#53 考察
「まあ!こちらがあの有名なアキラ研究員様ですか!?」
あの妙な学者を目を輝かせて見ているのは、好奇心の塊、ヒルデガルドさんだ。
「おや、あなたは……」
「私はマッケンゼン公が娘、ヒルデガルドと申します」
「なんと!貴族のご令嬢がこのようなところに!さすがは帝都ですな。よろしくお願いしますよ、マドモアゼル・ヒルデ」
いえいえ、アキラ殿。その方はいろいろあって、今や私と同じ平民ですから、もっと気軽にいじっていただいて結構ですよ。
その後、2人して意味不明な会話をしている。宇宙論がどうとか、統一場理論がどうとか話しているが、私にはなんのことだか分からない。だが、アキラさんが盛んに右手を動かしていることから、美味しいものの話ではないと分かる。
そんなアキラさんがこの司令部に来て、3日が経った。特に誰かが暗殺されたり、処刑されたり、強盗されたり連れ去られたりすることのない、のどかな日が続いている。
が、その静寂が、あの学者さんによって突如、かき乱される。
「おーっ!ファンタスティック!ブラボー!聞いてくれ、マダム・オルガ!」
突然、私が占いをしている部屋に飛び込んできたのは、あのイカれた学者、アキラさんだ。
よく見ると、右足太もものあたりが何かで濡れている。ああ多分、私の占い通りになったんだ。にも関わらずこの喜びよう、一体どうしたというのか?
「あの……どうされたんですか?」
「君の力の秘密について、仮説が立ったんだ!ここで得られたデータと証言を、矛盾なく説明できる!」
「ええ~っ!?それ、本当ですか!?」
「立証するための方法をどうするかが難題だが……とにかく聞いて欲しい!」
といっても、どうせ私にはよく分からないことを喋り出すのは目に見えている。だからその場には、少しでも話の分かりそうな人物が集められた。
で、集まったのは3人の技術武官とフェデリコさん、そして、好奇心旺盛な元貴族のヒルデガルドさんだ。
「さあ、皆、集まったようだね。では、始めようか」
ついにアキラさんの説明が始まった。やや頭がおかしいとしか思えないこの学者さんの説明に皆、耳を傾ける。
「マダムの力の説明の前に、『並行世界論』という仮説を紹介したい。これが彼女の力を解明するのに必要な仮説だ」
また不可思議なことを言いだしたぞ、この学者。この人の言葉からは、「なんとか論」というのが多いな。なんだろうか、論って。食べたら案外、美味しいのではないだろうか?
で、アキラさんはテーブルの上に、雑誌を一冊置く。それを開いて、中程のページを一枚、つまみ上げた。
「まず、我々の宇宙をこの1ページだと仮定しよう」
妙なことを言い出した。私は尋ねる。
「あの、宇宙はそんなに薄っぺらい場所ではありませんが……」
「うむ、その通り。だがそれは3次元的解釈だ。10次元の宇宙から見れば、我々の認知する3次元など紙はおろか、線ですらない」
今度は「次元」ときたか。あまり美味しくなさそうな名前だな。
「まあそれはともかく、我々の宇宙をこの紙切れに例える。正確には我々は、このページの表側にいる。そしてこの雑誌のように、その裏のページが存在する」
紙の表裏を指しながら、アキラさんの説明は続く。
「このページの表と裏は、まったく同じ空間に存在している。そして、そこには同じ人物、同じ物資が存在しているんだ」
「はあ……そうですか」
もはや、ため息しか出ない。
「だが、たった一つだけ、この表と裏は異なるものがある。分かるかい?マダム・オルガ?」
急に私に振ってきた。まったく見当もつかないが、私は応える。
「何でしょう?裏の世界には、ピザがないとか」
「あっはっは!残念ながら、違うね!」
私は少しムッとする。そんな難しいこと、私が答えられるわけがない。分かってて答えさせたんでしょう、あんたは。
「たった一つの違い。それは……『時間』だ!」
「へ?時間?」
また不思議なことを言いだしたぞ。時間が違う?表が10時なら、裏は3時だ、とでも言いたいのだろうか?
「正確には、時間の流れの向きが違う。我々が過去から未来に向かっているのに対し、裏の世界では未来から過去に向かって時間が流れているんだ」
「はあ?未来から過去に!?」
この辺りで私は、何を言っているのかまったく理解できなくなった。時間が逆?どういうこと?
「それは、ビッグバン以来膨張を続けるこの宇宙が収縮に転じ、ビッグクランチに向かう際に存在する世界のことでしょうか?」
ある武官が質問をする。なんだろう、ビッグバンって。ショッピングモールの入り口にあるパン屋で売ってる、1つ10ドルするあの大きなパンのことか?
「いや、おそらくは関係ない。どちらかといえば、作用反作用の法則で生じた世界だと思えばいいだろう。物理的な力が作用すると逆の向きの力が必ず生じるように、時間もまた反作用的なものが存在する。その結果存在するのが、裏世界だ」
ところで、ここは私の力の秘密を説明するはずではなかったのか?どうしてさっきから、なんとか論だの時間だの大きいパンだのと、どうでもいい話をしているのだろうか?
「さて、時間が逆行する裏世界があるという仮説に基づいて、マダムの力の説明をしてみよう」
やっと私の占いの話に移った。アキラさんは雑誌から手を離し、手を振り上げて話し始める。
「先ほども言った通り、この空間には表と裏の世界が同時に存在している。だが、それぞれがまったく干渉せず存在するため、その存在を意識することはない」
「だけど、まったく無干渉というわけではないのではないんですか?」
別の武官のこの質問に答えるように、アキラさんは続ける。
「そうだ、たった一つだけ、干渉しているものがある。それが、マダム・オルガの手だ!」
と言って、私の手を指差す。
「我々は、過去から未来に向かって生きている。だから、過去のことを記憶しながら未来に向かっていることになる。一方、裏世界の住人は逆に、未来を記憶しながら過去に向かっている。ではもし、同じ空間に存在する裏世界の人間の記憶を、なんらかの方法で取り出すことができたなら……」
「もしかして、私が握った手から見えてるというのは、その……」
「そうだ。この同一空間上に存在する、裏世界の同一人物の記憶を、君は見ているんだ!」
話はほとんど理解できていない。が、なんとなく分かるような気がした。
「と言っても、これは仮説だ。だが、これだけのセンサーを並べても、まったく素粒子や物資が検知されない。ということは、この『占い』の情報は、マダムと被験者の間だけでやり取りされていることになる。となると、この仮説が実在すると考えた方がぴったりと当てはまる」
その場にいた全員が、ため息をつく。分かったような分からないようなこの説明に、どう反応すればいいか、誰も思いつかないようだった。
が、私はふと気になったことを尋ねる。
「私は、4時間から10日までの未来を見ることができます。が、直前の未来を見たことがないんです。それだと、むしろ直後に起きる出来事の方がよく見えるってことはないですか?」
するとアキラさんは、テーブルの上の雑誌を持ち上げ、それを私の顔の前に押しつけてきた。
「どうだい、マダム。この雑誌が、読めるかい!?」
「い、いえ、いくらなんでも近すぎて……」
「だろう?近すぎると見えない。当たり前のことだ。だけど!」
アキラさんは、私の顔からその雑誌を離す。
「これくらい離れると、読めるだろう?」
「はい……これなら読めます」
「だが、今度は離れすぎても小さくて見えなくなる。つまり、マダムにとって未来の光景がちょうどよく見えるのは、4時間から10日ということなんだよ。分かるかい?」
「はい……なんとなくは……でも、私はその人を一度占うと、1週間はその人から占いを読み取ることができなくなるんですよ。それは、どう考えればいいのです?」
「いくら同じ空間に存在する裏世界といっても、干渉にはそれ相応のエネルギーが必要だ。一度占うとそのエネルギーが枯渇し、次に未来の記憶を引き出すのに必要なエネルギーが貯まるまで1週間はかかると言うことではないだろうか?」
いまいち分かりづらい説明だが、この学者さんの言いたいことは、なんとなく分からないでもない。
が、ここで急に思い出したことがあった。そのことを私は、アキラさんに尋ねてみた。
「あの!もしかして、死んだ人の世界の意識と繋がることって、あるんですか!?」
妙なことを尋ねると思われるだろうが、私には一度、そういう経験をしている。この際だから、聞いてみようかと思った。
「そうだね。ありうるだろう」
ところが、アキラさんはあっさりと応えた。
「古今東西一万光年、人は死ぬと、現世とは異なる世界に行くと言われている。仮説に過ぎないが、その世界は例えるなら、この雑誌のすぐ次のページのようなものだ」
再び、雑誌を指差すアキラさん。
そして、その雑誌をパタンと閉じた。
「そして、その世界はこのように密接に積み重なって存在している。だから、死後の世界といっても、我々のすぐそばにあるのかもしれない。私はそう、考えている」
「えっ!?すぐそばに……?」
「そうだ。実際にワームホール帯を経由して、こことは明らかに違う世界と繋がったという事例は、この宇宙にいくつかあるんだ。だから異なる世界、すなわち異なる宇宙がたくさん存在することは、すでに実証されているんだよ。ただ、一つのページ、すなわち同一の世界に表裏が存在することを示したのは、この宇宙で唯一、マダム・オルガの手のひらだけなんだ」
そう言って、説明会は終わる。直後、ヒルデガルドさんは、私に言った。
「あなたが最後に尋ねた、死後の世界のこと。私にも気になるのよ。もしもその世界と繋がるのなら、私はもう一度、父上に会ってみたいものですわ……」
そう言い残して、ヒルデガルドさんは仕事に戻っていった。
そうだ、私はあの時やっぱり、その世界と繋がったんだと思う。あれは、本物のコーリャさんだったんだ。そういえば、母も父に会ったと言っていた。それも、本物の父だったのだろう。アキラさんの話を聞いて、私は確信した。
どうして私と母しか出会っていないのかは分からない。私の占いの能力と関係があるのだろうか。母は占いができないけれど、親子だから、なんらかの力を持っているのではないだろうか?そう考えれば、合点が行く。
そして、その翌日。
突然、アキラさんは地球001に帰ると言い出した。
「ええ~っ!?もう帰っちゃうんですか?」
「そうさ、マダム。その力の源、並行世界の存在を立証する方法を考えるため、一旦、地球001に帰るよ。そこならいろいろな実験設備や論文があるからね」
「そうですか……正直、変な人だなあっと思ってましたけど、私、とても勉強になりました」
「あははは!君は正直だなぁ!まあ、私も正直言うと……」
と言いながら、私の手を取り、顔を近づけてくる。
「君も地球001に連れて行って、洗いざらい調べてみたいと思っているけどね。一日中、べったりと」
私は背筋が凍るのを感じる。なんだこの人、やはり、やばい人なんじゃないの?
「なんてね!冗談だよ!そんなことをすれば、君の旦那様に悪いだろう。と、いうわけだ。私は一旦、地球001に帰り、何か良い方法を見つけたら、再び君に前に現れるさ!いや、実に楽しい星だった!では、ご機嫌よう!」
そう言い残して、アキラさんはこの司令部を去っていった。この時振っていたのは、左手だ。つまりこの別れは、彼なりの感情表現ということのようだ。
この奇妙な学者さんの訪問で、私を含めて、何かが得られたようだ。まだ仮説だと言っていたが、この先あの学者さんが何かを発見してくれれば、もう一度コーリャさんと話す方法や、お父さんと会う方法だって見つかるかもしれない。ヒルデガルドさんもおそらくは、そう感じたはずだ。そんな淡い期待を抱きつつ、アキラさんの乗る宇宙船が宇宙に旅立っていくのを見守った。




