第一話 今日という未来
王都、それも王城に呪持ちが現れたという事実は激しい戦闘や様々な情報と共に広がって、王城……、いや王都中に非常に大きな混乱が起こった。
二人の呪持ちが王都に潜入して片方は王城にまで入り込み、聖華騎士団の団長である第三王女エレーラを含む、多くの犠牲が出た事も原因だ。
ガランデール王は混乱を抑えるため直ちに演説を行い、二人の呪持ちは稀人の手によって討伐されたと、その日の内に発表したそうだ。
エレーラが呪に操られて呪持ちになった事実については、政治や治世に悪影響があるので公表するのは余り良い結果を生み出さないと伏せられた。
彼女が操られていた事は、転生神が人の心に付込んで仕組んだ罠であり、エレーラも被害者だったと俺も感じているので、公表に異論はなかった。
もっとも戦いで負った大怪我で意識を失ってしまい、今朝になって話を聞いたので、異論などあったとしても、元から言う事は出来なかっただろう。
それよりも呪に対する認識の甘さによって、多くの人生を狂わせてしまった己の選択の過ちが、今の状況に繋がっているのだと、俺は苦い気持ちになる。
ここまで付いて来てくれたロリーエを泣かせ、ヘスノから預かったエレレファを守れなかった、そして何より、レーミクを危険に晒して、彼女を永遠に喪うような状況にまでしてしまった。
メルデ村や精霊の森であれだけ多くのモノを失って尚、呪という存在の本質を理解出来なかった事が、この結果を産んだのだと、心の中に重く伸し掛かってきた。
身体は満身創痍だったが、神宮の大神官の話では千切れた左腕、全身骨折と穴の空いた太腿、潰れていた内臓の幾つかは殆ど回復可能だと言われて安心した。
それでもやはりというべきか、潰れて無くなった左目は加護の力を持ってしても元に戻らないと伝えられた。
その言葉に俺は、レーミクを助けるために払った犠牲だと割り切ることが出来たが、周りはそう考えることが出来なかったらしく、特にロリーエは大きな責任を感じているように見えた。
ガルムンズからは呪持ちを抑えるためロリーエは命を削るような大きな加護を降ろしたと聞いているが、俺が酷い怪我を受けたのに癒しの巫女である彼女が寝込んでしまい、大事な時に癒やしの加護を下ろせなかったと何度も涙ながらに謝ってきた。
ロリーエは泣きながら神宮で左目を元に戻す方法か無いか調べると言って、そのまま部屋から飛び出してしまう、そんな彼女を俺は止める事すら出来ずに見送ってしまったことに後悔している。
ロリーエが心配してくれるのは嬉しいが、その想いが頑張り屋なロリーエを追い詰めていると感じているし、無理をさせたくないと願うのに、自らの未熟さが周りの人々に多くの負担を強いる結果が残る事に、俺は虚しさばかりを感じてしまう。
ロリーエと一緒に王城で呪持ちを抑えていたエレレファも、今回の戦いで弓の効かない相手との戦いで、自分より弱いロリーエを守れなかった事で悩み苦しんだ様に思う。
それでも本人に大きな怪我もなく、エレレファの身に宿る白百合の呪が呪持ちと直接対峙したことで発動する事を懸念していたが、特に体調に大きな変化がないと言ってくれた事で、俺は少しだけ安心したが、呪に弄ばれるロリーエをただ見つめる事しか出来なかった彼女は、精霊の力に頼り切りだった己の無力さを克服するため、騎士達に混じって体術や剣術の訓練を受ける事を考えているらしい。
更に、戦いの中で力を貸してくれた王都の精霊樹の精霊、――こちらの精霊樹に宿っていたのは大きな地竜らしい――と正式な盟約を交わすそうだ。
エレレファの持つ精霊の弓には、まだ多くの精霊を宿す余裕があり、精霊の力を集めることによって、精霊の弓はより大きな力を発揮するらしいので、精霊の使い手としての力も鍛え、皆を護りたいと、いつもの無機質な表情で語っていた。
彼女の動かない表情の裏に、己の守りたい相手を守れない無力さに苦しむ感情が滲んで見えた、それは俺もよく知っている理不尽への悔しさと挫折、そしてそれを覆したいと願う気持ちだ。
精霊の森から出て呪持ちと初めて戦い、初めて己の力に挫折したエレレファにも、ロリーエと同じで自分を追い詰めるような真似をして欲しくはないが、無力を覆したいと願う純粋な気持ちが、エレレファを良い方向へ成長させていくのだろう。
ろくに動く事すら出来ない半死半生の身で俺はそう願いながら、自らを鍛えると言って出て行く小さな彼女の背中を見送った。
俺と同じく傷を負っていたレーミクだが、巫女は傷が治るのが早い事もあって、今朝には動けるようになり、レイガスと二人で色々と過去のすり合わせを始めると言っていた。
残念ながら、二人の過去は呪いによって失った事が多い、彼の親子が積み重ねた記憶はもはや、レーミクの心の中だけにしか残っていない。
レイガスの心に残ったのは微かな違和感、そんな記憶の残滓といえる感情だけだが、それでも二人は親子の情をもう一度結び直す切っ掛けを得て、再び未来を並んで見つめようとしている。
それは今回の戦いで護ることが出来た数少ない戦果であり、絶望ばかりの世界で許された幸せの幼芽と言える存在だ。
それは繰り返す事が出来る今日などではない、掛け替えの無い『今』が再び時を刻み始めた証拠なのだ。
「俺は、やっと……、未来を取り戻す事ができた……」
腫れぼったく上手く動かない口から零れたのは、自らの声とは思えない程に疲れ果てて嗄れてしまった声だった。
無事な所など殆ど無い、まさに重症というに相応しい身体を豪華すぎる天蓋付きのベッドに横たえながら、『今日』という昨日とは違う未来を掴み取れた事に、漸く実感が湧いてきた。
何度となく繰り返しても答えを見つけることが出来ず、その度に愚かにも失敗を重ねた。
挙句、多くの者を不幸にしながら皆の希望を願った。
そんな自らが願う未来の為に、転生神の送ってきた同胞達、対抗する呪持ちの命を奪い、犠牲の上に未来を取り戻したが、果たしてあの時導き出した答は本当に正しいモノだったのか、何か他にもっと良い方法があったのではないか。
そんな答など見つかりもしない自問自答を、美しい装飾のなされた窓を煌めかせる精霊樹から届く光で輝く、昨日と変わらない美しい景色を見つめながら考える。
思い出すのは、呪に操られてしまった青年の言葉。
『なんで……?俺は自分の夢を、幸せを叶えたかっただけなのに……』
それと俺を責める、女性が残した怨嗟の声。
『ハッ、人を殺してまで止める奴が、偉そうなんだよ……』
願いの果て打ち倒した彼等の最後を振り返っていると、呪持ちとなった二人の言葉や思いが蘇り、本当に正しかったのだろうか、俺の成したことは本当に正しかったのかと、再び深い思考の迷路に迷い込みそうになった。
そんな虚しい思いが去来する胸の奥で、燠火のようになってしまった心の炎が諭すように、小さく静かに揺らめいたような気がした。
「俺は……、皆の未来を、この世界を守りたい……、それが自らが願った想いなんだ……」
誰に聞かせるでもない言葉が、口から弱々しく溢れた。
俺は、誰か独りしか幸せに成れない世界を否定し、皆が幸せになれる可能性を持つ世界を願い望んで、己が出した犠牲に応えるために、どんなに辛かろうと手にした希望を捨てては行けない。
そうでなければ自分を信じた人々と敵対し命を奪った全ての者への冒涜になると、自らの疑問も苦しみも全て、心の底に沈めてしまう。
「英雄なんて……、本当に遠いよ……。俺は自分が今立っている場所すら見えてない愚か者だ……」
小さすぎる己の力、未だ道筋すら見えない大きすぎる願いに押しつぶされそうな気持ちが湧いてきそうな時、重厚な堅木で設えられた扉を廊下から叩く音が聞こえて来て、俺は底の見えない思考の海から精神を引き戻された。
「シュウゴ様、お休みの所に失礼致します、お約束されていたロドンダ殿がお見えになりました」
部屋の扉の見張り番をしてくれている騎士が、今回の戦いで世話になった恩人の到着を知らせてくれて、報告の内容を聞いたセラーネが柔らかな表情と声音で語りかけてくる。
「シュウゴ様、如何なさいますか?」
呪いの改悪によって彼女は上級女中から上級奴隷へと身を窶してしまったが、それでも王都に来た日と同じ、遠くなった昨日と変わらない姿で俺の目の前に居てくれて、上手く動かない身体の世話を焼いてくれている。
彼女の機転と活躍のお陰で、呪持ちと直接対峙したロリーエとエレレファの元に、ガルムンズ達はいち早く辿り着くことが出来たと聞いた。
本当に彼女に出会ってから世話になりっぱなしだと感じるので、なにか御返しをしたいが俺が出来るのは、不当に辱められた名誉を元の身分へ戻す事くらいだと思う。
今も身体を支え甲斐甲斐しく世話をしてくれる彼女に視線を向け、どうするかを考えていると、少し困ったような笑顔を浮かべたセラーネが問いかけてくる。
「あの、シュウゴ様……、お客様をこちらからお呼び立てして廊下でお待たせするのは、余り品が良いとは思えませんが……」
セラーネへの御返しを考えてた事で、また要らぬ気を使わせてしまったらしく、遠慮がちに返事をした方が良いと忠言を貰ってしまった。
「セラーネの言うとおりだな、済まないね、中に入って貰うように言って欲しい」
彼女が語る言葉に同意して、自らの失敗を謝って入室を促す旨を伝えると、了承の意味でこちらに頭を下げてから、耳障りの良い、良く通る声で入室を促す。
「どうぞ、お入り下さい」
返事をして暫くすると、重厚な扉がそれに見合う重い音を鳴らし開かれ、廊下には人の良さそうな老人が緊張で固まった姿で立っていた。
「し、失礼しまっす!ろ、ロドンダでごぜえます、今日はご招待に預かり、こ、光栄に思っておりますっ」
開け放たれた扉をガチガチに固まったロドンダさんが、まるで撥条仕掛けの玩具の様なぎこちない動きをみせながら入室し、余所行きの言葉を何とか繰り出して俺に語りかける。
「ロドンダさん、遠慮は無用ですから中に入って、こちらに座って下さい」
そんな可哀想に感じる程に緊張した様子の彼に、俺が挨拶をして椅子を進めると同時に騎士は静かにゆっくりと扉を閉め始める。
恐縮しているロドンダさんは、自らの職務を全うしている騎士に、扉が閉まるまで何度も頭を下げ続け、そうして扉が閉まると相変わらずの動きでこちらに来る。
そうしてセラーネが用意してくれた、ベッドの脇に上品な仕事で作られた椅子の前で固まり、心底弱り切ったとばかりの声を上げる。
「シュ、シュウゴ様、ワシの服はこんな薄汚えですからワシは立ったまんまで十分ですで、こんな上等な椅子にゃあ恐ろしくて座れませんでさぁ……」
今日を迎えることが出来たのはロドンダさんのお陰、だからこそお礼をしたいとガルムンズに相談して、彼にロドンダさんの功績と改変前のロドルガの話を伝えた。
すると、それは是非王城に呼ぶべきだと言われ、この話を聞いた中隊の面々も張り切って、目の前の高級な椅子に座るのを躊躇う老人を探したそうだ。
こうした結果として、この気のいい老人は半ば事情も良く解らぬまま無理やりここに連れて来られたのだと、彼の酷く緊張した恐縮しきりの態度を見て理解が出来た。
「私はこんな身体で恩人を前に起きることも出来ません、ですのでせめてロドンダさんには座って頂けないとゆっくり話すのも難しい、私のためと思って座ってくれませんか?」
流石に恩人を立たせたままというのは申し訳ない、小市民である俺もロドンダさんのこんな高級そうなものを汚したら怖いという気持ちは十分理解できるが、ここは座って貰わないと落ち着かないのも事実だ。
「へ、へい……、でっ、では失礼して……」
なにかとんでもなく高い場所から飛び降りる様な、なんとも悲壮な顔をし意を決して椅子に座るロドンダさん。
「よっこ……いしょ、あ、どわぁっ!」
だが椅子の座面がロドンダさんの想定よりも柔らか過ぎたのだろう、体勢を崩してしまって椅子から落ちそうになってしまい、そんな姿を見た俺の口からも妙に裏返った声が出てしまう。
「ロ、ロドンダさん!大丈夫ですか?」
「へ、へぇ、面目ねえ、生まれてこの方ケツが痛くなるようなパウの荷台ばっかに座ってたもんでごぜえますから、こんな柔けぇ椅子になんざ座ったことがなく、つい粗相しちまいやしたよ……」
転げない様に椅子に捕まって苦笑いを浮かべる彼の姿に、俺はなんとも言えない親近感を覚え、彼と同じ苦笑いを浮かべてしまう。
「確かに……、ここの椅子はとても高級で柔らかいですからね、実は私も慣れないんですよ……」
王城の格にあった素晴らしい出来だとは思うし、椅子が悪いという訳じゃない。
この王城の一室での生活と言うのは、高級車に乗ったり高級ホテルに泊まったりする様な落ち着かなさという感じで、やはり高級な部屋というのは利用する側にも、それに見合う余裕や品格を求めてくるような気がする。
普段からおんぼろの軽トラに乗って大衆店にしか行かない、小市民的な俺の感覚ではここの家具は尻の収まりが悪いというか、身体を包み込むような高級感が逆に非常に落ち着かないと感じてしまう。
「へへへ……、シュウゴ様にそう言って頂けやすとワシも安心出来まさぁ……」
俺が自分も同じ側であると語ると、仲間がいるという安心感かロドンダさんは少し照れくさそうな笑顔で笑いながら頭を掻く、そんな彼に俺も苦笑いを浮かべなんとも言えない感情を共有した。
「草原の民が飲む草茶を用意しました、こちらは気持ちを落ち着かせる効果のある植物の花と葉を使ったものです、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい」
こちらを気遣う言葉と共にセラーネが供してくれた、香りの良いお茶の香りが辺りにしっかりと漂う頃、ロドンダさんは居住まいを正して俺に語りかけてくる。
「ところでシュウゴ様。今日のこのお呼び出しは一体何でごせえますか?ガルムンズ様のお陰で牢屋から出して貰ったんですが、詳しい話はシュウゴ様に聞いて欲しいと言われておりやす」
城門にパウで突っ込む様な無茶な行動をしたから王都の衛兵に捕まったのだろう、彼はそれすらも覚悟の上で俺の言葉を信じて自身の命すら掛けてくれた。
そんな老人の行動にきちんとお礼を言って、彼や息子であるロドルガの不当な汚名を雪ぎたい、それが俺に出来る彼へのせめてもの恩返しだと思う。
「貴方の行動のお陰で今日という日を迎える事が出来ました、それはロドンダさんとロドルガ、二人のお陰だと私は思っています、ありがとうございます」
不自由な身体を何とか動かして痛みを堪えて頭を下げる、彼がしてくれた行動と心意気に応えたい、そして失う痛みを知っているからこそ、その行動に報いたいと強く思った。
「シュウゴ様、どうか頭をあげてくだせぇ、ワシはシュウゴ様の心意気に惚れたんでさぁ、漢が漢に惚れたなら、テメェの老い先短い命を惜しむなんざぁ、格好悪い真似出来やしませんぜ?」
彼の言葉に顔をあげると、別れた時と同じ表情で語る老人の姿があった。
それは己の信ずると決めた者のために突き進んだ者しか出来ない笑顔、身に降りかかった色々な苦労も不当な扱いも不名誉すら気にしない、なんとも晴れがましい漢らしい笑顔があった。
「そんな事してちゃあ、親不孝モンに説教垂れる事が出来なくなっちまう、ワシゃそんなのは死んでも御免だった、そんだけの事でさぁ」
俺を信じ助けたいと思った、そして子にとって誇れる親でありたい、それだけだと彼は笑う。
「だとしたら私も貴方に応えたい、そう願うのは漢として当然の事だと言えますね」
「いやいや、シュウゴ様のお役に立てた上にお城にまで呼んでくださって、直接お礼まで言って頂けるなんて、田舎のジジィには多すぎるってぇ程に、これ以上ねぇ程の名誉を頂けやした」
満足するように笑う彼にもう一つ渡したい思いがある、それは俺では渡せないモノだ。
「私が貴方に……、誇り高い親子に贈りたい名誉があるのです」
俺がロドンダさんに応えると、再び扉を叩く音が室内に響き渡り、ノックの音と共に伝えられた王の来訪が伝えられる。
「シュウゴ様、国王陛下、並びに王国騎士団副団長ガルムンズ様お目見えです」
不当に貶められたロドルガの名誉、その功績に正当な評価をして欲しい。
これは今朝見舞いに来てくれた国王に俺が願ったことの一つだ、それは今から始まることにも繋がっている。
「お、王様?! 何で、なんで王様がここに来てござるんで?!」
来訪者の名前を聞いて、漸く落ち着いたロドンダさんが驚きの表情で固まる。
確かにいきなり天上人といえる国王が現れたと聞けば、この朴訥な老人ならば驚いてしまうかもしれないだろうと思っていた。
それでもロドルガの名誉を取り戻す儀礼には、この国の長であるガランデール国王は必要不可欠な存在なので、ロドンダさんを脅かしてしまうが、少し堪えて欲しいと心のなかで思い口を開く。
「ロドンダさんとロドルガへの恩返しを私なりに考えた結果です、どうか落ち着いてください」
いきなりの国王の登場に驚き、床に頭を擦り付ける様にしている老人の姿を見ながら、俺は来客を迎え入れるために返事をすることにした。




