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ポケットの中のホワイトクリスマス

作者: 秋月一花

 白一色のクリスマスツリーがまぶしくて、一瞬立ち止まった。


 「ちょっと待って……」


 美空みそらは口の中で言って、ほおっておいたらきっと立ち止まらない背中を小走りに追いかける。


 「面白かったね?」


 黒いダウンジャケットに追いついて並んで歩く。暖かい建物から外へ出たので、空気が冷たい。バッグの中の手袋が頭をよぎった。けれど美空はコートの袖をそっと引っ張るだけにした。


 「うん。最後、かわいそうだったけどな」


 遥柾はるまさはダウンコートのポケットの中に両手を突っ込んだまま、少し猫背で歩いていく。美空は肘のあたりをつかまえた。


 「ねえ、劇場出たとき、クリスマスツリー、まぶしくなかった? 暗闇から出てすぐ、キラキラだったから」


 「うーん、まあ」


 「夕飯、外で食べて行こうよ。まだ早いけど暗くなるの、早いし」


 さっき一緒に観た映画の話でもしよう、と美空は思いながら言った。

 

 「あ、ごめん。俺、これから職場の奴と飲みに行くから」


 「え? そうなの? 聞いてないけど」


 跳ねるように歩いていた足が、急に重たくなった。

    

 今日はずっと一緒にいられると思っていた。明日も休みだから、遥柾はるまさの好きなビールもチーズも「タコわさ」も買ってあった。

 美空の口調にほんの少し、料理の分量表示でいったら一番少ない「少々」、人差し指と親指でつまんだくらいのがっかりが混ざった。


 「美空、映画に行きたいって言ってたから」


 それなのにたったそれだけで遥柾は肩を固くするから、それ以上なにも言えなくなってしまう。

 確かに「映画に観にいかない?」と誘った。でも……。

 「デートって、その日一日、私にくれるってことじゃないの?」という言葉を、美空は吐息と一緒に吸い込んで、お腹の底に沈めると、


 「……うん、そっか。すぐに行くの? どこで飲むの? うちの近くだったら、泊まりに来てもいいよ」

 

 と言った。明るく、気にしてないよって聞こえるように。つかまっている腕が柔らかくなったので、美空はほっとする。遥柾は無口だ。こんなとき、付き合ってすぐの頃は、細かく問い詰めたものだけど、そうするとますます何も言わなくなってしまう。だから美空は遥柾のほんの少しの変化で、気持ちを推し量る技をいつの間にか身に付けてしまった。


 遥柾の唇が何か言いたそうに、開いた。けれど言葉は声になるまえに消えてしまい、ただうなずいた。


 「じゃ、行くよ」


     ひじをつかまえていた美空の手から逃れて、行ってしまった。つかまるところがなくなった手が重力にまけて落ちた。

 きっと遥柾にはクリスマスのイルミネーションが輝く街に、一人で取り残される女の子の気持ちなんかまったくわからないんだ、と美空は思う。


 (大体、行くって、飲み会に行くってこと? それとも後で家に来てくれるってこと? それだけじゃ全然わからない)


 小さな女の子のように地団駄じだんだを踏みたくなる。美空はバッグの中から、手袋を取り出して、八つ当たりするみたいに乱暴に手にはめる。すっかり冷えた手を毛糸のぬくもりが包む。暖かさが手もつないでくれなかったと指摘しているみたいだった。


 (態度も言葉も不器用な人は本当に困る)


 はあ、とため息をひとつついてから顔をあげると、ショーウィンドウに白いコートを着た美空が映っていた。ファー付きのフードに一目ぼれして先週買ったばかりのコートだ。ボタンをとめると、すそが広がっているのでミニワンピースのようになる。

 どんな時でもお洒落は女の子の味方だ。美空はため息の残りを振り払い、駅ビルに足を向けた。近所のスーパーよりも高級な食材が置いてある店に寄って、美味しいお総菜にホワイトチーズスフレケーキも買い込んで、豪勢に食べよう。外食することに比べたら安いものだ。


    

 「玄関ついたら二分でご飯! 玄関ついたら二分でご飯!」


 ただいま、のかわりに昔のCMのセリフを節をつけて言う。誰も聞いていないんだから遠慮なんかいらない。ブーツを脱ぎ捨てると、締め付けられていた足が軽くなる。スーパーのビニール袋をテレビの前の低いテーブルに置くとガサっと音を立てて崩れた。いつもはマイバッグを持ち歩いているが、今日は遥柾はるまさと外食するつもりだったから持って行かなかったのだ。

 新しいコートはハンガーにかけて、クローゼットにしまう。その足で浴室に寄り、お湯を出した。お腹がとても空いていたが、パジャマと兼用の部屋着に着替えて食べたい。遥柾がいなくても、今日は休前日。のんびり楽しく過ごしたい。いつもなら簡単なことだ。

 だけどお風呂のお湯はすぐには溜まらない。

 浴槽に湯が溜まるまでの空白の時間に、シャッターを閉めようと窓に手をかけて、暗闇に立っている自分を見つけてしまった。ちょっと疲れた白い顔。遥柾といた時のままの服。


 「別れようかな……」


 ふと、思ってもいなかった言葉を呟いていた。小さな声だったのに、独りぼっちだからはっきり聞こえてしまった。美空はガラスの向こうの自分を見つめる。


    

 (遥柾は私がいつだって合わせてくれると思っている。私がいて欲しいときには、いてくれないのに、振り返ればいつだって私がいるのが当たり前で)


 それなのに別れる、そう思っただけで、凍った空気を吸い込んだように胸の奥が悲鳴をあげた。


 (一緒にいる寂しさと別れる悲しさはどっちが辛いんだろう?)


 別れる悲しさはきっと一時いっときだ。それなのに別れようと考えただけで、どうしてこんなにも胸が痛いんだろう。美空は自分の気持ちにふたをするように、白いレースのカーテンをぴったりと閉めた。


 「明日考えよう」


 声に出して言った。どちらか迷うなら、自然に答えが出るまで今のままでいいような気がした。

 気分を変えよう、とテーブルにならべた豪華なお総菜を見た。美味しそうだ。しかし豪勢に食べるにしても多すぎる。つい二人分買ってしまったからだ。


 「今日はもう戻ってこないのかな……」


 料理の半分は冷蔵庫にしまったが、チーズスフレケーキとホワイトチョコムースは二個とも入れた。消費期限は明日の朝までだ。一緒に食べられるかな……。閉じ込めたはずの不安が、また忍びよってきて、美空はお風呂に逃げ込んだ。


    

 こんな日は待たない方がいい。食べて、テレビ見て、友達にLINEして、玄関には鍵を掛けて寝てしまおう。「ごめんね」の一言もない奴のことなんか、忘れて寝てしまえば新しい明日がやってくる。私を大事にしない奴なんか、振ってしまえ! 頭からシャワーを浴びていると、いさぎよい言葉が降ってくる。


 美空はふわもこのパジャマ兼用の部屋着に着替えた。濡れた髪を拭きながら冷蔵庫をのぞく。裸足の足が早くも冷えてくる。さきほどよりも、部屋の温度が下がったのかもしれなかった。


 「もしかして……」


 美空はレースのカーテンをシャッと音を立てて一気に開いた。


 「雪だ……」


 窓からの冷気にブルッと体を震わせた。今度こそシャッターを閉めなければと、思い切って窓を開ける。

  

 ピン、ポン……。


 玄関のチャイムの音だ。美空は急いでシャッターを上から下まで引き下ろした。


 (誰だろう?)


 壁に掛かっている時計に目を走らせると八時だった。友達と飲みに行ったことを考えると、遥柾はるまさにしては早すぎる。


 (宅配便かなあ。何か買ったかな……?)


 美空は首にかけたタオルでまだ濡れている髪をギュっと絞りながら、玄関のモニターのスイッチを入れる。


 見慣れた猫背の後ろ姿。ポケットに両手突っ込んでいるところも、いつもと同じだ。飛び跳ねるように玄関に走り鍵を開ける。


 「なんで? 来てくれたの?」


 さっきまでの暗い気持ちなど一瞬で吹き飛んだ。


 「来るって言ったろ」


    

 遥柾はちょっと強い口調なのに、聞き取れないくらいくぐもった小さな声で言う。


 「寒かったでしょ。早く入って」


 美空は手をのばし髪についている雪を払った。遥柾の腕を引っ張ると、ポケットに手を入れたまま遥柾が部屋一歩、二歩入ってきて立ち止まったので、美空も腕を引かれるように立ち止まって振り返った。


 「どうしたの……?」


 そんな生真面目な顔をしないで。不安になるから。美空は明るく誤魔化したかったのに、うっかり遙柾の顔を覗き込んでしまった。

 遥柾は心配そうな何か聞きたいそうな、気まずそうな、苦しそうな顔で美空を見た。


 「ごめん……。」


 悲しくさせて、一人にさせて。別れようかと思ったのに。そんな顔でごめん、って言うなんて。美空の目から涙がこみあげてきた。さっきまで泣いてなかったのに。


 (反則だよ……)


 やっぱりまだ側にいたい。だったら泣くのは、もう少し我慢だ。美空は奥歯をかみしめて涙をこらえた。


 「ポケットから手を出したら許してあげる」


 振り返って笑いかける。ほら。いつも通り。


 「そっか。ごめん」


    

 遥柾はポケットからゆっくり手を出して、美空の前に差し出した。てのひらに小さな箱が乗っている。中には白い雪の形のピアスが入っていた。白いコートに合いそうだ。


 「可愛い! なあに? 少し早めのクリスマスプレゼント?」


 「似合いそうだったから。だけどポケットに手を入れたままだったのは、これのせいじゃない」


 遥柾はもう一度ポケットに手を入れた。


 「渡そうと思ってポケットの中でずっと触ってて。クシャクシャになっちゃったから、新しいの一緒にもらいにいこう? 」


 遥柾の手には白い薄い紙が折りたたまれて握られていた。

 こんな時まで口下手なの? 肝心な言葉を忘れてる。態度も言葉も不器用な人は本当に困る……。クシャクシャの婚姻届けを受け取って、笑おうとしたのに、さっき飲み込んだ涙が溢れてきた。慌てて後ろを向くと、遥柾が美空を後ろから抱きすくめた。

 

 「うん、って言って」


 だけど美空がうん、と言う前に遥柾が美空の目にそっと口を寄せた。


 「しょっぱい」


 くくっ、と美空は笑った。どうしてこんな時に、そんなことを言うんだろう? だけどそんなちょっとずれてる所も好き。涙を含んだ声で笑いながら答える。


 「うれし涙でも、しょっぱいんだね」


 ねえ、後でケーキを一緒に食べようね。ケーキは二つとも丸くて白いから、小さなウェディングケーキみたいでしょ? ケーキ入刀のマネっこをしよう。

 心の中にあふれてくる言葉は、声にならない。

 だからお願い。今は誓いのキスをして。


 遥柾が黒いダウンジャケットを広げて美空を包み込んだ。美空は暖かな腕の中でくるりと体を回し、白いセーターの上から、その不器用な態度も言葉もまるごとぜんぶを抱きしめた。



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