第六話 科学の答えと祖父の言葉
俺の心の中に、言いようのない焦燥感と混乱が波紋の様に広がり、己の存在自体が霞んでしまうような不安を覚えていると、ゲンゾンさんは見慣れた背負かばんを持ってきた。
「あ~、すまんが服は色々と汚れたり破れたりしたんで片付けたんだ……、でも持ち物の方はしっかり持ってきたんで、悪いがこいつで勘弁してもらえるか?」
不安のせいで顔がこわばっている俺を気遣ってか、気のいい男の逞しい腕は、どこか遠慮気味に荷物を手渡してくる。
「ええ……、大丈夫です……」
俺は逸る気持ちを抑えながら、かばんの中にある仕事用の携帯、通話メインで使用している携帯を取り出した。
「こっちは圏外か……」
俺が大怪我する事故で壊れてない丈夫さは、旧来型の強みだと思う。だが、残念ながらその液晶は電波圏外を表示していたので、続いてスマホを手に取る。こちらも丈夫さを売りにする機種だったので、大した破損も無いようで無事だったが、その画面も旧来型と同じく圏外を表示していた。
胸の中に焦燥感と共に、絶対に否定したい思いが湧いてくるが、これだけでは機械的な故障かもしれないと必死に気持ちを抑える。
『落ち着け、まだココが異世界であると決まった訳じゃない……』
心の中で自分に言い聞かせ、俺は震えの止まらない指先を何とか動かして、どうにか二台の携帯に入っている地図アプリを起動した。
GPSなら衛星に依存しているから通信環境に左右されないと聞いた、これなら少なくとも最低でも現在地は分かるはず。
「なぜだ……、なぜ現在地が表示されない?」
そんな俺の考えを嘲笑うかのように、地図アプリは現在地を表示できないと淡々とした文章でで伝えてきた。
この状況が指し示す事実、普段室内でも問題なく使えていたアプリが、衛星電波を受信できない場所にいると言っている。
理論上地球上の全ての地表で受けることができる筈のGPS衛星の電波が、ここには全く存在しない、それは日本はおろか地球ですら無い「どこか」であるという、非現実的で否定したかった事実を物語っている。
「うそだろう……?なんなんだよ、どういうことだ?ここはどこなんだよっ!?」
二台の携帯電話が指し示した異常な事実を目の前にして、自身が今まで抱えていた不安に耐え切れず感情が爆発しそうになるのを必死で抑えこむ。
「何なんだよ……、訳がわからないよ……、誰でもいいから教えてくれよ……」
次の瞬間、頭の中の冷静な部分が目の前の事実を受け入れ、俺はただ呆然した、そんな俺を気遣うようにゲンゾンさんがゆっくりと話す。
「おい、落ち着けっ、ここはガランデール王国のメルデっていう国境沿いの村だ」
ゲンゾンさんの口から聞こえた聞き覚えの無い国名と村名、二台の携帯電話が表示する情報、全てが異なる世界へ足を踏み入れた事を示している。
「さっきので何があったか分からんが、取り敢えず落ち着くんだ」
ゲンゾンさんが俺の肩に手を当てて語る言葉が何処か遠くに聞こえ、彼の言葉一つ一つが、自身が帰り方すら分からない世界に足を踏み入れてしまった、愚かな異邦人であると事実を突き付ける。
「ねえ、シュウゴ?どうしたの?何か大変なことになったの?」
ロリーエの声も遠く響いてくる、頭と絶望感で打ちひしがれた心では、これからどうすればいいのか考える事しか出来ない。
「申し訳ないですが……、少しだけ一人にして下さい……、落ち着いたら声を掛けますから……」
取り乱しそうになりながら震える声で、一人にして欲しいと二人にお願いした、ゲンゾンさんとロリーエには悪いが、とてもまともに話せる状態ではなかった。
「解った、後で声を掛けてくれ、なんと言えばいいかわからんが短気な事するなよ?」
「ゆっくりでいいから、落ち着いてね、何かあったら遠慮なんてしないで言ってね?」
俺を気遣う言葉を言い残した二人が部屋から出て行く姿を見送って、少しでも落ち着こうと携帯に目を向ける、だがやはり先ほど変わらない情報を伝えるだけだった。
無理矢理にでも落ち付くために深い呼吸を繰り返していると、少しだけ落ち着いてきて冷静になってくる、今は動く時だと、ここで立ち止まると何かが折れて俺は動けなくなると、脅迫めいた感情を感じる。
「このまま混乱しているだけでは駄目だ、少しずつでいいからこれから何をするべきか考えるんだ、お前は生きている、生きているなら考えろ、止まっては駄目だ、動けなくるぞ!」
今は動かないと何かが折れて立ち止まってしまう、一度立ち止まってしまえば俺は二度と動くことが出来くなるかもしれないと絶望感が胸の中に渦巻いている、恐怖に打ち勝つために、声にして自らに言い聞かせる。
今は考える事をやめてはいけないのに、それなのに落ち着いても状況を全く飲み込めない状況、もし、質の悪い冗談なのだとしたら、早く誰かにネタばらしをして欲しいと思ってしまう。
俺はこれからどうすればいいんだ?!こんなことを嘆いても、きっと誰も応えてくれないと解っていても嘆きたくなって叫びたくなる。
現状のせめてもの救いは二人が俺に対して好意的であり、なぜか解らないが言葉が通じて攻撃的でない事だろう。
往々にして文化の違いは時として争いや迫害の元になる、だからまったくの異文化と信頼関係を築くのはかなり難しい、身近な所では宗教問題辺りが根が深いものだ、何世紀も人々が闘いを止める事が出来ない事実が証拠と言える。
日本に居るとそういう事はあまり考えずに居られるが、国が違うだけで争ったり憎んだりする事実は、テレビのニュースを見るか新聞でも読めばどんなに嫌でも誰でも分かるはずだ。
それでも、争いの頂点である出来事、この世の地獄のような戦争に行った祖父はこういっていた。
『言葉の通じない現地の人と友誼を交わすのは確かに大変だった、それでも同じ飯を食って、一緒に働いて汗を流して、皆で歌を歌って笑いあい、輪になって酒を飲んで、お互い拙くも語り合って、人として礼を尽くして分かり合おうとしろ、そうすりゃぁ同じ人間だ、よっぽどのことがなきゃ情も湧くし、互いに分かり合えるってもんだよ』
笑って話してくれた祖父を、彼の言葉を思い出した。
祖父の語ってくれたと比べれば、俺は彼らに言葉が通じる上に気を掛けてもらえて、今はこうして心配までしてもらえる、ここまで人として礼を尽くしてくれる、だから良い状況だと素直に思えた。
源泉には祖父の言葉は不思議と力が有って、人として尊敬できる人であった祖父の思い出して、少しだけ落ち着く事が出来た。
だからこそ今すべき事、出来る事を考えていこうと前向きな気持ちを持てた。
「じいちゃん、ありがとう、俺はもう少し頑張れそうだよ……」
自然と亡き祖父への感謝の言葉が口から溢れる、祖父の言葉は俺が人生に迷いそうな時、いつも俺を助けてくれる、彼の魂を受け継ぐものとして胸を張って生きいかなければと改めて感じる。
まずは最初の行動を考える、それは自分の状態の確認と現状の情報の収集、自分の立ち位置の確認、そして可能であれば日本に帰る方法を見つけて帰ることだ。
方針が決まったので体調を確認する為体を動かす、上半身は動くが右手には添え木がされており、下半身はまだ痛みで言う事を聞かないようだ、首はむち打ちなどになっていないと思うが動かすとやはり痛い。
布団を捲って下半身の状態も確認する、両足共にあるが添え木がされていた。
太ももには右に何かが貫通したような跡と、左足は横に繋がったような傷跡が残っているが、血が滲んでいるような生傷はなかった、現状は五体満足とまではいかないが、少なくとも四肢欠損と言う程ひどい状況でない事に一先ず安心する。
身体が満足に動かないとこれから先の行動が出来なくなる、まぁ車に轢かれて崖から落ちた事を考えれば、この状況は上等な部類に入ると思う。
いくらゲンゾンさんやロリーエが良心的だったとしても、赤の他人の面倒をずっと見てくれるとは考えられない。
そんなのは誰だって同じだし、それが普通でそんな赤の他人の面倒を無償でずっと見るというなら、はっきり言ってその人は異常だと思う。
それでもこの傷が治るまで、せめて身体が動かせるようになるまで助けて貰えるようにしなければならない事は事実だ。
その掛ける迷惑に対しては、俺の現状では世界が違うので出せる対価が何もない、せめて治った後の労働で賄えたらいいのだが……。
次に、情報の収集と立ち位置に関して考えてみる。
まずは二人と話すべきだとは思うが、他の人間とも話してみるべきだろう、彼らの話では貴族や神職、学者が身分が高いように話していた。
身分が高いというのはそれだけ情報も多く集まるし、出来ればそういう人とも話して情報を得ないと立ち位置も決まらないだろうが、その考えは同時に今よりもはるかに危険度は高いだろう。
第一の危険は国境沿いという事を加味した不法滞在による拘束。
第二に異なる世界から来た事が異端であると判断された場合は処刑もあり得る、三つ目は違う世界から来た存在として学術的に解剖された宇宙人みたいに標本される可能性がある点だ。
ゲンゾンさんは国境沿いの村と言っていた、なのでおそらく大きな政府組織はないとは思うがこの状態を考えれば、どの道拘束された場合はまず逃げることは不可能なので助からない。
もしそうなれば処刑か、実験に使われる未来しかない。
それでもあるかどうか分かりもしないリスクを恐れていたら、この先を考える為の情報は集まらないだろう。
まずは俺の身体を治してくれたという神職の人に話を聞くべきかもしれない、勿論人となりや彼らの宗教観を二人から確認してからの方がいいだろう。
最後に日本に帰る方法だが、これは正直全く想像がつかない。
子供の頃に聞いた鎮守の森の昔話を思い出しても、神隠しに遭って帰ってきたという話は聞いたことがない。
俺がすべての昔話をを聞いたことがないと仮定したとしても、もし帰ってきた人がいるなら一つくらいは聞いてもおかしくはない。
近所に住む子供達はみんな親や祖父母そして近隣の大人から、幼い頃から何度も色んな話で言われるのだ。
『あの森は不用意に近づくと神隠しに遭う、すると二度と戻ってこれなくなる、だから近づいてはならない』
そう、幼い内に二度と帰ってこないと何度も教えられる、だから村の人々は決まった方法で、定められた所、決まった日に入ること以外は絶対に誰もしないのだ。
この話を考えていて思い出したが、祖父の子供の頃でも迷子になった年下の子を探す為に森に入った大人が帰ってこなかったそうだ。
もしかすると遭難かも知れないが、話ではかなり腕の良い猟師だったそうなので迷う事はないだろう、迷っても帰れるはずだと言っていた。
こうして積み上げた情報を考えると、やはり帰還は絶望的かもしれない。でももしかするとこちらに馴染んで、彼らは自らの意志で残ったのかもしれない。
さっきの戦争の話でも祖父の話では実際に戦後引き上げになった時に現地の人々の為に残ったり、何人か現地で結婚して残留を希望した人もいたと言っていたので、そういうこともあるかもしれない。
今は希望を捨てない事を目標にしよう。
確実に帰れないと決まった時は腹をくくるしかないが、幸いと言って良いかは分からないけど、少なくとも俺の家族はもう居ない。
心残りがあるとすれば、今までお世話になった方々に不義理になってしまう事、家族の墓を守れない事、最後は急に居なくなって仕事の取引先に迷惑がかかるのが心苦しい。
出来れば人に迷惑を掛けてしまうので避けたいが、現状を考えると覚悟をするべきだろう。
俺が全ての方針が決まって二人に声をかけると決めた時は、すでに日が傾き西日が部屋に差し始めたのか黄色い光に包まれていた。
周護さんはGPSと言っていますが、携帯のアプリは周辺の通信電波に依存しています、これは機械に疎い彼の誤解のシーンであると注釈を入れておきます。




