#65 疎通
ああ……終わった。私の人生、絶対に終わったわ……
私の数倍以上もある大きさの恐獣が数十匹、ぐるりと隙間なく囲んでいる。
おまけに私の目の前には、その親玉の赤い巨大な恐獣が立っている。こんな状況で、どうして生き延びるなどと考えようか?
その赤い恐獣は、他の黒い恐獣とは異なり、背丈は3倍くらい、太く刺々しい尾を持ち、頭には大きなツノが2本生えている。
ちょうど映画「魔王」に出てくるドラゴンそっくりだ。周りのワイバーンのような恐獣とは、明らかに違う風貌。映画の中でもそうだったが、竜族の中では最強の存在。おそらく、ここでもそうなのだろう。
そのドラゴン風の恐獣が、その身体のわりに短い手を私の身体めがけて伸ばしてくる。そして、私を掴んだ。
「ひ、ひいぃぃぃ!」
私は恐怖のあまり叫ぶ。ああ、遂に私の人生最後の時がやってきたんだ。私は目を閉じる。
◇
「……小さき者よ」
声が聞こえる。
「我が手のうちにいる、小さき者よ」
なんだろう。周りを見ると、私は真っ暗な場所に立っている。
そして、目の前には素っ裸の男が立っている。
「あの、あなたは誰ですか?」
私は、ここはあの世の入り口で、てっきり天国からお迎えが来たのかと思っていた。
「我が名はファーブニル。ここにいるワイバーンどもを統べるドラゴンである」
「は?ドラゴン?」
「今、そなたは我が手の内におり、我が心の中を見ている。我が心を読める者ゆえ、ここに連れてきたのじゃ」
「ええっ!?もしかして私、まだ死んでないんですか?」
「そうだ。だから目を閉じたまま、わしの話を聞いて欲しい」
「は、はい……」
なんだ分からないが、私はあのドラゴンの心の中をのぞいているらしい。どうやら、すぐに食べるつもりはないようだ。
「わしは昨日、ここにやってきた。真っ暗な場所をくぐると、気がつけば深い森と高い山に囲まれたここにいたのじゃよ」
「はあ……そうなんですか……」
「で、目の前をたくさんの傷ついたワイバーンどもが飛んでいるのを見た。奴らは言った。人間どもにやられた、と」
きっと昨日のあの戦いのことだろう。100匹以上いた恐獣を、哨戒機や駆逐艦でたくさん殺してしまった。このドラゴンは、それを抗議しにきたのだろうか?
「だが、聞けばやつらも人を食っていたという。自業自得だ。だが、このままではワイバーンどもはただ人に恨まれ、殺されるだけじゃ。それでわしが、人と話をつけると約束した」
「じゃあ、それであのアルバーニョの街にやってきたんですか」
「その通りじゃ。そこで見回すと、そなたがいた。そこでわしは、そなたをここに連れてきた」
「はあ……でも、なんで私を?」
「見ればわかる。そなただけは、他の人間と違う。わしと意思疎通ができるものだと分かったから、連れてきたのじゃよ」
どういうこと?私が他の人とどう違うの?強いて言うなら、私は占いの能力がある。まさか、それをこのドラゴンは一目で見出したのだろうか?
ともかく、私はそのドラゴンに尋ねる。
「で、私に何をしろと言うんですか?」
「簡単じゃ。そなたらが恐獣と呼ぶ我らと、和睦したい」
「和睦?」
「わしらは二度と人間を襲わぬ。代わりに、我らが住む場所を認めて欲しい。それを、他の人間どもに伝えて欲しい」
「はあ……でも、どこに住むんですか?」
「あの街より西の方に飛んだ場所に、海がある。我らは海の幸で暮らす」
「でも、どうしてワイバーンやドラゴンが、ここにいるんですか?イライアさんによれば、昔はいなかったと聞きましたよ?」
「こやつらも、わしにも、理解できぬ。気がついたらここにいた。食べるものがなく飛び回っていたら、人間がいた。だから、食べた。しばらくはそれで生きていたが、そのうち人間が武器を持って襲いかかってきた。こやつらはそう言っておる」
まるで野生動物のようなことを言う……って、野生動物のようなものか。ともかく、それをこのドラゴンは叱責し、人との共存を探ろうと考えたようだ。
「こやつらは、かなりの人を殺してしまった。だが、此度はこやつらもたくさん殺された。それで両成敗ということで、許してはもらえぬか?」
「……分かった。じゃあ私、なんとか説得してみる」
◇
私は、目を開いた。そこはあの赤いドラゴンの手の中。ファーブニルという名のそのドラゴンは、私をそっと下ろす。
どうやらあれは、夢ではなかったようだ。現に私はこれだけの恐獣に囲まれていて、全く襲われない。その赤いドラゴンは、私の方をじっと見ている。
さて、説得するとは言ってしまったものの、どうしたものか。そこで私は、ポケットにあるスマホのことを思い出す。
たしかこいつには無線モードというのがあって、それで直接キースさんを呼び出せるはずだ。私はスマホを取り出して、その無線モードに切り替えるアプリを探し出し、それを起動する。
キースさん、気づいてくれるだろうか?私は、無線アプリの応答ボタンを押す。
すぐに、応答があった。
『オルガ!オルガなのか!?』
かなり発狂気味なキースさんの声がする。ああ、私がさらわれて、気が動転しているんだ。私は応える。
「あなた、あのね、ちょっと話を聞いて欲しいの」
『なんだ!今どこにいるんだ!?まだあの恐獣に食われていないのか!?』
「いや、食われてたら連絡できないでしょう。で、今私、その恐獣のところにいるんだけど……」
『な、なんだって!?まさか、もう食われるところなのか!?』
「いや、そうじゃなくて、ここのドラゴンさんと話をして、和睦したいって持ちかけられたとこなの」
『はぁ!?なんだって!?和睦!?どういうことだ!?』
私は、ドラゴンのファーブニルさんの話を伝える。まあ、当然だが、キースさんは信用しない。
『そんなわけないだろう!ドラゴンと話だなんて、できるわけないじゃないか!』
「そうなんだけど、実際に私、そのドラゴンと話をしたし、現に恐獣達にぐるりと囲まれているんだけど、まったく襲われずにこうして話をしているのよ」
『そ、そうなのか?』
キースさんは、しばらく考えていた。そして、口を開く。
『分かった。オルガのいうことを信じよう。実際、そのドラゴンに連れ去られたオルガがこうして生きて、話をしているんだし』
「ほんと!?」
『ただ、和睦するには当然、手続きが必要だ。簡単に言えば、恐獣の代表であるそのファーブニルというドラゴンと、このアルバーニョの街の住人との間で合意が必要だろう』
「そう……てことは、ファーブニルさんがもう一度そっちに言って、話をすればいいの?」
『そういうことになるな。だが、今そのまま来たらパニックになる。こっちの準備が必要だ。ちょっと待っていてくれ、私が話をしてみる。また、連絡するよ』
そう言ってキースさんとの連絡が切れる。私は再びファーブニルさんに触れた。そして、目を閉じる。
◇
真っ暗闇に、また素っ裸の男の人が立っている。
「あの、ちょっと聞いていいですか?どうして、素っ裸なのです?」
思わず私は尋ねる。
「この方が、無防備で警戒しないと思ったからだ。鎧を着た騎士の姿の方がよかったか?」
いや、普通、女の前で男が素っ裸で現れたら、めちゃくちゃ警戒すると思うのだが。まあいいや、そんなことを聞くために彼の心に入ってきたわけではない。
「和睦のこと、私の夫に連絡しました。今、アルバーニョの街の人に話してみるから、待っててくれって」
「うむ、それはわしも聞いていた。そうか、説得してくれるのか」
「私達の言葉は、分かるんですか?」
「聞けば分かる。ただ、喋れぬだけだ。わしが口を開いたところで、ただ雄叫びが響くだけ。これでは、とても人との間に意思疎通などできぬ」
「そうですか。困りましたね」
「だから、そなたに頼むしかないのだ。わしも人との間で念話が使えればいいのだが、それほどの力を持っておらぬ。せいぜい、ワイバーンどもと話をするくらいしかできぬのじゃ」
「じゃあ、私があなたの言葉を伝えるしかないんですか?」
「そうじゃ。そなたしかおらぬ」
うーん、困ったな。私しか喋れないのは考えものだ。これじゃ私、この星を離れられなくなる。
「あの、私ね、別の星から来たんです」
「別の星?どこじゃそれは」
「空高く、遠く遠く、ずっと遠くの星の世界。その星の一つから来たんです」
「ほう……」
「だから、いつかはその星に帰らなきゃならないんです」
「そうなのか」
「そうなると、どうしましょう。他の人と会話ができなくなっちゃいますよね」
「うーん、そうじゃな……それはそれで困りものじゃ」
「でも今は、他の人と仲良くなれるかが問題ですよね。それを乗り越えないと、会話どころじゃないですから」
「うむ、そうなのじゃが……」
「頑張りましょう!多分、上手くいきますよ!」
「そ、そうか……そう願いたいものだ」
◇
心の中のファーブニルさんは、とても控えめな感じの人だ。だが、目を開けると、そこにいるのはとても控えめとは言えない6階建くらいの巨大なドラゴンがおっかない顔をして立っている。
が、頭を下げて、その短い手でぽりぽりと頭を掻いている。このドラゴン、図体に似合わず、心の中で見た性格そのもののようだ。
「そうだ、私の自己紹介がまだでしたね。私の名前はオルガレッタ。よろしくね」
それを聞いたファーブニルさんは頷く。周りの恐獣改めワイバーン達も頷いた。
それにしても私、どうしてここにいるんだろう?ふと空を見上げながら、ここに来てからのことを考えていた。
6190号艦が被弾してこの星に迷い込み、プロペラ機とワイバーン達が戦ってる街にたどり着いた。で、気づけばその頭領であるドラゴンに連れ去られて、ここにいる。
つい昨日まで戦っていた相手が、私の周りにずらりと並んでいる。とても信じられない光景だ。しかも私は、彼らと人間の和睦の仲介役をすることになった。
司令部で雑用係になってからいろいろなことをやってきたけれど、こんな大きな羽根の生えたトカゲのような生き物と関わるのは初めてだ。大きく赤いドラゴンを見上げながら、私はこの自身の数奇な運命に、驚きを通し越して呆れていた。
私のスマホが鳴り出した。キースさんだろう。上手く説得できたのだろうか?私は応答する。
『あ、オルガ?まだ食われてない?』
「……大丈夫だから応答してるんじゃない。で、どうだったの?街の人達は」
『いやあ、もめたもめた。あんな化け物、信用できるかって。だけど、イライアさんって人が、とにかく話くらい聞いてやろうじゃないかって言ったら、みんな黙り込んじゃった。だから、なんとかこっちの受け入れ態勢は整ったよ』
「そうなの?分かった。じゃあ、今からファーブニルさんとそっちに行くね」
『うん、気をつけて。絶対無事に、帰ってきてよ』
キースさんの心配そうな口調から、その気持ちが痛いほど分かる。そりゃあ突然、自分の奥さんが巨大なドラゴンに咥えられて連れてかれたんだもんね。気が気じゃないだろう。
それにしても私、近頃連れ去られすぎじゃないか?監獄、連盟、そしてドラゴンの巣窟。普通は来られない場所ばかり。
でも、そこから私は、いつも戻ってくる。
「ということで、アルバーニョの街まで私を連れて行ってもらえますか?」
ファーブニルさんに尋ねる。首を縦に振り、私に背中を向けた。つまり、背中に乗れってことか。
確かに、口の中は嫌だなあ。随分と乾いたけれど、さっきは唾液でベッタベタにされてしまった。
私は尻尾のトゲを伝って、背中に乗る。背びれにしっかりとしがみついた。
それを見たファーブニルさんは、大きく羽ばたく。再び空に舞い上がった。
こうして私は、恐獣達と人間の仲介をするため、行動を始めた。




