レジーチの憂鬱な一日
このお話は受付‐レジーチの視点で進行していきます
呆れるほど馬鹿な探究者が来た。
それが、レジーチの下した今日の総括だった。
「え?ここで探究者をするには新しく登録しなおさないといけないの?」
私が一通りの説明をした後に出た第一声がそれだった。
黒と見紛う暗い紺の髪と眼、背中に差した柄の長い―少なくとも槍の類ではない謎の武器。
ギルドに入ってきたとき、やたらと笑顔で私のところまで来た、この頭の回転が少し鈍い探究者に告げる言葉はたった一つだった。
「はい、それがこの街『ユーディス』で探究者として活動するための規則となっております」
私の言葉に、その探究者はポカンとした顔を浮かべたあと私の名札へと視線を這わせる。
顔には「何言ってるんだろう?この人」と書いてあったが、それは私が言いたいことだった。
ついさっき一から十まで説明したばかりだというのに、この人は何を聞いていたんだろうか?
と、言い掛かりにも近い不平を正直な気持ちとしては思ってしまうが……心の中とはいえ人を貶すのはよくないとすぐさま否定をする。
一度聞いたことを確認するために、もう一度聞き返すなど大して不思議な話ではない。
そんな程度で頭の回転が鈍いなど、馬鹿なんじゃないかなど、思ったりしては……
と、私が自己論議をしていると目の前に居る探究者は自分のギルドカードを手持無沙汰にクルクルと弄ったあと、私の方へ見せてきた。
「え~と、登録し直すとなると俺が今持ってるこのカードは」
「回収させていただきます」
言い切るのも待たずに即答する。
これも少し前にしっかりと説明をしたことだった。
二回目だからこそ私は確かに心の中で思う。
この人、何を聞いていたんだろう?
呆れている私を尻目に、探究者は考え込むようにギルドカードを爪で叩きはじめ、唸り声を洩らす。
「……うぅん、何とか、ならない?」
「無理です」
決まりきった答えをすぐ返す。
本当に、少し前に私が説明したことは何だったのか?と言いたくなるほどに理解力のない人だった。
そのことに、何とか溜息を洩らさずに『ユーディス』のギルドでの再新規登録時に探究者自身が提出をしなければならない書類を取ってザッと見る。
名前はソージ・ファーマニス、以前いた街は『オーベン』
ギルド内では『便所ソージ』の名で通っていた……本人が書かなければいけない書類のせいか、ところところで要らない情報が混じるのを流し読みしていく。
ファーマニス、探究者でセカンドネームを名乗っているのは珍しい。
探究者として登録する人には名を捨て、ただの一人として過去を捨てる権利が認められるという決まり事を思い出しながら、書類を見ていく。
探究者としてのランク、経験年数……成る程、と少し感心する。
「見たところ、以前に探究者として活動をしていた街『オーベン』では中々の活躍をしていたようですね」
「え?いやぁ、急に褒められると照れちゃうなぁ」
「いえ、別に褒めてなどいませんが?」
「へ?そうなの?」
ただ事実を羅列しただけの言葉に反応をした探究者―ソージに正直な言葉を述べる。
ソージは顔を赤くして、少し俯いたが……その姿に、やっぱり馬鹿かもしれないという考えを濃くして溜息を吐く。
「出鼻を挫かないでください、時間が勿体ない」
文句を言って仕切り直し、再び書類へと目を這わせる。
「さて……クエストの達成率もなかなかですね。上級が13回、中級が25回、下級が103回に最下級が……1076回!?何で最下級だけこんなに」
「うん?それはまぁ、探究者としての嗜みだし……そんな驚くこと?」
キョトンとした顔でソージが言う。
その声に私はハッとした。
「っ、いえ、申し訳ありません。少し取り乱しました」
探究者の過去を詮索することは最大の禁忌である。
ギルドで働く者が一番最初に教え込まれる鉄則の一つであった。
過去を捨てられる、それが探究者にとって最大限の権利だから。
経験や知識など真の意味で過去を捨てられるなどということは生きている以上あり得ないことだが、探究者として生きる人は今までの経歴・名前を捨ててただ一人の人として生きていくことが出来る……それが探究者だから。
やむを得ない場合や、組織的な折衝などの例外を除き守られなければならない。
そういった規則の上でのことも当然だが、私は知っていた。
探究者になる前は何をしていたんだ?と無遠慮に踏み込んで殴り掛かられた同僚を。
小遣いを稼ぐために情報屋へ探究者の過去を話して切り捨てられた先輩を。
そして、その気は無かったというのに詮索をされたと勘違いされるような言葉を吐いて友達と呼べる探究者とぎこちない関係になり……仲直りする機会を失ってしまった私を。
だから
「詮索をするような真似をしてしまい誠に申し訳ありません」
頭を下げる。
相手の顔も見えないほどに、頭を下げる。
反応は、まるでなかった。
ソージが今どんな顔をしているのかも分からない。
でも、これが私の示せる精一杯の誠意だから。
一秒、二秒、三秒、じっと待つ。
少ししてソージがぎこちなく笑った。
「あ、はは、いいよいいよ、その~、大したことじゃないし」
本当に何とも思っていないと伝わってくる声。
私は少しホッとする。
「そうですか、ありがとうございます。ソージさまの心の広さには畏敬の念を抱きます」
「う、はは、は、そんなことないよ。だから、その、そう、話の続きは?」
焦ったような笑い声だった。
その声に私は思う。
もしかしたら彼は心根の優しい人なのかもしれない、そうであるならいつまでも頭を下げられるのは気分が良くないだろう、と。
そう思い、私は顔を上げ……
早く次の話へ行けー、と如実に語る顔を目の当たりにした。
まさかこの人……いや、決めつけはよくない、うん。
冷静に考えを打ち消して、書類の角を揃える。
「はい、では、続きですね」
小さく咳払いをする。
だが、私の心の中には『ひょっとしたら』という想いが燻っていた。
だから、『仮にそうだとしても』ソージにも分かり易く角を揃えた書類を脇へ追いやってから口を開く。
つまり
「そのような経歴などはここでは一切関係ないということです」
「…………はぁ」
返ってきたのは『何を言っているのか分からない』というような顔だった。
少し唖然としてしまう。
この人、どこまでバ……
が再度、思いかけたことを打ち消して頭を振るう。
心の中とはいえ、そんなことを言ってしまうのは良くないことだから。
それに、さっきの説明では少し分かりづらかったかもしれない。
そう思い、私は再度口を開いた。
「要するにこれまで積み上げた実績による優遇、ランクやネームバリューなどでの不正は行わないということです」
「へぇ……」
それだけ。
ソージは遠い目をしていた。
その顔はやっぱり『何を言っているのか分からない』と如実に語っているようなもので……
この人、どこまでバカなんだろう
今度こそそう思ってしまう。
何だか先行きが不安になる馬鹿さ加減だった。
数秒してソージが口を開く。
「その規則が出来る前にはどんな問題が起きたの?」
案の定、理解できていなかったらしく追加で質問をしてきた。
少し呆れてしまう。
あまりにも理解力がなさ過ぎて頭が痛かった。
あそこまで言えば大抵の人は理解するというのに……どんな問題が起きたか?この人になんて言えば理解できるだろうか?
考えて、昔にあったということを思い浮かべながら口を開く。
「……そうですね、この規則がなかったのは随分と前になりますが」
ソージにも理解できるようなこと、という条件が中々難しくて出てこない。
当のソージはというと思い悩む私を見て、当てつけのようにウンウンと頷いていた。
いったい誰のせいでここまで悩んでいると思っているんだ。
などと言いたい衝動にも駆られるがグッと堪えて、私は考え続ける。
ソージにも理解できそうなこと、それがようやく思い浮かんだ私は昔の規則説明に用いられていた偽造ギルドカードを手にする。
表面に黄金が塗布された、光輝色のカード。
「『このカードの色が示す通り、俺は第一線級の探究者だ。俺が登録するんだから当然どんな難関クエストでも最初から受けられるようにしろよ?いや、むしろこの俺がここに来てやったんだから金を寄越してもらいたいもんだぜ』などと言っていた、ランク虚偽男が居ました」
言い切り、ソージの表情を伺う。
今度は理解することが出来たらしく「うわぁ、それは酷い……」などと言っていた。
酷いのはあなたの頭だ。
と、痛烈な皮肉を言いたくなるが受付というのは客商売であり、そういうわけにもいかない。
そんなふうに私が仕事の不条理に嘆いているとソージが確認をするように言ってきた。
「ランク虚偽、っていうとその金色ってやっぱり」
「はい、金鉱石をコーティングしてランクが最上位であると言い張る、昔によくあった金持ちだけがやる馬鹿な詐欺の一つです」
流すように決まりきった言葉を即答をする。
探究者の中では、否、この業界では有名な話だったから。
ソージでも知っていたらしく、顔が呆れたものへ変わっていく。
その瞳が金色の偽造カードに釘付けなのを見届けて、私は続けた。
「そのような輩が他にも数人ほど居まして、他にも似たようなことが大小さまざまあって規則が出来た、というわけです」
「あぁ、そうなんだ……」
「それに加えて、ここ『ユーディス』の街は死地に囲まれている、探究者にとっては非常に魅力的な場所。多くの探究者がこの街へと集ってくるのですが、魅力的であると同時に他の死地とは一線を企す死地に囲まれた場所、危険度が段違いなのです」
「あ、うん、それは知ってる。だから、一獲千金を夢見た探究者が最後にやってくる街だって」
「はい」
同意する声に私は、ソージの顔を注意深く伺いながら頷く。
今度は、しっかりと理解してくれているようだった。
それを確認して、切り出す。
「……そして、一獲千金を夢見て碌な情報もないまま『俺なら大丈夫だ』と根拠のない自信で危険な死地に飛び込んで無謀に命を散らした数が多すぎた」
私が、どんな探究者にも一番に言いたいこと。
ソージは無言だった。
ただ頷くだけで、私の言葉に何も言わない。
でも、これは私の言葉を聞いてくれている沈黙。
きっと、そう。
だから、そう思う私は目の前に居るバカに『無謀に命を散らす人』になって欲しくないと思うから。
言った。
「ソージ・ファーマニスさん、あなたも探究者であれば死地の危険性は十分に承知しているとは思いますが、この地はあなたが以前いた街よりも数段危険なのです」
真っ直ぐに瞳を見つめる。
その視線に想いを乗せるように。
この言葉で、想いが伝わるように。
死んでほしくないから。
だから、私は彼の―ソージ・ファーマニスの瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「それゆえにここで行う二度目の探究者登録は、探究者が無謀に命を散らさぬよう一からやり直してもらうための、せめてもの安全策でもあるのです」
繋がる瞳と瞳。
彼は何も言わなかった。
私と彼の間に沈黙が流れる。
一秒、二秒、三秒……それはどこか重苦しい感じのする沈黙だった。
きっと分かってくれている。
きっと伝わっている。
どこか真剣味を帯びた表情をしている彼の表情に私はそう確信をして―
「うん、規則の由来は分かった。で、話は戻るんだけど……ギルドカード、今自分が持ってるコレそのまま使えないかな?」
「……無理です、規則ですので」
全てを台無しにする言葉に、私は心の中で強く『ソージ・ファーマニス』という名前にバカの烙印を押した。
………………………
………………
…………
……
仕事の終わり。
私は机の前で大きく溜息を吐く。
「…………身体が、重たい」
いつもよりも濃い疲労感に、片付け終わった机の上で蹲る。
原因はただ一つ、昼下がりに来たバカだった。
人の話をまるで理解しないわ、出来もしない無理を押し通そうとするわ、かと思えば何事もなかったかのようにカードを差し出してくるわ……色々と文句があるが、『理解不能』最終的にはこれに尽きる。
それが私の体力を極限まですり減らしていた。
もう一度、溜息を吐く。
「……あぁ~あ、しかも呼び捨てだし、何か馴れ馴れしいし」
あぁ~あ、ともう一度呻く。
思い出したら次から次へと不満が噴き出していった。
あいつがやってきた最初から最後まで、やたら笑顔で私のところへ来たところから扉の開け方を間違えて格好悪く詰まっていた一部始終。
場面として全部を頭の中で思い出して、呪詛の言葉を吐き出して……それから、私は思う。
あのバカと話すの、面倒くさい……
偽りのない気持ちだ。
最後に思うのはこれだけ、究極的にはこれしかないんだ。
「カード引き渡しの関係上、少なくともあと一回は顔を合わせないといけないのか……」
事実を呟いて、沈み込む。
また今日みたいなことになると思ったら、面倒なことこの上なかった。
「はぁ……悪い人ではないんだろうけど、でも」
嫌だなぁ……
そんなふうに黄昏ている私の元に一人の女性が近づいてきた。
歩くたびに弾む爆弾のような胸、流れるような綺麗な金髪、その面貌はいっそ恐れを抱くほどに整っており、髪の隙間からは尖った耳が覗いている。
ここ『ユーディス』のギルドで一番偉い人-ギルド長のティフル・ナイトリアが穏やかな表情で私を見下ろしていた。
「ふふ、どうしたの?そんなに重たい雰囲気を撒き散らして……溜め込んで一人で発散しようとするのはレジィの悪い癖よ?」
「ギルド長……いいじゃないですか、別に一人で文句を言ったって。誰に迷惑を掛けてるわけでもないんですから」
ぶすっと不満げに言った私の言葉にギルド長は「あらあら」と楽しげな声を洩らして、近くの机に腰を掛ける。
「もう、そうやって遠ざけようとして。人の悪口を言う、そういったドロドロとしたところを他の人に押し付けたくないレジィの優しいところは分かっているけれどね?私には遠慮をしないで欲しいわ」
「うっ、いえ、その、優しいという部分は訂正を」
「ふふ、図星かしら?いっつもそうよね?嫌なことがあったら、一人で吐き出して、自分一人で何とかしようとして……人に迷惑を掛けたくない、優しい優しいレジィ。けれど、行き過ぎると人を信用していないことになるわよ?」
「…………」
当たり過ぎる見通し、容赦のない口撃。
グサグサと心の中に突き刺さって、疲れ切った身体に止めとばかりの衝撃を放ってくる。
言葉もない私の顔を真っ直ぐ見て、ギルド長はニッコリと微笑んだ。
「ほら?悩みがあるのならお母さんが聞いてあげるから何でも言ってごらんなさい?」
「……じゃあ、言いますけど。私の母親でもない人が自分のことを『お母さん』と言い張って接してくるんですけど、どうしたらいいんですか?ギルド長」
「『ティフルお母さん』と言って、胸に飛び込んでいくといいと思うわ」
半分以上笑いながら言うギルド長に、私は心の中でこっそり溜息を吐く。
ギルド長のお母さん病。
そもそも長命なエルフはその種族の特性上、おっとりとした人が多い。
魔力が高く強大な力を持ち、寿命にして千年という長き時を生きるエルフにとって他の種族は『子供』同然。
それもそのはず、彼らにとって大概は自分の半分以下の年齢に過ぎないのだから。
そんなエルフの特性を、ちょっと変な方向で発現してしまったのがギルド長だった。
ギルドで働く者を家族同然に、否、文字通りの家族として扱い接する。
ギルドの職員は全てエルフあるいはハーフエルフの女性だけなのもギルド長の病が原因であった。
曰く
死に別れるのが早いと寂しいから。寿命が短い種族は思い出を作る間もなくあっと言う間に死んでしまう、そのことが堪らなく悲しくて悔しいから。
男の子は恥ずかしがり屋でお母さんとスキンシップを取ってくれなくて寂しい上に、ご近所の子供たちがおませな質問をして困るから。
と、そんな下らない理由らしい。
私は直に聞いたわけではないから詳しいことは知らないが……種族の壁に隔たれた価値観の違いと言うべきか?
人間と共に暮らしてきたハーフの私には欠片も理解できない。
バカと同じ……ではないが、少なくともギルド長は昔から続く頭痛の種の一つだった。
「……ギルド長、とりあえず言いたいこととしては、私の母は二十年も前に死にました。あなたは私の母ではありません」
「そう?……そうよね。二十年、つい最近のことだったわね。まだ悲しみも癒えていないのだから、お母さんと呼びたくないのは当たり前のこと……ごめんなさいね、無理なことを言ったお母さんを許してちょうだい」
「あの、だから」
「あら、ごめんなさいね?口癖なものだから……お母さんにも悪気は、オホン、ごめんなさい。傷口を抉る気はなかったの……本当にごめんなさい」
ギルド長が神妙な面持ちで謝罪の言葉を口にする。
そんな姿に私は何も言うことが出来なかった。
つい最近って……しかも傷口とか……
いつもながらエルフの時間間隔にはついていけないものがある。
私にとってはとっくの昔のことで、傷など跡形もないというのに。
種族の壁というのは果てしない。
ギルド長と話しているとつくづくそう思う。
私が口にする言葉の意味を何一つ理解してくれないことも悩みの一つだった。
「……ギルド長?その、母を失った傷がどうとか、二十年前のことをつい最近と言うこととか、もう止めにしませんか?」
「っ、ええ、そうね……そうしましょう。相も変わらずレジィは優しい子ね……傷を踏み荒らした私をこうも許してくれるんですもの、感動せずにはいられないわ」
「……」
駄目だ、やっぱり言葉が通じない。
涙ながらに語るギルド長の姿に、私はいい加減疲れを覚え始めてくる。
しかし、呆れた表情をする私を見てギルド長はまたもや勘違いをした。
「ふふ、そうよね。ごめんなさい、何だか辛気くさい雰囲気になってしまったわね?仕切り直しをしましょう」
「はい、もうそれでいいです……」
妥協だ。それしかないとも言えるのだけれど、私は何とも言えない憂鬱な気分になる。
こういったポンコツな部分もギルド長の魅力と言えばそうなんだろうけど……実害を被っている私からしたら洒落にならないものがある。
そんなふうに落ち込む私をチラと見て、ギルド長は最初に話しかけたときの表情をニコリと浮かべる。
それから私が整理した書類の束を手に取って眺めはじめた。
「さて、でお悩みはこの中の誰かかしら?」
「……うっ」
見事に言い当てられる。
ちょっと前とは正反対の的確さに呻きが洩れる。
ペラペラと小気味よい音がリズミカルに響いていた。
「サイシカは、迷惑を掛けるような子じゃない……カーバーはいつも話をしている……クルパは仕事一筋」
確認するような独り言。
その手は、やがて一つの書類で止まった。
「あら、見たことない子ね……ふふ、この子でしょう?想い人、レジィが思い悩む相手」
「……ぐっ」
見事に大当たり。
こちらに向けられるその手は『あのバカ』についての書類そのもので、ぐぅの音も出ない。
そんな私の姿を見てギルド長は小さく笑った。
「もう、レジィは相変わらずの人見知りねぇ……あぁ、働き始めたばかりの頃は知らない人ばかりでガチガチに固まっていたっけ?」
「あの、そんな昔のことを持ち出さないでください」
「あら?昔って、つい数年前のことじゃない?強がりねぇ」
「……」
かと思えば、この大外れ。
さっきとの落差でより微妙な気分になる。
つい最近のことじゃない。
数年前って、もう七年も経っているのに……
思わずジトッとした視線でギルド長を見てしまう。突っ込みを入れたい衝動に駆られる。
しかし、そんな私のすぐ傍でギルド長は私のことなんか気にせず書類を興味深げに見ていた。
「ふぅん……名前はソージ、ソージ・ファーマニス……へぇ、めずらしいわね。農民かしら?」
「……さて、どうでしょう。名乗っているだけかもしれません」
「そうかしら?書類を見る限り……この子からは土と草の匂いがする、きっと農民に違いないわね」
力強く言い切るギルド長に、私は怪訝な顔を止められない。
ファーマニスーそれは確かに農業や林業を営む者の姓名だ。
他にも宿泊業や小売業にサービス業など人と触れ合うことを生業とする商売人を示す『ビジネスタ』、国から騎士として叙勲を受けて授けられる『ナイトリア』などがある。
これらを踏まえて考えるなら、『ナイトリア』を名乗るギルド長は騎士でなければならないのだが、国がちょっと前に滅んだらしく名乗っているだけで本来はティフル・ビジネスタとなる。
まぁ、騎士であることに誇りがあるらしく未だに『ナイトリア』を名乗っているわけなのだが……探究者にも稀にそういった輩が居るから姓名では分からない。
探究者の過去は詮索できないから。
「案外、相手が農民と侮ってくれたらやり易いからとか、そういったことではないですか?」
「あらあら、疑り深いわねぇ?」
「疑り深くもなります。土や草の匂いって、文字の羅列から何でそんなことがわかるんですか?信じられません」
「ふふ、侮ってくれればやり易いって誰とやるって言うの?探究者なのに……レジィは頭がいいから理性で物事を考え過ぎなのよ。まぁ、私くらい経験を積むころには分かるかもしれないわね」
ギルド長が楽しげに笑う。
子ども扱いだった。
確かにギルド長からすれば私なんて子供みたいなものかもしれないが、複雑な気分だ。加えて、私が同じように経験を重ねてもそんなふうになれる気はしないというのがそういった気分に拍車をかけていた。
「納得できないっていう顔ね?」
「……はい、理解し難いです」
見透かしてくるギルド長に、素直な答えを返す。
ギルド長は笑みを深くしただけだった。
「素直ね。まぁ、そのうちレジィにも分かるわ。そのうち、ね」
「……はぁ」
思わず生返事をしてしまう。
ギルド長は意味深な言葉を最後に書類を戻して立ち上がっていた。
会話に飽きたのかもしれない。私と話なんかしてもつまらないもんね……
そう思う私の横でギルド長は大きく伸びをする。
背が仰け反り、必要以上に大きな胸が無駄に強調されてフルフルと揺れていた。
その光景に軽く絶望をしながらも、私はこっそりと胸の前で手を上下させる。
……………………スカッ
…………スカッスカッ
分かっていたことながら、私は絶望した。
ギルド長なら胸が当たる位置に手を振っても何もないことに。
おかしい。
死んだ母さんもギルド長にも劣らないくらいお胸が大きかったというのに、父の情報が勝ったとでもいうのか?
『いやぁ、父の乳が遺伝したってことかな?ほら、チチだけに』
悩みを相談した時の父さんの言葉が頭の中で自動的に流れてくる。
くたばれバカ父さん、私は本気で悩んでるんだぞ!
と、そこでギリギリと拳を握りしめているところをギルド長が不思議そうな顔で見ていることに気が付いた。
「あっ……」
「どうしたの?レジィ。怖い顔して?」
「いえ、その、何でも、ないです」
「そう?そうは見えないけれど……うぅん、他にもまだ悩み事があるのかしら?そうなら相談に乗るわよ?」
気遣うようなギルド長の目。
その声は本気で私のことを心配していた。
力になりたいという想いがひしひしと伝わってくる。
伝わって、くるんだけど……
私はチラリとギルド長の胸を見て、目を逸らす。
言えるわけがなかった。
「……本当に、大丈夫です。気にしないでください、お願いします」
「うぅん、ますます大丈夫という気がしないのだけれど」
「いいえ、本当に、大丈夫なんです……」
口にしている間にもちょっとばかり落ち込んでくるが、私はハッキリと口にする。
そんな私の姿を見てギルド長は苦笑をしていた。
が、私はギルド長の方を見ない。
さっさと話を流してほしいからだ。
相談?わざわざ胸の大きい人にお胸が小さくて悩んでいるんです、と言うなんて悔しすぎる……
ガリリッと奥歯を噛みしめる。
相談なんて絶対にごめんだった。
「本当に……気にしないでください、これが悩みだなんて私は認めてませんので……」
「そう?さらに不安になってくるのだけれど……ふぅ、強情ねぇ。わかったわ、言いたくないのなら無理には聞かないわ」
ギルド長が溜息を吐く。
それはこの話を終わりにしてくれる合図のようなもの。
そのことを知っている私は、そんなギルド長の仕草にホッと胸を撫で下ろす。
どんな形にせよ、話が流れてくれるのなら文句は……
「それじゃあレジィ?仕事終わりで疲れたし、一緒にお風呂にでも入りましょうか?」
「絶対に嫌です」
気付けば即答をしていた。
あ……と一瞬罪悪感のようなものを覚えるが、後悔などは微塵もない。
ギルド長は私の言葉に目をパチクリとさせていた。
「そんなに嫌?」
「うっ、い、嫌です。死んでもゴメンです」
「そうなの?そこまで?…………ふぅむ、反抗期というものなのかしら?」
ギルド長が頬に手を当ててウ~ンと悩みだす。
確実に違うということが私には分かっていたが、口を出すことは控えた。
変な方向に飛び火しても困るから。
少しして結論が出たらしく、ギルド長は頬に当てた手を下ろした。
「仕方ないわね。お風呂は一人で入ることにするわ、いつもの大浴場でね」
「そうですか、ゆっくりしてきてください」
「えぇ、ゆっくりしてくるわ。だから、入りたくなったらいつでも来てちょうだいね?」
笑顔で言うギルド長に、私は無言で返す。
そういう方向か……わざわざ場所まで言って、分かり易いなぁ……
少し呆れる。
そんな私にギルド長はピラピラと手を振って、扉へと歩いていく。
ギルド職員以外通り抜け禁止の扉だ。
ギルド長はその扉を思い切り引いて出ていこうとして……詰まった。
「あらら?」
「……ギルド長、その扉は押して開ける扉です」
「あ~、そういえばそうだったわね。ふふ、長いことやっているとたまにやってしまうわよね」
言いつつ、ギルド長は扉を開ける。
既視感のある光景に私は少し気が遠くなった。
「しっかりしてください。さっき話に上がっていたソージ・ファーマニスも同じことをしてましたよ?」
「あらあら、奇遇ね?これも縁かしら?ちょっと興味が湧いてきちゃったかもしれないわね、ふふ」
「どんな縁ですか?もう……」
「どんな縁でもいいのよ、人に興味を持つにはね」
クスクスと楽しげに笑い声をこぼすギルド長に、私は頭を抑える。
理解不能な物言いだ。私には分からない。
そんな様子の私を見て、ギルド長は再度楽しげに笑う。
ひとしきり笑ってから、ギルド長は思い出すように言った。
「そういえば、その子は18歳だったかしら?」
「はい、確か15で探究者になって年数が三年ですね」
「そう……15歳で……」
どんよりとした声でギルド長が呟く。
何か、思いを馳せるように。
湿っぽい声で、顔を俯かせて、悲しむような表情を浮かべて……ギルド長は顔を上げた。
「子供たちはどうしてそんなに生き急ぐのかしら……18歳なんてまだ赤ん坊だというのに」
「…………」
神妙な顔をしているギルド長に、私は無言で渋い顔をした。
ギルド長……18は赤ん坊じゃないです……
エルフ、と聞いて禿にやられたあの国の無能な王様が思い浮かぶ方はいらっしゃいますか?
重症ですよ、聖戦士殿w