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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第一章
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第2話 転移

 どのくらいの時が経ったのだろう、僕は暗闇の中で意識を取り戻した。

 意識を失ったときはあんなに明るかったので、少なくとも何時間も経っている様子だった。

 ここはどこなんだろう、病室の中かな、という考えもよぎったが、それはすぐに否定された。

 鼻から入ってくる匂いが、自分が今濃い緑の中にいることを告げている。手に触れるカサカサするものも、地面に落ちた木の葉で、どうやら森の中にいるようだった。


 いったいどういう事だろう、夢の中かな、死んだのかな、とも思った。

 周りに座っていた人たちはどうしたのかな、青山君は、遠藤さんは、他のクラスメイトたちは、先生は、みんなどこに行ったんだろう、とりあえず探さないと、と思って立ち上がり、習慣的な動作で服の埃を払うと、ポケットに何か入っていた。

 取り出してみると、チャックのついたビニールの何かで、どうやら青山君のペンケースのようだった。

 どうやら、みんなと飛行機に乗っていたのは確かで、服もそのままでここにいるらしかった。

 これは青山君に会った時返そう、とまたポケットにしまい、手探りで真っ暗な森の中を歩き出した。


 明かりが欲しかったけど、持っていたものは胸ポケットの中のパスポートとチケットの半券だけだった。

 携帯電話は鞄の中だったし、腕時計なんかは普段から身につけていなかった。

 この暗闇の中にひとりきりだと思うとものすごく心細く、みんなー、どこー、と声を張り上げ、木の根や岩に足を取られながら、探り探り歩いた。

 しかし、いくら歩いても、いくら叫んでも何の甲斐もなく、まっすぐ進んでいるのか同じところをぐるぐる回っているのかもよくわからなくなり、しまいには叫びすぎて喉が枯れ、声も出さずにただ歩いていると、水の流れるような音が小さく聞こえてきた。

 その音が来る方向を失わないように慎重に歩き、段々と音が大きくなるにつれ、水が飲めるという希望で心が明るくなり、川のせせらぎが近づくにつれ森も薄くなり、三日月と星星の薄明かりで、木々や岩の影が見えるようになってきた。


 森の途切れた隙間には渓流があり、水の流れる心地よい音が喉の渇きを誘い、急いで川べりまで行き、屈んで両手で水をすくい、飲み干した。

 水はとても冷たく、疲労で火照った体にはとてもおいしかったが、何か鉄分というかミネラルが多いような気がした。

 何だろう、錆びるようなものでもそばにあるのかな、と思って渓流の先の方に目をやると、男が仰向けで倒れていた。

 男は槍を手にして鎧のようなものを着込んでいたが、その体には矢が何本も刺さっていた。そして目は空中を見て動かず、いくつもある傷口から血を川に流し続けていた。

 死んでる、と思って、僕は慌てて死体から逃げ、下流へ下流へと走った。


 もう現実とは思えなかった。死んで地獄に迷い込んでしまったんだ、黄泉の国か何かだ、怖い、と半ばパニックになり、何度も何度も転びながら、下流へと走り続けた。

 しかし、走りながら分かったことがあった。

 走っている間、何度も死体に躓いた。鎧を着ていたものもあれば、和服のような服を着たものもあった。老人の死体もあれば、若者の死体もあった。

 間違いなく人がたくさん死んでいる。地獄のようであり、地獄でないにしても地獄に近い何かだ。

 このまま進むのも嫌な予感しかしないが、しかし下流に行くほど川も緩やかになり、人が住む平地に出るかもしれなかった。

 人に会えば何か分かる気がした。

 

 やがて息が切れて走れなくなり、川沿いを下流に向かって歩き続けた。

 だんだんと平地に近づき、するとだんだんと遠くの方から音が聞こえるようになった。

 人の叫び声や、物が壊れる声、それから金属がぶつかり合う音や、動物の鳴き声なんかだ。

 何だろう、戦争だろうか、と思い、我ながら無警戒にふらふらと近づいていった。

 やがて、比較的平らな土地に出て、遠目には集落も見えた。


 そこは、まさに地獄絵図だった。

 点在する家々や荷車には火がかけられ、逃げ惑う老人や子供が、馬に乗って槍を持った者たちに突き殺される光景が、火の光に照らされて目に焼き付いてきた。

 抵抗して武器を持つものは僅かでその者たちも歩兵たちに囲まれなぶり殺され、死骸からは武具や衣服が剥ぎ取られて無垢な姿を晒されていた。

 火の手は点々と地平線の奥まで続き、そこまでこんな光景が続いているかと思うと、本当に地獄に落ちてしまったのかと思えた。

 火に焼かれたり針に刺されたりする地獄のほか、戦いが永遠に続き、憎しみや苦しみから未来永劫逃れることはできない地獄がある、という話を子供の頃絵本で読んだのを思い出した。


 僕は、我を忘れてその修羅場に近づき続けた。

 その残酷な光景をもっと目に焼き付けたい、彼らの表情をもっとよく見たい、という衝動に駆られてしまったのかもしれない。

 しかし、近づくことはできなかった。

 馬に乗った兵隊の一人に見つかってしまった。

 兵隊は僕を見つけ、馬を駆って迫ってきた。

 僕は我関せずと進み続けたが、兵隊が川に差し掛かり、馬蹄で川を渡るバシャバシャという水の音が耳に響き、ようやく身の危険に考えが至った。

 僕ははっとすると急いで身を翻し、森へ向かって走った。


 足は疲れ切っていたが、死ぬ、と思うと疲れも忘れて全力で走ることができた。

 兵隊はそれでもしつこく森の中まで追いかけてきた。

 しかし幸いなことに、僕は上下ともに真っ黒な学生服だったので、森の中に入って音を立てずに潜んでしまえば、気づかれることはなかった。

 僕は木の陰に潜み、上着のボタンを外して頭からかぶって白い顔を隠し、息を潜めてじっとして、兵隊をやり過ごした。

 兵隊は馬も降りてしつこく森の中を歩き回り、闇に向かって闇雲に槍を振り回した。

 やがて兵隊は諦めて戻っていった。

 その時に僕の真横を通っていったが、その時に分からない言葉で何か悪態らしきものをついた。

 僅かに射す薄い月明かりでその姿を間近に見ると、顔は東洋人だが、服装は日本の中世の鎧とは違った。中国の時代劇映画で見るような鎧だった。

 その時にようやく思い至った。

 そういえば僕は中国に来ていたんだ、と。


 しかし、仮にここが中国だとしても、まだ理解できなかった。

 でも、とにかくここは離れないといけない。

 とりあえず、音のする方とは反対に向かって森の中を歩き始めた。

 歩きながら、頭の中を整理してみた。

 パスポートも飛行機のチケットもあるけど、入国カードは白紙のままだし、預けた荷物も受け取ってないみたいなので、ちゃんと飛行機が空港に着陸して入国審査を通っているわけではなさそうだ。

 時代劇の撮影に出くわしたんだとしても、いくら中国でも本当に人を殺す姿を撮影したりはしないだろう、という事は想像がつく。

 そして、今に至るまで誰ひとりとしてクラスメイトや洋服を着た人を見ていない。

 みんなは一体何処に行ってしまったんだろう。

 それとも、みんなが、僕はどこに行ったのかと思って探してるんだろうか。

 そう言えば、こうやって今森の中を歩いているが、動物や虫の鳴き声がしない。

 近くで人間たちが大騒ぎしているので、逃げていったのかな。

 もしも近くで戦いがなかったら、自分はとっくに夜行性の猛獣に食べられて死んでたのかもしれない。

 だとしたら、僕はとても運が良かったのかも。

 しかし、こうして人間の出す音から離れて歩いていってる、ということは、逆に言うと猛獣に出くわす可能性が上がってくるんじゃないか。


 ここまで考え、自分を守ってくれた森の暗闇を、今度は逆に不安に思うようになってきた。

 そして、道がある方に向かい、緩い斜面を急ぎ足で半ば逃げるように下っていった。

 木の根に足を取られて何度も転びながら、必死でようやく道に出た。

 人の出す音も遠くに聞こえ、ああ、助かった、と大きく伸びをすると、その戦いがあった方から大きな音が近づいてくる。

 疾走する馬の蹄の音だ、と思った時には、それは目の前まで迫っていた。

 見上げると、道の上には光を遮る木々はなく、三日月の薄明かりに照らされたその姿は、片手に槍を持った騎馬武者だった。

 人馬共々全身血で赤く染まっていて、左手に槍を振りかざしながら鋭い目で僕を見据え、胸には赤子がしがみついていて、まさに、子供の頃絵本で見た、阿修羅そのものだった。

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