第二話 英霊の称号
「どうぞお入り下さい」
俺が事前の打ち合わせ通りの言葉を口にすると、室内の穏やかな気配は鳴りを潜め、酷く緊張した空気が満たされていく。
入ってくる人物の名前を聞いて、ロドンダさんは椅子から飛び降りて時代劇の様な平伏を見せているし、女中であるセラーネも両手を前で揃えて深く頭を下げている。
こうした二人の行動は西洋的な文化には余り見られない特徴で、どちらかと言えば仏教圏に多い行動だといえる。
これまでの生活で余裕がなくて彼等の作法を振り返る事が出来なかったが、思い返せば端々に日本的な礼儀作法があった。
今まで何気なく見てきた儀式や作法を振り返ると、俺が予想以上にこの世界に馴染んでいるのは、彼等が見せる精神性の中に、日本人に近い部分があるからだろうと認識させられた。
「では、失礼させていただこう」
俺が今まで気が付かなかった事実を考えていると王が返答を返し、彼の声を聞いた見張りの騎士達によって、豪奢な扉が相変わらずの重々しい音を響かせ始めた。
開け放たれた扉の先には、民を束ねる旗印としての生き方を選んだ漢、数名の供を引き連れたガランデール王という国を象徴する存在が目に映った。
豪奢でありながら品の良い衣装で身を固め、力強さと優雅さを纏い静かに歩く彼の姿によって、室内が王の間と同じ荘厳な空気に変わっていく様な錯覚を覚える。
荘厳な空気を産み出す切っ掛け、それは立派な武人や国の政治を動かす文官達を引き連れているから偉そうに感じる、などというモノではなく、この国の人々が積み重ねた歴史そのものを彼の生き様が体現しているためだろう。
彼ら一行が部屋に入ると、再び騎士達によって重い扉が閉じられ、緊張に満ちた沈黙が辺りを支配する。
その中心にいるガランデールの国主は、まず部屋の主である俺に視線を投げかけて穏やかな表情で話しかけてくる。
「急な来訪を受け入れてくれて感謝するぞ、してシュウゴ殿、お体の調子は如何かな?」
俺が目覚めたと聞いて王はすぐに見舞いに来ているし、俺の調子は知っている筈なのでこれはあくまで入室の挨拶という感じだろう。
「皆の献身的な看護のおかげで命を拾う事が出来ました、私の身体を労る御心使いに感謝します」
立場のある人間というのは気軽には動けないし、こういった建前というのが必要なのだろう、なので俺もあくまで挨拶程度で王の出方に合わせる様に言葉を返す。
「急な訪問は失礼かと思ったのだが、先程ガルムンズから此度の功労者が来ると聞いて顔を見たいと思ってな、どうだろうシュウゴ殿から紹介してもらえぬか?」
ロドンダさんを紹介してくれという王の言葉で、当人は這いつくばるように小さくなっていた背中を益々小さくして、縮こまってしまう。
雲の上の存在が、国の頂点である国王が自ら顔を見たいと足を運んだ、その言葉を聞けばこの気のいい老人が恐縮し縮こまってしまうのは当然だろう。
俺も仮に天皇陛下が自分に会いに来たとか、内閣総理大臣が自分のうちに来るなどと言われれば恐縮や緊張で身を固めると思う。
この世界では人々は身分に見合った重責を背負っているし、それを支える民もきちんと理解しているのだから尚更緊張するだろう。
その上でロドンダさんを驚かせるような方法をとったのは、やはり功労者といえど正当な方法で呼ぶには準備や時間が掛るからだ。
特に今回は論功行賞も未だに終わっていない、正規の順序に沿っているとロドルガの葬儀も終わっていないロドンダさんを長く引き止めることになる。
だから王が稀人の見舞いに来た時、偶然部屋に居た人物が功労者であると言うことにして、彼の負担を減らしてしまおうという事になったのだ。
「ここに居るロドンダ老が私の手助けをしてくれた人物です、彼の手助けがなければ今回の戦いで呪に遅れを取り多くの損害を出したことでしょう」
そうした政としての経緯を乗り越えるため、俺は動きの悪い身体でロドンダさんを紹介すると皆の視線は小さな背中に注がれ、王は威厳に満ちた態度と柔らかさを混ぜて語りかける。
「ロドンダよ、此度の活躍は大儀であったぞ、余は貴様と話をしたいのだ、面を上げて楽にするがよい」
老人は発条仕掛けの玩具のように顔を上げ、精一杯の丁寧な言葉を紡ぎ出そうとする。
「へ、へい、ありがとうごぜいます!このような見窄らしい格好、陛下の御前に現す様な姿ではごぜえませんが、どうぞ平にご容赦願います」
ロドンダさんはロドルガの遺体を迎えに来るために着の身着のままで村を出て、俺の手助けをするために門に突っ込み、混乱を引き起こした咎で投獄されたのだ。
恐らくあれから風呂に入る事も許されていないだろうし、本人が気にして言う通り、王の前に出るのに相応しい恰好ではないのだろう。
だが王はゆっくりと身を固くしている老人に近づくと、膝をついて語りかける。
「英雄の手助けをした勇気ある者がそのような瑣末な事は気にせずとも良い、お主は恥じる所など一つも無い活躍をしたのだ」
彼が老人の肩に手を置いて微笑みを浮かべて言葉を重ねていく姿は、国父という言葉の意味を体現するものだと感じた。
人の上に立つ難しさ苦しみを感じさせない尊厳と優しさ、これは徒人として生きていては絶対に身に付かぬ国を背負う生き様によって磨き上げられた資質なのだろう。
「ロドンダよ、息子のロドルガ共々良くやってくれた。お主の稀人への献身とロドルガの忠節に、余は国主として礼を言いたいのだ、本当に感謝しておる」
国王直々の感謝はこの国に住む彼等にとって最上級の誉れであり、ロドルガの憧れた御伽話に出て来たような状況だが、ロドンダさんにとっては他にも大きな意味が有る。
ロドルガの死が不名誉な不注意の末路ではなく、自身の職務を遂行する為であったと国王に認められた。
その事実は子を失った父親として何よりの慰めであり、自身の名誉以上に喜ばしいものだろう。
「あ……、ありがとうごぜえますっ!お、王様に息子も浮かばれるっ、ありがてぇ……」
頭を下げ泣き崩れた老人の背中を王は優しく撫でてから静かに立ち上がると、隣に控えていた宰相から精緻な装飾が施された儀礼剣を受け取り、荘重な振る舞いで鞘から剣を引き抜いた。
鞘走る剣が鋼の啼く澄んだ音を響かせると、何か儀式の様な気配が辺りを支配する。
「命を賭して呪いに立ち向かった従士ロドルガ、余はその活躍に英霊騎士の称号を与えようと思う、この決定に異を唱える者はおるか?」
英霊騎士というのは、呪との戦いで大きな活躍をして命を失った者に与えられる称号だ。
国のため民のために働いた故人の名誉を称えるもので、残された家族達へ国から感謝の意を伝え、せめてもの慰みになればという思いから始まった名誉称号だと聞いている。
呪持ちの能力や、ロドルガが亡くなった経緯を事前に聞いている彼等の中に異を唱える者など居るはずもなく、室内は静まり返っている。
その状況に満足したように王は頷くと、ロドンダさんへ儀礼的な言葉を語りかける。
「従士ロドルガの父ロドンダよ、民の未来を護るロドルガの献身に余は感謝と哀悼を捧げ、この剣と英霊騎士の称号を贈ろうと思う、受け取ってもらえるか?」
低く重い厳かな中に哀悼を感じさせる声が、無音であった室内に響き広がって消えていくと、ロドンダさんが様々な感情の篭った視線を剣へと向ける。
「王のお心使い、ありがたく……、ありがたく頂戴いたしやすっ……」
胸に去来する様々な思いと嗚咽を押し殺す様に老人が返礼を口にすると、王は表情を引き締めて言葉を連ねていく。
「ガランデール王として命ずる、ここにいる全ての者は我らが英霊ロドルガに黙祷を捧げよ」
彼の口から放たれた言葉で部屋に居た全ての者が黙祷を始め、ロドンダさんの耐え切れない啜り泣く声だけが石造りの壁に吸い込まれていくように染みこんでいく。
他者に無関心な人から見ればこうした儀式を愚かな事だと思うかもしれないが、死者を悼む儀式は生者が死者に別れを告げ、生きる者と送られる者の思いが交差する大事な時間だ。
死者が残した思いを生者が引き継ぎ前に進むための時間を、俺は無駄だと言いたくはない。
多くの人達が作り出す厳粛な空気の中で、俺は呪との戦いで若い生命を散らしたロドルガを思い浮かべ、騎士になって稀人の戦いを支える一助になりたいという青年の夢の終わりはこれでよかったのかと考えた。
彼の献身にきちんと応えることが出来なかったのではないか、呪が現れず彼が立派な騎士になり、俺と一緒に人々を護る未来が存在したのではないかと考えてしまう。
こういった感情は誰にも存在する自責の念なのかもしれない、もっと親を連れ合いを大事にしておけばと、家族を失った人が嘆く声を聞いたことなど誰にでもあるだろう。
皆、後悔しないように日々を生きて居るはずなのに、それでも大事な人や身近な人を喪った時に後悔に心を痛めて涙を流す。
人というのは生きていれば選択を迫られ、精一杯生きていても何かを失いながら進み、取りこぼしたと知った時に涙を流すが、それでも前に進むしか無い。
これは有限の時間を生きる人の身の限界なのだろう、だから人は誰かを大事に出来る優しさを身に付ける事が出来るのだと思う。
そうして考えていると、ふと脳内に家族を火事で失った直後の荒れていた未熟な俺へ向けて送られた、先生の精一杯の気遣いに満ちた言葉が蘇った。
『周りの人を大事に思って日々を生きて、大切な人が残した思いを無駄にしないように私達は生きて行くしか無いんだよ』
あの日、何処にも行く宛がなかった俺は夕日に照らされた薄暗い弓道場で落ち込んでいて、それを見かねた先生が諭すように語りかけた言葉を、ただ煩わしいと、誰にも理解されないとばかりに逃げ出した己の為だけに送られた思い。
その言葉に込められた意味が十五年以上の月日を越え、それこそが明日へと向かう方法なのだと、今になって心の底に沁み渡り、俺は諭してくれた恩師への遅くなった謝罪と感謝の言葉を思い浮かべる。
『貴方の言葉の意味、漸く理解が出来ました。あの日の行動をどうか許して下さい……、ありがとうございます……』
俺が心の中で恩師との邂逅を果たして漸く理解をした時、王の手によって長い黙祷の終わりを告げる鋼の鳴らす澄んだ納刀音が部屋に響く。
「ではロドンダよ、この剣を受け取ってくれるか?」
王は右手で鞘に収まった剣をロドンダさんに差し出し、頬を涙で濡らした老人は両手を伸ばして受け取ると、まるで我が子が戻ってきたとばかりに胸の中に掻き抱いた。
「王様……、ありがとうっ、ごぜぇます、これで息子も浮かばれまさぁ……」
年老いた父親が漏らす泣き濡れた感謝の言葉に共感し、天上を仰ぎ貰い泣きをする者が現れる中、今まで無言で通していたガルムンズがロドンダさんの横で膝を突き、王へ頭を垂れて口を開く。
「失礼ながら王へ発言したき事がございます、発言をよろしいでしょうか?」
頭を深く下げるガルムンズの背中に視線を落としてから、王はゆっくりと口を開く。
「ガルムンズの発言を許す、面を上げてなんなりと言うが良い」
「王の寛大なお心に感謝致します」
己が仕える国の王に許可を取ったガルムンズが、上体を上げて感謝を伝え、自身の伝えたい言葉を口にする。
「英霊騎士ロドルガ、並びに功労者であるロドンダ殿を彼の英霊が所属していた小隊の面々で故郷に送りたいと考えます、王にお許しを頂きたく思いますが、如何でしょうか?」
ガルムンズの口にした内容は最初から聞いていた内容であり、恐らくここに居る者で知らないのはロドンダさんだけだが、形式を壊さぬように王の許可を仰ぐ事も必要なのだろう。
「良かろう、では此度の活躍に見合う褒美と共に送り届けるがよい、してロドンダよ、出立は明日で良いか?」
ガルムンズの提案という確認に王は返事を返し、更にロドンダさんの都合を確認する言葉を重ねていく。
「へ……、へいっ明日で大丈夫でごぜぇます!王様のご配慮に感謝いたします!」
いきなり話を振られロドンダさんが驚くが、そこは流石の年の功というべきものなのか、きちんとした言葉を絞り出して質問への答と感謝を述べた。
「そうか、ではガルムンズよ、明日の朝から二人をライル村へ無事に送り届けるように該当する小隊に命じよう、彼の者の誇りに傷を付けぬように励むが良い」
「はっ、王の寛大な御心に感謝致します、では早速準備に取り掛からせます故、私はこれで失礼致します」
ガルムンズは王の言葉に返事を返すとそのまま素早く部屋を出ていった。竜車を使っても彼の生まれの村までは三日はかかるそうだ。
軍隊と言うのは、小隊一つ動かすにも水や食料などの準備が必要になるし、中隊としても小隊一個分の開いた穴を埋める仕事も増える。
これだけの距離をいきなり飛び出すなんてのは戦争状態か物語の中だけの話で、実際長期の任務というのは色々と大変らしい。
それでも中隊の面々は弟分の最後の凱旋を華々しく飾れることを喜んだ、真っ直ぐなロドルガが可愛がられていた証拠だと思う。
そんなことを考えてガルムンズが出たのを確認した後、王の側に居た宰相が彼に耳打ちを始めた。
「余もそろそろ仕事に向かわねばならん、シュウゴ殿よ、見舞いのはずが慌ただしくなってしまったな、どうか無礼を許して欲しい」
どうやら時間が押しているようで宰相はしきりに扉の方を気にしている、どう返せば失礼にならないか互いが対等に見えるのか考えながら返す言葉を選ぶ。
「ロドルガの剣には私も心を痛めておりましたので、今回のご配慮に感謝しています。そして王都は呪の影響で深手を負った大事な時期ですし、多忙の王がこうして訪ねて下さっただけでも嬉しく思います」
正しいのか解らない精一杯の言葉を返したが、周りの印象を見るにどうやら満点とは言えない返答になってしまったようだ
「ふむ……、シュウゴ殿よ、言葉が少し固いぞ、王と稀人と言うのはもう少し砕けた話し方が余は好ましいと思う、次はもう少し砕けた話し方をしてもらいたいものだ」
先程まで国の代表としての姿を見せていた彼が窘めるように語った言葉と共に見せた苦笑いは、この世界にきて初めて出来た親友で兄弟になった男の苦笑いと重なり、ガランデールという国を代表する、王という孤独の座に座る男の素顔を垣間見た瞬間になった。




