#34 布告
あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
いや、私はまだ、生きているのだろうか?
私は、ゆっくりと目を開く。とっくに日は登っており、周りは明るい。目の前には、鉄格子が見える。
硬い木の上に、ろくにクッションも敷かれていないベッドに、私は寝かされていた。身体にはボロい囚人服、その上から汚い布が被せられていた。
ああ、私まだ、生きているんだ。ここは、あの監獄の中の牢のようだ。まだ身体中が痛くて苦しい。あのまま、さっさと死んでいれば楽だったのに……
もしかしたら、昨日の続きをされるかもしれない。その恐怖心の方が、今の私には死よりも受け入れがたい。
その時、鉄格子の向こうから足音が聞こえる。そして、その鉄格子の前に誰かが立つ。
「起きろ!時間だ!」
私は震える。寒さというよりも、恐怖心からの震えだ。だが、そんな私に構わず、その看守らしき男は私を鉄格子の外に引きずり出す。
通路を急ぐ看守に、私は尋ねる。
「あ、あの、私……どうなるんです……」
「神への冒涜者は、火炙りの刑と決まっている。これから広場で、それを行うんだ」
看守が冷たく応える。ああ、やっぱり私、殺されるんだ。でも、火炙りか……焼かれている間は、苦しいのかな?でも、その先はきっと楽になれる……
そんなことを考えている私に構うことなく、看守は私の手首に繋がれた縄をぐいぐいと引っぱって、通路を早足で歩く。
監獄にーの門の手前にやってきた。そこに置かれている、鉄でできた大きなカゴの中に、私は放り込まれる。そのカゴを乗せた車に、看守が馬をつないでいる。
「おっと、刑の前に、これをのませないといけないな」
昨日、私を拷問した男の一人が現れる。手には赤い色の飲み物の入ったカップ。
「おい、これを全部飲み干せ!」
結ばれた両手に、男はそのカップを渡してくる。なんだろうか、いっそ毒ならばありがたいのだが……そう思いながら、私はそれを飲んだ。
ぶどうの味がする。だが、それはとても渋くて苦くて、濃い。ああ、これは多分、ワインだ。私は生まれて初めて、ワインを飲む。
1杯飲むと、2杯目が注がれた。続けて強制的に4杯飲まされる。そして、馬が私を乗せたこの車を引き始める。
徐々にだが、ぼーっとしてくる。身体が熱く、ふわふわとし始める。どうやら、ワインで酔ったようだ。ありがたいことに、酔ったおかげで身体の痛みも和らぐ。
男が言うには、火炙り刑の恐怖心を消し、おとなしく焼かれるように私を酔わせたようだ。ふらふらになった私を乗せた馬車は、広場へと向かっているようだ。
その途中、たくさんの人々が並んでいるのが見える。道すがら、私は大勢の人の前で、大罪人として晒しながら、広場へと向かっているようだ。
だが、すでにそんなことはどうでもよくなっていた。どうせもうすぐ、この世とはおさらば。やっと、お父さんのもとに行ける……
いや、どうなんだろう?そういえば、神への冒涜者だとされたから、やっぱり地獄行きなんだろうか?あっちでも拷問されるのか……でもまあ、どのみち私に選択肢はない。なすがままだ。
私は下にうつむいたまま、しばらく大勢の人の前を引き回され、広場へとたどり着く。
「出ろ!」
広場に着くや、男が声をかける。私はのそっと外に出るが、そんな私をその男は引きずり出す。
そして、男は手につけた縄を引っ張って広場の中央にある小高い舞台の上にある、十字架のところに連れて行く。
その十字架の前で、私の手首の縄が切られた。そして、その十字架に身体を押し付けられ、手を左右に広げられて、手首を縛られる。
身体や両足も十字架の縦棒に縛り付けられる。その下に、薪が並べられた。
するとそこに、司教様と宰相様が姿を現す。ゆっくりとこの舞台の上に歩いてくる。
その周囲を見ると、たくさんの人々が集まっている。皆、私が焼かれるところを見に来たようだ。大勢の人々に囲まれて、もはや私はこの場から逃れようがないことを知る。
私の前に宰相様が立つ。民衆の方を向き、羊皮紙を広げて、高らかに叫んだ。
「聞け、皆の者!こやつ、オルガレッタは、あろうことか占いと称して予言を行うなどという神への冒涜行為を犯し、人々をたぶらかし、恐怖に落としいれた大罪人である!」
大勢の人々から、歓声が上がる。私を手汚く罵るもの、宰相様を讃えるもの、ちょうど皇女様が断頭台の前に立たれた時と同じ状況が、再び私の前で起こっている。
「よって、ただ今よりこの者を、火炙りの刑に処す!」
その宰相殿の言葉を合図に、割れんばかりの大衆の歓声が鳴り響く。そして、私の足元に油が撒かれる。
舞台の向こうから、松明を持った男が歩いてくるのが見える。ああ、あの炎が私を死に導いてくれるのか。
私は今、その大勢の群衆の目の前で、神を冒涜した「悪女」として、まさに焼き殺されようとしている。
そこには、恐怖心や後悔はない。昨日の拷問とさっきのワインのおかげで、朦朧としている私の脳裏に浮かんだのは、たった一つのことだ。
ああ、やっと私、楽になれる……それ以上先のことは、私にはもはや考えられなかった。
だが、ここで異変が起きる。
急に、辺りが暗くなった。そして、腹に響き渡る低音が、辺り一帯に鳴り響く。
私はふと、空を見上げる。
そこにいるのは、大きな灰色の宇宙船。あれは、駆逐艦だった。
艦底部に小さく書かれた「122-2-6190」の数字。ああ、これはまさしく、フェデリコさんの乗る6190号艦だ。
かなり低い高さまで下がってきた駆逐艦6190号艦から、音声が鳴り響く。
『……我々は、地球122遠征艦隊所属の駆逐艦6190号艦である』
ああ、やっぱり駆逐艦6190号艦だ。しかし、何を始めるつもりなのだろう?
『宰相殿に告ぐ。オルガレッタ殿の刑の執行を、即刻中止せよ。もし刑を強行したならば、それを我々に対する戦闘行為とみなし、我々は宣戦布告する!』
それを聞いた松明を持つ男は、その場で立ちすくむ。だが、宰相様は叫ぶ。
「何を恐れることがあろうか!?やつらは空高くにあって、何もできぬ!さっさと火をつけよ!」
だが、松明を持った男は動かない。帝都の空に起きたさらなる異変が、彼らを恐怖に陥れ、次の行動を躊躇わせたからである。
青く澄み切った帝都の空に、無数の駆逐艦が現れる。次々に現われるその駆逐艦は、整然と碁盤目状に並びつつ、帝都の空を覆い尽くす。
どうしてこんなにたくさんの駆逐艦が?朦朧としている私も、その異様な光景に驚く。
「な、なんじゃこれは!?」
さっきまで威勢の良かった宰相様も、これには驚いた。横にいる司教様も、空を見て嘆いておられる。
空を見ると、白い哨戒機がこちらに向かっておりてくるのが見える。
広場の真上に差し掛かると、そのままゆっくりと降りてくる哨戒機。
その下にはまだ大勢の人がいるが、それに構わず広場の着陸を強行する。真下の人々は慌てて逃げ惑う。
人々を押しのけるように降り立った哨戒機。ハッチが開き、2人の人物が出てきた。
先頭を歩くのは、フェデリコさんだ。もう一人は、フェデリコさんを護衛する士官のようだ。銃を構えてフェデリコさんの後ろにピタリとついて歩く。そのフェデリコさんが、この舞台の上に上がって来た。
「遠征艦隊所属、フェデリコ大佐と申します。ブッフバルト宰相閣下、ならびに司教殿、我々は直ちにオルガレッタ殿の宇宙艦隊への引き渡しを要求する。これが、地球122政府ならびに我ら遠征艦隊の総意であります」
これを聞いた宰相様は、反論する。
「だ、黙れ!帝国に宣戦を布告すると脅すなど、言語道断!左様な連中の要求など、聞けるものか!」
「誰が帝国に宣戦布告などすると申しましたか?我々の布告先は、貴殿を含む、ここにいるオルガレッタ殿の殺害を企てる連中にですよ」
それを聞いた宰相様は、たじろぐ。
「た、たかが娘一人に、艦隊まで繰り出すとは、お前らは正気か!?」
「我らは民主主義惑星です。たった一人の民間人の基本的人権を守るために、軍が全力を尽くすのは、何もおかしなことではありません」
と言いながら、フェデリコさんは手で空を仰ぐ。
「ましてや、ここに集結した300隻の艦艇は、かつてオルガレッタ殿の占いにその命を救われた者達です。その恩返しとして、ここに馳せ参ずるのは当然でしょう」
フェデリコさんは、宰相様をじわじわと論破する。すると、その横にいた司教様が口を開く。
「だがフェデリコ殿よ、これは神の前で行われた尋問による、神聖なる聖断であるぞ!それに異を唱えることは、まさに神への冒涜!如何なる神罰が下るか、分かりませぬぞ!」
「そうですか、ならば今すぐ、その神罰とやらを使って、この300隻の艦隊を倒してくだされ。我らはその理不尽な神を相手に、奮戦してご覧に入れましょう」
「な、なんと……」
「我々にとって、予言や予知という行為は別に神への冒涜などには当たりませぬ。彼女の占いに、科学的な検証や論証を組み合わせることで、扇動行為などにつながらぬようコントロールしております。ゆえに、これまでも、これからも、民衆を惑わすようなことにはなりえません」
「だが、それは……」
「第一、人々を救うべき聖職者の立場にありながら、身勝手な理由に基づいて一人の人間の命を奪う。この行為こそ、神への冒涜行為ではありませんか!?」
フェデリコさんの言葉に、すっかり反論できなくなった司教様。この宰相様と司教様に、さらに追い討ちをかけるが如く、別の人物が現れる。
集まる群衆を押しのけるように、2台の馬車が走りこんできた。1台は黒塗りの2頭立ての馬車、そしてもう1台は大きな幌馬車だ。
この2台の馬車が止まると、まず幌馬車の方から数人の騎士達が降りてきた。皆、その場で抜刀して、黒い馬車の前に集まる。
そして、黒い馬車からは、2人の人物が降りてくる。銀色のショートボブの女性と、豪華な服を纏う人物。あれは、アルベルティーナ皇女とフリードリヒ皇太子殿下だ。
2人は剣を構えた衛兵らに守られながら、この舞台の上を目指す。そして壇上に登り、宰相様の前に立つ。フェデリコさんは皇太子殿下の方を向いて敬礼をする。殿下は、軽く手を挙げてそれに応える。
突然現れたフリードリヒ殿下に困惑しつつも、頭を下げる宰相様。その宰相様の前で、皇太子殿下は手に持っていた羊皮紙を広げる。
「宰相ブッフバルト公爵よ、貴殿に皇帝陛下よりの言葉を伝える。貴殿は自らの欲求の赴くまま、いたずらにその職権を乱用し、民衆を惑わし、無実の民を殺めんと企んだ。よって、貴殿の宰相の職を直ちに解く!」
「なっ!?」
「なお、貴殿には公爵家当主を速やかに嫡子に譲るよう、後日申し渡すものとする。それまでの間、屋敷にて謹慎せよ!」
「お、おのれ~!」
宰相様は突如、腰にあった剣を抜いた。それを見た衛兵らは、剣を構えて宰相様の前に立ちはだかる。
「お主が帝国最強のこの騎士らを相手に勝てると思うならば、挑んでくるがよい。だが、ひとたびその剣を振るえば、その時は皇帝陛下の代理人に反逆した者として、公爵家そのものが断絶されることになるであろう。果たして、その覚悟はあるか!?」
それを聞いた宰相様は、握っていた剣をその場に落とす。そして、そのままひざまづいてしまう。それを見届けた皇太子様は、衛兵の一人に命じる。
「オルガレッタ殿を解放せよ!」
「はっ!」
その衛兵は、私の方に来る。それは金髪の騎士、エヴァルト殿だった。
「オルガレッタ殿、もう大丈夫だ。今すぐお助けする」
エヴァルト殿はナイフを取り出し、私を十字架に縛り付けている縄を次々に切っていく。
縄を解かれ、動けるようになった私は、前に進もうと足を踏み出す。が、足元に撒かれた薪を踏んでしまい、そのまま身体がよろけて倒れてしまいそうになる。
すると、エヴァルト殿が私を両手で受け止めて、私を横向きに抱き上げて下さる。そして私を抱き上げたまま、皇女様の元に行く。
そして皇女様が、私に言った。
「あとは、私達がやるわ。あなたは安心して休んでて」
この皇女様の優しい言葉に、私は頷いた。本当はきちんとお礼を言いたかったのだが、感高まって声が出なかった。
そして、私を抱えたままエヴァルト殿は石舞台を降り、哨戒機の方に向かう。
哨戒機のハッチが開く。中から1人の人物が顔を覗かせる。
「オルガレッタさん!」
それは、キースさんだった。そうか、この哨戒機、キースさんが操縦する機体だったんだ。
「あとを頼んだ!」
「了解しました!」
エヴァルト殿は私をキースさんに渡し、再び皇太子様と皇女様の元に戻っていく。
私を受け取ったキースさんは哨戒機の中に入り、ハッチを閉める。そしてキースさんは、私をそのまま強く抱きしめた。
「良かった……間に合った……」
キースさん、私の前で初めて涙を浮かべた。私も、それを見て涙が出てしまった。
ああ、私、あの地獄のような場所から助けられたんだ……朦朧とする意識の中、私はキースさんの腕の中で、命が助かったことを実感する。私もキースさんに抱きつく。
「キース中尉殿!そういうのは後にして、まずは病院に向かいますわよ!」
「あ、ああ、そうだった。分かりました!ヒルデガルドさん、あとはお願いします!」
そういうとキースさんは、機内の背もたれを倒した椅子の上に、私を寝かせる。そして、操縦席の方に向かう。
「まったく、あなたって人はなんてドジなのかしら!よりによって、あのデブの宰相に捕まった挙句、殺されそうになるなんて……」
寝そべる私の手を握りながら、文句を言うのはヒルデガルドさんだ。
「あれ?ヒルデガルドさん。こんなところにいるのがバレたら、大罪人として捕まっちゃうんじゃ……」
「何言ってんのよ!その前にあなたが大罪人になっちゃったじゃないの!人の心配よりも、まず自分の心配をしなさい!」
私を叱りつけるヒルデガルドさん。そう言いながらヒルデガルドさんは、私の手をぎゅっと握って言った。
「あなたは、この私がいつか絞め殺してやるんだから、それまでは絶対に死んじゃダメだからね!分かってるの!?」
「うん……分かった」
相変わらず、無茶苦茶なことを言ってくる人だ。だけど私は、そんなヒルデガルドさんの手を握り返す。
「1番機より6190号艦!これより緊急発進する!発進許可を乞う!送れ!」
『6190号艦より1番機!発進許可了承、直ちに発進せよ!ただし、高度400には友軍艦が多数展開中、高度300にて飛行せよ!』
「了解!発進する!」
キーンという音とともに、哨戒機が飛び立つ。私は、窓の外を見る。
石舞台の上では、フェデリコさんと皇太子様、皇女様が宰相様と司教様の前でまだ何かやりとりをしているのが見える。そのまま高度を上げて、前進する哨戒機。
外には、たくさんの駆逐艦が整然と帝都の上空で並んでいる。この船達、みんな私一人のために、わざわざ集まってくれたんだ。こんな小さくて非力で臆病な、私のために。
その駆逐艦の姿を見ながら、私の意識は遠ざかっていく。そしてそのまま、私は気を失うように寝てしまった。




