#29 恋慕
「はぁ~っ!」
露骨にため息をつくのは、ヒルデガルドさんだ。
「どうしたのですか……元気ないですね……」
ガエルさんが、ヒルデガルドさんに寄り添う。
この2人、元貴族同士だからか、とても気があうようで、よく一緒にいる。それにしてもヒルデガルドさん、最近ずっとこの調子、元気がない。特に今日は一段と酷い。どうしたのだろう?
「ほんと、どうしたんですか、ヒルデガルドさん。いつものように私のことぶっ殺すくらいの勢いは、どこ行っちゃったんです?」
「うるさいわね!本当に首を絞めてぶっ殺すわよ!」
「ひええっ!ごめんなさい!」
せっかくあの強盗事件で生き延びたというのに、ここで殺されたらたまらない。私はすごすごと引っ込む。
「……どうもあの時から、頭を離れないのよ」
「あの時?」
私とガエルさんはヒルデガルドさんの話を聞く。
「ほら、宇宙に行ったあの時よ。帰ってきてから、思ったように仕事が捗らないの。なぜかしら、困ったわ……」
そういえば、小惑星から戻ってしばらく経つが、以前よりヒルデガルドさんの勢いがない気がする。
「でも何ですか……頭を離れないのって……」
「先日、駆逐艦でお会いした、とても物知りで丁寧な方よ。このところ毎日、その方の顔が思い浮かんで……」
ああ、あの人か。ルチアーノさんだ。そういえばヒルデガルドさん、あの時はルチアーノさんに駆逐艦を案内してもらってたよね。
それどころか、帰りに寄った戦艦ヴィットリオの街でもルチアーノさんと一緒で、結構楽しんでたようだ。
それがここに戻ってから、仕事上接点がないから急に会わなくなったので、それでもしかしたら寂しくなったんじゃないかな。
「もしかしてヒルデガルドさん、ルチアーノさんに会いたいんじゃないのぉ~!」
ついからかってしまったが、よく考えたら相手が悪い。まずい、これは反撃される。途中でハッとした私は、思わず身構える。
「……うん、そうかもしれないわ」
ところが、あっさりとお認めになられたこの元公爵令嬢。なんだか拍子抜けだが、それは思ったよりも深刻であることの裏返しなのかもしれない。
「じゃあ、ルチアーノさんを誘っちゃえばいいんじゃないですか?今度の土曜日にでも、デートしませんかって」
「デート?何ですか、それは?」
「ええと、男と女が一緒にショッピングモールに行って、映画見たりご飯食べたりすることで……こっちの言葉では『逢引』が近いって……」
「あ、逢引ぃ~っ!?そ、そのようなはしたないことを、私から誘えと申しますか!?」
「いや、逢引ほどのものじゃないよ、デートは。単に一緒にご飯食べようっていうものであって……」
「大体そのようなことは、男の方から誘うもの!女は黙って待つものですよ!それが、帝国貴族の礼儀というものです!」
いやあ、帝国貴族って、ルチアーノさんはもちろん、ヒルデガルドさんももはや貴族じゃないじゃん。何をこだわってるんだか。
「じゃあヒルデガルドさんは、どうしたらルチアーノさんと一緒にデートするんですか?」
「そ、それはもちろん、帝国の礼儀に則り、私の前にひざまづいて手を取って私を誘ってくれたのなら、考えてもいいですわ!」
面倒なことを要求する元貴族。これはまさに、帝国騎士のエヴァルト殿がデーボラさんにやったあれだ。そんなこと、地球122の人がするのだろうか。
それにもうこの2人、戦艦ヴィットリオの街でデートしてるじゃん。駆逐艦内の案内も含めると2回だ。今さらそんな形式的なことにこだわっても、仕方がない気がする。
でも、このままじゃヒルデガルドさんはただただ待ってるだけのようだ。せっかくルチアーノさんのことがいい人だと思うなら、引っつけてあげたい。キースさんに相談してみようかな。
その日の夕方、私とキースさんはいつものように一緒に帰る。その道すがら、私はキースさんに尋ねる。
「キースさん、先日お会いしたルチアーノさん、あの方って恋人や奥さんはいるんですか?」
「い、いきなり何!?なんでそんなこと聞くの!?」
「いえ、ヒルデガルドさんがどうやらあの方のことを気になっているようなのです。だから、どうかなって」
「ああ、そういうことか。なんだ、びっくりしたなあ……」
何をびっくりしてるんだろう?まあいいや、とにかくルチアーノさんのことを聞こう。
「うーん、よくわからないけど、多分いないと思うよ」
「えっ!?そうなんですか?じゃあ……」
「いや、一応本人に確認しておいた方がいいだろうな。ルチアーノ大尉ならあの高層アパートに住んでるし、すぐに会えるよ」
「やっぱり、ここに住んでるんですね。あちこち行かなくていいけれど、なんだかそっけないというか……」
「まあ、いいじゃないか。ええと、ルチアーノ大尉の部屋はと……」
高層アパートに着くと、私とキースさんはルチアーノさんの部屋へと向かう。
10階にあるルチアーノさんのお部屋。ベルを鳴らすと、すぐに出てきた。
「あれ?キース中尉に、オルガレッタさん。どうしたの?」
「いや、ちょっと、大尉にお聞きしたいことがありまして……」
「そうなの?まあ、玄関で話すのもなんだし、上がってよ」
そう言われて、私とキースさんはルチアーノさんの部屋に上がる。
「で、なんだい、聞きたいことって」
「ええと、なんていうんですかね、その……」
なかなか話そうとしないキースさんに変わって、私が話す。
「あの、ルチアーノさん!ルチアーノさんって、恋人か奥さん、いますか!?」
「ええーっ!?な、なに、いきなり!」
単刀直入に聞き過ぎたようだ。キースさんもドン引きだ。
「いやあ、オルガレッタさん。もうちょっとやんわりと聞いた方が……」
「もう聞いちゃいまいた。この際、回りくどく聞いてもしょうがないですし。で、どうなんです?」
「いや、どうと言われても、こんな遠征艦隊の砲撃長なんかの恋人になる人なんて、いるわけないでしょう。ましてや結婚なんて」
「ああ、そうなんだ!よかったぁ!」
いやあ、よかった。恋人がいないんだ。それを聞いて安心する。だが、これを聞いたルチアーノさんはちょっと不機嫌になる。
「なに、私に恋人がいないのは、そんなにいいことなのかい!?」
あ……しまった。つい変なことを言ってしまった。私は応える。
「ああ、ごめんなさい!そういう意味で言ったんじゃないです!実はですね、ルチアーノさんに恋い焦がれている人がいてですね……」
「ええーっ!?わ、私に!?誰ですか、それは!」
「あの……ヒルデガルドさんって、覚えてます?」
「先日、宇宙に行った時に同行した、あの元公爵のお嬢様でしょう?って、まさか……」
「そうなんです。ヒルデガルドさん、どうもあれから元気が無くて、探ってみるとどうやら、ルチアーノさんのことが気になってるみたいなんです」
「ほ、本当ですか、それ。でも私はただ駆逐艦を案内して、そのあと戦艦の街に行っただけですよ」
「好奇心の強い方ですからねぇ。ルチアーノさんの案内の仕方が良かったんじゃないですか?あの時はとても上機嫌でしたからね、ヒルデガルドさん」
「いや、でも公爵のご令嬢でしょう?私なんかとても……」
「大丈夫ですよ。今は転落してただの平民階級の女ですから、何をしたって大丈夫です!ただ……」
「ただ、なんです?」
「元が貴族なので、告白というか求愛に、帝国貴族式のものを求めちゃってるらしいんです」
「な、なんですか、その帝国貴族式というのは」
「先日、宮廷の衛兵を務めておられる騎士のエヴァルト殿が、秘書科のデーボラ殿に大胆な告白をされた話って、ご存知です?」
「なんでも、ものすごく大胆なプロポーズをやってたって噂ですね。私は直接見てませんけど、デーボラ中尉の前にひざまづいて、手の甲にキスをしたとかなんとかって」
「そうです、あれが帝国貴族式なんですよ。皇族や貴族、騎士に至るまでの令嬢への告白は、あれが基本なんですよ」
「そ、そうなんですか……」
「大丈夫です!絶対上手くいきますって!」
「ほんとかなぁ……というか、もう私がヒルデガルドさんに告白するという流れになってるけど……」
「そうですよ!滅多にない機会、腐っても転落してても、元は公爵令嬢ですよ!?ここで頑張らなきゃ、勿体無いでしょう!」
「は、はい!頑張ります……」
ということで、ルチアーノさんはヒルデガルドさんに告白すべく、この帝国貴族式の告白手法を身につけることになった。
とはいえ、どうすればいいのか?真っ先に浮かんだのは、それを実際に目の当たりにしたデーボラさんに聞くことだ。
私は、デーボラさんに電話する。10数回も占いをしたから、すでに電話番号まで交換した仲だ。数回のコールの後に、デーボラさんが出た。
『はい、デーボラです』
「あ、デーボラさん!?私、オルガレッタです!」
『あら、オルガちゃん。どうしたの、急に?』
「ええとですね、デーボラさんが受けたあの帝国式の告白、あれを教えてもらいたいんです!」
『ええーっ!?告白って、エヴァルトがやった、あれのこと?』
「そうです!ちょっと事情があってですね、あのやり方をぜひ教えて欲しいんです!」
『そ、そうなの?それなら私に聞くよりも、エヴァルトに聞いた方が早いわよ』
「でも、エヴァルト殿は帝都の皇族専任の衛兵ですから、いつ伺えばいいかわからなくて……」
『今いるわよ。私の部屋に』
「ええーっ!?いるんですかぁ、エヴァルト騎士が!?」
『そうよ、最近ね、よく来るのよ』
「じゃあ、すぐに行きます!お部屋、どこでしたっけ!?」
なんと、あれをやった張本人が今近くにいるという。これはとんでもない機会だ。デーボラさんの部屋の番号を聞き、早速3人で押しかける。
「えっ!?ヒルデちゃんが、こちらの大尉殿に!?ほんと、それ!」
「ええ、ちょっといろいろあってですね。だけどヒルデガルドさん、元は公爵家のご令嬢ですから、エヴァルト殿がデーボラさんにされた、あの告白でないとダメっぽいんです」
「そうなんだ……でもあれはすごかったよねぇ。私もびっくりしたけど、心が萌えるっていうかさ、なんかこうカァーッとするんだよね。分かるなぁ、ヒルデちゃんのその気持ち」
「そうなんですか……地球122の方でも、わかっちゃうんですか、帝国式のこの告白のすごさが」
とにかく、とてつもない威力のある告白方法だということがわかった。あれだけ技と文化の進んだ地球122の人がそこまでいうんだ、ましてや恋愛で敗れ続けたデーボラさんの言葉だ。偽りはないだろう。
「では、私がルチアーノ殿にご教授いたしましょうか?」
「えっ!?本当ですか!?」
「そんなに難しいことではありません。私のするようにやれば、皇族のご令嬢相手でも伝わりますよ」
「それは凄い!じゃあ、ルチアーノさん!早速!」
「ええーっ!?ほ、本当にやるんですか!?」
「当たり前じゃないですか、ここまで来て怯んでどうするんです!?」
「は、はい……わかりました」
「それではルチアーノ殿、まず左足を立てて、右足の膝を地につけます」
「は、はあ……こうですか?」
「そして、両手をそっと女性の右手に添えるんです」
「はい、こんな感じですか」
「うーん、相手がいた方が雰囲気が出ていいですね。じゃあ、オルガレッタ殿、ルチアーノ殿のお相手を願えますか?」
「はい?私ですか?」
「相手がいた方が、わかりやすいと思うので」
「はあ……そうですか。分かりました」
私はひざまづくルチアーノさんの前に立つ。するとルチアーノさんは私の右手をそっと取る。
うーん……これはちょっと、どきっとくるな。確かにこの告白はすごい。キースさんがそれっぽくやったことがあるが、本物はやはり一味違う。
「そこでまず、相手の意思を確認します。あなたの美しさに心奪われました、ぜひ私と、おつきあい願えませんか?という感じに、相手の意思を引き出すのです」
エヴァルト殿はデーボラさんの手を握りながら見本を見せている。だが、それをされているデーボラさん。まんざらでもないようだ。
「そ、そうですか。じゃあ……ヒルデガルドさん、私はあなたのそのお姿に心奪われました。ぜひ私と、おつきあい願えませんか?」
うわぁ……私だったら、間違いなく告白した相手に吸い取られちゃいそう。心臓にビンビン響く。
「そこで女性が、はい、お受けします、といえば、では私の愛の全てをあなたに捧げます、と言って手の甲に口付けをするんです」
「ええっ!?く、口付け!?キスするんですか!?」
「別にオルガレッタ殿にしなくてもいいですよ。ですが、相手が拒絶した場合は、ならば私はあなたの心の扉が開くまで、ずっとお待ちしております、と言って引き下がるのです。相手によってはそこで、引き止めてくれるかもしれません。これが、300年前から帝国の騎士以上に伝わる求愛の儀礼です」
「はあ……そうですか。300年も……いや、とても参考になりました」
「いえ、お力になれたのであれば、光栄ですよ」
エヴァルト殿は微笑む。見本にされたデーボラさんも、改めてエヴァルト殿に惚れてしまったようだ。
「じゃあ、ルチアーノさん。行きますか」
「えっ!?どこにです!?」
「決まってるじゃないですか、ヒルデガルドさんのところにですよ」
「ええーっ!?今から行くんですか!?」
「教えてもらってすぐに実践する方がいいに決まってるじゃないですか!じゃあ、行きますよ!ヒルデガルドさんも、この高層アパートにいるんですから」
というわけで、私はルチアーノさんをヒルデガルドさんの部屋へと連れて行く。
「ほ、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です!エヴァルト殿も言ってたじゃないですか!皇族のご令嬢でもいけるって!300年もの間伝わる儀礼ですよ!?相手は転落済みの元公爵令嬢!ダメなわけないですよ!」
躊躇するルチアーノさんを引っ張って、ヒルデガルドさんの部屋の前にたどり着く。そこで私は、呼び鈴を鳴らす。
「はい。……って、オルガレッタさん、なんですか、こんな夜に」
「ヒルデガルドさん!この人、連れてきました!」
「この人って……ええーっ!?あ、あの、あなたは!?」
「はい、ルチアーノです。お久しぶりです」
「た、大尉殿が一体、どのようなご用で!?」
そこでルチアーノさんは、おもむろに先ほど聞いた告白手法を実践し始めた。右足の膝をつき、左足を立てて、ヒルデガルドさんの右手を取る。
「あの、私、ルチアーノは、あなたのことが忘れられません。もしよろしければ、私とお付き合い願えませんか?」
うーん、いい感じだ。貴族風ながら、地球122の人らしい言葉表現。もはや、完璧じゃないか、この告白は。
ところがである。ヒルデガルドさんは突然、この告白を拒否する。
「で、できません!ダメです!」
ええーっ!?非の打ちどころのない告白、私だったらもうめろめろだ。これの一体、どこがダメなのか!?
するとヒルデガルドさんは、ルチアーノさんと同じく、膝をつく。
「……私はもはや平民でございます。ルチアーノ大尉殿にひざまづかせるなど、もっての外です。私こそ、ルチアーノ殿にお惹かれ申しておりました。ぜひ、お付き合いさせてはもらえませんか!?」
「は、はい!それはもう、願っても無いことでございます」
想定外の反応に、ルチアーノさんがぎこちなく応えると、ヒルデガルドさんはルチアーノさんに抱きつく。そしてそのまま、ルチアーノさんはヒルデガルドさんの部屋の中に入って行ってしまった。
あとには、私とキースさんが残される。
「……ええと、うまく行ったんです、よね……?」
「うん、うまく行ったと思う……多分」
なんだ、ヒルデガルドさん、別に普通の告白で良かったんだ。帝国の礼儀じゃないと嫌だと言ったのは、私に対する強がりだったのだろうか?
まあ、何にしてもうまくいったようだ。半ば強引にルチアーノさんを連れてきてしまったが、これは連れてきて正解だった。
これでヒルデガルドさんも前向きになって、私をぶっ殺すなどと言わなくなるといいんだけれど。




