#14 結婚
「あのね、私、フェデリコさんと結婚しようと思うの」
ある土曜日の昼のこと。昼食中に母が語ったこの一言で、我が家の静寂の日々は急変する。帝都の中央広場に、口から噴水を出す獅子の像があるが、まさにあの像のように、私は口に含んでいたアップルジュースを一気に噴き出した。
「もぉ~!お姉ちゃん、汚いよ……」
正面にいた弟がアップルジュースまみれになってぼやくが、私は今、それに構ってる余裕はない。
「おおおおお母さん!今、なんて言った!?」
「あのね、フェデリコさんと結婚しようかって……」
「ちょ、ちょっと!お母さん、それ本気!?」
「ええ、本気よ」
他人の未来を予測することができる私だが、まったくもって自分に降りかかる激動の未来を、私自身は見通すことができない。
帝都宇宙港司令部に勤務するようになって2か月半、母は1か月が経つ。弟も教室に通い、何人かの友人もできたところ。ようやく安定した生活を歩もうという時に、母の口から予想もつかない発言が飛び出した。
「……ちょっと、お母さん。ちゃんと話してくれる?どうして、フェデリコさんなの?」
「あのね、私。昨日の夕方に、フェデリコさんから結婚しないかって、告白されたの」
「……ちょっと待ってね、告白って、お母さん一体、何歳よ!?」
「私は、もうすぐ36歳よ」
「で?一方のフェデリコさんは?」
「あの方は、29歳になったばかりだそうよ」
「本当にいいの!?そんな歳の差で結婚なんか!」
「フェデリコさんは、いいって」
「そ、そうなんだ、じゃあ……いやいや!それでも、死んだお父さんに申し訳ないんじゃないの!?」
「うん、そうよね……」
少し寂しそうな顔で、母は私の顔を見つめる。
「実はね、私、その話を受けて、どうしようかって悩んでたの。すると今朝、夢の中に父さんが現れたのよ」
「ええーっ!お父さんが!?」
「でね、お父さん、私に『お前、求婚されたのか』って尋ねるのよ」
「で、なんて答えたの!?」
「私は、そうよって言ったわ。そしたらお父さん、それは困る、って」
「そりゃ、そうだよね……で、なんて言ったの」
「だから私、それじゃあ明日、断るからって言ったのよ」
「うん。そりゃあそうだよね」
「でもお父さん、それはそれで困るっていうのよ」
「……どっちなのよ、お父さんってば」
「でも、お父さん、この後こう言ったの。『お前がいいと思った相手なら、一緒になりなさい。それならわしは安心だ』って」
「ふうん……で、お母さんはなんて?」
「私言ったの。相手の方は、とてもいい方よって。そしたらお父さんは、『じゃあ、決まりだ』って。そういってお父さん、消えちゃったのよ」
「……それ、本当にお父さんなの?」
「どうかしら。でも、とってもお父さんらしかったわよ。だから私、決意したの。フェデリコさんと、結婚しようって」
「そ、そうなんだ……」
私もなんとなく、本当にお父さんが現れたように感じた。お父さん、とてもおせっかいな人だったから、この世に残した私達のこと、今でも心配しているんだろうって。そう思えたから、確かに母の言った通りだと思う。
でも、母が再婚だなんて、考えたこともなかった。しかも相手は、あのフェデリコさんだ。
ちょっと待って、もし母とフェデリコさんが結婚したら、私はあの人のこと「お父さん」って呼ぶの!?
歳上だし、尊敬する人ではあると思う。でも、お父さんかぁ……そういうのは、あの人から感じられないなぁ。
「で、お母さん、もうフェデリコさんには返事したの?」
「ううん。今夜ね、宇宙港ホテルの20階にあるレストランに誘われているの。そこで私、返事しようかなって」
「そ、そうなの……でも考えたら、お母さんにとっては、その方がいいかもね」
その話をした日の夜、母は宇宙港ホテルへと向かう。そしてその日、母はとうとう帰って来なかった。
翌、日曜日の朝に帰ってきた母。帰ってからいつも通りに振る舞う母に、昨晩何があったのか?気にはなるけど、私は特に聞かず、こちらもいつものように振る舞った。
で、月曜日。私は、8階の倉庫でそのことをリリアーノさんだけに話す。
「な……なんだって……あんたのお母さんが、あのロリコン野郎の奥さんに!?」
「あのですね……この話、まだ内緒にしておいてくださいね」
「でも、どういうことよ!よりによって、あんたのお母さんだなんて!」
「フェデリコさん、どうやらあの子爵様とやりとりを見て、お母さんに惚れちゃったらしいですよ。確かにあの時のお母さんの堂々とした態度は多くの人が賞賛してましたし、幕僚として惚れる要素がたくさんあったんじゃないですか?」
「いや、それとこれとは別でしょう!仕事で堂々としているからって、結婚しようだなんて思うの、普通?それよりもいいの!?このままじゃ、フェデリコ少佐が、オルガちゃんのお父さんになっちゃうんだよ!?」
リリアーノさんは、フェデリコさんと母の結婚に反対のようだ。この人、あまりフェデリコさんのこと、信用してなさそうだもんな。
正直言って、複雑だ。母のことを思えば、フェデリコさんとの結婚は賛成だ。
だけど、私と弟がいる。特に弟は、多感な年頃だ。どう思うのだろうか、この結婚のこと。気になったので、聞いてみた。
「いいんじゃないの、結婚」
あっさりと答える弟。
「いや、でもどうするのよ。あんたさ、まだ一人前ですらないんだよ!?」
「だけどさ、お母さんにとっちゃ滅多にない機会なんだよ?それを、俺みたいな息子のために諦めますなんてことになったら、それこそ一大事だよ」
「うう、そうなんだけどさ……」
弟の方が、よっぽどか覚悟があるな。しかし、そうは言っても、この先の生活を思うと少し憂鬱だ。
なにせ、父が死んでからずっと、母と弟と一緒に暮らしてきた。これからもずっと、そうだと思ってきた。なのに突然、母がその生活から抜け出すというのだ。躊躇わない方が、どうかしてる。
そういえば、母は結婚したら、どういう暮らしをするつもりなのだろうか?まさか私はフェデリコさんと一緒に暮らすわけにはいかないだろうし、弟だって……でも、弟と私がフェデリコさんと一緒に暮らすのは、どうかなぁ。
と思ったら、もうその辺のことは考えてあるようだ。母が私に言った。
「あんたとあの子は、ここでそのまま暮らしなさい」
「えっ!?でも、弟はやっぱりお母さんと一緒の方が……」
「何言ってんのよ。どうせすぐ下の階にいるんだから、いつでも来られるわよ」
「へ?フェデリコさん、そんな近くに住んでたの?」
「そうよ。って、あなた、ここ最近フェデリコさんと一緒に帰ることが多かったのに、気づかなかったの?」
「うん、全然。そういうこと、フェデリコさん、教えてくれないから……」
なんだ、そんなに近くに住んでるんだ。いつも近くまで私を送ってくれたけど、それは家が同じ方向だっただけなのね。ともかく、これだけ近いんじゃあ、別々暮らしでも問題ないわ。
ということで、結婚後もさほど生活に変化がなさそうだと分かった。そうは言っても、夜には母がいない部屋で寝ることになるのか。ちょっと寂しい。
実際その週から、そういう日が増えた。夕食までは一緒だけど、夜はフェデリコさんと一緒に寝る母。私達家族の新しい暮らしが、突如始まった。
その週末に、私と弟はフェデリコさんの部屋に行くことになった。
初めて入る、フェデリコさんの部屋。リリアーノさんから以前、少し聞いたことがあったが、そこはまるで異世界のようだった。
ピンクや青、赤の髪の少女のポスターや看板が並ぶ。その奥には、たくさんの少女用の服も並んでいる。
ドレスや学生服、それにメイド服と呼ばれる服まで、様々だ。だが、元々はフェデリコさん一人で暮らしていた部屋。どうしてこんなに女物の服ばかり集めたのだろうか?
「すごいでしょう。フェデリコさん、地球122に住んでる時からずっと集めてたんだって」
「いや、すごいけどさ……どうするの、これ?」
「今はね、夜な夜な私が着てるのよ」
「ええ~っ!?お、お母さん、これ全部着るの!?」
「いやあ、全部いっぺんには無理ね。今はこのメイド服を端から順に着てるのよ。これが終わったら、今度は『セーラー服』っていう奴にしようって」
「はあ……さようで……」
なんていうか、フェデリコさんにも母にも呆れ果てた。フェデリコさんのこんな濃い趣味に、わざわざ母が付き合っているのか。でも、母は以前、織物の仕事をしていたから、こういう綺麗な服に憧れていた。だからある意味、願望叶って満足なようだ。
「オルガレッタ殿に、ヘルムート君か。すまない、狭い部屋で」
「い、いえ!大丈夫ですよ!母も喜んでますし」
真面目で理知的なフェデリコさんだが、彼の負の一面を私は垣間見てしまったようだ。だがそんな負の一面を、あっさりと受け入れてしまった母。やはりこの2人は、お似合いなのだろう。
「そういえばフェデリコさん、そろそろみんなで食事に参りませんか?」
「そうだな。じゃあ、約束通りホテルで食事にするか」
「ええ~っ!ホテルで!?ほんとに!?」
「ああ、ヘルムート君は、ホテルでの食事は初めてかな?」
「うん、初めてだよ!ショッピングモールなら何度かあるけど、ホテルなんて行ったことないよ!」
「そうか。なら、ちょうどいい。行こうか」
フェデリコさんと弟、この2人は果たして会話が成立するのか心配していたが、思ったより相性は良さそうだ。
ホテルまで、無人タクシーで向かう。弟は窓の外を眺めてうきうきしている。
タクシーの中で私は、フェデリコさんに聞きたかったことを思い切って聞いてみた。
「あの、フェデリコさん」
「なんだ」
「これからは、『お父さん』とお呼びした方が、いいですか?」
「いや……今まで通りでいい」
ああ、やっぱり。そうだよね。親子って感じじゃないよね。私も今まで通りの方がしっくりくると思う。
宇宙港の建物の20階にあるレストランへと向かう。そういえば、私もここに来るのは初めてだ。
駆逐艦の艦橋よりも高い場所。いつもよりも帝都を見下ろせるところにやって来た。
窓際のテーブルに案内される。そこは、帝都を一望できる場所。先日行ったラーテルブルグ宮殿が見える。迷路のように入り組んだ道の平民街に、その南にある闇の街、ベーゼホルンも見える。
この2つの街では、今も生きるのに必死な人々が大勢暮らしているのだろう。ひたすら働く者、悪事に染まる者、身売りされる者、様々だ。
そんな街を見下ろしならがら、私達はこれまでにない贅沢な食事を味わうことになる。
「お待たせしました」
給仕が料理を運んできた。ステーキという料理。この宇宙港の人々にとっても贅沢なこの分厚い肉料理を、私達家族はいとも簡単に食べにやってくることができる。
「さ、冷めないうちに食べましょう。とっても美味しいのよ、ここのお肉」
母はそういうと、フォークとナイフを取り、その分厚い肉を切り始める。
私も、その肉料理を切って口に入れる。分厚い一枚肉なのに、とても柔らかい。ハンバーグと比べると、肉をただ切って焼いただけの非常に原始的な調理法だというのに、なんだろうか、この格の違う味は。
ステーキという料理が贅沢なものだというのは、よく分かる。肉そのものが、まるで違う。一枚肉なのに、ハンバーグのように柔らかい。これが普通でないことくらい、今の私には分かる。
脇にはニンジンやポテトなどが置かれ、その横の皿にはパンが置かれている。
「そうだ、ヘルムート君。ここのパンは、お代わりが自由だ。もっと食べたければ、頼んであげよう」
「えっ!?ほんと!?やったーっ!」
食べ盛りの弟は大喜びだ。思えば、つい3か月ほど前まで、私達はこの横にあるパンを手に入れられるというだけで喜んでいたものだ。それが今や、肉料理のおまけである。
眼下に見える街では、このパンよりもずっと硬くて粗末なパンを食べて生きている人々が大勢暮らしているというのに、いいのだろうか?父がまだ生きていたら、きっと私はまだあそこで暮らして、家族みんなで硬いパンを食べていたことだろうな。
妙な話だが、父が死んだ方が贅沢な生活を送れるようになったわけで、そこになんとなく後ろめたさを感じる。
「あら、フェデリコさん、お口にソースがついてますよ」
「ああ、すまない……」
母がそう言って、フェデリコさんの口元を拭いている。険しい顔つきで応じるフェデリコさん。ああ、今のこの顔は、照れてる顔なんだ。そんなやりとりをする母とフェデリコさんを眺めて、私はハッとした。
ごめん、お父さん。お父さんには悪いけど、今のこの2人、とってもお似合いだわ。
帝都の青空の前で、向き合うこの2人。そこにいるのは、私の母と上司ではなく、巡り会うべくして出会った男女のようだった。
司令部の人達もいずれ、この2人の関係を知ることになるであろう。中にはリリアーノさんのように、反対する人も出てくるかもしれない。
あるいは、父がまた夢に出てきて、反対を唱えるかもしれない。
でも、その時は私、フェデリコさんと母の味方になってあげることにしよう。今のこの2人の姿を見て、私はそう決意した。




