#21 欠点
帝国全土を揺るがす事態が、今、私の目の前で起ころうとしている。
皇太子殿下の胸めがけて、不埒者の刃が襲いかかろうとしていた。
私の見たあの光景と違う出来事が、今私の眼前で起きている。
刻の流れが、まるで写真をパラパラと一枚一枚めくるように、ゆっくりと進んでいる。
その刃先が、まさに殿下の胸を捉える瞬間を、私は目撃しているところだ。
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話は、4日前に戻る。
その日私はフェデリコさんとともに、ラーテルブルグ宮殿、シュバルツフルト宮にいた。
「おう、よくきたな、占い娘!」
陽気に声をかけてくださるのは、フリードリヒ皇太子殿下だ。よりによって、私はまたこの方のところにやってきた。
もう冬だというのに、変な汗が出る。なんだってこの方は突然、私を呼びつけたのか?
「いや、オルガレッタ殿にぜひお願いしたいことがあってな」
「は、はい、なんでございましょう!?」
「たいしたことではない。貴殿に、私を占って欲しいのだ」
簡単におっしゃるけれど、皇太子殿下を占うなど、私にとってはとてつもないことだ。私の全身に蓄えられた変な汗を全て出し尽くして、その汗が尽きる時、私の命も果てるのではないかと思われる。
ああ、せっかくキースさんと大人の時間を過ごせるようになったというのに、私の儚い命はこれまでか……
「どうした、オルガレッタ殿」
「あ、はい、いえ、なんでもありません」
フェデリコさんの声で、我に返る。いかんいかん、少し後ろ向きに考えすぎた。こういうのをリリアーノさんは「ネガティヴ思考」と呼んでいる。それは、あまりいい心がけではないらしい。
いつものように、心に暗示をかける。そこにいるのは帝国の皇太子ではない、フェデリコさんだ……そして皇太子殿下の手を握り、目を瞑った。
◇
華やかな場所。どこかの宮殿のようだ。
その場の雰囲気としては、母の結婚式の時の立食パーティーに似ている。が、あれを数百倍も豪華にしたような、そんな場所だ。
姿格好から、おそらく貴族と思われる人々がたくさんいる。皆、料理と酒に興じているようだ。
そしてここは、その会場の中でもひときわ高い場所。皇太子殿下は、その壇上にある大きな椅子に腰掛けておられるようだ。
が、その時。
壇の下から、誰かが走ってくるのが見える。
黒いマントを身にまとい、顔を紫の布で覆った人物。短刀を握り、皇太子殿下のいるこの壇上めがけて駆け上がってきた。
そして、そのまま刃物は皇太子殿下の胸に……
◇
ハッとして、目を開ける。全身、汗でべったりだ。皇太子殿下を見て流していた、あの変な汗とはかなり違う汗。心臓がばくばくと音を立てているのが分かる。
「おい!どうした、オルガレッタ殿!」
しばらく私は、言葉が出なかった。一呼吸して、私は皇太子殿下に今の光景をお話しする。
「……うーん、顔を隠し、刃物を持つ黒いマントの男か……」
「男かどうかもよくわかりませんでした。なにせ、顔が見えなかったものですから」
「その様子を聞く限り、それは4日後に行われる社交界での出来事だろう。立食で貴族達に酒や料理を振る舞う場となれば、間違いはない」
「どうされます、殿下。社交界を中止されるか、あるいは殿下は欠席された方がよろしいのでは?」
「いや、そういうわけにはいかない。なにせ私の誕生日を祝う祝宴だからな。それを、暗殺者一人のために中止や欠席などといえば、帝国の威信にも関わること。やめるわけにも、出ないわけにもいかない」
「そうでございますか……では、警備を強化するしかありません」
「うむ。しかし、顔が見えないというのは困ったものだな。それでは、犯人を事前に特定できぬではないか」
「あの会場に入れるとなれば、貴族かその夫人、それに給仕と衛兵ということになります。顔さえわかれば、事前にどうにかできるのですが……」
「まあよい、何かが起こると分かっただけでもやりようがあるだろう。ともかく、その出来事に備えることにいたそう」
「はっ!承知いたしました!」
こうして私とフェデリコさんは、ラーテルブルグ宮殿を後にする。帰りの馬車の中で、私とフェデリコさんは皇太子殿下の暗殺について話す。
「それにしても、恐ろしいことを考える人がいるものですね」
「そうだな。よりによって、フリードリヒ皇太子殿下だ。前回のブロイセン皇子とはわけが違う。暗殺されたとなれば、帝国全土に関わる事態だ」
「そうですね。でも、万一の場合は、第2皇子の方が繰り上がりで皇太子になるのでは?」
「そう簡単ではない。その場合はむしろ第2皇子が暗殺の黒幕として疑われる。帝国の皇族内部は皆、疑心暗鬼となり、混乱が生じることになる」
「うわぁ……大変なことになりますね。でも、もしかして黒幕って、本当に第2皇子なのですか?」
「いくらなんでも、それはないだろう。もし皇族が仕掛けるのなら、わざわざ社交界などという場を選ぶことはしない。それよりもだ」
「はい、なんでしょう?」
「どうも貴殿のあの占いの光景、気がかりなところがある……」
どういうことだろう?気がかりなことって言われても、気がかりだらけだ。黒いマントの人物、持ち込まれた刃物、そして皇太子殿下が狙われたこと……どれも謎だらけで、どこから突っ込んだらいいのか分からない。
フェデリコさんはすっかり考え込んでしまった。険しい顔だ。この人、本当によくこういう怖い顔をするのだ。母といるときも、いつもこうなのだろうか?
翌日、私はいつも通り、駆逐艦の補充作業をしていた。ちょうど8階の電球を交換していると、スマホがピローンと鳴った。
スマホを取り出し、画面を見る。そこに写っていたのは、イェシカだった。
イェシカめ。うまいことランベルトさんに取り入ったらしい。ショッピングモールにしょっちゅう出かけているようだし、とうとうスマホまで買ってもらったらしい。
それどころか、つい先日などランベルトさんの部屋で一晩泊まったと言っていた。まだ出会って2週間程なのに、なんという進展ぶりだ。
イェシカ自身は、ランベルトさんのことが気に入っているようだ。なにせ、命の恩人だし、よく見るとわりといい男だ。危機に瀕したイェシカの元に、突如現れた端麗な勇者様。それに、帝国の平民からすれば、すごい金持ちだ。そりゃあ惚れない方が、どうかしてるよね。
一方のランベルトさんも、イェシカと過ごす日々が楽しくて仕方がないらしい。おかげで、最近はとても仕事熱心だとキースさんも言っていた。なんだあの2人、そんなにお似合いだったのか。出会うべくして、出会った間柄のようだ。
で、先日の日曜日のデートの様子を、写真付きのメールで送ってきた。しかしなんだ、それにしてもスマホの使い方をこんなにも早く覚えてしまうとは、イェシカという女は、予想以上にやり手だ。
と、私がスマホを見ていたら、目の前にフェデリコさんが立っていた。
「あ、あれ!?ふぇ、フェデリコさん!?」
「仕事中にスマホとは……随分と熱心だな」
あわわ、まさか駆逐艦の中までやってくるとは思わなかったから、突然のフェデリコさんの登場に、私は思わず泡を食ってしまった。
「まあいい、貴殿に一言言ってから、行こうと思ってな」
「行くって、どこにですか?」
「決まっている。フリードリヒ殿下のところだ」
「また、あそこに行かれるのですか?」
「ああ、そうだ」
「社交界の警備の打ち合わせか何かです?」
「うむ、そうなのだが、いろいろと考えて、思いついたことがある」
「はあ、なんでしょう」
「貴殿の占いが抱える、欠点のことだ」
「は?け、欠点!?」
突然、占いの欠点などと言い出したフェデリコさん。
「あの、私の占いに、どんな欠点があるのですか?」
「いや、まだ今は言えない。事件が終わり次第、話すことになるだろう」
「でも、それでは……もしかして……」
「そうだ。このままでは皇太子殿下を、お守りすることができないかもしれない」
「ま、まずいじゃないですか!どうするんです!?」
「貴殿の能力は、特殊で稀有なものだ。我々の持つ理屈では、とても説明のつかない現象であることは間違いない。が、万能というわけではないのだ。今はまだ、それしか言えない。いずれちゃんと、話すとしよう」
そういうとフェデリコさんは、駆逐艦のエレベーターの方に向かっていった。
占いの欠点などと、突然言われてしまった。そんなこと言われたら私、自信をなくしてしまうじゃないか。
私が唯一、他の人にはない能力がこの「占い」だ。そこに問題があると言われたら、凹むのは当然だろう。
ましてや、皇太子殿下の命に関わる案件。もし殿下が倒れてしまえば、帝国全土が大混乱に陥る。
それは決して、宇宙港の街も蚊帳の外ではない。
もしかしたら、帝国と地球122の間に結ばれた条約が、破棄されてしまう可能性だってあるとフェデリコさんは言っていた。
そうなってしまえば、私は再び平民生活に逆戻りだ。
せっかく慣れたこの街の生活が、脆くも崩れてしまうのだろうか?
でも、フェデリコさんのことだ。私の占いの欠点を知っているのなら、多分、何か策を考えているはずだ。だからこれから、皇太子殿下の元に向かわれるのだ。
もはや、フェデリコさんに、頼るしかない。
こうして迎えた社交界の当日。
成り行き上、私もフェデリコさんの付き添いとして、特別に参加することになった。
フェデリコさんは幕僚として貴族待遇での参加。そしてフェデリコさんは夫人である母を同伴している。
「嬉しいわ、貴族の社交界に参加できるなんて、夢みたいよ!」
母は大喜びだが、その日は夢どころか悪夢が起こる予定だ。とても喜んでなどいられない。
こうして、帝国皇太子フリードリヒ殿下の誕生日を祝う社交界が始まった。
会場には、あの黒マントの人物などいない。当たり前だ。そんな怪しい姿の人物がいたら即座に逮捕、拘禁される。
この会場にいる誰かが、皇太子殿下を襲うことになる。それが分かってはいるが、分かっていても誰かがわからないから、未然に防ぐことができないのは腹立たしい。
一体、誰なのだろうか、私は会場内を見渡す。しかし、皆豪華な装飾の施された服か、ドレスを身にまとっている。母もカクテルドレスを着て、貴族のご婦人方とワイン片手に談笑している。
しかし、平民出身の母も、よくもまあ堂々と貴族のご婦人方と張り合っているものだ。私など、変な汗が出て会話どころではない。
ところで、フリードリヒ殿下はまだあの椅子には座っていない。公爵や伯爵のいる場所で、何人かの貴族と何かを話している。
まだ事件は起こりそうにない。まあ、せっかく来たことだし、何か食べていこう。
ふと、料理の置かれたテーブルに目をやると、そこには見慣れた食べ物があった。
ピザだ。チーズに干し肉、シーフードにトマトや野菜がトッピングされたピザが置かれている。
私は取り皿を持ち、ピザコーナーへと向かう。干し肉系のピザをまず二切れ取る。そして、そのうち一切れを食べる。
ん~ん!この味は、ショッピングモール1階の、あのピザ屋の味だ。間違いない、このチーズの味、肉の旨味、野菜の量、いずれもあの店特有の配合だ。変な汗をかきすぎたこの会場で、唯一私を癒してくれる食べ物だ。
ピザを食べ頬を押さえながら満面の笑みを浮かべる私に、誰かが話しかけてくる。
「ほほーう、公爵閣下に教えてもろうたが、貴殿がこの帝都で有名な、占い師はんかな?」
その声に、私は振り向く。そこにいたのは、初老の男性。装飾の施された服、どうみても貴族だ。少なくとも、男爵以上の人物ということになる。
私は、口に入れたピザを一気に飲み込む。そして、挨拶する。
「は、はい!私、オルガレッタと言います!ええと、なんだったっけ……本日はお日柄もよく……」
「そんな硬い挨拶はせんでもええわ。わしはこの貴族連中の中でもたいしたことあらへん貴族やさかい、気にせんでええよ」
「えっ!?あ、はい」
珍しく、ずいぶんとくだけた感じの貴族の方だ。誰だろうか?
……まさかとは思うが、今回の暗殺の仕掛け人じゃないだろうな。あえて私に接近してくるあたり、怪しい。ちょっと警戒せねば。
だが、とてもじゃないがこの人が、人を殺めるなどという行為をするとは思えないような、そんな人柄の人物だった。
「わしは、シュタットフェルトっちゅう男爵なんじゃよ。ここより西方の地のある街や村を治める、ちんけな男爵なんじゃって」
「そ、そうなんですか。男爵様で……」
「そんなたいそうな者やあらへんで。帝都には住まんと、ずっと西方の田舎で暮らしてたもんでなぁ。なんで他の貴族とは、ちょっと違うんよ」
「はあ、さようで……」
確かに少し、訛りがある。帝都で暮らしている人物でないことはすぐに分かった。
「でも、どうしてこの社交界に参加を?」
「ああ、それなんやがな、ここんとこ宇宙っちゅうとこからぎょうさん品が流れて、この帝都がますます活気付いているやろ?なんで、わしらもそないなもんにあやかろう思うて、久しぶりに帝都に来たんよ」
「はあ、なるほど。そういうことですか」
「来てみたら、ほんまびっくりや。えらい変わってもうたわ、帝都も。空には船がじゃんじゃん飛び交い、なんや変わった街が出来て、おまけにこれや」
そう言って、シュタットフェルト男爵が皿を見せてくれる。そこには、ピザやコロッケなど、あっちの食べ物ばかりが乗せられている。
「こない美味いもんがこの社交界にぎょうさん出てきて、ほんまびっくりやわぁ。こんなもんがあふれてる帝都なら、勢いがあって当然やな。そんでわしんとこにも、なんや美味そうなもん持ってけへんか思うてな」
「そうですよね。美味しいですものね、ここの料理」
なんだかとても男爵様という気がしない。話してても変な汗も出ない。ご近所にいる気のいいおじさんと話しているようだ。
「ほな、わしはいろいろ回るさかい、そのうちわしのこと、占ってや!」
「はい、またお会いしましょう!」
そう言って、この気のいい男爵様と別れた。向こうで、別の貴族に話しかけている。
ふと、壇上を見る。皇太子殿下が、壇上の大きな椅子に座っている。
飲み過ぎたのか、それとも話し疲れたのか。少しぐったりした様子で、椅子に座っているフリードリヒ殿下。
ああ、あれはまさに私がみた光景通りの姿。ということは、そろそろあれが起きるのか!?
と思った、その時だ。
顔を紫色の布で隠し、黒いマントを身につけた人物が走りこんでくる。ああ、まさに私がみた光景そのものの出来事が今、起きている。手には何か、光るものが見える。
だが、これはあらかじめ想定された事態。壇上の手前で、貴族のふりをしてこっそり待機していた衛兵らに取り囲まれ、捕らえられる。
会場内は、大騒ぎだ。突如起こったこの騒動に、皆が動揺している。
衛兵は、その黒マントの人物を外に連れ出す。
よかった。もちろん、フリードリヒ殿下は無事だ。椅子の上で、その事件の行方を見守っておられる。
だが、それで終わりではなかった。
まったく別の人物が、壇上に走り込むのが見えた。
その人物は、顔を覆ってはおらず、マントもつけていない。
それは、赤い色のドレスを身につけた、貴族のご令嬢のようだった。
手には、キラリと光るなにかを握っている。あれはおそらく、ナイフだ。
帝国全土を揺るがす事態が、今、私の目の前で起ころうとしている。
皇太子殿下の胸めがけて、不埒者の刃が襲いかかろうとしていた。
私の見たあの光景と違う出来事が、今私の眼前で起きている。
刻の流れが、まるで写真をパラパラと一枚一枚めくるように、ゆっくりと進んでいる。
もうダメかと思った、その瞬間。
激しい光と音がして、その不埒者は、弾き飛ばされた。




