第7話 別離
歓迎の宴は、その後も二日間続いた。
昼間は侍女に島の中を案内してもらい、この部族の人々の生活を観察した。
この島には昼間は女がほとんどで、男は船で島の外に出て、漁や狩りをしたりするという。
その間に女は島で機織りをしたり夕食の準備をしたりする。
そして夜は、けたたましい音を立てる機織り機は使わずに、手で糸を紡ぐらしい。
島の家々には大抵機織り機があって、それは何故かというと、税を布で納めるのだそうで、納める量は一人あたりいくらと決められているのだという。
布は、麻糸で作られ、日本の柔道着のように厚みのあるしっかりとしたもので、色も黒、赤、青、黄などの原色が鮮やかで、漢人たちが着ていたものよりもよい布のように思えた。
住民たちは、僕らが家の前を通りかかると気安く挨拶してくれ、侍女も立ち止まって気安く話を始め、しまいには僕を家の中に招き入れ、魚の干物とか干し柿とかを食べさせてくれる。
僕が滞在しているのはこの部族の族長の家だと思っていたが、族長の侍女への対応にしては距離感がとても近く感じた。
実際のところ、この部族は、族長の一族達も平民と同じように働く。
男は狩りに出るし、女は糸を紡ぎ、機を織り、洗濯もする。
族長は何をしているのか知らないが、その息子の、僕を送ってきた白い虎皮の大男は、仲間たちと狩りに出ている。
ちなみに彼が僕と出会った日に虎皮を羽織っていたのは、見た目が綺麗だからで、父親の隙を見てたまに着て狩りに行き、見つかるたびに怒られているという。
それから、族長の奥さんも機を織るようで、族長の家には機織り機が十台以上あるらしく、糸の材質や太さに合わせて何台も使い分けて器用に織るらしい。
もっとも、年中こんなに忙しいかというとそういう訳ではなく、今は秋なので、獣が活発に活動する時期なので狩りに忙しく、また、農作物の収穫も終わり、今度は年末に税を納めないといけないので、忙しく布を織る時期にたまたま当たっているという。
冬になって、獣が冬眠し、税も納め終われば、今度はとても暇な日々が続く。
当然ながら、こんなに細かい知識を得たのは後々のことで、この日はまだ島に来て間もなく、この部族の言葉も分からなかったので、家々をふらふらと巡り、軽食をご馳走になって、家の中を見るだけだった。
ある時には、その家のおばさんの手の平を触らせてもらって、固いな、なんて日本語でつぶやき、おばさんに手の平を触られて、にこにこして何か言われて、それから侍女の女の子も一緒になって触ってきて、女性二人でキャーキャー言い始める、というような言葉を大して使わないやり取りもした。
この島では、僕の手の平が一番柔らかいんじゃないだろうか。
三日目の朝、簡さんはゴリさんを連れて、僕を置いて、朝靄の立ち込める中、島を出ていった。
僕も一応連れて行ってくれとお願いしたが、危険だから、と取り合ってもらえなかった。
これから大きな戦争に向かう簡さんに大変な危険が待っているのは重々承知していたので、僕もそんなに強くお願いしなかった。
出発の前の晩、僕は簡さんにいろいろと聞いた。
僕がこの島に連れてこられたのは、やはりタイガースのペンケースを持っていたからで、虎を崇拝する部族が長江の南にあるのを伝え聞いていて、もしかしたらその部族に関わりがあるのかも、と思ったからだという。
それから、僕が色が白く、手の平も柔らかく、農作業をした事も武器を持ったこともない様子なので、どこかの異民族の貴族の子かもしれない、とも思ったらしい。
恐らく、これらの理由は僕に説明するために取って付けたものだと思う。
真相は、将来の長江南岸攻略のための布石として、長江南岸に勢力を持つ部族と関係を持っておこうという劉備の遠謀で、そのために都合良く僕という存在が天から降ったように現れたのだろう。
実際においても、虎の絵の書かれたペンケースは、この部族にとって相当な贈り物だったようだ。
なにしろ、簡さんが出発する際には、朝もやで視界が遮られる中、族長自ら港まで下りてきて、簡さんたちの乗った船を見送ったのだ。
簡さんは去り際に、僕に『後会有期』という文字を送った。
「また会う機会もあるだろう。」というような意味だ。
人に希望を与える言葉らしいが、本当に今後会う機会はあるんだろうか、と逆に不安に思った。
簡さんたちは、これから曹操の軍隊百万人と戦わなければならない。
僕は、劉備が孫権と同盟を結んでその戦いに勝つことを知っているが、簡さんは知らない。
それよりも、簡さんがその戦いに生き残るかどうか知らないし、未来の僕の時代の史実で生き残っていたとしても、その通りに歴史が展開するとは限らない。
それに、僕もこの島に取り残されて、戦いにどういう巻き込まれ方をするのか全く分からない。
日本のテレビゲームでは、僕のいるこの辺りは空白地帯で、今までどういう歴史を歩んできてこれからどういう運命をたどるのか全く分からない。
それこそ今身の回りを霧が包むように、僕の頭の中も五里霧中のような有様だった。
僕はお返しとして、『待東南風来』という言葉を簡さんに送った。
何か赤壁の戦いに勝つヒントなどを残せればいいなと思って、簡さんにチャンスが来るまで動かないでくれ、ということを伝えたくて、こう書いた。
劉備・孫権軍が、月に一、二日しか吹かない東南の風を待って、東南の風に乗じて火を放って勝利した、というのを覚えていたので、それまでやり過ごしてくれれば簡さんは生き残れますよ、というつもりだった。
簡さんはその字を見て、片眉を上げて少し首を傾け、こちらを向いて曖昧に微笑んで、僕の頭を軽く触った。
その顔からは僕の言いたいことが伝わったかどうか分からなかった。
それからゴリさんともお別れをして、彼らは船に乗って去っていった。
船はあっという間に朝靄に包まれ、そして船にかかげられた松明も見えなくなり、僕はしばらく霧しか見えない川面を見つめていた。
僕は違う国の違う時代に来てしまい、さらに僕の少ない歴史の知識でも知っていた世界からも、今度こそ完全に離されてしまった。
これから一体何をしたらいいのか、全く分からなくなった。
目の前には僕の頭の中と同じように、真っ白な風景が広がっていた。
僕は、秋の朝の涼風に、不意に寒さを感じた。