#18 部屋
結局、日曜日はキースさんとは会わなかった。
私は一日中、部屋の中で伏せっていた。
「どうしたの?オルガレッタ。具合でも悪いの?」
昼間、部屋に帰ってきた母が私に尋ねるが、私は適当に答えて布団の中に潜り続けた。
ああ……最悪だ。スマホも時々鳴っているが、多分あれはキースさんのだろう。だが、私はとても出ることができない。
キースさんの手から見えた光景の続きがどうなるのか、私にはよく分かっている。だからこそ、あそこにいた自分の姿が、とても信じられない。
要するに、今の私はあの未来を拒絶している。だが、あのまま占いをしなければ、私はあの光景の通り、キースさんの前で……
私って、そんなに大胆な女だったのかな。ちょっと身分が高い人を見ただけで、変な汗をかく私が、あんな大胆なことをするなんて、とても考えられない。
その日はずーっと、布団の中でキースさんのことや私のことを考えて過ごした。
で、翌日。
「ちょっと、オルガちゃん、どうしたの!?ひどい顔だよ!」
リリアーノさんが心配するほど、私は今、すごい顔をしているようだ。
そういえば、リリアーノさんの占いで、あれと似たような光景を見たことがあるな。今ならちょうどガエルさんもリーゼロッテさんもこの場にいない。思い切って、相談してみよう。
私は、キースさんから読み取った光景のことをリリアーノさんに話す。それを見た私が、思わずキースさんから逃げてしまったこと、そのままずっとキースさんと顔を合わせていないことを話す。
「うーん、そういうことね。なるほど、そりゃあ暗い顔になるわね」
「そうなんですよ。もう最悪、なんだって私、逃げちゃったんだろうって思って……」
「まあ、私の場合はもっと手前で逃げちゃってたからね。その気持ちは、分かるつもりよ」
「それって、マルティーノさんとの話ですよね?」
「そう。それに比べたらオルガちゃんとキース中尉は、もうデートはしてるわけだから、その先のことなんてずっと敷居が低いものだと思ってたけどね」
「そんなことないですよ~!私、一体どうすればいいんですか?」
「簡単よ。あなたの占い通りにしちゃえばいいのよ」
「ええーっ!?あの占い通りに、ですか!?」
「あなたいつか、私に言ったじゃない。占いで見える光景は、ほっとけば、必ず起きる未来なんでしょう?だったら、成り行きのまま流されるのが、一番じゃないの?」
「いや、そう簡単に言いますけど、心の準備が……」
「食堂で堂々と逢引宣言したくせに、よく言うわ。オルガちゃんとキース中尉、もうとっくにその先までいってるもんだって、みんなは思ってるわよ」
「うっ……」
「まあいいわ。私とマルティーノの時はお世話になったし、今度は私が恩返ししてあげる。それとなくキース中尉に、オルガちゃんのこと気にかけるように言っといてあげるわ」
「は、はい。ありがとうございます」
「でも、その先はオルガちゃん次第だよ。発進は手伝えるけど、そこから先の航海は、自分でするしかないんだから!」
「はい、分かってます」
「でもまあ、あなたとキース中尉なら大丈夫でしょう。お母さんだって勢いよく結婚しちゃったんだし、あなたもさっさと一緒になっちゃえばいいのに」
「いや、それならリリアーノさんの方が先じゃないですか?」
「うっ!痛いとこついてくるわね……」
ともかく、そのあとリリアーノさんはキースさんと会ってくれたようで、キースさんからメールが来た。さすがにあの光景の中身までは話していないようだけど、それゆえに余計に心配をかけているようだ。
というわけで、その日の夕方に、私はキースさんと会うことにした。
「お、お待たせしました!」
司令部の出入り口の前で待ち合わせることにしていたが、私よりも少し遅れてキースさんが現れた。
「ごめんなさい、キースさん!この間は突然、帰っちゃったりして……」
「いや、いいですよ。それよりも、どうです?せっかくだから、このまま食事でも」
「はい、行きましょう」
とぼとぼとショッピングモールへと向かう2人。この辺りで食事といえば、あそこくらいしかない。この街も3万人を超えたようだけど、この大きなお店が集まる建物が、まだこの街の人々の需要に応え続けてくれている。おかげで、それ以外のところではコンビニ以外のお店をほとんど見かけない。買い物も食事もデートも、基本的にはショッピングモールに行かざるを得ない街だ。
道すがら、キースさんと私はたわいもない会話をする。おそらくキースさんも、あの占いの結果を知りたくてしょうがないんだと思うが、そのことにはあえて触れてこない。私への気遣いからだろう。
ショッピングモールに着くと、1階にあるピザ屋に向かう。
「オルガレッタさん、ここのピザ屋のピザが好きだって聞いたんですが、どうです?行きますか?」
「行きます!美味しいですよ、あのピザ屋!帝国貴族もびっくりなお店ですから!」
「そんな大げさな。でも、実際に皇族の方からピザを賜わったことがありましたよね」
「そうです!あれで絶対、皇族や貴族の方々も、ピザが大好きになったに違いないです!」
という話で盛り上がったが、実際にその店の端には「皇室御用達」と書かれていた。おそらくはあのピザ大量発注をきっかけに、この店は皇族とのつながりができたようだ。皇太子殿下も、時々ここのピザを食べているのだろう。
ピザを注文し、そのピザを受け取って席に座る。2人用のテーブルには、2種類のピザが並んだ。
私のは、燻製ビーフにチキン、キノコが載ったピザ。一方のキースさんは、カニやエビなどのシーフードピザだ。
「へぇ!キースさんのも美味しそうですね!」
「そうです?じゃあ、一切れ食べてみますか?」
「頂きます!じゃあ、私の一切れと交換ということで」
お互いのピザを一切れ、交換する。いつも牛肉入りのピザばかり食べているが、海産物系も悪くないなと気づく。
待ち合わせの直後はまだ少しギクシャクしていたが、ピザの交換でかなり元どおりになれた。
雰囲気が良くなったところを見計らって、私はキースさんにある提案をする。
「キースさん!」
「はい」
「あの、今度の土曜日、お会いできませんか?」
「はい、いいですよ。また、ショッピングモールですか?」
「いいえ、キースさんのお部屋です!」
これを聞いたキースさん、ピザを食べる手が止まる。少し考えて、返答する。
「……いいですよ。でも、何もない部屋ですが、いいんですか?」
よし!言質、頂いた!
「いいですよ。実はちょっと、確かめたいことがあるんです」
「それって、もしかして、あの占いのこと?」
「そうですね……それもあるんですが、一番知りたいのは……いや、それはまた、土曜日にでも」
「はぁ……」
おそらく、キースさんの中では聞きたいことが山ほどあるだろう。だが、私は微笑むだけで、その話題を続けなかった。
で、時は一気に過ぎて、土曜日。
場所は、高層アパートの前。私はこの街の服ではなく、帝都の平民の普段着であるベージュのワンピースを着て現れた。あまり深い意味はないが、今日はなんとなくこっちの方がいい気がした。
「お待たせ」
そこに、キースさんが現れる。
「では、参りましょうか」
「はい」
そう言って向かったのは、高層アパートの入り口だった。
実はキースさんも、このアパートに住んでいる。この建物、どうやら軍人専用の建物のようで、あの司令部に勤める人のほとんどがここに住んでいるみたいだ。
で、キースさんのお部屋はここの3階にある。0331という部屋の前で止まる。
「独身男性の部屋なので、あまり綺麗じゃないですよ」
と言いながら、私を中に入れてくれた。
中は、私の住む部屋と同じ配置。そりゃそうだ、同じ高層アパートだから当然、同じだ。
ただ、中に置かれたものは随分と違う。なんていうか、ほとんど物がない。奥の部屋には、机と3段の小さな棚が一つあるだけ。
台所にはあのロボットアームが付いている。このロボットアーム、個人で買うことができるんだ。知らなかった。
そしてもう一つの部屋、寝室が見えた。そこもベッドと小さな棚が一つあるだけ。だけど、間違いない。そこは私が一度見た部屋。布団やカーテンの色が、私の見た光景通りだった。
私は寝室に入る。その後を、キースさんが慌てて付いてくる。
「ど、どうしたんですか、オルガレッタさん!?ここはベッドくらいしか……」
「ああ、やっぱりここだ……」
「ここが、どうかしたんです?ベッド以外には特に何もないところですけど……」
「キースさん。実はキースさんを占った時、私はこの部屋を見たんです!」
「そうなんですか?でも、なんだってこの部屋が……」
「そこにですね、私もいたんですよ。しかも……」
「しかもって、何かあったんですか?」
「あのですね、その、私……素っ裸だったんです!布団の上で!」
「ええーっ!?ど、どういうことですか!?」
まるで他人事のように話しているが、それはこの2人に成り行きで起こる未来の話だ。決して、他人事などではない。
「そ、それで一体、どうなっちゃうんです!?」
「それを見て私、目を開いちゃったから、その先のことはよく分からないんですよ。でも、多分、こうなるだろうなあってことは、分かるんです。だから私、急に恥ずかしくなって、逃げちゃったんです」
「それはそうですよね……私だって、逃げちゃいますよ、それ」
「ところで、キースさん」
「はい」
「その、キースさんって、私みたいな人を、その、なんていうか……抱いてみたいなぁって思うこと、あります?」
占いの話も打ち明けた。こうなったらもう、核心的なことを尋ねてしまえ。そう思って、私は思い切ってキースさんに尋ねた。
「ええ、もちろん思いますよ。男ですから」
ところがキースさん、この重い質問にいともあっさりと答える。こう言ってはなんだが、なんて本能むき出しな、身もふたもない回答なんだろうか。
「ですが当然、本能の赴くままではありませんよ!オルガレッタさんだからこそですよ!これが他の人だったら、そんなことは絶対に思いません!」
一瞬離れかけた私の心は、この一言で再びキースさんの方に傾く。
「そ、そうなんですか?」
「そうです!でももちろん、オルガレッタさんの意思も確認せずに手を出すことはしません!私は、パイロットです!離陸許可なく、発進したりはしないんです!」
うーん、やっぱりキースさん、真面目だなぁ。そういうところに私は多分、惹かれているのだろう。
「じゃあ、私がここで離陸許可を出したら、どうなります?」
するとキースさん、顔が見る見る赤くなる。そして、応える。
「それはもう……緊急発進しちゃいますね」
「じゃあ……出しちゃおうかな、離陸許可」
「ええーっ!?ちょ、ちょっと!いいんですか!?」
「いいんです。この1週間で、私も覚悟しましたし」
「そ、そうですか。じゃあ、キース中尉、哨戒機1号機、発進しますよ」
と言ってキースさんは、私をそっと抱き寄せる。私も、心臓がどきどきしてきた。
「と、ところで、ここからどうするんでしょうか!?」
「そ、そりゃあ普通、服を脱がないと……帝都では男が女の服を脱がせるのが礼儀だと言われてます」
「そ、そうですか。では、こちらの礼儀に倣って……」
私のワンピースの肩の辺りを掴んで、脱がせにかかるキースさん。はらりと脱げたその服を、ベッドの横の棚の上に置く。
私の服の下の姿が、キースさんに晒される。ところがキースさん、私を見て突如驚きの声をあげる。
「あれ……?オルガレッタさん、ブラジャーしてないんですか!?」
「えっ!?ブラジャー!?いや、そんなのつけたことないから、要らないかなあって」
「そ、そんなことないですよ!つけたほうがいいですって!」
「そ、そうなんですか?でもどうしてキースさん、女の下着のこと知ってるんですか?」
「それは……ある動画を見てますからね」
「動画?」
「ええと……こういうのです」
ベッドの上に座って、私はキースさんのスマホでその動画というのを観せてもらう。
男女が裸で絡み合う、そういう動画だった。そんなものが、ネット経由で観られるとは、私はこの時初めて知った。
そこに出てくる女は皆、胸が大きくて、体型も綺麗で、背も高い。それに比べたら、私のは貧相だ。
キースさんって、普段からこんなのを見て、女の人のこと研究してたの?じゃあ、私なんかよりもずっと目が肥えてるんじゃないだろうか。
「うわぁ……すごい……でもキースさん、やっぱりこんなに胸の大きい人の方ががいいんじゃないですか?私のは、こんなにちっちゃいですよ」
「何を言うんですか、今のオルガレッタさん、とっても綺麗です!これは所詮まやかしの動画ばかり、本物には到底かなわないですよ」
「ほ、ほんとですか?」
「本当です!パイロットは、嘘なんかつきません!」
これは本心から出てる言葉だろうか、それとも獲物を目前にしてつくろったお世辞の言葉か?よく分からない。けど、キースさんの必死さに免じて、ここは本心だと思うことにしよう。
そして私はそのまま、ベッドの上に寝そべる。キースさんも、すでに同じ格好だ。
ああ、まさに占いで私が見た光景の通りになってしまった。だけど、不思議とあの占いの光景を見たときほどの恥ずかしさや、恐怖といったものは感じられない。そして私の身体を、キースさんがそっと抱き寄せた。
こうしてこの日、私はとうとう、大人の階段を駆け上がってしまった……




