第十三話 器量と信仰
震えが止まらず肩を抱いて震えていると、扉が開く音と共にロリーエの声が聞こえてきた。
「ただいま~!シュウゴ~宮司様とお話は終わった~?」
開き戸の先には彼女がいる。彼女が生きてくれている、それだけで先程から感じている言いようのない恐怖が少しだけ収まる、微かに心に火が灯り温もりを感じる。
「どうしたの~?返事がないけど、寝てるの?」
そんな声とともに戸が開いてロリーエの顔を俺の瞳に映す、そうだ俺はまだ失っていないのだ、そんな安堵感が身体の強張りを少しだけ解かしてゆく。
「あれ?なんだか顔色が悪いよ、どうしたの?何処か痛いの?」
心配するロリーエの声、まだ大丈夫だ、だからこんな風に心配させるのは良くないと解っているのに大丈夫だと彼女に声を掛けれない、ただ震える指で傍らに来てくれたロリーエの肩に触れる。
「もしかして震えてる?なにかまた辛いことがあったの?」
ロリーエの優しさに縋るように抱きしめた、目の前に居る彼女が消えて無くならないように、ただ失くさぬように。
「シュウゴ?!急にどうしたの?ねぇ!ちょっと痛いよ……」
不意に彼女の身体に僅かに力が入る、だが直ぐにそれは抜けてしまって彼女の小さな手が俺の背中を優しく撫でる。
「ごめんね、私にはちゃんと分かってあげれないけど、シュウゴはすごい怯えてるのね。貴方はなんだか沢山の事に傷ついてるのは分かってあげられるよ、きっと今日のお話でなにかとっても悲しいことを知っちゃったんだね……」
そう言って優しく抱きしめてくれた、その優しい言葉で俺の思いが口から溢れだした。
「俺にはもう帰る道が無いってわかったんだ、そして、ここで知り合った人も恐ろしいモノによって失うかもしれないと知ったんだ、俺は君をゲンゾンを失いたくない……」
大人ぶった振りも常識も全て投げ捨てて吐き出したかった、情けなくても今は小さな少女に縋ってしまいたかった。
「そっか……、やっぱりシュウゴはもう帰れないんだね……。ごめんね?ホントはね、昨日お父さんから聞いてたの。村にいた前の稀人様も、やっぱり帰ることが出来なかったって……」
そんな風に何も悪くない彼女が悲しそうに謝る、それはきっと俺の為だ、俺の弱さがロリーエにそうさせたのだ。
「シュウゴ、私ね……、この村で生まれてここを出たことは無いけれど、ある日突然、知らない何処かに連れて行かれたら、二度と父さんや村のみんなに会えなくなったら、きっと悲しくて毎日泣いて過ごしちゃうと思うわ……」
そう言いながら彼女の手が、優しく俺の頭を撫で始める。少しくすぐったくてそれでいて温かい。
「だからね、私はシュウゴも泣いてもいいと思う。私がシュウゴを慰めてあげるから、泣いてもいいんだよ?」
ロリーエの温もりが身体を温め、言葉が凍りかけた心を溶かした。俺の溶けた感情は涙になって、そっと溢れだした。
「私達を失うって言ってたけど、私もお父さんも何処にもいかないし貴方を見捨てたりしないよ?私は貴方の味方になるっていったじゃない、だから大丈夫、居なくなったりしないから……」
ロリーエが小さな指でそっと涙を拭ってくれた、この温もりを無くしたくないならば戦うしか無いのだ、未だ人を同胞の日本人を殺める覚悟などは決まらないが、それでも大事な人を守るために戦う覚悟を決めた、俺は彼女を失いたくはない。
「ありがとう……、ロリーエには何時も助けて貰ってばっかりだ」
「ん~ん。どういたしまして!もう涙は止まった?それならご飯の用意をしないとね、もう少ししたらお父さんがお腹をすかして帰ってくると思うわ、シュウゴもお腹空いたでしょ?」
柔らかく微笑むロリーエがゆっくり離れ言葉を繋ぐ。
「辛いことがあったらいつでも相談してね、傷ついた男の人を慰めるのは女の器量だって、お母さんも言ってたわ。だから我慢とか遠慮しないでね?」
そんな事を彼女に言われて急に恥ずかしくなった、俺は一体さっき何をしていたのかと先程の自分を殴りたくなってきた、恥ずかしい後悔をしていると扉の方から声が聞こえる。
「失礼します、宮司のズンケルの指示にて参りました、どなたかいらっしゃいますか?」
すこし張り上げた女性の声、ズンケルさんの名前が出たということは、恐らくは怪我の様子を観てくれるという方だろうか?
「はーい、ちょっと待って下さいね~」
外に向かって大きな声で、言いながら俺の顔を優しく拭うロリーエ。
「やっぱり人と会うなら涙は綺麗に拭わないとね!私は泣いてる男の人は可愛いと思うけど、シュウゴはやっぱり恥ずかしいでしょ?だからじっとしててね?」
そう思うなら言ってはいけないと思うよロリーエ、俺は今自業自得とは言え真っ赤になっていると思う、茹で上がった顔を彼女は一頻り拭うと「よし!」と言って扉まで駆けていく。
その姿を見送って暫くすると、もう一人ロリーエより少し背の高い少女を連れ戻ってきた、見たことない顔だ一体誰だろうと考えていると、あちらから挨拶をしてくる。
「はじめまして、私はメルデ村の社で巫女の位を頂いております、名はレーミクと申します、ズンケルの指示にてシュウゴ様のお怪我の具合を確認に参りました」
彼女は頭を下げた、銀糸の長髪を左右でゆるく纏め、墨染めの簡素な服は女性らしい美しいラインで彩られ、彼女の魅力を引き立てる小道具になっている。
そして美しいが鋭さと気品を感じる顔立ちには妙に緊張した気配を見せている、こっちの世界の年齢に当てはめれば十五、六歳と云うところだろうか?
「はじめまして、私は神山周護と申します。わざわざ来て頂き有り難うございます今日は宜しくお願いします」
レーミクさんの丁寧な挨拶に頭を下げて自身も名前を名乗り来てもらった事の感謝を述べた、すると二人の挨拶が終わったのを見計らっていたロリーエがこちらに声を掛けてくる。
「じゃあ私は御飯作ってくるね!レーミクさんも食べていってくださいね、じゃあシュウゴのことよろしくおねがします」
人が多い事が嬉しいのだろう笑顔で部屋を出て行くロリーエの姿を見送ると、レーミクさんと二人きりでなんとも言えない沈黙の空気が漂い始める、暫くそれが続くと意を決したよう彼女は口を開く。
「ズンケルはシュウゴ様を稀人様だと申しておりましたが、本当でしょうか?」
いきなり様付けで呼ばれる、シュウゴ様なんて、今まで商売関係の電話か銀行なんかの待合の呼び出し位しか言われたこと無いぞ、そんな滅多に言われない言われ方をして俺は自然と身構えてしまう。
「私は幼い頃から稀人様にお仕えするよう、大社で教育と使命を授かっていました」
彼女が語りだした発言が全く理解できない、仕えるというのは従業員的な意味だろうか?忙しい時期に近隣の学生を雇ったことはあるが流石に違うだろう。
そんなほぼ一人親方の経験しか無い俺に、彼女のような少女が雇用を求められても正直持て余してしまう……。
「あの、すいません、あまり詳しいことがわからないし、自分が稀人であると言うことすら半信半疑の有り様で、その上でレーミクさんが今言われたことも全くもって理解できないです……」
そう、いきなり使命だと言われても俺の現状はゲンゾンの家に居候状態の身だ、なので仕えますよと言われても『じゃあ雇いますよ』とは口が裂けても言えない、むしろ何処かに雇ってもらわないと生活が立ち行かない状況なのだ。
「なるほど解りました、では私の質問にお答えください。シュウゴ様がお答えくだされば、貴方様が稀人様であるかどうか、私が責任を持ってお教えします」
レーミクさんは真剣な表情で見つめてくる。美人の真顔は怖いっていうのは本当だと思う、彼女は氷のような視線をこちらに向けてきた。
「分かりました、では質問をどうぞ」
身が凍えるような視線の中で俺はなんとか短い言葉を返すのが精一杯だった、彼女の全身から物凄い気迫を感じたので情けない話だけど肯定の答を返すしか無かったのだ。
「では質問を致します。貴方はこの世界に来る時、自らを神だというモノに出会いましたか?そしてその者になにか特別な力を貰いましたか?」
いきなり良く分からない質問が来た、この状況で宗教家に神に会ったといえば確かになんでも聞いて貰えそうなものかもしれない、神に会って超常の力を貰った違う世界から使者といえばいかにもって感じだろう。
「神の僕である貴方にこういうのはアレなのかもしれないが、私はそこまで信心深くないので神様に会った事なんて無いですよ」
だが事実は俺はそんなものに出会っても居ないし、特別な力など持ってはいない、現状はただの中年のおっさんのままでむしろ満身創痍で居候の身だ、どう転がったとしてもそんな大層なモノになったとは思えない。
「そして残念ながら選ばれるような人間でも無いと思う、だからそんな特別な力など何も持ってないです」
そう言外に彼女の仕えるべき様な人物ではないと伝える。彼女をがっかりさせるかもしれないが、ここで勘違いをさせてはいけないのではっきりと伝えておく。
「では、貴方がもし人を救う能力があったとして、それを他者の為に使う事に対してどう考えますか?」
また抽象的な難しい質問だなと少し考える、この質問の意図は全く掴めないが俺が思う事を返しておくべきだろう。
「それがどのような力か解らないから何とも言えないが、自分が出来る所まではしたいとは思っています、だが滅私の心で全てを投げ出して行うことは出来ないでしょうね」
全てを投げ出して他者に奉仕するなどやはり狂人の沙汰だと思う、そして人である以上は全てを助ける事は出来ない、どんなに努力を重ねても溢れるモノが必ずある、言葉にすると悲しいがそれでも今までの人生で俺自身も経験してきた事実だ。
「では最後の質問です、人の世で強者が弱者に対してすべき事とは一体何でしょう?」
また随分と難しい質問だな、これは俺には難しくてなんとも言えないな。
「何を持って強者で、何がなくて弱者と仮定するかにもよるでしょうが軍人の物理的な強さや、施政者の権力的な強さのような職業や身分的な所はあるだろう、それらは国を支える民が居なければ立ち行かない」
弱いから何もしない訳でもないし、強いから何かしなければならない訳ではない、弱者は弱者の戦いがあるし強者は強者の戦いがある、俺はそう思って日々弱者の戦いをしているつもりだ。
「だから人は手を取り合い、親は子を守り育てて、男女は互いに支えあうべきと思います。これが貴方への質問への解答になるか解らないですが、私はそう考えています」
だからこそ、その違いを認めて互いに尊重するしか無いと思う。
それに俺はこの問題を答えるには人生経験が足らなすぎる。こういう話は色々な経験をした老成したズンケルさんのような人に聞くべき問題だと思う。
「ああ、やはり……」
どうやらレーミクさんも納得してくれたようだ、女性に下手なことを言うと事態がこじれるから、男らしくはっきりと言いなさいと、あちらの世界でお隣の清子さん(御年七十二歳)が言っていたしな、やはりはっきりというのが正しいようだ。
「だから残念だけど……」
そう言いかけて彼女の次の言葉でかき消された。
「やはり、シュウゴ様が私のお仕えする稀人様です」
ゆっくりと椅子から離れるとベッドの前で片膝を付き頭を垂れるレーミクさん、その姿はなにかの宗教儀式のようでひどく現実を感じないものだった、自身の感じる感情を無視するようにレーミクさんは話を続ける。
「カミヤマ シュウゴ様、我が身は御身を主として忠誠を誓います、従僕として如何様にでもお使いください……」
質問に応える前に予想した状況と全く違う展開が目の前にある、どうしてこうなったのだろう?この理解不能の事態に俺はどうすればいいのだろうか?訳が解らないまま、雪のような白さを持った少女が振りまいた奇妙な状況は、俺の理解を置き去りにして続いていくのだった。




