第二十一話 共に生きる
レーミクが部屋の戸を閉めると同時に、表に出さず噛み殺していた痛みに小さくうめき声を上げてしまう、彼女を心配させまいと無理をしていたが、一人になって我慢をする必要がなくなったから、堰を切るように漏れだす。
「ぐううううっ、はぁはぁ……、流石にキツいな、ははは……」
あまりの自身の状況の酷さに乾いた笑いが漏れる。
身体はきっとメルデの村に辿り着いた時より酷い状況だと思う、僅かでも動くとその度に耐え難い痛みを覚え、全身が雨ざらしの自転車のように軋みを訴える。
本当ならもう一歩も動きたくないと感じているはずの状態だが、クシーナの残した温もりが宿る心の炎で、俺はまだ動ける、まだ闘えると強く感じている。
それが蝋燭の最後の燃え上がる炎の様なものかも知れないと感じる部分はある、だがそれでも俺は死ぬ訳にはいかない、邪神共が俺の魂を奪いに来ても一秒でも長く抵抗しなければならい。
それが彼を殺して、人殺しをしてまで自身が選んだ未来への責任だと思う。
「今は進むべきだと思う……、これが悪だというのなら、俺は悪でも皆の未来を守りたい、はは……、もしこれが独裁者の言葉なら、俺は歴史の教科書に載ったのだろうな……」
己の欲望で未来を望むのは傲慢だと彼に語った言葉が胸に突き刺さり、自らの言葉に自虐的な笑いが浮かぶ。
互いに未来を尊重できれば呪持ちと殺し合う過去は無かったと思う、だが不条理を世界に望む相手と再び相まみえた時、互いの間に闘争以外の未来を見出す方法が今の俺には思い浮かばない。
そして俺が皆の未来を望んで自らの手が犯した罪は、今後の俺にどの様な贖罪を求め、己がどのような結末を迎えるのか、今の俺では解らない。
だが今はそれを悔やむ時でもなく、立ち止まる余裕も与えられていない、この悲しい現実に深い溜息が自然と溢れるが瞳を閉じて俺は自身の戦いへと意識を集中し、自らの状態を再度確認する。
「身体はともかく……、刀と鎧はまだ行けそうだな……、彼らが用意してくれた武具がなければここまで辿りつけなかった、本当に彼らに頭が上がらないな……」
無様に倒れたり、奴隷商や呪持ちの青年に良いようにやられてしまったせいで、あんなに美しかった鎧は埃や泥に塗れ多くの傷が刻まれ、胴鎧は彼の拳の形にへこんでいるが、それでも完全には防御力を失って居ない。
刀も未だ刃毀れもなく確りとした鋭さを持っているように見える、付け焼き刃の俺があれだけ無茶な使い方をしても、しっかりと俺の戦う意思に応えてくれるその姿に労いを口にする。
「俺はお前に助けて貰ってばかりの駄目な使い手だ、何度も命を救ってくれてありがとう……」
自身を見失った俺に何度も語りかけるように存在を様々な方法で伝えてきた、それはまるで使い手を助ける姿だと俺は感じた。
何時だったか誰かから聞いた「強い思いは形に宿りそれは魂となる」という言葉を思い出し、俺は静かに刀に語りかける。
「そんな俺がお前のような名刀を振るう資格など無いのかもしれない、それでも山の民の執念の結晶であるお前に魂があるなら、一緒に世界を救うため戦って欲しい」
傍から見れば物に声をかけるなど愚かな事に見えるのかもしれない、だが俺はそれが無駄であるとは思わない、少なくも自らが迷った時、刀を見れば自分が言葉に込めた思いは蘇り、自身の決意を思い出させてくれると思う。
俺の想いに物言わぬ刃は崩れた壁からの光を反射して鈍く輝くだけだったが、不思議とそれでいいとすら思える、そうして苦悩と後悔をただ黙って聞いてくれた刀身を労る様に、軽く汚れを落とし鞘に納めると、何もない部屋に小気味のいい納刀音が微かに鳴って響いて消え、同時に己の心に漂っていた迷いも静かになった。
「お待たせしました、ただいま戻りました」
音が消え暫くすると、見慣れた巫女の衣装とは違う鎧下を身につけたレーミクが現れる、どうやら鎧は一人では装備できなかったのだろう。
長靴を履いて剣を腰に佩き、背中に盾を背負っているので、彼女の技量であれば十分自衛出来ると思う、いや、もしかすると俺を支えるために身軽にしてきたのかもしれない。
今も俺を行かせたくないと、胸の中に溢れる思いを必死に押さえつけているレーミクに、俺は急かすような言葉を掛けなければならないが、せめて心の決意を揺らさぬように静かに話した。
「着替えたばかりの君を急かしてすまないが止血して先を急ごう、きっとロリーエたちも呪持ちと戦っているはずだからね」
「――はい、分かりました、では少し痛みますので、これを口に咥えてください」
心に去来する感情を抑えるためか、彼女は一度黙祷をするように頭を下げて黙りこみ、思いを切り替えるように頭を振ってから、静かに面を上げる。
そうして向けられた視線は真っ直ぐな戦士の瞳で、覚悟を決めたような表情を浮かべて、激痛に耐える事になる俺に、食い縛りすぎて歯を噛み砕かないように布を渡してくる。
「すまないね、レーミク」
彼女の戦いに出向いて欲しくないという思いを踏み躙る事と、レーミク自身が俺を死地に連れて行くという覚悟をさせねばならない、己の不甲斐なさをその一言に込めて、俺は布を噛みしめる。
「いえ……、私はシュウゴ様の従者、ですから主の思いに応えたいのです」
泣き笑いの様な表情でレーミクが儚げに笑う、真面目な少女が見せる己ための嘘に胸が痛む。
「もし耐えられない時は私の肩を叩いてください」
彼女が発した声と同時に傷口の辺りを縛り付ける痛みが全身を駆け巡る、まるで弱い所を思い切りぶつけたような鋭い痛みを何倍にもした激痛で、咥えた布によってくぐもった絶叫が部屋中に響く。
「ぐううううううう、アガアア!!」
俺の情けない悲鳴を聞きながら、手を真っ赤に染めて精一杯急いで縛っているレーミクの邪魔しない為、身体を無駄に動かさない様に痛みで点滅する思考の中で必死に身体を制御する。
「耐えてください!もう少しで終わりますっ!」
余りにも長く感じる苦痛の時間は多分十秒もなかったろう、なのに俺の全身は驚くほど疲弊し嫌な汗が吹き出ていた。
「はぁっはぁっ、あっ、りがとう、助かった……」
未だ点滅を繰り返し痛みで生理的に溢れた涙で滲む視界の中、どうにか彼女への言葉を捻り出すとレーミクが不安な表情を浮かべこちらを見つめ、その美しい碧の瞳が俺へと近づいてくる。
「今はじっとして下さい、呼吸が落ち着くまでこのままで……」
俺を支えるようにレーミクが優しく抱きついてくる、自身の姿勢を維持するのも難しい俺は彼女の言葉に甘えてしまう。
「ははっ……、俺は本当に君が居ないと駄目な男だ……、これだけ世話を焼いてもらわないと戦えないなんてね……」
助けたばかりのレーミクに俺は己の目的のために思いを偽らせ、その上傷を治療してもらった挙句に自身の杖代わりに使っているのだ、これが駄目な男じゃないというのは、博愛精神に満ち溢れた聖人か、利己主義の残酷なヤツだろう。
「それでも、それでも私はシュウゴ様の従者でいたいんです、だからそれでいいんです……」
僅かに彼女と触れた頬が濡れる、レーミクは自身が俺をここまで追い詰めたと感じているのだろう、自身を支えてくれる少女一人も幸せにしてやれない、本当に無力だ、彼女に報いる術が俺には思い浮かばない。
「ありがとう、レーミク……」
何がとは言わず、いや言えない俺は、ただ彼女の存在全てに感謝した。
「私の方こそ、ありがとうございます……」
きっと彼女も同じ気持を持って答えたのだろう返答に、俺は無言でただ彼女を抱きしめた。
ひび割れた壁から陽の光が差し込む部屋で俺達は二人で無言で抱き合う、王城で呪の凶刃によって傷ついた彼女の冷えた身体を俺が温めたのを思い出す。
今は全く反対で俺の血の気を失って冷たくなっていた身体が、レーミクの柔らかな抱擁によってゆっくりと暖められる。
失った物や消えてしまった未来もある、犠牲にした人だっている、決断の果てに戻らない命だってある、自身の下した決断が正しいのかそれも分からない。
呆れるほどの多大な犠牲を払った現状でも俺は彼女の温もりが愛おしく、もう失いたく無いと強く感じる、この傲慢な心が感じている思いを言葉にして俺はレーミクに語りかける。
「俺は酷く我儘な男だ、これだけの犠牲を払ったのに、もう二度と君を失いたくないなんて思っている……、メルデで語った誰かを好きなったら離れていいなんて言葉、今じゃ許せる気がしないよ……」
醜い独占欲なのか歪んだ庇護欲なのか、それともなにか違うものなのかすら分からない執着が己の中にあると理解した、これは綺麗な物じゃないのかもしれない。
「シュウゴ様、いいんです、寧ろそれが望みだと私は言い切れますから……」
俺の整理もされていない我儘な言葉を、自分の真意を得たと言わんがばかりの笑顔でレーミクは受け入れる。
「レーミクは、ずっとシュウゴ様のお側に居る事が望みですから……」
この歪とも思える共生は一歩間違えれば共依存と言われるのかもしれない、だけど一度彼女を失う恐ろしさを知った俺はもう、レーミクの居ない人生など歩めないだろうと感じている。
「私を二度と離さないでください、レーミクを貴方様の両手で縛り付けて下さい……」
彼女の言葉にとても重い何かを感じる、それは自身の心の中にある物とは形が違うのかもしれない、だが今はそんな彼女温もりが愛おしく心地良く感じ、俺はなんの言葉も掛けれぬままに抱擁に身を任せてしまった。
そうして俺の身体が十分に温まった頃、騒がしい声と共に数名の兵士と彼らの上司であろう騎士がやってきた、奴隷商は傷の状態だけではない妙に焦りに満ちた青白い顔している。
「答えろ、貴様が稀人様を騙り、奴隷の一人を奪おうと奴隷商館に乱入し、多数の用心棒と奴隷商へ暴行を行い、商館をこのように破壊した男か?」
周りの兵士は騎士の言葉に戸惑いながらも俺とレーミクを取り囲む、奴隷商は驚きの声を上げて彼の言葉に反論をする。
「だから先程も申したように、呪持ちが我が商館の中で暴れていたのです!稀人様は呪持ちと戦い、私を救ってくれたと何度も申しているではありませんか!」
どうやら奴隷商が嘘を述べて騎士を連れて来た訳ではないらしい、だが騎士は何かを確信しているような空気がある。
「黙れ奴隷商!先程東門でパウの引く荷車が東門の詰め所に突っ込んできたのだ、その混乱の中からその男の人相とよく似た者が、貴様の商館へ逃げるように走っていく姿を街の者が目撃しているのだ」
騎士の語るパウの話は間違いなくロドンダさんの事だ、彼は無事なのだろうかと心配がよぎるが今の状況では聞くのは非常にまずい、無事を確認したいが俺自身が罪人だと思われている以上、余計な疑いをかの老人に掛けてしまう。
「もし稀人様であるのなら混乱に乗じ無くとも王都に入れるはずだ、これは明らかに可笑しいではないか!」
彼の語る言葉はとても正しいからこそ俺は何も言えない、だがあの時仮に事情を話してレーミクを救うのが間に合ったかと問われれば、これだけギリギリだったのを考えれば間に合う気がしないので、俺は自身の選択を後悔はしていない。
「しかし、実際シュウゴ様は呪持ちと戦い傷ついています!そのシュウゴ様の傷を癒やすために、ただの行き倒れだと思っていたレーミクさんは癒しの加護を降ろしている!その彼女を迎えに来た方がどうして稀人様でないと言えるのです!」
奴隷商は必死に理論建てて説明をしようとするが、騎士は一切その話に耳を貸さず自分の部下である兵士たちに命令を下していく。
「ええぃ煩いわ!それを今から調べるのだ!者共、そこに居る男女を拘束せよ!」
隊長格の騎士が命令を下すと、俺達を囲む兵士の包囲は少しずつ狭まり槍の代わりであろう棍が俺達の自由を奪おうとする。
「時間が無い、レーミクいいか?」
彼女は視線だけで俺に応える、そうして二人で覚悟を決めた瞬間、この部屋に続く廊下から気合の入った叫び声が響き何かが飛び込んでくる。
「うぉらああああ!」
勇ましい叫び声とともに、まるで交通事故のような激しい音が室内に鳴り響く、突然飛び込んだ影は盾を使った体当たりを、命令を下したばかりの騎士に決める。
彼の放った体当たりの威力は凄まじく、重い騎士鎧を身に纏った大の男を数メートル吹き飛ばす破壊力を見せ付ける、王都に戻る旅の途中で、魔獣に向けてガルムンズが見せた一撃のように、深い研鑽を感じさせる恐ろしくも美しい一撃だった。
「おい、そこの色男!今直ぐその別嬪さん連れて出て行きな!もちっとしたら兵士共がここにわんさかやってくる!」
突然現れた冒険者風の男は盾と鞘に収まった剣を巧みに使い、五人の兵士を相手取って俺とレーミクを取り囲んだ兵士の包囲をあっと言う間に崩していく。
「コイツはロドンダのじーさんの頼みでな、俺はあのじーさんからチーズを格安で譲ってもらったのと、急ぎで王都に戻るためのパウを借りた恩がある!」
突入して彼の言葉の中にロドンダさんの名前が出てくる、果たして彼とその相棒のパウは無事だったのだろうか?そんな疑問が浮かんで、俺はつい聞いてしまう。
「すまない、あの御老人とパウは無事なのか教えて欲しい」
彼らの無事を聞きながら俺はレーミクに支えられ立ち上がる、その姿をちらりと確認した金髪の同世代と思う冒険者は、なんとも憎めない人好きのするいい笑顔で返してくる。
「安心しろ!どっちもピンシャンしてたっ、ぜっ、っと、おい!オメーら人が話してんだから少しは遠慮しろ!」
「こいつ相当の使い手だぞ、全員注意しろ、迂闊に突っ込むと隊長のようになるぞ」
兵士の中でも年嵩の男が、いきなりの乱入者の腕前に気付き注意を叫ぶ状況にも関わらず、冒険者の男は笑顔で俺に話しかけてくる。
「まぁこんな状況だ、オメェさんとゆっくり話してぇんだが、どーにもこいつらが許してくれねんだ、すまねぇが別嬪さん連れてさっさと行ってくんねーか?」
彼はそう言いながらこちらに襲って来た兵士の攻撃を盾で、自身に向かって来たものを鞘に入った重く頑丈そうな長剣で弾き返す。
「こいつらはあんたらの逃避行を邪魔したくて仕方ねぇらしくてなっ、さっきも言ったが少しすりゃここにはパウに蹴られるような無粋な連中がっ、それこそ叩き売りできる程やって来やがる!」
彼は五人から繰り出される攻撃を見事な体捌きと両手にもった剣と盾で見事に受け流して反撃を入れていく、それは俺が知ってる騎士達にも引けをとらない所か、もしかすればガルムンズ並みの腕前だと思う。
「そうなると俺も逃げんのがちぃとばかり厳しいんでなっ、これ以上は代金以上になっちまうから、俺がケツまくって逃げたくなる前にっ、さっさと行ってくれ!」
受けた恩のため危険に飛び込む様な義理堅い冒険者の言葉だ、ならここは素直に俺達が立ち去るのが一番だろうと視線を交わして口を開く。
「分かった、助力に感謝する、事が終わったら必ず君に礼をする」
「へっ、要らねぇよ、んなもん、俺ぁ自分の恩返しでやってるんだぜ、さぁ行きな色男!別嬪さんを大事にしてやれよ?」
彼の言葉を皮切りに俺とレーミクは扉に向かって走りだす、そんな俺達に奴隷商は何かを投げてくる。
「シュウゴ様!これをっ、裏の厩舎の鍵でパウが居ます、使って下さい!」
「奴らが逃げるぞ、逃すな捕まえろ!」
兵士たちの声に紛れるように投げられた鍵を何とか受け取って握りしめ、おれはレーミクと二人で厩舎に向けて走りだした。
「馬鹿野郎、テメェら人の恋路は邪魔してんじゃねぇ!そんな不届な奴らをこの俺様が行かせる訳ねーだろが!」
そうして廊下に飛び出し後にした部屋から、俺達を捕らえようと叫ぶ兵士の声をかき消すような、頼もしい冒険者の怒声が鳴り響いていた。




