第四話 新しい約束
部屋に微妙な空気が流れて会話が途切れてしまうと、ロドンダさんは空気を変えるように一つ咳払いをしてから、努めて明るい口調でもって口を開く。
「そいやぁですねシュウゴ様、パウってのはね、牛の乳とは違いやしてね、なんつうかクセになるチーズが作れんでさぁ……」
そんな語り口で特産のチーズが如何に美味であるかの説明を始め、そこから村での生活やその風景、若い頃に自分が経験した冒険者時代の話など色々な方面へと、気さくなロドンダさんは話題を膨らませていく。
この老人が広げる話題は思った以上に豊富であり、何気ない話の中にも多くの収穫があった。
こちらの人々の多くは確かに、現代の日本のような高度に系統化された学問や知識などは修めていないが、それは決して無知でも愚かでもなく、むしろ現代人が忘れている生活や経験に根付いた知識、いわゆる生きた知識を多く持っている。
人が死にやすい事もあり、こちらに来てから情報の秘匿をしていると聞いたことがないし、知識は若い世代へ積極的に伝達が行われている様で、むしろ情報を伝達し失伝させずに次代へと繋げる事に重きを置く考えが根付いているおかげか、この世界の人々は他人の職業や役割に対し、きちんと敬意を払い仕事を理解する為、正しい知識を持とうとする。
皆がお互いに知識を教え合う風習を大事だと思っているから、多くの知識は失伝せずに保たれているし、こうした誰かに敬意を払う考えは人間だけではなく、日々の生活での糧や恩恵を得る上で自然や、自らを取り巻く環境への配慮にも繋がっていくのだろう。
彼らは植物や動物とうまく付き合う術を考え、自然を無闇に傷つけずに共存しつつ、豊かな衣食住を賄う方法を知っており、そうした知識は機械化されていない生活では非常に重要だ。
機械化していないからこそ、人々は日々の糧を得る中で沢山の知恵を使って豊かな生活をしているし、自然と隣合わせだからこそ、労働や日々の生活の中で効率的な身体の使い方を学び、周りにある全てから多くの情報を読み取る術を覚え活用していると、ロドンダさんの語る言葉は教えてくれた。
この世界の当たり前である、肌や感覚から得た情報や経験の積み重ねは、都会から離れた山奥の田舎で暮らしている俺でさえ知らなかった話が多く、とても参考になる内容だった。
例えば、精霊樹の森への旅の途中で立ち寄った村で見た光景だが、背負子に溢れんばかりの木材を載せて運ぶ老婆がおり、小柄な老婆の足取りは重さを感じさせない程にしっかりとしたもので驚いた事を話すと、ロドンダさんはその種明かしをしてくれる。
「ああいったのは足腰だけで上げちゃいけねぇんですよ、腹の力もうまく使いやしてね、全身でやんなきゃいけねぇんでさ、そうすりゃ大体、てめぇの体重の倍くらいまで上げれやすぜ」
この世界では物理学的なものは余り発展していないが、それでも梃子の原理を感覚で持って理解しており、運ぶのに苦労するような重い荷物を上手く身体を使って器用に運んでいるのだろう。
俺は今回、魔物と戦った後に疲れ果てて走れなくなったが、俺達が電車や車で移動するような距離をあの小さなロリーエでさえ平気で歩くし、中隊の面々だって何十キロもある重い鎧に身を包んだままで、地竜と言う揺れる動物に長時間乗って移動し、立ち寄った村や毎回の昼食の準備で荷物の積み下ろしなどの重労働を鎧を着たままで当たり前のように行っている。
もちろん、職業軍人である彼らは普通の人よりも鍛えているだろうが、絶対に勝つことがない呪持ちが繰り出す暴力を前にして、絶望せずに組織だって戦い続ける体力を考えれば、現代人とは肉体への理解度が違うのだと思う。
ロドンダさんの語る内容は、生活の中で生物としての能力を引き出す術であり、自らへの理解を深める知識の一端だといえ、今回の戦闘を振り返るにあたって非常に参考になるものが多く、特に長距離を移動する時の心得の話は今回の反省の参考になった。
「シュウゴ様、遠くへ出るときゃね、その前に肉を食い過ぎちゃいけねぇんでさ、その前にゃパンと一緒に塩漬けの豆や野菜を食わなきゃいけねぇ、そうしねぇと人間てぇのは直ぐにバテちまうんでさ」
「それはどうしてです?確かに食事は大事だと思いますが、それがそこまで影響するんですか?」
きちんとした理由を聞きたくて投げかけた疑問に対し、目の前の老人はこんな風に返してくる。
「シュウゴ様は狩りをやってられるなら知っとるでしょうが、動物だって草を食う奴らの方が長く走れるでしょう?人間だって生き物だから、時には動物の真似したほうがええと爺さんからよう言われましたわ」
この話を聞いた時、俺は日本の車夫と呼ばれる人力車の曳き手を思い出した。
彼らは明治や大正、昭和の初期に交通を支えた人達なのだが、彼らの仕事は現代のようにアスファルトで整地されてはいない道を、客が乗ると三百キロを超える人力車を毎日何十キロも曳くという、とても過酷なものだったと言われている。
その速度は馬車にも引けを取らなかったらしく、馬車だと馬を何度も変えるような距離でさえ、車夫は一人で走るそうで、今の日本人はほぼ出来ないだろう事を僅か一世紀にも満たない過去の人物が毎日行っていたのだと、祖父に聞かされた時はとても驚いたのを覚えている。
彼らの体力がどこから来ているのかと、当時の俺は興味が湧いて色々と調べて見たところ、同じように彼らの持久力に驚いたドイツの学者が居たらしく、その体力がどこから来ているのか調べた文献が残っていた。
その文献によると車夫達の食事は玄米の握り飯と漬物で、現代人の俺から見ればかなり粗末な食事であり、ドイツの学者も同様に考えたらしく、当時の栄養学の観点から車夫がより走れるよう、彼らの食事を肉にする実験をしたそうだ。
だが学者の予想とは逆に、食事を変えられた車夫は長距離を走れなくなり、直ぐに根を上げて元の食事に戻して欲しいと学者に言い、再び玄米の握り飯と漬物に戻すと、しばらくすると前と同じように長距離を走れるようになったという記録が残っている。
実は長距離を走るには多くの水分と炭水化物、それに塩分が必要であり、玄米の握り飯と塩っぱい漬物の組み合わせというのは、現代の栄養学の観点から見ても、長距離を走る車夫達にとって適した食事であり、彼らが経験から正解を導き出していたのではないかと思う。
食事もさることながら、昔の日本人は身体を効率的に使う術を知っていたから小兵で粗末な食事でも、西洋人に負けない体力や持久力を見せたので、当時の西洋の人々はとても驚き、その謎を解き明かそうと色々と調べたと聞いているが、祖先たちが持っていた上手く身体を動かす知恵は、残念ながら現代の利便性の中で失われる事すら気付かれずに消えていて、俺達はそのような情報の多くを知らずに過ごしている。
高度な機械文明は一方では進化と言えるだろうが、生物としての強さは大きく退化した世界であるし、利便性に飛びついてしまった事で、人間に備わっている可能性を引き出す知識を再発見するのは難しい。
だがこの老人が語った内容は幸運な事にそれらに近い、今回の戦いで身に沁みた疲れない歩き方や、体力を温存する走り方の重要性、雲の形や空の色と空気の匂いから、先の天気を理解したりするのだって、天気予報など存在しない世界で旅をするのなら役立つ知識だ。
他にもどこでも水を気軽に買って飲める訳ではないから、旅の最中に必須な安全な飲み水の見つけ方は重要だし、魔物や獣に襲われない安全な道の選び方や、動物との意思の疎通の仕方など、今の俺に不足している生きる上で必要な知識について、ありがたい先達の教えを聞き、解らない部分を質問をしていくとやはり喉が渇き、セラーネの用意してくれたお茶を飲み干してしまうが、静かに侍っていたセラーネが俺達の邪魔にならぬよう、新しいお茶を注いでくれたのが有りがたかった。
彼女の気遣いに感謝をしつつ語り合っていると、セラーネは話の腰を折らないように話題の区切りを見計らって、何度目かのお茶を注いだ後で俺に語りかけてきた。
「お話の最中ですがもう暫くでお昼の時間になりますので、ロドンダ様とご一緒にお食事をなされてはいかがでしょう?」
どうやら随分と話し込んでしまったらしく、気がつけば昼食の時間が近づいていたようで彼女は気を利かせて教えてくれた。
「もうそんな時間だったのか、教えてくれてありがとう、俺はどうも色々と抜けてるからセラーネの気遣いに助けられてばかりだね」
先ほどの女心についてもそうだが、出会ってからずっと細かな気配りや心配りに世話になりっぱなしだ、俺はそういった反省も兼ね、感謝の気持を言葉にして彼女に返事をした。
「いえ、シュウゴ様のお役に立つのが私の誉れ、今はお体も不自由ですし、そのような事はお気になさらずに全てお任せ頂けたなら嬉しいですわ」
セラーネにとっては侍女の職務なのかもしれないが、それでも一緒に昼食を摂る提案をしてくれた彼女の気遣いはとても素晴らしいと思うし、改めていつか恩を返そうと思いながら、俺は目の前に居るもう一人の恩人を昼食に誘ってみる事にした。
「もしロドンダさんの時間が許すなら、良ければ私と一緒に昼食を摂りませんか?」
「あ~……、折角のお誘いはありがてぇんですが、田舎もんで上等な作法も知りやせんし、どうにもこの雰囲気は落ち着かねぇんで味が分からんと思いやす。作ってくださった人に申し訳が立たねぇんで、どうかこのへんでお暇させてくだせぇ」
やはり王城の空気に馴染めないのか、こちらの誘いに対して素朴な空気を纏う老人は、頭を掻きながら申し訳無さそうな表情を浮かべて、断りの言葉を口にして謝ってくるが、嫌がる人を引き止めるのは余り良い事とはいえないし、俺は意見を取り下げてしまう。
「いえ、こちらこそ当分お会いできなくなるから機会がないと思い、ついお気持ちを考えず引き止めてしまいました。どうか気にしないでください」
ロドンダさんには俺の我儘に付き合ってもらったし、随分と長話をさせてしまった、ならばこれ以上引き止めるのは良くないと、告げられた辞退の言葉を尊重して引き止めて悪かったと頭を下げた。
「いやいや!シュウゴ様、そんな事を気にしねぇでくだせぇ。ただジジィが手前ぇ勝手に落ち着かねぇから帰りてぇと駄々こねてるだけ、それに英雄になろうってお方が、安っぽく頭を下げるのは頂けねぇってもんですぜ?」
ロドンダさんは笑顔を浮かべ大きく手を振って止め、荷車の上で語っていた言葉をもう一度口に出し、頭を下げようとしていた俺を窘めた。
やはり田舎の一般人の俺にとって、人の希望になる生き方は中々難しい、だが言われたことを大事にしようと思い、俺は頭を下げずに感謝の気持ちを言葉にすることにした。
「分かりました……。では謝るのではなく、長話に付き合ってくださった事に感謝します、ロドンダさん、色々教えてくださってありがとうございます」
「いやいや、それじゃわかっちゃいやせんぜ!なんつうかシュウゴ様は生真面目過ぎていけねぇ、もう少しばかり偉そうにしてくだせぇ、その方がワシらみてぇのにも分かりやすいし、お言葉の有り難みが増すってもんでさぁ」
ロドンダさんの率直な意見を考えるに、俺にはやはり威厳というものが足らないのだろう、そこら辺はこれからの課題であると考え、苦笑いをして努力をするという言葉を返してみた。
「次に合う時は、もう少し英雄然とした立派な雰囲気を纏えるよう、頑張って見ようと思いますよ」
「カカカカッ、結構結構、シュウゴ様にゃ難しい注文でしょうが、しっかりと精進してくだせぇ。ジジィは次にお会いする時に楽しみにさせていただきやす」
ロドンダさんが屈託ない笑顔で一頻り笑った後、居住まいを正すと真面目な表情になったので、なにか大事な事を言うのだろうと思い、俺は口が開かれるのを彼の目を見て待ってみる。
「それに倅の葬式の準備もしてやんなきゃいけやせん。やっぱり田舎じゃ英霊騎士様なんぞになった倅の葬式の準備は少しばかり難しいんで、村に戻る前にお天道様がある内に買い物をと思いやしてね」
ゆっくりとした口調で語られたのは、立派に勤めを果たした息子へ父親としての最後の別れの準備をする為の内容であり、その言葉に自分がこれから為すべき事を考え、出来る限りの誠意を持って返事を考え言葉にする。
「私は怪我が治り次第、呪で傷ついた友人のもとに薬を届けに行かねばなりません。ですから次にお会いするのはかなり先になると思いますが、それでも必ず、ロドルガの墓に花を手向けに行くとここで貴方に約束します」
言いながら動きの悪い右手をどうにか伸ばそうとしていると、側に居たセラーネは俺の手を両手で包み込むようにして、ロドンダさんの手まで優しく誘導してくれ、ロドンダさんがしっかりと握りしめて返事をしてくれる。
「へぃ、シュウゴ様のお言葉だけで倅も報われやす、約束破りになんねぇ様、お迎えを蹴っ飛ばしてでも、ワシの牧場の一等上等なチーズを用意してお待ちしてやすんで、是非来てくだせえ」
きっとこの人が作ったチーズを皆で食べに行こう、俺は深い皺が刻まれた働き者の手と固い握手を交わしながら、思いと気持ちを言葉にして伝える。
「ありがとう、貴方に逢えて私は幸運でした。ロドルガが自慢していたロドンダさんのチーズを食べる為にも、私は絶対に呪に負けずに貴方に会いに行きます」
未来に向かって進む世界で俺達は再び出会う約束を交わして笑い合い、お互いに壮健で有ることを誓い合って別れの言葉にするのだった。




