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第十三話 爽やかな風

 森から立ち起こる朝霧が残る中、俺は重い身体を少しでも前に進めようと息を切らしてひたすら走る。


 普段の運動と戦装束を着る経験が不足している己の身体は、先程まであんなに頼もしいと感じていた鎧がまるで自身を責める重荷の様に感じ、己の我儘に呆れと情けなさを感じてしまう。


 山の民の卓越した技術で作り上げ重量軽減という特殊な呪いが施されている鎧だが、やはり体感で十キロ程は身体が重くなったように感じる、金属の擦れる音の賑やかさの割に速度を出せない自らの足の遅さに焦燥が募る。


 いくら山の民が動き易さを重視して作ってくれた鎧だと言っても所詮は金属製の防具、体の動きを阻害しないなどいう事はあり得ない。


 日課の害獣駆除や便利屋での農業の手伝い等、日本に居た頃は仕事でそれなり身体を使っていたが、平和な日本で武具を付けて走るような訓練など一度も受けた事もなかった、その上に自らの運動不足も重なった答が速度に現れ、焦燥する心に身体は思うような速度はだせなかった。


「クソッ、普段、運動を、しなかったのが、こんな時、たたるとは、思って無かった!」


 自らの体たらくに情けなさと悔しさが胸の中に充満し、胸の内に溜まった感情は何度目かの誰に聞かせるでもない悪態として口から漏れる。


 昔から走るのは嫌いではなかった、だが大人になってからは田舎者らしく車移動ばかり、歩くのは山野に分け入る以外は多くなかった、運動を良くしていた学生の頃と比べれば随分足が遅いと感じるのは当然だ。


 鎧を鳴らし賑やかな牛歩の歩みな俺の眼前に何かが見える、あれは砦だろうか?高い監視塔が印象的なメルデ村より少し小さい位の石積みの壁が目に入る。


 恐らくは森から溢れる魔物や魔獣を監視する為の砦だろう、冒険者や商人、旅人の中継地点という感じなのかもしれない、事情を話せばもしかしたら力を貸してくれるのだろうか?


 いや、怪しい人間として捕まってしまい間に合わなくなるかもしれない、上がった息が煩くて思考が上手く纏まらない中で無視して進むべきか、それとも助力を求めるべきかを決断する。


 問題を難しくしているのは俺の立場だ、確かに稀人ではあるがそれを証明するような物を今は持ち合わせては居ない。


 今まではガルムンズが俺の身分を保証してくれたので全く問題が無かった、王国騎士団の中隊長の信用は言うまでもなく高い、だから俺の身分を保証するものなど今までは全く必要性を感じなかった。


 だが一人になってしまった現状で砦に向かい事情を話せば、下手をすれば稀人だと吹聴する狂人の類と思われ拘束されて間に合わなくなる可能性がある、時間が無い、賭けに出る余裕が無い以上、このまま走るしか無いと考えを纏める。


「クソ!全て、奴らの、手の内か!」


 転生神を名乗ったあの女が俺に安易に話した訳が良く分かる、俺はこれ程に世界の異物なのだ、誰かに頼らなければ生きて行くことすら儘ならない、俺はそんな現状で世界を皆を救うなどと今まで言っていたのだ。


 少しでも早く進むため鎧を脱ぎ捨てたい、だが俺一人で脱着出来る様な物では無いし、街道沿いでも時として魔物が出る。


 初めてゲンゾンと話した日に徒歩で無防備な旅をするのは褒められた物ではないと、彼が語っていた言葉を思い出した。


 魔物が出た時を考えれば刀が無ければ戦うことすら難しくなる、それにどちらにしても一度止まってしまえば転生神との対峙で発生した疲労が体を襲ってくるだろう、この状況で走れなくなるのは致命傷だ。


 とにかく走れ、全てを諦めずに走れと自分に言い聞かせ、腰で揺れる刀を左手で抑え少しでも距離を稼ぐために足を動かすが一向に先に進めない。


 森から湧いた朝霧の先に漸く見えてきた早朝の街道に人通りが全く無かった、旅人が移動するには、霧が出ている上に朝日が出たばかりで寒さが緩まず寒すぎ、逆にここから王都の朝市に向かうには遅い時間だから当然だ。


 森が近いこの辺りを進み、魔物に襲われる危険を犯してまでの急ぐ理由が無い、監視砦が開き兵士の巡回や冒険者の間引きが行われる様な時間まで待つのが当然だろう。


 そんな事を考えながら辿り着いた街道を走り始めると、数匹の魔犬と呼ばれる種類の魔獣が現れて俺の道を阻むかのように街道の上をうろつき始める。


「時間が、無いのに、ジャマをするなぁあっ!」


 素早く刀を抜いて威嚇をしながら近づいたが、目の前の魔犬の群れはやる気に満ちているらしく、黒く薄汚れ濁った赤い両目を光らせてこちらに突っ込んでくる。


 魔物と魔獣の違いはあるが、複数戦はメルデでの戦い以外で経験がない、だから自信などこれっぽちもありゃしない、それでも皆が待っている王都の方向にいる以上、ここを避けて通ることは出来ない。


 魔物や魔獣は狡猾でこちらの数が多いと直ぐに逃げるが、相手の数が少なく自分達より格下だと思えば諦める様な真似をしない、よしんば逃げたとしても奴らの足の方が速いから捕まってしまうのは目に見えている。


「うぉおっらああっ!」


 疲労が折り重なり萎えそうな身体に気合を入れ、ここでやるしか無いと腹を括って一気に彼我の距離を詰め、先頭に居る魔犬の喉笛に飛び込むように刀を突き入れてやる。


「ガブォオッ」


 唸りながら飛びかかった所に突きを叩き込んだせいだろう、奇妙な鳴き声を上げて滅びを迎える魔犬の喉に刀は容赦なく滑りこみ、その身を断ち切っていく。


 子鬼の時とよく似た不快感、深く溜まったヘドロに棒を突き立てるような感触を刀を持つ手に覚えたが、それを無視して手首に捻りを入れて刀を水平にし、腰を捻りながらなぎ払うようにして無理やり振り払う。


 次の相手を視界の端で確認をすると、隙だらけになった俺の背に魔犬が飛び込んでくる姿が目に映る。


「グガァアッ」


 殺意を込めて左から突っ込んでくるその影に、俺は左手を振り上げ裏拳で殴り飛ばす様に手甲で対抗する、騎士のように盾があれば盾で防いたり弾き返したりも出来るが、持っていない以上は多少の危険があってもこうするしか無い。


 目の前に見える牙は普通の犬と違い、まるでウツボのような咽頭顎を持っていて喉の奥から飛び出すもう一つの口がある。


 その姿はまるで映画に出てきた地球外生命のような恐ろしさと薄気味悪さを感じるが、山の民の老人が長い年月をかけて鍛え上げた技を信じて思い切り手甲を叩きつけた。


「グブゥッ!」


 硬質な何かが砕ける感触を感じた後に、硬くも柔くもない物にぶつかった奇妙な感覚が手甲を通じて伝わると同時に、何か潰れた鳴き声のような音が耳に届き、飛びかかってきていた魔犬が吹っ飛んでいく。


「どうした犬っころ!人間様の通る道を邪魔しておいて、その程度か!」


 気を抜けば震えそうな足に力を入れ、精一杯虚勢を張って刀を中段で構え牽制する、この構えは確か状況変化に強いと昔どこかで聞いた事があるので、複数戦なら向いているはずだ。


 そんなうろ覚えの聞きかじりでも、全くの考えなしよりはマシだろうと選んだが、この刀の切れ味の恐ろしさを知っている魔犬には効果的だったようで、俺の周りをやり辛そうにうろつき始める。


「どうした!来ないのか!?」


 声を出して威嚇して刀を少し揺らしながら警戒する、揺れる切っ先に気を取られているのか群れの動きが少し鈍くなる。


 暫く俺と魔犬達の膠着状態が続くと、痺れを切らしたのか一番大きな一匹が意を決したように俺へ突っ込んできた。


 魔犬の動きを冷静に判断し飛び込んでくる顎に向けて押しこむように刀を突き出す、刀は俺の思いに応えるように鋭さを未だに失わない刃を滑り込ませるように、魔犬の顎を貫通して深く突き刺さった。


 そうして予想通り汚泥に突っ込むような不快な感触が両手で構えた刀から伝わってくる。


 その何度やっても好きになれそうもない気持ち悪さを何とか腹に抑えこみ、まだ俺を囲むようにして数匹残っている魔犬に隙を見せぬ様、急いで深く突き刺さった刀を引き抜くと生き物なら流れ出るはず筈の血の代わりに粘着質な穢れが飛び散った。


 狩りとは違う生活や喰う為に殺すのとは違う感覚、生き物ですら無い穢れという概念の固まりとの殺し合い、こんな殺伐としたやり取りを俺はいつか慣れる日が来るのだろうか?


 引き戻して構え直す間に頭の中に浮かんだ疑問の終止符を打つ前に、俺一人に三匹を立て続けに殺された事に魔犬達が恐れをなしたのか、残りの数匹は一様に鳴きながら森へと走って逃げていった。


 奴らの姿が森に消えるまで意識を集中させ、緊張が解け今にも疲労で身体がへたり込もうとするのをなんとか抑えこむ、もしそうしてしまえば奴らは戻り襲ってくる。


 弱音を吐く身体に理性と感情で堪え続け、奴らが森へと逃げ隠れ見えなくなるまで警戒し、見えなくってから頭の中で六十を数えた後、残心を崩した。


「なんとか、なっ……」


 口から安堵が漏れそうになった瞬間。膝から崩れ落ちて地面に無様に転がってしまった、今までの異常な緊張に疲労が溢れ、肉体の限界を迎えてしまったのだ。


 戦いの素人である俺が、一回前の今朝からひたすら戦いを繰り返している、気合だけでは厳しい部分がとうとうゆっくりと己の首を絞めてくる。


 頭の中には悪神が蒔いたであろう甘い言葉が泥のように脳内に響いてきた、耳障りの良いささやきが脳内に毒の様に染みこみ広がっていく。


『まだ朝じゃ、よく頑張ったんじゃ少し休んでも間に合うじゃろう』


『貴方はよく頑張ったわ、だから少し休んだほうがいいわ』


『無理して途中で倒れたら大変だよ、まだ先は長いから今は休もうよ』


 悪神達は口を揃えていかにも気遣うような言葉を並べ立てる、その甘い毒で俺が立ち上がれなくる姿を愉しもうとしているのだろう。


 俺は自分を信じて待っている銀糸の少女が見せた泣き顔を思い出す、レーミクは今も俺の助けを待っている、こんな所で止まってなど居られない、彼女を助けられるのは俺だけだ!


「悪神がッ……、人を、人間を舐めるなぁあああ!」


 一度受け入れれば折れてしまうだろう、誘惑。


 その悪意の囁きを気合を込め断ち切るように吠え俺は再び立ち上がり、心の炎で魔犬が残した残滓を浄化して、もう無理だと震えて訴える足で、先程よりも更に遅い速度で走り出す。


 もはや体力の限界などとっくの昔に超えている、気力だけで動かす身体は中々言う事を聞かず、俺は何度も何度も躓いて鎧に新しい傷を増やし、自身も色々な部分を打ち付け、傷や痣を作ってまた立ち上がり走り出す。


 そうして立ち上がって進む度にどんどん速度は落ちていき、何時しか歩くのと変わらない程度まで速度は落ち込んでいく、時間が経てば経つほど全身に痛みを覚え、鎧に遮られた熱が中に篭って動き辛さが増して、焦燥だけが募っていく。


 こんな事では間に合わないと焦りながら、なにか手が無いかと祈るように辺りを見回す俺の後ろから、優しげな爽やかな風が吹き抜けていった。


 自らを優しく体を労るように撫で、疲労に塗れて汗水漬くの身体と鎧に篭った熱を冷ましてくれた風が吹き抜けた方向に視線を向ける。


 そこには街道に接続する小道から出てくる一匹の動物が居た、この世界で一般的な家畜であり牛の角を無くして毛深くしたような動物が荷車を引いている姿があった。


 あれは確かパウという主に草原の民に愛されている動物だったはずだ。


 人によく懐いて賢い穏やかな性格が好まれ、身体も丈夫で長い毛は織物に使え力も強いし竜程ではないが足もそれなりに早い、そんな牛と羊の良い所取りのような動物なのだと、ロドルガが大精霊樹に至る旅の途中に教えてくれたのを思い出した。


 乳も取れるが飲用にするには塩味が強く、もっぱらチーズやバターなどの加工品に使っているらしい、少し癖があるが酒の肴にはもってこいの逸品だと笑っていた。


 彼の家はこの動物を育てる畜産を家業としていて、騎士に憧れる彼は幼い頃はパウの背に乗って遊んだりもしたそうだ。


 もしかしたらこれは彼の導きなのかもしれない、俺はそう考えて、そのパウが引く荷車に乗っている老人に声を掛けることにした。


「そこのご老人!私に少し時間を下さい、私は訳あって王都にどうしても向かわねばならない理由で街道を進んでいます、もしよけれ荷台の端でいいので乗せて頂けないでしょうか?」


 俺がこのまま走るよりはあの車に乗せててもらった方が絶対に早い、王都の近くまで行けば王都近隣の高官や貴族には俺の顔見世は済んでいる、王都に近づけば上手くいけば話が通じる者も居るかもしれない。


 俺の声が聞こえた老人はゆっくりと荷車の速度を落とし停車する、彼の元へ残っている力を振り絞り荷台の横へたどり着く、彼は白い眉を引き上げて驚きの表情でこちらを見ている。


「なんとぉ?!一体どうなさったんだ騎士様!」


 どうやら俺の事を王国の騎士だと思っているのだろう、確かに着せてもらった戦装束は王国の意匠を汲んでいるので、この老人が騎士と誤解しても仕方が無いだろう。


「私は騎士ではないのですが王都と王城にどうしても向かわなければならない理由があります……、理由を語ると貴方に良からぬ災いがあるかもしれない、そんな厄介者だが、どうか助けて頂けないでしょうか?」


 俺と一緒に居る事、それは時として呪持ちとの戦いに巻き込む可能性を孕む、そして理由を話せば下手をすると悪神に目を付けられるかもしれないので詳しく理由を話せない。


 こうなると俺は誰がどう見ても怪しい男だ、この老人に見捨てられても仕方ない。


 だがこうして関わってしまう以上は降りかかる災いを少しでも減らしておきたい、そうしなければ深淵の魔の手が這いより、目の前の無辜の老人を殺してしまうかもしれない。


 そんな理由を言わない俺の目をじっと見つめ、老人は黙ったまま顎鬚を暫く弄る、そうして十秒程経った頃に、深く納得したように口を開く。


「ふむぅ……、そんな痛ましい姿で徒歩(かち)とは何ぞ事情がお有りのようですな、なーに、どうせ老い先短い年寄り遠慮はいらんです、汚い荷車ですがどうぞお乗り下せぇ!」


 どうやら俺が理由を隠す意味が自分の為であると感じたのだろう、そして俺の後ろに危険が在ることも理解した上で、彼は乗れと言ってくれたのだ。


「ありがとう御座います、本当に有難うございます!」


 何も持たない今の俺にはこんな在り来りな言葉でしか、老人の思いと言葉に報いることが出来ない。


「なーに、今はどうせ空荷ですんで、王都に着くまでは何も載せる予定が無ぇんです、乗り心地はお世辞にも良ぇと言えんですが、せめて荷台でお体を休めてくだせぇ」


 日に焼けひび割れのような深い皺が刻まれた顔を破顔させ、彼は俺に荷台を勧め体を気遣い休むように言ってくれた、その申し出は本当に有難い、今のまま進んでも戦うことすら出来ずに呪に負けてしまっていただろう。


「ご老人のお気持ちに痛み入ります、私の名前はシュウゴと申します、不躾な願いを聞き入れて下さった事に感謝します、王都までお世話になります」


 彼の思いにせめて名前くらいは名乗っておきたいと、感謝とともに巻き込まれないように稀人とはいえないが、せめて名前くらいはと思い名を告げた。


「なぁに!こんな汚ねえ荷車とジジィが稀人様お役に立てるんでさ、これでわたしゃ死んだとしても親より先に逝きやがった親不孝な息子に、こんなワシでもあの世で稀人様のお役に立てたと自慢出来まさぁ!」


 俺は彼の言葉に驚いた、この老人は俺が稀人であり、呪持ちとの戦いの途中であると理解した上で、巻き込まれることを覚悟して乗れと言ってくれたのだ。


 彼は荷車を降りてロクに動けなくなっていた俺に手を貸して、荷台に乗せようとしてくれる。


 戦う術を持たない無辜の老人が、己に命を掛けてもいいと言ってくれる言葉に頭が下がり、どうしてこんなにもこの世界の人達は献身的なのだと溢れる感謝に目頭が熱くなる。


 気遣いの溢れる老人の行動に、深く感謝の篭った言葉が自然と口から溢れ出た。


「貴方の勇気と心意気確かに受け取りました、その献身に感謝します……」

 

「時間が無いんでございましょ?だったら急がにゃならんでしょう!お礼は無事にあっちに着いてからで十分でさぁ、さぁさぁ、早く乗ってくだせぇ」


 荷車を降りて荷台に俺を押しこむようにして乗せてくれ、パウの引く荷台の荷物になった俺の頬を、老人との出会いを与えてくれた時と同じように優しく爽やかな風が撫でていった。

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