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#10 抗議

「おい!ここの当主を出せっ!」


 朝から、司令部は騒然となった。今、出入り口前で怒声を上げているのは、帝国貴族の1人、バーゼルト子爵だ。

 何があったのか分からないが、随分とお怒りだ。突然、馬車で司令部のそばまで乗り付け、抗議にやってきた。

 警備が子爵様が中に入ろうとするのを制止しているが、とても困り果てている様子だ。なにせ相手は帝国貴族、それも子爵様だ。


 さて、誰がどう決着をつけるべきか。早速、幕僚が集まり、善後策を検討し始める。が、すぐに結論が出るはずもない。その間、子爵様をずっと外に放置するわけにはいかない。

 なので、子爵様には一旦、司令部の応接室に入っていただく。幕僚の方々の考えがまとまり次第、子爵様との折衝に入る。


 その前に、誰があの子爵様に、お茶をお出しするか?

 その役目は、秘書室に委ねられた。が、誰一人として、あの子爵様の前に出る勇気はない。


「私が行きます」


 と、そう声をあげたのは、母だった。


「ええーっ!お母さん、危ないって!かなりお怒りだよ、あの子爵様!」

「大丈夫よ。いくら帝国貴族様でも、平民相手にはむちゃなことはしないでしょう。貴族だからこそ、そんなことしたら尊厳に関わる話になるわ。だから、私がいった方がいいわよ」


 というので、この場は母に任せることになった。

 とはいえ、心配だ。出入り口には、万一に備えて警備員が控えることになった。


 応接室にあるカメラの画像を見るため、私は警備室へと行く。そこで、母の様子を伺う。

 こんなことなら、母を占っておけばよかった……何かいい対処の方法を、見出せたかもしれない。などと考えていると、その応接室に母が入っていくのが見える。


『失礼します』


 帝都でも上質な紅茶を、子爵様にお持ちする。だが、メイド服を着た母に向かって、バーゼルト子爵は大声で怒鳴りちらす。


『おい!下人!』


 ……下人とは失礼な。いくら平民でも、そういう態度でいいのか、この子爵様は。


『はい、なんでしょう』

『いつまで待たせるつもりだ!わしは、暇ではないのだぞ!?』

『はい、そう言われましても、私はここの下人でございます。司令部のお上の方がいついらっしゃるのかは、分かりかねますが……』


 のらりくらりとかわす母。だが、おかげでますます子爵様の怒りは増す。


『なんだと!?わしを待たせておいて、こんな下人一人しかよこさぬとは、なんという無礼な連中じゃ!こうなったら、皇帝陛下に直談判し、同盟関係を見直してもらうよう忠告するぞ!』


 今さらそんなことができようはずもないが、そんなことよりも、今は目の前にいる母が心配だ。今にもこの子爵様、母に手打ちをしかねない状況だ。


『まあ、子爵様とあろうお方が、何をそんなにお怒りなのでございますか?』


 そんな子爵様にのうのうと尋ねる母。


『あやつらめ、あろうことか、わしの鉱山の使用権料を、勝手に下げおったのだ!』

『まあ、そうだったんです?』

『月に金貨1100枚という約束であったのに、金貨1000枚しかよこさなんだ!これが怒らずにおられようか!』


 この金額を聞いて、私にはどういうことか合点がいった。

 多分この子爵様は、地球(アース)122から帝国に支払われる金額の全てをもらえるはずだったと言っているのだろう。

 通常、地球(アース)122は鉱山などの使用料を領主に支払う際に、その金額の1割を帝国にも収めるという約束をしているはず。だからこの場合、金貨1000枚は子爵様に、100枚分が皇帝陛下の元に収められることになっている。

 一度、フェデリコさんに付き添って貴族のお屋敷を訪れた際に、そんな話をフェデリコさんが相手の男爵様にしていたのを覚えている。当然、バーゼルト子爵もその説明を聞いているはずだ。

 それを覚えていないのか、あるいは覚えていた上で、あえてそ知らぬ顔で怒鳴り込んできたのかは分からない。

 だが、すでに何度もフェデリコさんに付き添ったことがある母にもおそらく、この子爵様の思い違いをすでに察しているはずだろう。

 しかし、母はこう応える。


『なんとまあ、金貨1000枚もいただけるのですか。羨ましいですねぇ』


 この期に及んで、なんてのんきなことを言うのだ、母は。ますます相手の神経を逆なでするのではないか?


『ふんっ!平民らにとっては大層な金額といえど、約束通りの金額でなければ納得しないのは当然であろう。たとえ100枚分であっても、約束通り頂くまではここを動くつもりはないぞ!』

『でも、金貨が1000枚もあれば、大好きなグラタンが毎日たくさん食べられますよ』


 グラタンは一つが4ユニバーサルドル。つまり、銀貨4枚分だ。ということは、金貨1000枚、銀貨にして10万枚のお金なら、グラタンが2万5千食も買えることになる。たしかに、毎日食べても食べきれないほどの量だ。

 だが、グラタンなどに例えられたら、この貴族はますます怒るのではないか?ところが、子爵様から思わぬ反応が来た。


『おい、なんじゃグラタンとは?』

『ええーっ!?グラタンを、ご存知ないのでございますか!?』


 なんとこの子爵様、グラタンを知らなかった。いや、貴族とはいえ、すべての食べ物を食べているわけではない。たまたまグラタンを知らなかっただけだろう。

 と思いきや、この子爵様、どうやらこの街の食べ物をほとんど知らないらしい。こんなことを言い出した。


『知らん!あんな遠くの星から運ばれてきた得体の知れぬ食べ物など、わしは食べたことがない!どうせ口に合わぬものばかりであろう』

『そのようなことはございませんよ。とても美味しいんです、グラタン。あ、他にもパンにハンバーグ、それにピザもお勧めでございますよ』


 なんとまあ、母はそんな帝国貴族に、ハンバーグやピザまで勧めている。


『ふんっ!平民どもの貧しい食事からすれば、どんなものでも美味く感じるだけであろう』

『そうでございますか?でも本当に美味しゅうございますよ、グラタンは。あつあつで、口に広がるあのホワイトソースの濃厚な旨味に、歯ごたえのあるマカロニとジャガイモなどの具が、おいしさをより一層引き立ててくれるのでございますよ』


 なぜ母は、この帝国貴族にグラタンの美味しさなんか説いているのだろう?話をはぐらかし、怒りの矛先を変えようとしているのか。

 しかし、そう簡単に乗ってこないこの帝国貴族。母に向かって、ますます怒り出す。


『わしは、食い物の話をするために来たのではないわ!平民ふぜいが、帝国貴族を馬鹿にしとるんか!?』

『いえいえ、とんでもございません。私は忠実なる帝国臣民、皇帝陛下や帝国貴族のためでしたら、この命を投げ出す所存。決して、馬鹿になどなさるようなことはいたしません』

『口だけなら、なんとでも言えるわ!本当にお前ごときが、命をかける覚悟があるのかなど、分かったものではない!』

『数年前、我が夫となるものは帝国のために戦い、命を落としました。口だけではございませんよ』

『なんじゃ……たかが平民の命一つで、わしに恩義を感じろと、そう言いたいのか!?』


 ああ、どんどんまずい方向に話が進んでいる。そんなことをこの子爵様に申し上げたところで、どうにかなるわけではないだろう。

 だが、このあたりから急に会話の流れが変わる。


『いえいえ、まさか。おかげさまで私は、こうしてここに職を得て、グラタンを食べられる幸せを頂いております。これ以上の恩義を頂くことは、贅沢というもの。ただ……』

『なんだ!』

『平民の私でさえ、あれほど美味しいものを毎日食べられるというのに、それを子爵様とあろうお方がまだ召し上がっていないというのは、あまりにももったいのうございます。ぜひとも一度、お召し上がりになってはいかがですか?』

『ふんっ!余計なお世話じゃ!平民どもと違い、食い物には苦労しとらん!そんな得体の知れぬ食い物など、わざわざ口にする必要などないわ!』

『そうですか……ですがこの帝都ラーテルブルグに住む民は40万人、その大半がいずれ、銀貨4枚もするグラタンを毎日食べる時が来るかも知れないのですよ?その時になって子爵様が遅れをとったと思われては不憫でなりません。ですから帝国臣民として、こうしてご報告している次第でございます』


 深々と頭を下げながら話す母だが、この話を聞いた子爵様の態度が、変わり始める。


『へ、平民が銀貨4枚もする食べ物を毎日食えるわけがなかろう!』

『そうでしょうか?現に、私は食べておりますよ。日給にして銀貨60枚分を頂き、毎日ここの美味しい食べ物を食べております』

『お前が特別なだけであろう!平民どもが、毎日銀貨60枚も稼げるものか!』

『ですが、私は文字も読めず、たいした技量もございません。が、こうして稼げております。なればいずれ、平民の大半が私のような稼ぎを手にすることは当たり前となりましょう。さすれば平民とはいえ、銀貨4枚の美味しいグラタンを買い求めるようになるのは、当然かと思いますが』


 グラタン、グラタンとしつこいな、お母さんは。だが、この辺りからあの子爵様はこの一介の平民が美味いと主張するグラタンなる食べ物に、関心が移り始める。


『おい。ならば聞くが、そのグラタンとやらはどこで手に入る?』

『はい、この街の中にある、ショッピングモールへ行けば……』

『違う!その前だ!その店で売られる前に、どこから仕入れておるかと聞いている!』

『さ、さあ……分かりかねますが、おそらくは地球(アース)122から運んできたか、それとも帝国のどこかで作っているのでしょうか?』


 おそらく、この子爵様の頭の中には、さっき母が言った数字を勧請(かんじょう)し始めているに違いない。

 帝都40万の大半を占める平民が、銀貨4枚もする食べ物を毎日食べる……果たしてこれがどれくらいの利益をもたらすものかは分からないが、少なくとも子爵様が今、抗議している金貨100枚どころの話ではないことは明白だ。

 まさか、母は子爵様が食いつくことを承知で、敢えてグラタンの話を振り続けたのではあるまいか?一触即発のあの状況で、よくそこまで考えられたものだ。

 そこにようやくフェデリコさんが入ってくる。


『す、すみません!緊急事態が発生したため、こちらに来るのが遅れてしまいました!』


 いや、今現在、この子爵様来訪以上の緊急事態など起きてはいない。母が上手いこと話をはぐらかしたのを見計らって、現れただけではないのか?

 そこでようやく母は、フェデリコさんと入れ替わる。深々と頭を下げて、応接室を出る母。中では早速、子爵様がフェデリコさんにグラタンのことを尋ねている。


『おい!グラタンと申すもの、一体どこで作っておるのか!?』

『はあ、グラタンでございますか。おそらくは帝都郊外に作られた食品工場で作っているものと思われますが……』


 絶対、母と子爵様のやり取りを見て、予め調べていたものと思われる。司令部とは縁もゆかりもなさそうな食品工場のことを、すらすらと答えているフェデリコさん。

 その後、子爵様から食品工場の誘致について、熱心に聞かれるフェデリコさん。最初の抗議の件など、どうでもよくなったらしい。

 で、その子爵様をうまくはぐらかした母が、秘書室に凱旋する。


「マルガレッタさん、すごいです!あんなに怒っていた貴族を、あっさりと手玉にとるだなんて!」

「いえ、私は何もしておりませんよ。ただ子爵様のお怒りを聞いて差し上げ、少し和らげただけです」

「いや、あれは少しどころじゃないですよ。一時はどうなることかと思いましたが、おかげで事なきを得ました」


 多分、文字もろくに読めないこの母のことを、ここの人達はおそらく卑下していたことだろう。だが、この一件で母の評価は大きく変わった。私でさえも、あんな風に堂々と振る舞う母を見たのは初めてだ。母って、実はあんなに肝が座っていたのか。自分の家族ながら、改めて母のことを見直した私だった。

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