第十一話 森を抜ける
森に入った時よりも一人少ない事に寂しさを感じながら、俺は森竜の背に跨る。今から四人と三匹で森の外へ向かう旅をするのだ。
そんな俺たちを見送るため、ニュルヘスノの民が集まってくれた、その中にはヘスノの姿はない、この森を支える彼女は動く事は叶わない、それでも交わした約束は俺の胸にある。
「ヘスノが連絡してくれたから森の外に騎士団が迎えに来てくれるのだったね?遅くなるのはダメだろう」
「遅れる、ダメ、早く行こう」
俺の前に乗るエレレファは抑揚のない声で俺に語る、きっとニュルヘスノの代表として森を出る事に対して緊張と戸惑いがあるのだろう。
「エレレファ、大丈夫?」
エミミフィは少し心配そうに声をかける、末の妹の気配が可怪しい事に気が付いているのだろう、そんな気遣いを感じてか、エレレファは笑顔で答える。
「大丈夫、シュウゴ様一緒、私怖くない」
「ああ、俺は君と一緒だ、ヘスノにも頼まれたからね、ちゃんと責任持って大事にするよ」
そう、俺はへスノからこの子を託されたのだ、一族の娘が精霊樹で夢を見る為、そして彼女達の未来を繋ぐ為、俺はその責任を背負うのだ。
「でも、少し寂しい……」
今まで皆で寄り添っていたのだ、ただ一人、大精霊樹の元を離れ巣立つのは俺達が故郷から離れる以上の意味が彼女にはあるのだ。
それは呪から守ってくれていた存在と決別し、何時その身を呪に食い破らるとも知れない旅に出る死出の旅路とも言えるだろう。
エレレファを抱き締める、俺に今できる事はこれくらいしか無い、この旅路への決心は彼女自身が決めるべき事なのだ、誰からも強制や強要されるべきではない。
「私、シュウゴ様信じる、それにシュウゴ様、いっぱい無理する、だから私支える」
抱きしめた俺の手をエレレファがそっと握りしめる、まるで自らに与えられた特別な宝物を慈しむように両手で包み込む。
「私側に居る、シュウゴ様と、ずっと一緒……」
前にいる彼女の表情は俺にはうかがい知ることは出来ないが、その声には決意の色が感じられた、俺はそれを支える為に言葉を掛ける。
「俺はエレレファを離したりはしない、ずっと一緒だ」
「だから、もう大丈夫、ヘスノ様、行ってきます……」
自らの母で、神になったヘスノからの巣立ち、母に抱かれた幼子が自らの足で立ち上がり、新たな世界へ巣立つ瞬間だ。
精霊達も、ニュルへスノに住まう全ての姉達も、エレレファの決意を祝福する様に優しい感情でその旅立ちを包み込み、子を想う母の暖かな声が聞こえる。
『行ってらっしゃいエレレファ、貴方の決意と旅立ちを母は嬉しく思います、貴方に使命を押し付けて御免なさいね……』
「違う、これは、私の決めた事、だから誰も悪くない」
抱かれることしか知らなかった少女は、母の言葉に明るく返す、それは彼女なりの精一杯の恩返しで少女から一人の女への成長でもある。
「だから、見守ってて、お母さん……」
彼女の声が涙に濡れた、俺は世界の為にエレレファの決意を利用する悪い大人でしか無い。
だから今は何も言ってはいけない、俺は世界を変えねばならない、その責任を彼女の決意の全てを抱きしめなければならない。
『ありがとう……、貴女の旅路に沢山の幸せと出会いがある様にここから見守り、そして願っています……、行ってらっしゃいエレレファ』
「行ってきます、ヘスノ様、私、幸せになるよ、シュウゴ様の側で……」
親子の別れ、俺は彼女の人生をこれから良い物にする義務を背負う、エレレファは同時に俺が呪に負けて世界を救えなかった時の保険でもある。
ヘスノも俺もこの戦いを最後にしたいと思っているが、敵は世界すら簡単に滅ぼすことが出来る強大な意思の集合体、勝てない確率の方が遥かに大きい事を理解している。
だから、俺が志半ばで倒れることがあっても、少なくとも彼女達を道連れにしないよう、エレレファ一人を犠牲にするのだ。
こんな嫌な計算の答しか出せなかった俺は、無垢に慕ってくれたエレレファを幸せにする義務がある。
『周護さん娘をお願いします、そして貴方の征く道は常に私とあります、それを忘れないで下さい、貴方に娘を押し付けたのは私なのですから……』
俺だけに聞こえるように、へスノが語りかけて来た、彼女はこの決断にも苦悩があったのだろう、エレレファを連れて行くことに関しては、確かにへスノから言われた事だが、決めたのは俺自身だ。
だから心の中で彼女に言葉を返す。
俺は世界の為にエレレファを利用する悪い大人だと、そして、こんな答しか出せない愚かな大人は、彼女達に精一杯幸せな世界を作る義務があるはずだと。
『いえ……、一族の為に末娘を使ってきたのは私です、今度は泡沫の夢ではない本当の夢のある未来の為に戦います、貴方と共に……』
旅立ちの決意を固めた少女と世界を救う覚悟をした大人、多くを共有する未来を互いに見据え、俺達の新しい旅路が始まる。
「皆ありがとう、大精霊樹の森が健やかなる事を願っているよ」
見送りの人々に俺が声を掛けると、三匹の森竜はゆっくりと森の外へ頭を向ける、少女は大きく手を振ってこの森の全てに別れを告げる。
「みんな、ヘスノ様、行ってきます!」
こうして背を向けた大精霊樹に別れを告げて、俺達は来た時と同じ三日を掛けて森の外に出ると、見覚えのある鬣のような赤髭を蓄えた騎士が率いる屈強な男達が出迎えてくれた。
「ははは、お久しぶりですなシュウゴ様!このガルムンズ、お待ちしておりましたぞ!」
俺には遥か昔のように感じるが彼にとっては半月ほど前の話である、彼は別れた時と同じように、武人らしいカラッとした態度で俺達を出迎えた。
「ああ、久しぶりだなガルムンズ、また会えて嬉しいよ」
俺は森竜の背から降り近寄ってガルムンズの手を握ると、前はさんざん俺に英雄らしくなれと小言を言っていた彼が少し驚いたような顔をする。
「どうやら、随分と英雄として成長なされたご様子、このガルムンズ、御身が纏われる空気は英雄の物と感じました」
確かに森に入る前後で俺は自分の有り様を変えてしまった、だが願いや想いの先は何も変わっていない。
ただ、自らに足らなかった事を大精霊樹の森で見つけたに過ぎない、いやヘスノや眠りに就いていた娘とエススニャに教えてもらったのだ。
「お前にそう言ってもらえるなら、俺は少しは英雄らしくなったと思うよガルムンズ」
ガルムンズの答に笑いかける、彼には森に入る前に随分色々と薫陶を受けた、その中の一つが英雄は全ての人々に希望を与える事だ。
彼に出会ったばかりの頃、英雄としての道を歩む事すら出来ていなかったのだろう、そして自分の過去にばかり固執していたのかもしれない、これから多くの絶望を知るだろう、だが過去ばかりを見てはいけない。
大精霊樹の森で絶望や後悔は背負って生きるものだと理解できた、それは源蔵さんの手記にも書いてあった、俺は文字から彼の意図を読めていなかったのだ。
源蔵さんは英雄としての生涯で夥しい数の絶望を抱えて、それでも尚必死に生を全うしたのだ、そして後に来る俺に僅かでも希望を残そうとしてくれたのだ。
その事を思えば、俺はまだ何も成していないとしか言えない、だからこそここから始める、一からでも零ですら無い絶望からの始まりを踏み出すと決めた。
「だが俺はまだ未熟だ、お前たちの力を貸してくれ、俺は世界を救う為になんだって利用するし何でもやる気だ」
例えこの決断で命を犠牲にする事になっても、自らが恨まれる事になったとしても、俺は成し遂げたい、世界を救い皆が笑えるような世界を作りたい。
「ははははは、素晴らしい!それこそ英雄の考えですぞ!我等は座して世界が滅ぶ事を是としては居ないのです、その使命に命を懸ける方を尊びこそすれ恨むような者は軍人にはおりません、精々使い潰して下されば良いのです」
覚悟の違いはレーミクにも言われた、この世界の人々は愛する者の未来の為に戦う事を厭わない。
「ありがとうガルムンズ、だが俺は、それでも皆に生きて新しい世界を作って欲しいと思っている、だから無闇に死ぬなと言っておくよ」
「これは又、難しい事をおっしゃりますな!ですがシュウゴ様のお下知とあらば、このガルムンズ、必ずそうしましょう!」
俺達の言葉を聞いて中隊の面々も大きな歓声を上げる、彼らの慎ましく願う幸せと希望の溢れる未来を叶えたいと、改めて思う。
「シュウゴ様、エミミフィとエシシヒャ、お別れ」
そんな大歓声の中で俺の袖をエレレファが引く、二人との別れが気になるのであろう、俺に遠慮がちに言ってくる。
「ああ、解っているよ、二人にもちゃんとお別れを言わなきゃいけないね」
俺はゆっくりと二人の方へ向かい、別れの言葉を掛ける。
「エミミフィ、君の元気な姿はとても好ましいと俺は思う、今まで一緒に居てくれてありがとう、次に会う時も元気で居て欲しい」
元気なエミミフィの肩に手を当てて言葉を掛ける、彼女は嬉しそうに笑って俺に応える。
「私も、会えて嬉しかった、また会おう!」
その横にいるエシシヒャの手を握り語りかける、この半月程の生活の中で主に調理を担当したのは彼女だった。
「エシシヒャ、ここまでありがとう、君の料理はとても美味かったよ、あの野鳥の料理をまたいつか俺に食わしてくれ」
「はい、また来て、私、料理沢山作る」
褒められて嬉しそうにする二人を纏めて抱き締める、そして感謝の思いを言葉にする。
「君たちに出会えてよかった、本当に今までありがとう、この森から俺が成す事を見守っていてくれ」
俺の言葉に二人は言葉ではなく、優しく抱き返してくれた、俺の胸に少しだけ涙を落とす言葉の無いお別れの挨拶。
俺は彼女達と離れてから、もう一匹の仲間に別れを言う為にエレレファの森竜の側に寄る、彼は森に生きる者であり平地には居られない、だからここでお別れをせねばならない。
「お前にも随分世話になったね、俺を乗せてくれて有難うな、お前も健やかに森で生きてくれ」
森竜の首を優しく撫でながら話しかけると、彼は顔を俺の胸に擦り寄せてきた、これは森竜にとっては親愛の証だとエレレファが語っていたのを思い出す、彼は俺に心を許してくれたのだろう。
二人に別れを告げたエレレファが俺の側に寄ってくる、自らが今までの人生の多くを共にした森竜との別れを告げに来たのだ
「今まで……、ありがとう。お前も元気で……」
俺達の隣にエレレファが立ち自分の竜の首を優しく撫でる、撫でられた竜が一声だけ寂しそうに嘶き、エレレファの胸に擦り寄る。
「私も、寂しい、だけど、ここでお別れ……」
ずっと彼女達は一緒だったのだ、間にある信頼と共生の日々に、俺は立ち入る事は出来ないし、立ち入るべきではない。
しばらくすると森竜がエレレファから離れて、ゆっくりと彼女に背を向け森の方を向く、彼の背中にエレレファが精一杯の声で最後の言葉を投げかけた。
「今までありがとう!私絶対、幸せになる!だから、お前も幸せになる!」
エレレファが心から叫ぶと、森竜は返礼の様に嬉しそうな声で高らかに啼く、彼の美しい嘶きは森に響き渡るように広がってゆく、それは少女の旅立ちへの彼の心からの祝辞となる。
その声をより響かせる様、少し音程を変えて二匹の竜も同じように嘶きを始め、地竜達もそれに合わせるようにゆっくりとした声で嘶いて、一人の少女の旅立ちを祝福する。
「ありがとう……、本当に、ありがとう……」
彼らの気持ちが痛いほど解かるのだろう、エレレファが涙を溢れさせて俺の胸に飛び込んできた。
先ほど俺に彼が頭をすり寄せたのは、エレレファを任せるという意味があったのだろうと思っている、彼が今まで守ってきた少女を託されたのだ。
「エレレファ……、旅のお別れというのは泣いてしまうものだけど、それでも涙を拭かないといけないんだよ?そうじゃないと別れる者の顔がちゃんと見れないからね」
そう言って彼女の緑の瞳から溢れる涙を優しく拭ってしまう、彼の姿を目に焼き付けて欲しいと願うのは俺の傲慢なのかもしれない。
だが、別れの姿を見ないで別れた事を後悔する日が来るかもしれない、俺達の身には何が起こるか分からないのだ、だからこそ今を大切にするべきだと俺は思う。
「うん……、分かった、皆を見る……」
気丈にエレレファは顔を上げて森竜の背中を見守る、見送られた側から見送る側へ、互いにそうなって思いやる別れの時は、森が彼らの姿を隠して俺達に見えなくなるまで続いた。
「いこう!シュウゴ様、私、前を向く!」
生まれた森に背を向けたエレレファの晴れやかな声を上げた、その声を聞いて俺も応える。
「ああ、行こうか、ガルムンズが俺たちを待っているよ」
エレレファの肩を抱いて、俺達二人は中隊の方へ向かう。
「もういいのですかな?時間の方はお気になさるような事はありませぬぞ?」
ガルムンズはエレレファに気遣う様に語りかける、彼は戦いに向かう別れの辛さを深く理解しているがゆえに、初めてその決断をした少女の意思を尊重する。
「大丈夫!みんな一緒、私のここに居る」
エレレファがその小さな胸を叩き、戦士としても一人の女としても、そこにあるものが全てだと胸を張る。
その姿は、物語に出てくる精霊のように美しく誇り高い戦乙女、中隊の皆も彼女の決意に見惚れている。
作り物の様だと思っていた少女が、今ここで血の通った美しい女性に羽化する瞬間を彼らは見たのだ。
俺もエレレファの決意に恥ない様、精一杯一緒に生きていきたいと素直に思った、義務からではなく己の願望としてそう思った。
「よし、みんな行こう!王都に戻るぞ!ガルムンズ、支度を頼む!」
意識を切り替えガルムンズに声を掛ける、ガルムンズは低く通る声で返してくる。
「分かりました、総員!出立準備は出てきているか!」
ガルムンズが中隊に声をかけると一斉に返事をする中隊員、異口同音というのにぴったりの返答であった。
「準備万端です!いつでも出立できます!」
「結構!総員、警護陣形に移行せよ」
ガルムンズは満足するように頷いて手を挙げると、中隊全員が動き出すその動きは来る時にも見たがやはり洗練された練度の高いものだと思う。
「ではシュウゴ様まいりましょう、お二人は竜車にどうぞ」
その言葉を聞いて俺達は竜車に乗り込んだ、一人では広すぎて落ち着かなかった箱の中も、二人になった事でその広さを持て余さずに済みそうだと思う、王都に戻ればロリーエとレーミクの二人が合流するので手狭になるかもしれない。
「シュウゴ様、そっち、座っていい?」
「ああ、おいで、これからの事を色々話そう」
きっとまだ寂しいのだろう、覚悟を決めたといっても十四歳の少女、旅立ちを支えるのは大人だ、少しずつ彼女が大きくなる姿を母であるヘスノが大精霊樹の森から見守って、側で支えるのは俺の役目だ。
こうして俺の大精霊樹での長い半月ほどの日々は終わりを告げた、そしてこの神とその娘達の住まう森で知った事実を胸に焼き付けて、ロリーエとレーミクの待つ神宮を目指すのであった。




