口封じで殺されかけた恨みというわけではなさそうだね」
「……ご賢察の通りです。詳細はお話できませんが……」
やはり隠し事をしていることは見抜かれていたらしい。
普段からのんびりとした雰囲気のタルボット伯も、貴族同士の駆け引きを勝ち抜いてきた人物なのだ。
「いいだろう、行ってきなさい。ファインズ伯は私と同じくレベル50の中堅貴族だが、真っ向勝負ならレベル25程度の騎士でも勝機はある。貴族は領地運営のための魔法にリソースを割いているからね」
この世界はレベル至上主義で、レベルが高いほど凄い人物として扱われるが、それは強い人物という意味ではない。
一対一の戦いだけを考えるなら、戦闘向きでない魔法にリソースを回した高レベルの貴族よりも、戦いに全てを注ぎ込んだ低レベルの戦士の方が強い可能性もあるのだ。
「ところで……万が一、ファインズ伯が命を落としてしまった場合は……」
「不幸な事故が起きてしまった。それだけのことだよ。ファインズ伯の後継者との関係は悪化するだろうけど、私は事故を起こした者を責めたりはしないさ」
「……ありがとうございます。どうかご武運を」
俺はタルボット伯に礼を告げて、借り受けた馬を駆って本陣を後にした。
目指すはファインズ伯陣営の本陣。
正面から突っ込んでも近付けるわけがないので、戦場を大きく迂回して距離を詰めていく。
開戦を告げる角笛が鳴り響く。
両陣営の騎士が<突撃加速>の魔法を発動し、凄まじい速度での突撃を開始する。
それと同時に魔法使いが思い思いの攻撃魔法を発動し、火球やら何やらが弧を描いて放たれて、激突直前の敵騎士部隊に降り注ぐ。
騎士達は即座に<力の盾>を使って不可視の盾を展開。
魔法の直撃を防ぎ止めるも、至近距離で炸裂した爆発の衝撃は凄まじく、何人かの騎士が落馬して地を舐める。
しかし大部分の騎士は全速力の突撃を続行。
まずは<力の盾>同士が接触し、轟音を撒き散らして相殺した直後、高速の突撃槍がお互いの盾に激突し合った。
俺は騎士達が繰り広げる凄まじい戦いを尻目に、父がいるはずの本陣へとひたすらに馬を走らせた。
「止まれ! 貴様、何者だ!」
当然のように護衛の騎士達が立ちはだかろうとする。
しかし俺は馬を減速させず、頭部を守っていた防具を投げ捨てて素顔を晒した。
「通してくれ!ファインズ伯と話がしたい!」
「なっ!? そ、そんな馬鹿な!」
父が配下の騎士にどんな説明をしていたのかは知らないが、俺の生存は彼らにとっても想定外の出来事だったらしい。
俺は騎士達が怯んだ隙に陣地の守りを突破して、遂に一族伝統の鎧に身を包んだ父と対峙した。
「……よもやと思っていたが、まさかタルボット伯のところに身を寄せていたとはな」
父は――ファインズ伯は従者から突撃槍を受け取ると、手振りで護衛の騎士達に命令を下し、自分と俺を遠巻きに囲むように移動させた。
まるで一対一の決闘の場を整えるかのように。
直接対決なら望むところだ。
これまでにドレインしてきた魔核は、最初から加工されていたものを除いて無加工のままにしてあるので、俺の身体能力はレベル0だった頃とは比べ物にならなくなっている。
「驚かれないのですね。盗賊からの連絡が途絶えた時点で、失敗の可能性も考慮していて当然ですか」
「やはり情けをかけるべきではなかった。私自らの手で確実に始末するべきだったのだ」
「情け? 盗賊をけしかけて暗殺することが?」
「真相を知ることなく死なせてやろうというのだ。これを慈悲と言わずに何というのだ?」
ファインズ伯は身勝手にもそう言い放つと、兜のフェイスガードを下ろし、馬に跨ったまま突撃槍を構えた。
そして俺が剣に手をかけた瞬間、並大抵の騎士を上回る突撃魔法が発動する。
「<上級突撃加速>」
目で追うことすら不可能に近い超高速のランスチャージ。
俺が抜き放った剣は辛うじて槍に触れ、狙いをほんの少しだけ逸らすことができたが、それは心臓への直撃を左腕にずらすだけだった。
左腕を肩口から手先までズタズタに砕かれながら、突撃槍の表面に剣を滑らせて、刃を兜の顔面に下方向から叩きつける。
しかしそれはフェイスガードを壊して吹き飛ばすに留まり、ファインズ伯にダメージを与えることはなかった。
俺の横を超高速で駆け抜けた後、魔法を解除して急停止するファインズ伯。
「……直撃を外した? 馬鹿な、レベル0にできる芸当ではない!」
馬ごと振り返ろうとしたファインズ伯は、きっと心の底から驚いたに違いない。
レベル0の出来損ないが左腕の大怪我など気にも留めず、唯一の武器である剣を捨てて手綱を握り、一直線に突っ込んできていたのだから。
「何っ!?」
俺はすれ違いざまに馬から飛び降り、フェイスガードを失って露出したファインズ伯の素顔めがけて右手を伸ばした。
手の平に浮かぶ数字は『26』――ありえない光景にファインズ伯の動きが鈍る。
「終わりだ!」
ファインズ伯の顔面を鷲掴みにし、全力でレベルドレインを発動させながら、二人まとめて湿った地面に落馬する。
五十個にも達する魔核は一瞬でドレインし尽くせるものではない。
左腕が使えない状態で、右手を顔面から離すことなく、抵抗するファインズ伯と揉み合い続ける。
その間、騎士達が手を出してくる様子はない。
むしろ余裕たっぷりに戦いを見届けようとすらしているだった。
彼らにしてみれば、レベル0の落ちこぼれが何の奇跡かファインズ伯に肉薄したはいいものの、残った右腕で顔面を掴んで悪あがきをしているだけの光景だ。
レベル50を誇るファインズ伯が本気になれば、文字通り一瞬で片がつく相手なのだ。
こんなものは危機でも何でもなく、ファインズ伯が愚かな息子を哀れんで、あえて抵抗を許しているようにしか思えないのだろう。
しかし――今回ばかりは、そのレベル至上主義の考えが命取りだ。
やがてファインズ伯の抵抗はどんどん弱まっていき、遂には俺を押し返そうとする力すらなくなった。
俺は盗賊の頭領から奪った<自動回復>で左腕の出血を止め、ファインズ伯の顔から手を離して立ち上がった。
「……本当は、この手段だけは使いたくなかったんですけどね。あんたに俺の気持ちを少しでも分かってもらえるなら、この力を世間に知られることになっても……」
「がはっ……!」
突如、草原に仰向けで倒れていたファインズ伯が――父が大量の血を吐いた。
「ま、魔法が……止まった。何故だ……使えぬ……<疾病治療>が使えぬ……息が、苦しい……心の臓が、うぐ……フィ……フィリップはどこだ……ゆ、ゆい、遺言を……」
父は最後に激しく咳き込み、それを限りに事切れてしまった。
その死に顔を、俺は複雑な心境で見下ろしていた。
「……死病を魔法で押さえていただなんて、俺は聞かされていませんでしたよ。せめてそれくらいは、フィリップと同じように扱ってくれていたら……命だけは失わずに済んだのに」
護衛の騎士達も異常事態を理解し、それぞれ武器を手に押し寄せてくる。
だがそこに、先ほど乗り捨ててしまったタルボット家の馬が引き返してきて、騎士を背後から蹴散らしながら俺の傍らに駆けつけてくれた。
俺はすかさずその背に飛び乗り、最後に一度だけ父の死に顔を視界に収めてから、脇目も振らずに戦場の外へと駆け出したのだった。
◆◆◆
タルボット家とファインズ家の小競り合いは、ファインズ伯の戦死によってタルボット家の勝利で幕を閉じた。
父の死因は落馬の際に打ち所が悪かったせいとされ、レベルが吸い尽くされていた事実も、レベルドレインの存在も世間に知られることはなかった。
普通なら当主が命を落とすような規模の戦いではなく、周囲の貴族もかなり驚いていたそうだが、俺にとっては関係ない話だ。
むしろ、気にしていられる状況ではなかったのだ。
上級魔法の<上級突撃加速>によって破壊された左腕は、盗賊からドレインした<自動回復>程度では治りきらず、タルボット伯が手配した医者の助けを得てようやく原型を取り戻した。
しかも、きちんと元通りに動かせるようになるには訓練が必要で、他の貴族の反応など気にしている余裕はなかったのである。
――そして、あの戦いから一ヶ月後。
俺は旅立ちの準備を終え、屋敷の前でタルボット伯の見送りを受けていた。
「本当に行ってしまうのかい? 君さえよければ、もっと我が家に滞在してくれてもよかったのだが」
「お気遣い感謝します。ですが、もっと広い世界を旅して、見識を広めたいと思っているんです」
レベルドレインという能力のことは、まだ何も分かっていないのが現状だ。
正体不明の力を謎のままにしておくなんて、いくらなんでも不安すぎる。
それにもう一つ、できるだけ早くこの土地を離れたい理由があった。
「ところで、ファインズ家はこれからどうなるんでしょう」
「領地は息子のフィリップ・ファインズに引き継がれたが、あの領地はレベル30にも満たない若者には広すぎる。恐らく、周囲の領主が事あるごとに切り取ろうとし、少しずつ衰退していくことになるだろうな」
「新領主からは死ぬほど恨まれそうですね。これはいよいよ、さっさと遠くに逃げた方が良さそうだ」
冗談めかしてそう笑いながら、俺はタルボット伯からもらった馬に跨った。
「ゼロ君。いや、ひょっとして君は……」
「俺はただのゼロですよ。それ以上でもそれ以下でもありません」
「……そうか。それではゼロ君。困ったことがあったら、いつでも戻ってきたまえ。私にできることなら、いくらでも力になろう」
「ありがとうございます。ではっ!」
手綱を握って馬を走らせ、タルボット家の屋敷を後にする。
今日の空は俺の心境を反映したかのように晴れやかだ。
次の街に到着したら、まずは何をしよう。
レベルドレインについて調べるのは当然として、そろそろ神殿で未加工の魔核に魔法を宿してもらうのもいいかもしれない。
(でも、神殿でこんなの見せたら大騒ぎだろうなぁ。もうちょっと後先考えた方が良かったかもだ)
左腕で手綱を握ったまま、右腕を太陽に向かってまっすぐに伸ばす。
その手の甲に浮かんだ数字は『75』――上級貴族どころか、王族でもなければそうそう辿り着けない超高レベル。
これから先は、レベルドレインだけでなくレベルの方も上手く隠さなければ、とんでもない奴が現れたと大騒動になってしまうに違いない。
今後の旅路に待つ苦労を想像し、俺はついやり過ぎてしまったことに対する苦笑と、苦労を乗り越えるやり甲斐への期待が混ざりあった笑顔を浮かべたのだった。
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