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第四話 名前と感謝の言葉

 ゆっくり戸が開く音が耳に届いたのを感じると、次に微かな甘い香りが優しく鼻をくすぐり、俺は少しずつ意識を覚醒させられる。


 胡乱だ意識で瞼に動けと指示をして、朧気な視界が広がると、先程出会った少女が木皿を持って立っていた。


 この甘い匂いから察するに、どうやら牛乳で作ったお粥のようなものを持ってきてくれたのだろう。


 彼女が起こしに来るまで、ぐっすり眠っていたおかげだろうか?全身の痛みは意識を手放す前と変わらないが、熱の方はいくらか収まったように感じる、少しだけ体調が上向いてきたのかもしれない。


「えっと、すまない……、俺は、どの位寝ていたのか、時間を教えてくれないか?」


 別にどうしても時間を知りたいと言うより、少しだけ時間が気なったので彼女に訪ねてみる、どちらかと言えば会話の繋ぐための会話のネタだ。


「わ、びっくりした~。起こす前に起きてたのね!」


 寝ていると思って相手が起きていて、急に声を掛けたのだから驚いたのだろう。


「すまん、脅かす気は無かったんだ、ただ香りに釣られて目が醒めてね……」


「そっか~、昨日からご飯を食べてないからお腹が空いてるのね!」


 いきなり声を掛けた俺の不躾な行動を、彼女は随分と好意的に解釈してくれたらしく、満面の笑みを浮かべてベッドの端まで寄ってくると、手に持っていた木の深皿を置き、横のある椅子にゆっくりと腰を掛けてから、少し考える仕草を見せ始める。


「う~ん……、さっき話をしてからだと、一時間くらい、かな?」


 すぐ側に来た十歳位だろう少女、その小さな身体からは予想外な利発な受け答えは随分としっかり者だという印象を俺に与えた。


「貴方をうちのお父さんが見つけてから、って意味だと、多分一日くらいだとおもうよ?」


 寝起きの頭で、どうやら自分が車に撥ねられてから丸一日寝ていた事をぼんやり受け止め、この意味をゆっくりと考えだす。


「そうか、一日……、一日か……」


 俺は山で何かあるかもしれないと、山で作業する前日には隣の加藤夫婦に山へ行く事を伝えている、昔気質の勝蔵さんはともかくとして、俺の事を本当の孫の様に思ってくれている清子さんは心配性な人だ、俺が夜になっても帰ってこない事で捜索届けを出しても可怪しくない。


「まずい……、偉いことになったぞ……」


 山で行方知らずになった事で、自分の捜索隊が組まれる状況に思いを廻らせ、これは洒落にならない問題だと、別の意味で痛くなる頭を抱えてしまう。


「あのね?色々あると思うけど、ずっと寝ててやっと起きたのよ?まずはちゃんとご飯を食べましょ?」


 人様に迷惑を掛けてしまうと頭を抱える俺に、彼女は顔を寄せ、まるで子供に言い聞かせる様な仕草で話しかけきた。


 その拍子で、綺麗な亜麻色の癖が少ない髪がふわりと揺れた。


「貴方の身体って、今はきっとね、怪我ですごく疲れてると思うの、色んな事を考えちゃうかもしれないけど、今はご飯にしましょう?」


 手を支えられた木皿からは、乳の甘い香りが仄かに漂い、優しく微笑んだ彼女は再び、ゆっくりと俺に語りかけくる。


「今は普通のご飯だと辛いでしょ、だから優しいご飯にしたの」


 自分の作った食事の意味を嬉しそうに言葉を繋ぐ彼女の笑顔は、善性と慈愛に見たもので、俺の焦りを落ち着かせるに十分なものだった。


「私が風邪とか引いて弱ってる時にお父さんが作ってくれるミルク粥よ、すっごく美味しいから沢山食べて元気になってね?」


 彼女の屈託ない笑顔を見ていると、未だ顔どころか名前もしらない、俺を救ってくれた彼女の父親という人物もきっと素晴らしい人なのだろうと確信させられた。


 こうして山で大怪我をした俺を助けてくれた上に、こんなにも立派な娘さんが居るのだから、悪人とは到底遠い人物だろう。


「あ、ああ、まずは動けるようにならないとな……」


「うん、暖かいうちに食べてね!お鍋いっぱい作ったし、おかわりもあるから遠慮なんてしなくていいからね!」


 彼女の言葉に少しだけ落ち着きを取り戻し、俺は目の前に差し出された暖かな食事に目を向けると、なぜだか無性に泣きたくなるような気持ちになっていく。


 祖父が亡くってから独り暮らしの俺には、助けてくれる家族は居らず、倒れても独りで寝こむ事になるから節制してるから、最近は病気を患った事なども無かった。


 幼い頃に母を学生の時に残っていた家族を全員亡くし、彼らが残してくれた遺産を母方の親族に毟られた時に、親類と呼べる存在もも殆ど失ってしまった。


 唯一俺を助けてくれた父方の祖父以外は全て縁を切り、その祖父も数年前に大病を患って亡くなって、もうこの世には完全に身寄りのと呼べる人が居ない。


 彼女が与えてくれる懐かしさと暖かさは、そうして独りで生きると選んだ俺の、荒みきった心へ静かに染ていった。

 

 もし、家族が生きていたなら誰かから今みたいに看病をしてもらえたのだろうか?もし、あのまま普通に生きていれば、誰かと恋愛をして結婚をして普通の家庭を築き、彼女のような娘が生まれて居たのかも知れない。


 今みたいに身体を気遣われるそんな未来があり得たのかもしれないと、詮無い事を考え、なぜだか無性に涙が零れそうになり、俺は慌てて上を向いて掌で顔を覆い隠した。


 いい年したおっさんの情けない姿と心を隠して、ようやく先程言えなかった言葉(かんしゃ)を絞り出す事が出来る、なんと情けない事だろうと思う。

 

「ありがとうっ、見ず知らずの、俺なんかに、こんなに、良くしてくれて、本当に有難うっ……」


 命を救われた感謝と与えられた温もり、胸を締め付ける家族への懐かしさ、その全てが混ざって胸の中で言いようない感情が溢れ、口から漏れたのは震えた声だった。


 それでもなんとか彼女に精一杯のお礼を言えたと思う、おっさんの涙を若い娘さんに見せるのは恥ずかしい、だから涙は絶対零さないよう我慢した。


 こらえたせいで、酷く不器用になってしまった言葉の真意、自らが吐き出したお礼の不出来さで不快にさせていないだろうか?それだけが心配だった。


「えぇ?!私何もしてないよ?貴方を助けたのはお父さんだし、怪我を治したのだって宮司様よ?」


 俺の抱えた心配を他所に予想外だとばかりに驚きの声が返って来た、言われた彼女は両手を振って先程述べた感謝の言葉が自身にとって相応しく無いとばかりに、彼女は早口で捲し立てる様に言葉を重ねる。


「私はただ貴方が目を覚ました時、一人だとびっくりしたり、寂しいかもって思って、側に居ただけだから何にも、してないわ……」


 早口だった言葉は徐々に勢いを無くし、最後は小さく囁く様な声を出して彼女は下を向いてしまう、俺は彼女の顔を曇らせたくない一心で、自分の胸にある感謝の気持ちをもう一度吐き出した。


「それでも俺は、あの時の突然の出来事で不安だった俺の心は、君の言葉と優しさで救われたんだ」


 自らが感じた思いと気持ちを出来るだけ込めて彼女にお礼を言う、あの時の神山周護は彼女の優しさに救われた。


「本当にありがとう、頭を下げる事でしか感謝を表せないのが情けないけど、俺の気持ちが君に伝わってくれると嬉しいと思う」


 今度のお礼は真っ直ぐに彼女のその翡翠の瞳を見つめてきちんと言えた、今伝えた言葉に何一つ嘘はない、彼女の笑顔で俺は確かに救われたのだ。


 痛みで目覚め、肉食獣に喰われてしまうと怯えてた気持ちを溶かしてくれたのだ、俺にとっての救いは間違いなく彼女の柔らかな微笑みだった。


 だから自分の無力に頭を下げて自分を卑下してる彼女は見たくはない、その瞳を涙で曇らせたいとも思っていない。

 

 言葉の一つ一つに、俺の願いを込めて彼女に感謝を伝える、その気持が伝わるように思いを込めてゆっくりと、しっかりとした口調で話したのだ。


「うん……、ありがとう、貴方の気持ちわかったよ、じゃあね?私も貴方を助けてあげれたのなら、私は貴方にもっと元気になって欲しいって思うわ」


 どうやら俺の気持ちは無力さに曇ってしまった優しい少女の心に届き嬉しそうな笑顔を見ることが出来た、自身の言葉が目の前の純真な心を晴れさせる事に成功したのが嬉しかった。


「だからご飯を食べましょ?ミルク粥は暖かい内が美味しいから!」


 やはり彼女にはあんな暗い顔は似合わない、まだ僅かな時間しか彼女と過ごしていないがそれでも俺は彼女の明るい笑顔を好ましいものだと思っている。


「あ、でもまだ身体が辛いでしょ?だから私が食べさせてあげる!はい、あ~んてして?」


 言いながら、木の匙で粥を掬って少し息を吹きかけて冷まし、小首を傾げてこちらを見つめる少女、これはなんというか、気遣いは嬉しいがとても恥ずかしいと感じてしまう。


「ほら、あ~んって早くして?」


 口を開けるようにこちらに言いながら匙を向けてくる、これはなんというか……、この歳になってやられると流石に恥ずかしいと感じてしまう……。


「どうしたの?ちゃんと味見したから美味しいよ?」


 俺が口を開けない事を違う方向に勘違いしたらしい、違うんだ、違うんだよ。


「もしかしてミルク粥は苦手だった?だったら他の物を用意するから、遠慮しないで言ってくれればいいよ?」


 このまま黙っていても仕方ないので、苦笑いを浮かべながらなんとも情けない胸の内を正直に白状した……。


「実は俺はなんというか、君みたいな若い子にこういう風にして貰うのは初めてなんだ」


 こうやって改めて口に出すと、自分が随分と情けなくて馬鹿な事を言っていると再認識してしまう。


「だからその、少し恥ずかしいなぁ、とね……」


 自らの情けなさを自白をしているような状況に余計に恥ずかしくなって、熱を持った顔を掌で隠してし話す、まさに文字通り穴があったら入りたい気分だ……。


「だからミルク粥が苦手とか、そういうことじゃないんだ、君の料理はとても美味しそうだと思っているよ」

 

 隠した顔が熱を持って手のひら熱を感じる、きっと俺の顔は今真っ赤だろうなぁ。

 

「あははははははっ貴方ってかわいいのねっ!じゃあ、私がそんな照れ屋さんに食べさせてあげるね!」


 三十過ぎたおっさんの情けない姿を見て笑いがこみ上げたのであろう、彼女はとうとう可愛い声で笑い出してしまった。


「だから貴方も素直に諦めて口を開けるように!そうじゃないと無理やりグリグリ~って押し込んじゃうからね?」


 彼女がそう言うと、俺を羞恥で苦しめていた匙が再び向かってくる、ああ、もうどうにでもしてくれ!


「はい、あ~んってしてね!」


 笑顔の攻撃に俺の初めては儚く陥落した……、彼女の作った粥の味は胸いっぱいの恥ずかしさで、良く解らなくなりそうだと思ったが、口に広がる仄かな甘さは嫌いではなかった。


「うん……、美味いよ、控えめな甘さでとても優しい味だ、俺はこの味はとても好きだ」


 彼女が作ったミルク粥は、優しくて温かい味だ、思ったことを伝えようと正直に答える、もう恥を掻いたのだ、これ以上の事は無いだろう。


「そう!それならよかったわ!まだまだ沢山あるから、遠慮しないでいっぱい食べてね?」


 彼女は嬉しそうに満面の笑みで応えてくれる、その明るい笑顔は俺の心まで嬉しくさせた。


「ご飯をいっぱい食べて、お父さんが薬師のお婆さんから貰ってくるお薬飲んで、ゆっくり寝ればすぐ元気になるはずよ」


 楽しそうに彼女は言いながら、手は嬉しそうに追撃の匙を休みなく繰り出ていく俺は返事もできずに餌付け状態になってしまう、しばらくそれが続くと何だか瞼が重くなって、少しだけ落ちそうになってしまった。


「あぁ、ご飯食べてお腹がいっぱいになったら眠くなったのね?」


 彼女が俺に追撃を繰り返した結果だろう、腹が温かいもので満たされたら今度はまた眠気がやって来たらしい。


「起きてるのすごく辛そうだし、もうお休みする?お父さんが帰ってきたら起こすから、それまでゆっくり寝てていいよ」


 半分寝かかっている俺に優しく布団をかけてくれる彼女の心遣いはとても嬉しい、だが瞼が力尽きる前にどうしても聞かなければならない事が残っている俺は、なんとか口を開き質問を投げかけた。


「眠る前に一つだけ訊きたい事があるんだ、俺の名前、周護しゅうご神山かみやま 周護しゅうごだ……、君の、名前……、教えて、欲しい……」


 これほど世話になっている恩人の名前も知らず、自分の名前も教えもせずにいた事に今更ながらに気が付いた俺は、殆ど落ちかけの意識で献身的に尽くしてくれる彼女の名前を尋ねた。


「私の名前はロリーエ、ロリーエだよシュウゴ、お休みなさい、またあとでゆっくりお話しましょ?」


 ようやくロリーエの名前を聞けたと満足した俺は、意識のほぼ全てが眠りに落ちる中で、お礼を述べるために口を開いたが、すぐ側に着ている睡魔のせいでしっかり話す事が出来そうもない。


「ロリーエ、本当に、ありが……、とう……」


 殆ど動かない俺の口が、ロリーエに感謝の言葉を伝えられたか不安だった。


 それでも俺は腹に溜まったミルク粥の温もりが誘う眠気に負けてしまい、彼女の返事を確認する余裕もなく再び意識を手放してしまった。

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