#2 給料
翌日も、私はこの宇宙港にやってきた。
昨日の帰りに、リリアーナさんからこの宇宙港まで来る方法を教えてもらった。
歩いてくるつもりでいたが、バスという便利な乗り物があるという。それに乗れば、門からこっちは歩く必要がない。おまけに、この宇宙港の街に自由に入ることができる「カード」をもらう。ちょっと頑丈な、紙というより薄い木片のようなものをもらった。これを門でかざせば、街に自由に入れるという。
さらに驚いたことに、当分の間は「日当」をくれるというのだ。
最初の1か月間は、毎日少しづつ給料をくれる。最初は何かと物入りで、しばらく無給ではやってられないだろうという配慮からだそうだ。翌月から月給制になるのだと言われた。
……のだが、その日当の額に私は驚いた。
「では、今日の分だ」
「はい、ありがとうございます」
フェデリコさんから、初めての給料を受け取った。
なんだか、札がたくさんある。覚えたばかりの数字を読んで数えると、それは全部で30ユニバーサルドルあった。
30ドル、私達のお金に換算すると、銀貨30枚。その金額に、私は驚いた。
「あ、あの!フェデリコさん!このお金は……」
「なんだ、少ないのか?」
「い、いえ、むしろ多いくらいです!いいんですか、こんなにもらっても……」
「まだ見習い期間中、これでも少ないくらいだ。ひと月経って正式に雇用されれば、もっと増える。まあ、頑張りたまえ」
そう言って私は、信じられないくらいのお金を手に入れた。
占いで私が稼ぐお金は、ひと月で銅貨150枚程度、銀貨にすると15枚だ。ところが、たった半日でなんと銀貨30枚分のお金。私のふた月分の給料を、たった半日で稼いでしまった。
これを門のところにある両替所に持っていくと、ここの銀貨に変えることができる。私は銀貨30枚を持ち、とぼとぼと家に帰る。
家に帰り、30枚の銀貨を見せると、我が家は騒然とする。そりゃそうだ、たった1日でこれほど稼いだことなどありはしない。だから、母は驚いて私に尋ねてくる。門の向こう側での仕事をもらったと言うと、何か変な商売をやってきたのではないかと心配する。当然、そう思うだろう。私だって、この金額には驚いた。
なんとか母を説き、そして今日もこの宇宙港の司令部へとやってきた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。君が新人のオルガレッタさんかい?」
「はい、お世話になります」
司令部の門番に、あのカードを見せる。この宇宙港の街に入るのと、この司令部に立ち入るのに使える証明書なんだそうで、それで私は司令部内に入ることができた。
さて、着くや否や、昨日と同じ作業をする。倉庫の中でタブレットを片手に、洗剤だの電球だのを探し出す。
それを載せた荷車……じゃない、台車って言うんだ、その台車を押して外のトラックに積んでもらう。そして駆逐艦に運び込み、それぞれを所定の場所に運び込む。
昼食前までに、これを2回やった。あの重い台車を1人で運ぶのは、結構疲れる。
「お疲れ。じゃあ、昼食に行くわよ」
リリアーナさんに連れられて、私は司令部にある食堂に向かう。
そこには、たくさんの人が並んでいた。皆、トレイと呼ばれる板のようなものを持っている。
しばらく進むと、タブレットの化け物のようなものが私を出迎える。そこにはたくさんの食べ物の写真が表示されてて、食べたいものを選んで触れるんだそうだ。
「ええっ!?この中から選ぶんですか?」
「そうよ、オルガちゃんは、何が食べたいの?」
「ええと……そうですね。なんでもいいですけど……」
「じゃあ、私が選んであげる。オルガちゃんはちょっと栄養不足っぽいから、肉料理ね」
私のことを「オルガちゃん」と呼ぶようになったリリアーナさんは、私の料理を選んでくれた。しかし、見たことのない料理ばかり。何を選んだのだろう?
さらにトレイを持ったまま奥のカウンターの前に並んで、いよいよ料理を受け取る。
奥には、ロボットアームとかいう腕だけの化け物がせっせと働いているのが見える。正直、まだ気味が悪いけど、あれが料理を作ってくれているんだ。どんな料理が出てくるんだろう?
他の人の料理を見ても、見たことのないものが多い。肉か野菜か、それともスープか何かかは分かるが、帝都では見られない料理がほとんど。パンにしても、白くて柔らかそうだ。
ここは地球122という星の国からやってきた人々が集まる場所。私達の住む帝都よりもずっと進んだ文化や技を持った彼らは、食べるものでさえ私達を圧倒する。
その料理を、私は今日、初めて口にする。
出てきたのは、茶色くて丸い料理。リリアーナさんによれば、これは「ハンバーグ」という料理だ。
その横に、小さなパンがついている。触ると、とても柔らかい。こんな柔らかなパン、私は初めてだ。
何度かショッピングモールというところに行ってみたことはあるが、安くても銀貨1枚もするパンに、私も母も、買うことができなかった。それが今、私の目の前に無造作にポンと置かれている。
「さあ、じゃんじゃん食べて、昼からも元気に働くわよ!」
「はい、いただきます」
フォークとナイフを持って、まずはハンバーグというものをいただく。ナイフを指すと、思ったよりも柔らかい。これは、細かくすりつぶした肉の塊のようだ。その上に、茶色の香ばしい香りがする何かがかかっている。
私はそれを口に運ぶ。口に入れた瞬間、それまで味わったことのない肉の味が舌の上で広がるのを感じる。
肉というものは、もう少し臭みがあるものだが、それがこのハンバーグという料理からは感じられない。それは多分、周りにかけられたこの茶色いもののおかげのようだ。
我が家でも、肉は食べる。今の季節は銅貨5枚で生の豚肉が手に入るのでそれを買い、それを家で焼いて岩塩で味をつけ、3人で食べる。
だが、冬になると干し肉しか手に入らない。それも春を迎える頃には、かなり臭みが増した肉しか手に入れることができない。それを黒くて硬いパンに乗せて、岩塩でごまかして食べる。
そんな肉料理しか知らない私には、極めて衝撃的な味だ。分厚くて食べ応えがあり、それでいて柔らかい。臭みもなく、濃厚な味が口の中いっぱいに広がる。
そばにある野菜も、初めてのものばかり。にんじんはこの帝都でも手に入るが、これはとても甘みがある。その横にある黄色いつぶつぶは初めて見る野菜だ。聞けば、これはトウモロコシというものだという。どれも甘みがあり、食が進む。
パンは、口に入れても柔らかかった。これに比べたら、私が普段食べているパンはまるで木の板だ。こんなに柔らかなパンが、この世にはあったのか?
これを食べていると、思わず涙が出てくる。ああ、この料理、母や弟にも食べさせてあげたい。私だけこんな美味しいもの食べてて、いいのだろうか?
「ど、どうしたの、オルガちゃん!?もしかして、口に合わなかった!?」
そんな私を見て、リリアーナさんが心配そうに声をかけてくれる。私は応える。
「い、いえ、美味しいです。でも美味しすぎて、うちの母や弟にも食べさせてあげたいなぁって思ってたら、泣けてきちゃって……」
「そうか、そうなんだ。じゃあさ、帰りに買っていけばいいじゃない」
「ええっ!?でもこれ、どこに行けば手に入るんですか?パンなら見たことがありますが、ハンバーグが売ってる店なんて……」
「いいわよ、仕事が上がったら、私がショッピングモールに連れて行ってあげるわ。それで家族の分も、買ってあげなさい」
「は、はい!ありがとうございます!」
なんと、このハンバーグを家に持って帰ることができるという。母も弟も、この味を楽しむことができるのだ。こんなに嬉しいことはない。リリアーノさんは私の顔を見て、微笑んでいる。おそらく私も、同じ顔をしているのだろう。
とまあ、食堂では優しいリリアーノさんだが、食事が終わって仕事が始まると、途端にこの人は厳しくなる。
「じゃあ、そろそろ慣れたことだから、昼からは一人でやってみてね。オルガちゃんは3番ドックの6190号艦で、私はその隣の4番ドックの6189号艦。それじゃあ、また後で!」
といって、私を置いて倉庫に行ってしまった。ここにきて2日目で、突然私はこの広い宇宙港に一人、放り出されてしまった。
なんとか汗だくになって台車を押して、トラックのところに行く。
「おお?もう独り立ちか、えらいな!」
グッチオさんがにこやかに話しかけてくれる。だが、私は初めての独り作業。リリアーノさんがいてなんとかできていたのに、突然たった一人であの駆逐艦に行かなければならないなんて、できるのかしら?
だが、私が一隻、リリアーノさんが二隻やれば、今日の仕事は終了する。そうすれば、昨日よりは少し早く帰ることができる。つまり、母や弟にハンバーグを買って帰る時間が、それだけ早くなる。
夕食には、母と弟とあのハンバーグを一緒に食べられるんだ。ついでに、パンも買っていこう。特に弟は食べ盛りだ、喜ぶだろうな。
そう思うと、ここはなんとしてでも頑張るしかないと思えてくる。私は気合を入れて、トラックに乗り込んだ。
3番ドックに着く。そこには灰色の駆逐艦が、断崖絶壁のように立ちはだかる。まだ昨日入ったばかりのこの駆逐艦という大きな船に、私は一人、乗り込んだ。
薄暗い艦内。一人、エレベーターに乗り込む。まずは8階に上がる。そこは洗濯室と主計科の事務所、そして食堂がある。
この8階で大半の荷物を下ろすことになる。ここで台車を軽くして、その他の階に行く。それが一番手っ取り早いとリリアーノさんは教えてくれた。
教えられた通りに、私はまず8階で下りる。そこで私はまず、あの奇妙な腕の並んだ洗濯室に入る。
そこで洗剤を下ろす。薄暗いこの洗濯室には、ピクリとも動かない腕が並んでいる。じーっと見ていると、今にも動き出しそうだ。気味が悪い。さっさと洗剤を所定の場所に入れて、そそくさと次の場所に向かう。
次に食堂に行き、そこで私はいくつかの箱を下ろす。その奥にある主計科の事務所で、タオルなどを置いていく。
誰もいない駆逐艦の中、薄暗い上に、化け物のような腕などおっかない仕掛けが並ぶその場所で、私は黙々と仕事をこなしていく。
通路だけは明かりが煌々と点いているので、一人でも怖くはない。が、機関室や洗濯室など、部屋の明かりはほとんど消されている。このため、薄暗いところに一人、入っていかなければならない。
こうして黙々とこなして、ようやく電球交換のみとなる。
ああ、これでやっと終わる。私はタブレットを見て、電球の交換場所を見た。
……が、文字が読めない。私はまだ、数字しか読むことができない。そこで、私はタブレットの左上にあるアイコンを押して、その文字を読ませる。
すると、このタブレットは電球を交換するべき場所を教えてくれる。
『6階の通路、11階の通路、15階の医務室。』
んんーっ?今、なんて言った?通路は分かるが、最後のはなんだ?
『6階の通路、11階の通路、15階の医務室。』
もう一度聞いてみるが、最後のがよく分からない。「いむしつ」っていうのは、どこにあるの?
とりあえず、分かるところから向かう。6階と11階の通路に行き、そこで切れている電球を見つけて交換する。
だが、最後の「いむしつ」というのがどうしても分からない。15階で降りてあちこちを覗いてみたが、検討もつかない。
台車を押しながら、私は焦る。時間ばかりが過ぎていく。静かなこの艦内で一人、知らない場所を探し続けている。
寂しくて、心細くて、悲しくなってきた。じわっと涙が出てくる。どうしよう、あと電球一つで終わりなのに、その一つがどうしてもこなせない。
一人通路で寂しさと悲しさに襲われていると、突然、通路の奥から足音がする。
カツーン、カツーン……
通路に響くその足音。その音で私は緊張する。
私一人しかいないと思っていたのに、ここには誰かいるようだ。でも一体、誰だろう?
この静かな艦内で、他に人がいる。でも、どこの誰だか分からない相手だ。司令部の人なのだろうが、こんな薄暗い場所で見ず知らずの人と会う。不安を覚えずにはいられない。
徐々に近づく足音、その音の大きさと共に、私の不安も大きくなっていく。
そしてついに、その足音の主が姿を現わす。
「……あの、どちら様です?」
藍色の軍服を着て、平べったい軍帽をかぶったその人物。飾緒もなく、若い人だ。おそらくリリアーノさんと同じくらいの階級の人のようだ。
「あ、あの、この艦内の補充作業をしてまして……」
「ああ、主計科の人ですか。ご苦労様です。大変ですね。頑張って下さい」
にこりと微笑んで、立ち去ろうとするその人物に、私は尋ねる。
「あ、あの!すいません!」
「はい、なんでしょう?」
「ええとですね、『いむしつ』というところを教えて欲しいのですが!」
「医務室?ええ、いいですよ。こっちです」
ああ、良かった。やっと医務室にたどり着くことができる。私はやっと安堵感に包まれた。
「医務室はこの先です。この第1格納庫を過ぎてすぐのところ。この部屋ですね」
「はい、ありがとうございます……って、あれ?」
「どうしました?」
「いえ、電球を交換しにきたのですが、真っ暗で、どの電球が切れているのか分からなくて……」
「ああ、それならここを押して、明かりをつければいいんですよ」
そう言ってその人物は明かりをつけてくれた。
「わぁ、そうやってつけるんですか!?し、知りませんでした」
「あの……明かりのつけ方も知らずに、艦内の補充作業をやってるんですか?」
「はい、昨日きたばかりで、まだよく分からないんです」
「ええっ!?そうなんですか?しかもその格好、もしかしてこの星の……」
「はい、帝都に住む、オルガレッタと申します」
「やっぱり、そうだったんですか。いや、いくらなんでも、2日目から独り作業だなんてちょっと無茶ですね」
「いえ、でも仕事ですから」
「いいですよ、私はちょうど自分の用事を終えたところです。少し付き合ってあげましょう」
そういうと、その方は私が作業を終えるのを待っていてくれた。
切れた電球を台車の箱の中に入れると、やっとここでの私の作業は終わった。
なんて親切で、紳士なお方だろう。足音が聞こえた時は不安で仕方がなかったが、こうしてお会いするとまるで帝国貴族のような礼儀正しいお方だった。
「ありがとうございます。おかげで助かりました。ええと、お名前は……」
「私はこの艦の哨戒機パイロットをしている、キース中尉と言います。こちらこそ、この艦のために働いてくれてありがとうございます」
「おかげさまで、医務室と格納庫という場所を覚えました。明かりのつけ方もわかったので、今度はうまくやれそうです」
「そうですか。でも、そのタブレットを使えば、分からない場所を調べることができますよ」
「ええっ!?そ、そうだったんですか!?」
「はい、例えば第1機関室の場所を知りたければ、『第1機関室はどこ?』って聞けばいいんです」
「そうなんですか?じゃあ早速……『第1機関室はどこ?』」
すると、タブレットの画面が変わり、こう応える。
『7階で降り、右側通路へ進んでください。』
そう言いながら、この駆逐艦を横から見たような絵が出てくる。
「ほら、この青い点が今の場所で、赤い点が右機関室のある場所なんです。これをたどっていけば、この艦内を迷わずいけますよ」
「うわぁ、そんなことができるんですね!勉強になります、ありがとうございました!」
私は思わず笑顔になって応える。するとキースさんは、少し顔を紅潮させている。
「で、ではオルガレッタさん、一緒に下りましょうか」
なんだか急にぎこちない動きをするキースさん。でもよかった。この薄暗くて心細い駆逐艦の中で、こんな優しい方に出会えて。
私はキースさんと別れ、司令部の8階に着く。少し経つと、リリアーノさんも戻ってきた。
「ああ、ちゃんとできたようね。すごいわねぇ、2日目でよく一人でできたわね!」
いや、一人でやれって送り出したのはあなたでしょうが。でもまあ、駆逐艦内の行きたい場所に行ける方法も分かったし、これなら一人でなんとかできそう。
「じゃあ、明日からあなた一人で、5隻分任せたわ!」
「……えっ!?」
リリアーノさんからさらなる無茶振りを受ける。ええっ!?明日から、私一人で5隻もやるの!?
「で、それが慣れてきたら、別の仕事もやってもらうわ!主計科の雑用係はね、忙しいんだよ!」
ええっ!?まだ別の仕事があるの?ようやく艦内を歩けるようになったばかりだというのに、次々と試練が襲いかかる。
この調子で仕事では容赦ないリリアーノさんだが、仕事を終えて司令部を出ると途端に優しくなる。
「それじゃ、昼間の約束を果たすわね。ショッピングモールに行きましょうか」
「はい、お願いします!」
まだ日が沈む前に、私は外に出ることができた。昨日は日がとっぷり暮れてから家に着いたが、今日は寄り道できるくらいの余裕ができた。
司令部のある宇宙港から、バスで少し行ったところで降りる。そこには、王宮よりもはるかに大きくて立派な、ショッピングモールがあった。
何度か来たことはあるが、出入り口のあたりで目が眩んでしまい、いつもそこで引き返してしまった。どのみちお金がなかったから、奥に行ったところで失望するだけのことだ。
でも、今はお金がある。今日は昨日の倍、60ドルもらった。昨日の金額でも驚きだったが、今日は1日分。私の今までの4か月分のお金だ。
これだけあれば、家族3人分のハンバーグやパンが買えるだろう。ショッピングモールの入り口付近にあるパン屋さんには、1つ1ドルのパンが売っていた。あれを10個買っても、まだ余る。今まででは考えられないほどの贅沢ができるのだ。
「さてと、美味しいハンバーグが売っている店はと……」
リリアーノさんと共に、ショッピングモールの奥へと進む。そこは、私が初めて足を踏み入れた未知のお店が並ぶ。長い通路に、ずっと続く綺麗なお店、そして、大勢の人々。
よく見ると、この街の人ばかりでなく、帝都から来た人もちらほらいる。だけど、平民特有のこの粗末なベージュのワンピースを着ているのは私だけだ。帝都の人でも、カラフルな色のドレスや、飾りのついた服を着ている。貴族や豪商ばかりのようだ。
ああ、私もいい服、欲しいなぁ。どうせならこの星の人達の着ているカラフルな服を着てみたい。でも服って、いくらするんだろう?私はある服屋さんを覗いて見る。
覚えたての数字で、その値札を読む。なんとなく目に入った、明るい赤色の涼しげなその上着は、なんと30ドルと書かれていた。
ええっ!?さ、30ドル!?あんな薄い服が、30ドルもするの!?
よく見ると、10から40ドルまで、いろいろな値段の服があることがわかった。だけど、私が占いで稼ぐお金が月に15ドルほど。母が毎日機織りをして稼ぐのもだいたいそれくらいだ。弟はまだ働けないから、母の仕事を手伝っている。家族総出で働いて、1ヶ月かかってこの上着一枚しか買えないとは。なんという贅沢な品だ。
60ドルをもらって喜んでいた私って、なんという世間知らずだったのだろう。なんだか少しがっかりした。でも、少し前まではこんなお店の品を買おうだなんて思いつきもしなかった。あの司令部で働いて初めて、私は貴族や豪商たちと肩を並べてこのショッピングモールに来られるようになった。これでも随分と贅沢な方だろう。
いろいろな店を覗いてはそこで売られているものの値段に一喜一憂しながら、ハンバーグのお店に到着する。
「ここよここ!ここなら美味しくて安いハンバーグが手に入るわよ」
そのお店には、ガラス張りの箱の中にずらりと食べ物が並べられていた。ハンバーグも、そこにあった。
私は値札を見る。一つあたり2ドルと書かれていた。3つで6ドル。入り口にあったパン屋でパンを3つ買っても、全部で10ドルほどで買える。
これならなんとか買える。私はハンバーグを3つ、袋に入れてもらった。
ほかほかのハンバーグを受け取る。温かいそのハンバーグを食べて喜ぶ母や弟の顔が目に浮かぶ。
お金を渡そうとしたが、ここではお金を受け取らないらしい。向こうにあるレジで精算するんだと言われた。
「さてと、あとは何か買っていく?」
「ええとですね、あとはパンが欲しいです」
「そうか。じゃあ、パンのコーナーに行ってみるか」
リリアーノさんについていくと、このハンバーグを売るお店のすぐ近くに、パンが売られているところがあった。
ところがこのパン屋、店員さんはいない。透明な袋に入ったパンが整然と置かれている。
ところがである。そのパンの値段を見て驚いた。
なんと、4個入りの一袋が、なんとたったの1ドルで売られているのである。入り口にあるパン屋よりも安い。
それでいて、司令部の食堂と同じくらい柔らかいパンだ。本当にこの値段でいいのだろうか?私は思わずそのパンを2袋買うことにする。
パンが8個で2ドル、ハンバーグが6ドル。全部で8ドルだ。でも冷静に考えたら、たった一度の食事の食べ物が銀貨8枚分。とてつもなく贅沢な買い物なのだが、それが安いと感じられるほど、自分が贅沢になっていることに気づく。
「そうそう、オルガちゃん。レジで精算するなら、電子マネーにしないとダメね」
「なんですか、電子マネーって?」
「ここは現金で買い物ができないのよ。ほら、司令部に入るときに使ったカードがあるでしょう。あれにお金を入れるのよ」
「ええっ!?あのカードって、お金を入れられるんですか?」
「入れるっていっても、電子化するって意味よ。まあ、ついて来なさい」
私はリリアーノさんについていく。そこには、人の背丈ほどの奇妙な仕掛けが置かれていた。
なんだろうか、これは。まじまじとみるが、ただ四角いだけの、よくわからない仕掛けだ。
「ほら、じゃあ30ドルくらい入れてみるか」
「はい、でもどうやって……」
「まずあのカードを出して、ここに差し込むのよ。それから、ここにお金を入れるの。やってみて」
「じゃあ、まずカードを入れて……」
リリアーノさんが言った通りに、カードを細い穴に入れると、カードが吸い込まれていった。
「ああ!リリアーノさん!カードが吸い込まれちゃいました!」
「大丈夫だって、ちゃんと帰ってくるから。今度はお金を入れて」
「は、はい。じゃあこの10ドルのお札を3枚入れて……」
少し広めの細い穴に、今度はお札を入れる。するとお金が吸い込まれて、カードだけが返ってきた。
「はい、これでこのカードの中に30ドル分、入ったわよ」
「そ、そうなんですか?とてもお札が入っているようには見えませんが……」
「そりゃそうよ。実際にお金が入っているわけじゃないんだから。でもちゃんと30ドル分の買い物は、これをかざすだけでできるわよ」
「そ、そうなんですか?不思議ですね……」
なんだか今日の1日の稼ぎの半分を吸い取られただけのように見えるけど、これでちゃんと使えるのかしら?不安になってくる。
だけど、ハンバーグとパンを入れたカゴを持ってレジを通ると、ピロっという音と共に30という数字から8だけ引かれて、22という数字が表示された。つまり、今このカードの中には22ドルだけ残っていることになる。
まだほんのり温かいハンバーグと、柔かなパンが8つ。それを袋に入れて、私とリリアーノさんはショッピングモールを出た。
「じゃあ、明日もよろしくね!おやすみ!」
そう言い残して、リリアーノさんは街の中に消えていった。
私もそのまま歩いて家路につく。出口では、手元に残った残りの30ドルを銀貨に変える。そして歩いて家にたどり着く。
「おかえり、お姉ちゃん!」
家に入ると、弟が迎えてくれた。母はその奥でまだ機織りを動かしていた。
「遅かったね。どうだったの、今日の仕事は?」
「ええ、大変だったけれど、またお金をもらったわ」
「そう、今日はどれだけもらえたの?」
「銀貨60枚分。そのうち30枚分は電子マネーというのに変えたから、残り銀貨30枚を持って帰ったわ」
「ええっ!?また銀貨30枚分をもらったの!?」
2日続けて、我が家にとっては大金を持ち帰った私。30枚の銀貨を見て、弟は目を輝かせている。
「すげえや、お姉ちゃん!こんなにたくさんの銀貨を見るのは初めて!」
「驚くのは早いわよ。お母さんとあんたに、お土産があるの」
そう言って私は、ハンバーグとパンを入れた袋をテーブルに置く。
「な、なに、この袋は!?」
「あのね、ハンバーグとパン。あの街のショッピングモールで買ったの」
「ええっ!?あの宮殿のようなあのお店で、買い物をしたの!?」
「うん、どうしても2人にね、ハンバーグと柔らかいパンを食べてもらいたくて……」
私は、袋からハンバーグの入った包みと、4つのパンが入った透明な袋2つを取り出す。それを見た弟は、さらに目を輝かせる。
弟はまだ13歳。食べ盛りだけど、家が貧しくて満足に食べ物を与えられない。いつもお腹をすかせた弟が、このたくさんの柔らかなパンを見て、興味を持たぬはずがない。
母が今日の夕食用に買ってきたいつもの豚肉と硬いパンと共に、ハンバーグとこのパンを暖炉の熱で温める。いつもの食事に加えて、この変わった食材を口にする母と弟。
圧倒的、まさに圧倒的な美味だ。一口食べて、涙を流す母と弟。私もそのハンバーグを口にするが、昼間とは違ってここは帝都の我が家で食べると、その美味しさが身に沁みる。今まで食べて来たものは、一体何だったのだろうか?そんな思いに駆られてしまう。
そして、あの柔らかなパンも食べる。特に弟は、とりつかれたように4つもガツガツと平らげてしまう。未だかつて食べたことのない柔らかくて美味しいこのパンを頬張る弟。よほど美味しいのだろう。
そして残ったのは、本来の夕食用の食材である豚肉と硬いパンだけになった。ところが弟は、その安い豚肉にあのハンバーグの包みの裏側に残った茶色いソースをつけて食べている。
銅貨2枚で買ったこの安い肉、だがその肉でもあのハンバーグのソースをつけると、帝都の安い肉でも美味くなるから不思議だ。
もしかして、これが「香辛料」と呼ばれるものではないのか?帝都でも王族か貴族、そして金持ちしか手に入れることのできないその香辛料は、岩塩以上に肉の臭みを消して、味を引き立てると聞いたことがある。
なんということか。私は貴族と同じような食生活をしていたのだ。つい3日前までは、考えられなかったことだ。
食事が楽しいと感じたのは、父が亡くなって初めてではないだろうか。これほどまでに幸せな食事を、私たちは今感じている。
私の知らないことが山のようにあるあの街での仕事で得られた収入は、この平民街の片隅に暮らす3人の家族の胃袋と心を、満たしてくれた。